2-(9) トートゥゾネの危機(下)
――危機的状況だ。
あらためて聞かされてもそうとしか思えない。二十四時間以内となると、救援部隊が間に合うのかという問題がある。間に合わないならば、最初から防衛ラインをさげてしまおうという軍官房部の考えも納得できる。
天儀総司令は、軍官房部の方針まで聞き終えたところで発言した。
「なるほど。軍官房部は、防衛ラインをさげたいと……」
天儀総司令が難しい顔をしていうと、アクセルが大げさに立ちあがり、
「ダメだ! 負けるぞ! 戦線を、ラインを下げるなッ!」
と噛み付いた。また勝手に発言して、と星守副官房が注意しようと腰を浮かしたが、天儀総司令がそれを手で制して、アクセルを見た。まるで意見をいえ、というような仕草だったが、これには星守副官房が黙ってはいなかった。
「ちょっと天儀司令。彼に発言権はないですよ。統合参謀本部の士官とうだけで会議への出席条件は満たしていますけど、瑞鶴のクルーでもなく総司令部のメンバーでない者には発言権はありません」
だが、天儀司令は無視。
「では、アクセル。君の考えを聞こう」
持論に自信あり。アクセルが凶悪に笑った。
「良い心がけだ。取り敢えずオレのプラン以外ないものとしれ。一刻も早く救援の戦力を編成し、トートゥゾネへ急行。現地のヌナニア艦隊を収容するしかない。で、収容した戦力とともに第七戦線方面に移動し、防御陣を形成し敵を待ち受ける」
腹立たしいが、具体性のある良いプランだった。トートゥゾネ内に有力な戦力が残っている以上敵は、それを無視して進撃することはできない。救援戦力と李飛龍艦隊が合流すれば、少なくない戦力になるうえに、予定の位置に布陣できればヌナニア軍は優位だ。
しかも敵はヌナニア軍を排除しようと、艦隊決戦などを挑めば、泊地パラス・アテネ方面からの背後脅かされかねない。
アクセルのプランが成功すれば敵はその時点で、トートゥゾネの奪取を諦める可能性が極めて高いが。だが、天儀司令は――。
「なんだ結局お前も逃げるのか」
と呆れ顔であっさり切って捨てた。大会議室内がどよめいた。それはそうだ。誰がどう見たってアクセルのはすぐれた計画だった。
「はぁああ? 逃げてるだとッ!?」
だが、アクセルが怒れど、天儀司令はどこ吹く風。こんなもんどっちでも負けると調子すらある。
「軍官房部は、トートゥゾネの一つ後ろの宙域に下がって戦線を構築し直す。お前のは、トートゥゾネ内でギリギリまで下がって、戦力を集結させる。結局は後退じゃないか」
「違うだろ全然!」
「いやいや。こんなもんは五十歩下がったか百歩下がったかの違いだ。まさに五十歩百歩。どちらも変わらん」
「違う! オレのはトートゥゾネ内にとどまってッ」
「あ、そうか。アクセルお前……。あのな説明してやる。五十歩百歩って言葉の意味はな」
アクセルが五十歩百歩の言葉の意味をしらないと思い説明しだした天儀総司令。アクセルが、
「知ってる!」
と真っ赤な顔で怒鳴り散らした。……俺から見れば、人との対話を軽視してきたのがアクセルだ。見下して、暴言を吐いて、ついには力に物を言わせて。恫喝こそこいつの対話の本質。それが天儀総司令には通用しない。とぼけられ、論点をずらされ、話を聞かない。それなのに声色に悪意込めてこないときたら、アクセルはまったく調子が狂うだろう。
「じゃあそういうことだ」
満面の笑みすらうかべていう天儀司令に、アクセルががっくりと肩を落とし着席した。呆れ、疲れ、拍子抜けというような感情がないまぜになった表情で、
「まったく調子が狂うぜ。なんなんだこいつは」
とボソリといったが……。
「オーイ。聞こえてるぞーアクセル。総司令官だ。自軍のトップの顔と名前ぐらいは覚えておけよー」
アクセルはもうお手上げ。ゲンナリした顔になり黙り込んだ。
「それより天儀総司令。お決めいただかないと」
と六川軍官房長が天儀総司令に催促した。
「決める?」
「おふざけはおやめください。アクセル君のプランなのか、軍官房部の計画を採用するのか。どちらにせよお決めいただかないと話が進まない。こうしている間にもトートゥゾネの危機的状況は進行しています」
六川軍官房長には、独特の有無を言わせない圧がある。天儀総司令は、素直に頷いた。
「義成。アクセルは案外素直なやつだ。だが、六川軍官房長は一筋縄じゃいかない。はたしてどうする。ここは策がいるぞ」
そう俺に小声でいった天儀総司令は、俺が応じの言葉をだすのなんてやはり待ってはくれない。
「どちらの計画を採用し、作戦に起こすにしても問題点があると私は思う。はたして諸君が、この問題についてどう考えているか私は知りたい」
大会議室内は、水を打ったように静まり返った。総司令天儀の問に、ほとんどの軍幹部の青い。自信がないのではない。だが、天儀総司令が思うところが、正確にわかろうはずもない。
――あらまあお歴々が呆れますの。
と端正な顔に冷めた目つきで思ったのはアバノア・S・ジャサク。その隣には花ノ美・タイガーベル。アクセルが会議に参加しているということは、二人もいて当然だ。二人も統合参謀本部で、アヘッドセブンと呼ばれる特別な存在なのだから。
アバノアが、隣の花ノ美へ、
「花ノ美お姉さま見まして、天儀のマウント取り」
と、ささやいた。
「ええ、こうやって格の違いを見せつけて人心を掌握するのね。私感心した」
「あらまあ……。わたくしは、そういう意味でいったのではなくて、あのおかたは性格がねじけているといったんですが」
「そうじゃないと思う」
「どうでしょう。いま、なにを答えても違うと否定されるに決まっていますの」
だってそうに決まっていますの。天儀、いえ、総司令官さまは、問題があると口にしておいて、その具体的な内容はいわないまま、さも全員が承知しているように問いかけてきた。これは答えるように命じたものを叱りつける伏線。パワハラすれすれのマウント取り。それを花ノ美お姉さまったら……。総司令官さまのことになるとなんでも肯定的ですの。
問題点があると問いを発した総司令官天儀が、大会議室内を睥睨した。きわめて威圧的に。
――ほらやっぱりですの。
と感じたアバノアが、
「ねえ、花ノ美お姉さま。いまの見まして?」
と、またささやいた瞬間。
「アバノア。両計画の問題点をいえ」
「え、わたくし?」
「そうだ。具体的に簡潔にだぞ」
「えっと……。その距離的な。というか時間的なー」
まさか自分が当てられると夢にも思っていなかったアバノアは起立したがしどろもどろ。そして総司令官天儀はせっかちだった。
「もういい! 義成いえ!」
とぞんざいにいうと次のものに回してしまった。
総司令官天儀の指名に、明朗な返事で立ちあがったのは義成。アバノアが顔を青くして着席するなか、義成が問題点の指摘を開始した。
「まず距離の問題です。泊地パラス・アテネからトートゥゾネまでまとまった戦力を移動させるのに二十五時間。いえ、最悪三十時間はかかります。敵の大攻勢は二十四時間以内と考えられますので――」
「つまり増援を送っても李飛龍艦隊は壊滅している可能性が高いか」
「そうです」
「他には?」
「時間です。移動に二十五時間から三十時間ですが、泊地パラス・アテネ内で戦える戦力を集結させるのにも時間がかかります。集結には八時間。どんなに頑張っても五時間はくだらない……」
「なるほど最短で戦力を準備できても我々がトートゥゾネにつくころには三十時間経過しているな」
「はい。しかも敵の攻撃が二十四時間以内といっても、二十四時間後なんてことはありえません。おそらく十二時間とたたず敵の大艦隊が李飛龍艦隊を襲います」
つまり、距離を縮めて、時間でも止めないと。トートゥゾネに戦力を送る意義がない。なぜなら到着するころには、肝心の李飛龍艦隊が壊滅していしまっている可能性があるからだ。俺には、この問題の解決は不可能に感じられる。ミカヅチゲームで華麗に勝利を収めた天儀総司令だが、シミュレーションと現実はやはり違うと俺は思う。現実は、現実の難しさがある。
物理的な距離は動かないし、時間も同様だ。
こう考えると軍官房部が、タブーのはずのトートゥゾネの実質放棄を決めたのも頷ける。時間が足りないのだ。戦力を集めて、トートゥゾネに送る頃には手遅れの可能性が高い。ならばトートゥゾネの李飛龍艦隊には、後退してもらい。トートゥゾネの一つ後ろの宙域で合流する。現実的なプランだ。だが、こちらだって時間的に間に合うかわからない。やはり、こちらも間に合わないように思う。李飛龍艦隊が、トートゥゾネ外にさがるには、増援の戦力で敵主力を牽制する必要がある。
そして、これでアクセルのプランの問題点も浮き彫りになった。アクセルのプランは、第七戦線方面での防御陣の構築。二十三時間に加えて、トートゥゾネ内の移動があるのだ……。完全に時間的な破綻がある
「では、花ノ美。解決策はあるか?」
花ノ美の行動は素早い。そして忌憚がない。
「残念ながらありません。物理的問題ですね。どちらの案を採用するにしても、時を止めて、距離を縮める必要がります。魔法でも使えなきゃ無理ですね」
花ノ美も俺と同じことを思ったようだ。
そして、この花ノ美の発言で、大会議室内が消沈した空気になった。予感していたことが瞬間の訪れ。この戦争は遅かれ早かれ敗北した。それがいまきたのだ。そもそもフライヤ・ベルク大戦線帯の要衝をすべて抑えられて、いままで戦えたのが奇跡。いま、集まった軍幹部達は、
――天儀は、敗戦処理に送られてきたのではないか?
とすら感じて、濃厚な敗北の気配にさらされた。
「では魔法を使おう。時を止めて、距離を縮める魔法をなッ!」
大会議室内がどよめいた。あっさりいった天儀総司令は、自信満々だ。いや、どうなんだ。これはハッタリで、消沈する室内の空気を鼓舞するための発言なのか? 俺にはわからなかったが、天儀総司令はすぐさま言葉を継いだ。
「主計総長! 旗手長!」
呼ばれた二名は、はい! といってただちに起立した。
主計総長は、兵站管理や軍需物資の管理。軍官房部の作った救援戦力試算をリスト化して、実際に一箇所に集めるのは、主計総長と主計部の仕事となる。
そして旗手長とは、聞かない役職だろうがこれは、船でいえば航海長。飛行機でいえば航空士。宇宙船が移動するときに、具体的なコースを決めるのが仕事だ。つまり、泊地パラス・アテネからトートゥゾネまでの移動コースとプランを決めるのが仕事。
だが、呼ばれた主計総長、旗手長の顔は青い。だって、いまから天儀総司令から命じられるのは無理難題。主計総長は、
―― 一刻も早く戦力を集めろ!
と怒鳴られ、旗手長は、
――コースを縮めろ!
と怒鳴りつけられ、無理といえば解任じゃすまない。責任を押し付けられる。俺は解決策を命じたのに、二人が仕事をしなかったと。
この予感は、主計総長と旗手長だけのものではないようだ。大会議室内全体が、不穏な空気となっていた。グランダの人食い鬼。部下をスケープゴートにして華麗に責任回避。不利な戦局の総司令官を受けたのは、経歴抹殺刑の解除が目的。俺もそう感じた。天儀総司令は、そういう人なのか……。じゃあやはり兄を殺したのはこの人か……。だが……。俺は……。
「主計総長!」
と天儀総司令が大声でいった。声は威圧的で、不必要な音量に感じられた。主計総長の顔はますます青く、誰もが主計総長から切り刻まれると思った。目下室内の興味は、彼は上手くいいのがれできるのか、天儀はどうやって彼に責任を押し付けるのか――。
「ここに私が、予め作っておいた戦力リストと集結計画がある。これに従えば三時間以内に、必要戦力を集結できる。データを転送するので、直ちに作業に取りかかれ」
「は? はういぃぃい!」
主計総長が呆気にとられてから、泣きそうな顔で歓喜の敬礼。主計総長の天儀総司令を見る目は、まるで神を見るようだ。数秒前まで、その目には絶望の色しかなかったのに、見事に反転だ。大会議室内の空気は一変した。
「なんだこの驚きは心外だぞ。諸君は、私が本国から泊地パラス・アテネまで移動してくる間に居眠りをしていただけとでも思ったのか?」
すかさず花ノ美が、
「時間を止めましたね。では次は距離を?」
とすかさず問いかけた。
「そうだ。次は距離を縮めるぞ。縮地神速の法だ。旗手長!」
「はい!」
「私はこのルートが最適だと考える。これで、十時間でトートゥゾネに到着できる計算だ」
俺達の背後のスクリーンに、泊地パラス・アテネからトートゥゾネまでの新たな赤い線が浮あがった。
「……なるほど。よいルートだと思います。ですが……」
「難しいのか?」
「はい。総司令官殿がご提示されたルートは、測量がされておりません。宇宙では、進軍とマッピングを並行しておこなうことはあります。ですが未測量地の宙域を進むには、それだけ時間がかかりますし、大規模戦力の移動は難しいです」
どうかご理解ください、というように旗手長がいった。せっかく戦力集結の短縮がなったのに、旗手長だってこの言葉を吐くのは辛かったろう。
「だろうな。だが、こいつがある。こいつを探してたから遅くなっちまった」
といって天儀総司令が、部屋に現れたとき持っていた黒い筒から一枚のマイラー紙を取り出し、俺へ旗手長に手渡すよう命じてきた。
マイラー紙を手にした途端に旗手長の顔色が変わった。
「これはっ!?」
「ばっちりだろー。調べてみたらトートゥゾネから泊地パラス・アテネの間は、六十年前に民間の採掘会社が、大規模測量をおこなっていた。そのときの図面データだ」
「すごい。こんなものがあったのか」
「資源の探索や開発するには、宙域のマッピングが必要だからな。どこかで測量をかけていると私は考えて、旧セレニス星間連合時代の資料を法務局へ問い合わせたら出てくるわ出てくるわ。フライヤ・ベルクの開発を計画していたのは、もともと旧セレニス連合だったからな」
「そうか旧国の旧官公庁時代の閉鎖情報か。そこまでは調べなかった……」
「ただこれは測量会社独自の任意座。いけるか?」
「いいえ、大丈夫です。総力を上げて我々が作った座標に変換し、トートゥゾネまでのルートを選定します」
「でも六十年前だぞ?」
「はい。問題ありません。測量部には、地球時代までさかのぼっても平気な測量データを展開するソフトがあります。三時間、いえ、二時間いただければ、いまよりはるかに短いコースを決定できます!」
これにアクセルは、不満だったのか苛立ちの色を目に滲ませた。それに気づいた六川軍官房長は、アクセルの口の動きより早かった。
「やはり六十年前の測量成果というのは、データが古すぎるでは?」
そう。宇宙とて無限の荒野ではない。環境という地形がある。そしてそれは日々微妙に変化する。それでも人類が入植するような宙域は、例外あれど安定しているのも事実だった。つまり大量の流星が常に飛び交っていたり、大小の惑星同士が頻繁にぶつかり合ったり、はては銀河同士が衝突し周辺は銀河団規模で大嵐なんて環境に生物は安住できない。
六川軍官房長の問に、旗手長がただちに応じた。
「ええ、古いですね。でも、ゼロから測量をかけるよりはるかには短く済みますし、相違点をチェックするだけ。チェックための測量にも既存の基準点をつかえばいいので、測量をおこなうための基準点を設置する作業も大幅に短縮できます」
しかも予断は許されないが、幸運にも変化なしという場合もある。宇宙では草木は生えないし、地崩れもない。安定した場所は、地上などよりとことん安定している。とくにフライヤ・ベルクは、天然資源の滞留地帯。こういった幸運も可能性としては十分にありうる。
満場に気迫が蘇っていた。もしかしたら戦えるかもしれないという可能性。どんな手をつかっても、誰がどう考えても手遅れ、そんな状況は去った。あとは、どう戦うか。
大会議室内の意識が、総司令官天儀に集約した。稼ぎだした時で、戦いかたを決めるのは総司令官だ。
「敵の戦意は、きわめて旺盛である。そこで総司令官の私自ら増援を直率しトートゥゾネへ急行し、李飛龍艦隊と合流。――敵へ艦隊決戦を挑む!」
どよめきが起こった。
可能性の空気は一転。大会議室内は絶望の淵に叩き落された。
――天儀総司令あなたって人は気がおかしい!
なぜこの人はアクションを起こす前に、俺に相談してくれないのか……。行動は万事唐突で、不意打ち。これじゃあやっぱり止める暇はない。




