夕方(中)
8
「──さて」
文化祭前日の今日。この日初めて一同に会したであろう地学部の面々を前にして、霧野はそう口火を切った。入り口に立つ彼女に対し、骨格標本の手前で取り囲む配置の部員たちは皆それぞれに緊張を示している。犯人がわかったから、と集められた人々ならば自然に思える表情だ。
「まずは事件について整理しておきましょう。トリケラトプスの右後ろ足が赤く塗られているのが発見されたのは今朝のことでした。最後に無事な姿が目撃されている時間から考えると、犯行が行われたのは昨日の午後六時以降から発見時刻まで。深夜には学校が閉まっていることを踏まえれば、可能性はふた通りになります。昨日の午後六時から七時半までか、今朝の午前七時から八時頃まで。これらの時間帯のうちどちらかに犯行はなされたわけです」
続いて霧野は、いくつかの論拠から容疑者が部員に絞られることを説明していく。そのことは聞かされていたのか、彼らの顔つきに驚きの様子はない──代わりにその緊迫は増していく。
「そして、部長さんと八戸くんから依頼を受けた私が探偵役として捜査をすることになりました。依頼の理由は、犯人を知りたいということはもちろんでしたが、主眼が置かれていたのはむしろ動機──部長の卒業制作という意味合いも含んでいたトリケラトプスを犯人が汚したのはどうしてか、ということでした。ですから私も、ひとまず動機について考えを巡らせました──」
そこからは昼休みに話した推理の繰り返しになった。トリケラトプスの右後ろ足を赤く塗った意味。なにか目的や意図があって、そのために塗るという行為を選んだのではなく、塗ることそのものが目的だったのではないか、ということ。骨格標本を汚し、その汚れを隠すために位置を変えさせることが狙いだったのだ、という推理と──それが否定されたこと。
雨海さんが常陸さんに対して抱く感情についてはぼかしながらの説明だったが、部員たちにとってそれは周知のことだったのか、薄々察しているような雰囲気が漂っている。当人である常陸さんは、やれやれ、とでも言いたげな目つきで雨海さんのことを睨んでいる。
「というわけで私の仮説は否定され、白紙に戻りました。ここまでが、昼休みに捜査の途中経過として八戸くんに話したことです」
「そうだね、そのことはボクも彼から伝え聞いている。しかし、そこからさらに捜査は進展しているはずだ──だからボクたちを呼んだのだろう?」
煽るような口ぶりをしながら、部長さんが悪い笑みを浮かべた。そのことに対して反感を見せることもなく、「では」と霧野は話を続行する。
「午後の捜査で二年生のおふたりに話を伺ってから、私は改めて動機に目を向けました。しかし、考え直したからといって事情が変わるわけではありません。地学部内において、互いを傷つけようという悪意や敵意の予兆は見られなかった。害意が理由でないのなら、当然別の目的があったことになります。かといって、赤く塗った理由も、右後ろ足を塗った理由も、考えたところで糸口には繋がりませんでした。結局のところ、塗ることそのものが目的だったのだと考えることが妥当ではないか、と思わずにはいられません。そこで私は、再び発想を転換できないかと考えました」
「…………」
「昼に行った推理は、トリケラトプスを塗る方法ではなく、塗られたことを知った部員の対応により副次的に生じる変化が重要なのではないか、というものでした。その発想をさらに推し進めます。すなわち、トリケラトプスを塗ったのは──塗ることによって生じる結果そのものが理由だったのではないか」
「……結局同じような気がするが」
「果たしてそうでしょうか。ではここで、改めて骨格標本に目を向けてみます。犯人が赤く塗った結果、骨格標本を形成する部品のうち三本分が赤く塗られた状態になりました。では、塗られる前にはどういう状態だったのか──?」
「どういう状態、と言われても……」
「標本の素子の本数を基準として考えてみます。犯行前に赤く塗られていた素子は零本だった、というのがこれまでの推理──それでは結局同じ議論の繰り返しです。では、零本ではなく自然数本だとしたらどうでしょう。四本以上ということはありませんね。汚れを消すことができるなら私は呼ばれていないでしょう。三本ということも考えられません。わざわざ汚れた部分を上塗りした理由も疑問ですが、その前に標本を三本赤く塗った別の誰かが存在することになります。結局、その人物に対して同様の議論をすればよくなるわけです。零本でも三本以上でもないとなれば、残るは一本か二本です。トリケラトプスが今の状態になる前は、部品のうち一、二本が赤く塗られていた──そう仮定すると、なにか気づくことがありませんか?」
「……むむ」
「トリケラトプスの後ろ足の骨格は意外と細いようですね。角と同じくらいの太さではないか、という証言も得られていました」
「──まさか」
「そして、この骨格標本がもつ二本の角のうち一方は、製作中の事故により先が折れて──丸まっていた」
「そんな……」
「後ろ足の部分の二本の部品は、トリケラトプスの角と入れ替えられたのではないか。そう私は考えました。ここで、骨格標本が今の状態になる前、赤く塗られていた部品の本数は一本か二本である──これは仮定です。自由な議論の途上において、そう考えるともっともらしいから、と考案された、単なる状況の制限です。しかし、その結果得られた『入れ替わり』という仮説は実証可能なものでした──そうよね?」
「──ああ」
霧野に話題を振られて、僕は頷いた。思い出すのは数十分前、彼女の指示に従って確認した事実。
「トリケラトプスの角──僕たちがそう考えていた部品の根元には、二ヶ所とも、角と触れている場所に沿って薄く赤い跡が残っていました」
「犯人──いえ、第一の犯人と呼ぶべきでしょうか。その人物が角を赤く塗った際はみ出した塗料が、角に隣接する部品の一部に触れてしまったわけです。第二の犯人はその様子を発見し──そしてなんらかの理由で、右後ろ足の部品と角とを入れ替えたのです。その際にもう一本の部品を塗り足したのは、角との関係を類推させないためでしょう。しかしながら、根元の跡はどうしようもなかったか、単に気づかなかったのか……」
部員たちは明確に驚きの様子を見せてどよめいていた。目を見開いて固まったり、思わず背後の標本に視線を向けたり──不敵な微笑を崩さない部長さんを除けばいずれも自然な反応のようで、犯人は尻尾を出していない。
ただ、彼らの表情に宿るのは単なる驚きだけではない。困惑していたり、思考停止をしていたり、自分に怒りを向けたりと、表象としてはそれぞれだが、根底にあるのは同じ感情で──
「──どうして気づかなかったのか、と皆さんは思っているかもしれません」
それを読んだかのように霧野は言葉を続けていく。
「しかしながらそれは問題ではないのです。犯行が終わってから起きた変化などとは無関係に、実際に行われた犯行については解明できるのですから」
「…………」
少しだけ、小さな疑問がよぎった。彼女が都合の悪い点への言及を避けたような気がした。しかしそれを気にかける暇もなく、推理はどんどん先へ進んでいく。
「まず犯行の時間をさらに限定することができます。なぜならそれは二回に分けて行われていたからです。部品を赤く塗るのにはそれなりに時間がかかるはずで、また第二の犯人の場合はそれだけでなく、一度外した素子を再び繋がなければなりません。そのために用いたのは製作時と同様、部屋の中にある瞬間接着剤だったと思われますが、それが乾いて安定するまでにもそれなりの時間が必要でしょう。第一の犯人が部屋を出てからすぐに第二の犯人がやってきた、というドタバタ劇は考えづらい──という心理的側面もあります。これらを踏まえると、第一の犯行は昨夜行われ、第二の犯行が今朝行われた、と考えて異論はないはずです」
聴衆はその意見にそれぞれの肯定を示した。僕も同意である。つい先刻の小さな疑問はとりあえずさておいて、議論の流れに集中する。
「そうなると、第二の犯人の行動は概ね理解できると思います。角は部屋に入ってすぐに目に入る場所にあります。最も奥に近い右の後ろ足と入れ替えることで、赤く塗られた部分が目立たないようにしようと考えたのでしょう。その作戦が成功したとは言いがたいですが──自分だけで状況を解決しようとした心理は、賞賛されるものではないとしても納得、あるいは理解できるでしょう」
「…………」
「焦点は第一の犯行に移ります。当初の犯人の動機に関する議論は、こちらの犯行に対して同様に展開されることになるのですが……今回はひとつ違ってくるところがあります。つまり、犯人が塗ったのは右足ではなく角だったのです。この点を考慮すれば動機にも説明がつけられます」
「とてもそうは思えんが……」
雨海さんがぼやく。その口調で他の部員の間に小さく笑いが出た。霧野も少しだけ苦笑に近い表情をしている。
「無理もない、と言いたくもなりますね。考えの根拠になるのはいくつかの点です。この建物が旧校舎であること。骨格標本とは模型の一種であること。トリケラトプスには二本の角があること。そして角は赤く──血の色で塗られていたこと」
「んー……?」
「ここまで聞いて思い当たらないこと自体、雨海さんが犯人でないことを示しているのですが──実はこれらの特徴は、この高校|の七不思議と符合しています」
「──あっ」
驚きの声が漏れたのは僕の口からだった。部員の大部分はぴんとこない顔をしている。部長さんが感情の読めない表情をしていることだけはいつもどおりである。
「鏡に映る吸血鬼、洋式トイレの花子さん、ひとりでに校歌を奏でるピアノ、存在しないはずの文化祭参加団体、血染めの模型、そして旧校舎に現れる鬼の怪。最後の二点がこの骨格標本に当てはまるわけです──強引ではありますが。二本の角を鬼になぞらえるのはかなり厳しいとも思います」
「七不思議なのに六個なのか?」
「七つを語ると呪われるそうよ」
「ここに七不思議なんてあったの?」
「そう、そこが非常に重要な点です」
八戸くんと常陸さんから投げかけられた疑問を受けつつ、霧野は核心に踏みこんでいく。
「この七不思議というアイデアは一週間前に考案され、二日前に創作され、そして昨日初めて披露されました。それを創作だと知らなかった犯人は、七不思議で文化祭を盛りあげようという表面的な建前に感銘を受け──そしてそれを、地学部に適用しようと考えた。幸運なことに、トリケラトプスの骨格標本は六つの七不思議のうちふたつを満たしうる存在です。部長の卒業制作である標本を、より多くの人に見てもらうために──七不思議という名の下に地学部の文化祭を盛りあげるために。善意に基づいて犯人はトリケラトプスを赤く塗りました。──ですから、悪意を想定しても動機に見当がつかなかったわけです」
「…………」
「……む、きみのその目は納得がいかないときの目だね。勘違いしてもらっては困るけれど──これはあくまで犯人の思考を推測しているだけであって、私がそう考えているわけではないの。きみには理解のできない行動原理で犯人は動いていた、ということよ」
「──ちなみに、その七不思議とやらを考案したのは誰なんだい?」
「情報屋、と名乗っていた生徒で、実名も顔もわかりませんが──二年生です」
僕の沈黙と、部長さんの問いに、霧野はそれぞれ答えを返す。確かにそれは、僕が今日の午前に抱いた違和感と似ていた。骨格標本の評判を広めようという目的は理解できても、そこに至る根本の部分がわからない。不明な原理から合理に近いものが生じている感覚──しかしそれは。
あの人と違って、合理そのものではない。
「しかしこの情報だけでは、特定するには不充分です。同じクラスではないからといって、七不思議を聞いていないとは限りません。情報屋を名乗るのですから、それなりに顔も広いでしょうし。そこで最後の手がかりとなったのが──トリケラトプスをいかにして塗ったか、ということです」
「……ああ、そういうことなのか」
ここまでくれば、聴衆と比して情報量の多い僕には霧野の意図が読めてくる。
「そう。自称情報屋が七不思議を世に出したのは昨日が初めてでした。それを聞いたその日に犯人は犯行に及んでいます──これは決して計画的ではなく、衝動的な犯行です。しかしながら、現場であるこの教室には骨格標本を塗るための道具がありません。絵の具も、ペンキも、筆記用具も、チョークすらもないのです。犯行に計画性はないため、家で用意してくることも不可能。そもそも第一の犯人は家に帰ってすらいないはずですから」
「まず、校内で入手した可能性を考えたんだよな」
「そうね。ですがそれはかなり難しいと、少し捜査して私は考えました。共部屋ゆえに警戒の強い近隣の教室、部員に気づかれず入ることが難しい美術室はいずれも候補から外れます。それ以外の部屋、あるいは普通の教室──可能性にはきりがありませんが、犯人にそこまで深く思考を練る余裕はなかったはず。繰り返しになりますが犯行は衝動的でした。犯人は衝動のままに──骨格標本を塗る手段が咄嗟に浮かんでいたからこそ、犯行に及んだのですから」
「誰かに借りた可能性は?」
「否定はできない──論理的にはね。知人友人に尋ねて回れば人海戦術で否定できるかもしれないけれど、それは探偵役の領分ではない。それに、今の私は消去法のように語ってはいるけれど──実のところは最初から、もっと大きな可能性に心当たりがあったの」
「……それは?」
僕が挟む質問と呼応するように彼女の推理は加速する。
「まず八戸くん──あなたは私たちと同じクラスで、その出し物は喫茶店。よって除外される。雨海さんのクラスはアトラクション。部長さんと常陸さんはジェットコースターで、どちらも否定される。なぜならいずれも、もちろん装飾で使ったことはあるでしょうけれど、決してなにかを塗るものを持っていることが自然ではないから」
「────」
「地学部員が所属しているなかで残るクラスはひとつ。そこは文化祭でお化け屋敷の出し物をすることになっている。お化け屋敷とは客を驚かせるもの。そのために雰囲気を演出したり、出迎えを工夫したり、ゾンビのメイクをしたりする。そのなかでも特に、メイクを担当する生徒は──そのための血糊を携帯していても自然でしょう」
骨格標本を塗った赤色を初めて見た際に感じたことを思い出す。
──血のようだと形容するには少し明るすぎる。仮に血糊だとすればあまりに安っぽく、
情報屋を名乗る男子生徒の顔を見た際に感じたことを思い出す。
──顔の血の色は意外と明るくて、そこまで怖いという感じもしない。
つまり。
「夢咲蛍さん──あなたが第一の犯人です」
まっすぐに指を差し向けて、霧野は断定する。
「そして第二の犯人は実森悠さんでしょう。彼は血糊を携帯してはいないと思いますが──同じクラスという仲なら、軽い気持ちで借りようと申しでても疑問は抱かれないはずです」
夢咲さんと実森さんは──七不思議の話が出た時点から沈黙を保っていたふたりは、その言葉を否定することはしなかった。実森さんはかなり気まずそうな表情をしている程度だけれど、夢咲さんは──その震えが伝わってきそうなほどに、蒼い顔をしている。
「……わたしは、」
震えた声。
「部長が卒業しちゃうのが嫌で、でも引き留められるわけもなくて、だから部長がいなくてもわたしたちだけでしっかりしないといけなくて、けどその自信もなくて、せめて部長のことだけはきちんと送りだしたくて、トリケラトプスをもっと多くの人に見てもらいたくて、たくさんの人に褒めてもらいたくて──そう思ったら、七不思議の話を聞いて、居てもたっても居られなくて。まさか作り話だなんて思いもしなかったから────!」
その言葉でなにを主張したいのか、彼女自身も理解していないかのようだった。自己弁護なのか懺悔なのか。自嘲なのか後悔なのか。
「ごめん、なさい……。悪いことをしてごめんなさい。勝手なことをしてごめんなさい。部長、わたしは、本当に…………!」
ただ謝罪であることだけは確かな言葉を譫言のように繰り返す彼女の瞳からは、大粒の涙が溢れて落ちる。
「ぼくは、……自分が悪くないと言うつもりはありません。最初に発見したときに報告しなかったのも、自分だけで解決しようなんて思いあがったのも……ぼくが悪い。先輩たちがいなくなったあとはぼくらがこの部の責任を負うのだと、それが少し早まっただけだと、そう考えてしまったぼくの責任です。あのときならまだ取り返しがついたかもしれないのに。ぼくがすべて悪いんです。……だから夢咲のことは悪く言わないでください。彼女に悪気はなかったんです。全部ぼくが──」
隣から聞こえる嗚咽を懸命に堪えているかのように、彼は眼を伏せている。平静を装ったその表情と裏腹に、堅く握り締めた拳が震えている。
「…………」
常陸さんと雨海さんはなんとも言えない様子で後輩たちの様子を見ている。犯人に悪意があったのなら責めようもあるが、実際には誰よりも本人たちが犯行を悔いていることは見れば明らかで、どうすればいいのかわからない……という表情。あるいは、彼らにもまた後輩たちの気持ちが理解できるということもあるのだろう。
部長さんへの好意を、恩を返そうとして──その善意が空回りする。その可能性を、その恐怖を、彼らは理解できてしまう。あの場所に立っていたのは自分だったかもしれない、という心理が働くのだろうか。
後輩たちに声をかけることもできず、彼らは直立したままでいる。
その光景のすべてを、霧野は静かに見つめていた。彼女の本音を知る僕からすれば、つらくないはずのない光景を、まっすぐに見つめていた。いつものように、無表情の仮面をつけて。冷酷な女探偵という体裁を演じて。真実という刃で他者を斬りつけた探偵役が受けるべき罰だと、焼きつけるように見つめていた。
──そのときだった。
「いや、怒っているわけではないよ」
その人は。
地学部の部長は、いつもより少しだけ柔らかい微笑を浮かべながら、世間話のようにそう言った。
「……え?」
「…………」
泣いていた夢咲さんも、悔いていた実森さんも、傍観者と化していた他の部員たちも、呆気にとられたような顔でそちらを見る。その視線を受ける部長さんは、「う〜ん」と軽く悩む様子を見せて、
「まず夢咲くん」
「……はい」
声も体も震えたまま身構える夢咲さんの、その予想に反するように。
「相談しなかったことは確かに減点だけど、七不思議という伝承の力を借りる発想は実に良い。これからの地学部を担う部長として充分に期待できる創造力だ」
「…………はい?」
「いや、これはボクも甘かったというべきだろうね。単に完成度の高い標本を作ればいい、なんて金さえあればできることで満足していたのが良くなかった。その点、より高い評判を集めるために外部の文脈を引用するという夢咲くんの発想は実にボク好みだ。ボクたちに相談せず実行した点を除けば、だけどね」
「……えっと。ありがとう、ございます?」
「そして実森くん」
「はい」
「キミもボクに相談しなかったことは減点。だけど、夢咲くんの犯行だと見抜いただろうに──いや、だからこそ、かな? それを知ったうえで自分が罪を被るために犯行を上書きした、その点は賞賛されるべきだろうね。次代を担う新部長を支える新副部長の活躍が楽しみだよ」
「別に罪を被るつもりは……いえ、ありがとうございます」
「あれ、ていうか次の部長はゆーくんじゃないの?」
「ぼくは誰かの下についてその人を支えるほうが向いているよ。わざわざ夢咲の勘違いを正すまでもないと思っていただけで」
「いやいや、夢咲くんのことを助けたいと言うのが恥ずかしくて照れていただけだろう。ボクにはお見通しだよ?」
「違いますよ」
「へぇ、ゆーくん、へぇー……」
「お前も真に受けるな」
「とりあえず痴話喧嘩はやめておきたまえ。ひとまず本題に入ろう」
……僕と霧野は、茫然とその光景を眺めていた。霧野が悩んでいたことはなんだったのだろうと、そう思ってしまうくらいに。絶望的だったはずの未来は、あっさりと明るく覆されていた。
夢咲さんは笑っている。その頰に涙の跡こそ残るけれど。実森さんも、口では冷たく彼女のことを突き放しているようでいて、表情はとても穏やかだった。
つい数分前の光景が嘘だったかのような、ごくありふれた幸せな世界。
「えー、地学部の諸君。過ぎたことをとやかく言ってもしかたがないと思わないかい? 確かに夢咲くんと実森くんの行動は間違っていたが──しかしその動機まで間違いだったとは思わない。いや、間違いになんてさせはしない。誰かを思う気持ちによって生じた行動が空回っていたとしても──その気持ちだけは絶対に肯定してみせるのが先輩としての役目だとボクは思う。キミたちはどうかな?」
「んー……まあ、部長が気にしないなら俺からとやかく言うつもりはないっすよ」
「癪だけど……雨海に同じく」
「俺は黙って先輩方についていくだけですよ」
霧野の苦悩を置き去りにしていくかのように。苦しみも悩みもないかのように。手際よく事件は解決していく──誰もが幸せになっていく。
それは、まるで──すべてが完璧に解決するように、仕組まれていたかのように。
「それは重畳。では、下校時刻までそれほど間もないが──本日の地学部の活動を始めよう。議題は今回の事件の収拾をどうつけるか、だ。状況は時間を含めかなり厳しいものだけれど、このメンバーで解決できないはずがない。一部を赤く染められたトリケラトプスをいかにプロデュースしていくか、キミたちの発想に期待する。そうでなければ夢咲くんと実森くんの行動が浮かばれない。だって──」
その言葉を聞いたとき、ようやく僕は──
「──みんなが楽しく感じていられることが一番だからね」
──自分が誰の掌の上で踊っていたのかを理解した。