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午後

   6



「──旧校舎に現れる鬼の怪を知っているかな?」


 と、目の前に立つ()()は言った。


「あるいは洋式トイレの花子さん、あるいはひとりでに校歌を奏でるピアノ。あるいは存在しないはずの文化祭参加団体──」


 傷痕と痣だらけの顔面。薄暗いなかで妖しく光る血の色。ところどころが血に染まった包帯を身に纏い、()()はにたにたと笑いを浮かべる。


「そして血染めの模型、鏡に映る吸血鬼。七つの名を挙げてしまえば呪われる──」


 ()()は──ありていにいえばゾンビ姿の男子高校生は、高らかに謳うように言い放った。


「──我が高校が誇る七不思議を、君たちは知っているかな?」


「…………」


「おいおい、酷いぜ後輩諸君。少しくらい怖がるふりをしてくれてもいいだろう?」


 今日はこんなのばかりだな、と僕は思う。霧野も一段と冷たい雰囲気を醸し出している。

 というか、傷痕と痣と血で全然顔がわからないのだけれど、もしかしたら知人の先輩だったりするのだろうか。そうだとしたら申しわけないけれど、しかしこんな変な人がいた記憶もない。


「……入学したばかりの頃に一応調べましたが、この高校に七不思議に類する伝承はありませんよね? 創作ですか?」


 霧野がそんなことを言ったので、僕はますます呆れ果てることになった。というか霧野の声が低い。ドスが利いて低い。普段綺麗な声を出している喉が心配になるくらい低い。


「おいおい脅かさないでくれ後輩ちゃん。オレは怖がるふりをしてくれと言ったがオレを怖がらせてくれとは言ってないぜ。……いや本当勘弁してください」


 読みづらいゾンビの顔色からも本当に泣きそうになっていることが伝わってきて、霧野も殺意を解いた──代わりにものすごく厭そうな雰囲気を出している。うんざり、と気配が語っている。


「はぁ、まったく──夢咲(ゆめさき)のやつはきちんと真に受けてくれたのにな。我が校が誇る七不思議で文化祭を盛りあげよう、とかそれっぽいことを言ったら同意してくれたし。あんまりあいつに変なことを吹きこまないでくれ、ってあとで実森(さねもり)に怒られたけど」


「夢咲さんと実森さん、というと地学部の……?」


「ああ、後輩諸君はあいつらに用だったのかい? それなら少しばかり待っていてくれ。夢咲は自分の顔で練習してたゾンビメイクを洗って落とすために水道に行ってるはずだ。実森は呼べばくるだろうけど、そこまで急がなくてもいいだろう? それより俺と話していかないか」


「えぇ……」


「本気で厭そうな反応をするのはやめてくれよ。これでも同学年の間じゃ情報屋としてそれなりに顔が売れていたりいなかったりするんだぜ?」


 顔のわからないゾンビメイクでの発言をどう受け止めるべきか迷ってしまう。そんな反応を知ってか知らずか、情報屋(?)さんはにやりと笑って、


「ひとつしたの学年に名探偵がいるらしい、という噂に情報屋として興味があったりするんだよ」


「そんなことよりも先ほどの話について伺いたいのですけれど」


「…………いや、興味をもってくれるのはありがたいんだが」


 意味深な振りをばっさりと切り捨てられた彼は流石につらそうなゾンビ顔を見せる。それを無視して霧野は尋ねていく。


「文化祭を盛りあげるための七不思議とのことでしたが、昨年の文化祭ではその話は出ていませんでしたよね。どうしてですか? あとやはり創作なのですか?」


「まあ思いついたのが先週だからね。完成したのが一昨日で、初披露が昨日の夢咲だ」


「そうですか。質問は以上です」


 そのまま立ち去ろうとする彼女を慌てて追いながら、ゾンビ顔の人は日の当たる世界へ足を踏み入れた。光度の高い場所で見ると顔の血の色は意外と明るくて、そこまで怖いという感じもしない。結果としてますます滑稽な印象を与えるその顔を、立ち止まった霧野は冷めた目で返り見ている。


「君たちオレに恨みでもあるの?」


 おそらく霧野は、目の前にあった些細な謎について知らずにはいられなかったのだ……と思う。たぶん。好奇心というものは打ち消しがたい。かといって、情報屋を名乗る先輩そのものは今回の事件と関係がない。ゆえに、捜査の妨げにならない最低限度の時間だけで済ませられるような質問をしたのだ、おそらく。

 ともあれ、これ以上は人見知りの霧野にこの胡散臭い情報屋(?)と話させるわけにはいかない。捜査を手早く進めたいところだし、僕も割って入ることにした。


「夢咲さんが中にいないのなら、せめて実森さんだけでも呼んでいただきたいのですけど……」


「……やれやれ。そこまでオレと話したくないっていうのに邪魔するわけにもいかねえか。わかった、呼んでくるから少し──」


「──おろ?」


 と。

 唐突に背後から頓狂な声が聞こえて、僕は振り返る。


「キミたち、教室の入り口を塞いだまんまで何を話しているの?」


 ──通学鞄と思しき荷物を肩から提げた女子生徒。夢咲さんであると推測されるその人が、不思議そうな顔で首を傾げていた。



 夢咲(ほたる)と実森(ゆう)。ともに同じ二年C組に所属しており、地学部の未来を担うふたりである。雑感としては、夢咲さんのほうは空想的で感情的なトラブルメイカーで、実森さんのほうは現実的で理性的な縁の下の力持ち、という感じだろうか。名は体を表す、という慣用句が似合う組合せだった。


「昨日なら、ぼくと夢咲はほとんどクラスのほうで準備をしていました。地学部の準備は夏休みで大半を終えていましたし、当日の展示は概ね先輩方の担当です。ぼくらの仕事といえば入り口のところでお客さんと話したり展示について説明したり、というくらいで、たいした準備は必要ありません。なので、夏休み明けからはクラスのほうを手伝うことが多かったわけです」


「お化け屋敷のほうは準備をしてもしても足りないからねー。教室内の雰囲気を演出したり、お化けのメイクの完成度を高めたり、お客さんのお出迎えを練習したり! とにかく人手がほしいんだ〜、って委員長に泣きつかれちゃってさ〜」


「幸い、部長にその事情を説明したところ快く許可はいただけたので、部活のほうは先輩方にお任せしてしまいました。そのせいであんな犯行を許してしまったのは、不徳の致すところですが……」


「ゆーくんは考えすぎだって。悪戯をした人は部長さんたちが帰ったのを見計らって侵入したって話だし、ゆーくんがいたところで結局同じ流れでしょ?」


「まあ、それはそうなのだけれど──夢咲、お前はいつも考えなすぎる。今日も昨日もその前も、ぼくが何度尻拭いをさせられたことか……」


「ええっと、つまりおふたりは手がかりになりそうなことをほとんどご存じないと?」


 途中から僕たちのことを忘れていきそうだったふたりを慌てて引き留める。打てば響くというか、まるで漫才のように会話が繋げられていくさまには感心するほどだった。……夫婦漫才、という言葉が脳裏をよぎる。


「……そうですね。ぼくにはどうして犯人があんなことをしたのかさっぱり」


「わたしも知らなーい。どうして足のほうが赤くされていたんだろうね?」


「では、地学部の内外を問わず、昨日よりも前でなにか事件に関係しそうなことはありませんでしたか? 恨みを引き起こしそうなことでも、そうでないことでも……なんでもいいので」


「それも……ない、ですね。部長は普段どおりでしたし、八戸くんも上手くやっていたようですし。標本を製作中の失敗については気に病んでいたようですが……」


「常陸先輩と雨海先輩もいつもどおり仲が良かったし。喧嘩するほど仲が良い、ってやつだけどね〜」


「誰かが誰かの恨みを強く買っていたり、とかは」


「それはないよ?」


「ぼくも同意です。もし常陸先輩か雨海先輩のどちらかがもうひとりのほうを悪く言っていたりしたのなら、それは誤解ですよ。雨海先輩は好意を表現するのに慣れていないだけで、常陸先輩は好意を向けられることに慣れていないだけです」


「おっと、まるでゆーくんは慣れているみたいな口ぶりだね?」


「お前みたいなやつと一年以上一緒にいたら誰だってこうなるだろ……」


「となると、動機になりそうな事情はまったく存在しないと?」


 逸れていく話題を懸命に繋ぎ止める。彼らの会話の闊達さにはもはや熟練の印象すらあった。雨海先輩のような初々しい恋愛感情を一切覗かせない、安定感に満ちた口運びである。まるで、──という余計な詮索はさておいて。


「そうですね。お互いを害するような感情とは無縁だ、とは思いますが……」


 淀みなく話していた彼が初めて言葉を濁す。これはなにかあるのだろうか、という期待が表情に出たせいか、実森さんは軽く苦笑して、


「いや、これは事件と関係のある話ではないのです。不快でも不審でも不穏でも不自然でもなく、ただ不安というか……」


「文化祭が終わったら、部長さんたちはいなくなっちゃうからねー……」


「ということです。夢咲もぼくも地学部に入ってからずっと部長たちに助けられてきましたし、単に部員の半分が一度に離脱してしまう、というだけでも充分に痛手です。今の一年生は八戸くんしかいませんし、来年は上手く新入生を呼びこめるのか、そしてぼくらに部活を取りまとめることができるのだろうか、と……」


「頼りにしてるよ新部長?」


「いや、お前が一番の不安なのだけど……」


 顔を曇らせる実森さんに対して、夢咲さんは楽観的な様子だった。その表情からは隣に立つ彼のことを深く信頼していることが伺える。彼女の期待を悟っているからこそ、実森さんの不安も募っているのだろうか。……そんな関係性を見ていると、少しばかり羨ましくもなってしまう。

 果たして僕は、これほどまでに霧野から信頼されることができているのだろうか──?


「とにかく、ぼくたちに言えることといえばこの程度だと思います。参考になっていればいいのですが」


「あ、いえ、こちらこそ準備中にお手数かけてすみません。……えーっと、霧野のほうからなにか訊きたいことはあるか?」


「……………………」


 長い沈黙が返ってくる。声が届いていない、というわけではないはずだ。いつもの無表情とは微妙に趣が違う。眼を伏せて、深く思索しているときの顔つき。暫し時を経て沈思から浮上した彼女は、ようやく言葉を返してくる。


「……いえ、私からは特に。とても参考になるお話でした」


 それが世辞なのか本心なのか。顔を上げながらもいまだ考え続けているらしい霧野の真意は、僕には読み取れなかった。


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