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 いったんクラスに戻ったところ八戸くんがいたので、連れ立って学食に向かうことになった。ちなみに、霧野と僕はクラスの仕事から放任されている。僕たちがときおり探偵行動をしていることはすっかり知れているから、こういう対応も慣れたものだ。……ふたりで歩いていると向けられる生暖かい目については、やめてほしいのだけれども。


「俺は職員室とかそのあたりから話を聞いてきたから、それを伝えにきたんだ」


「おお」


 開口一番そう言った八戸くんに、思わず感嘆の声をあげてしまう。霧野も意外そうな顔で彼を見ている。


「いや、あまり有用な話でもなかったし、そう喜ばれると困るんだが……」


「情報があるだけでもありがたいよ」


 彼が聞いてきたのは、地学部が利用している教室の鍵に関しての、昨日の午後の動向だった。その鍵は例のごとく職員室で一括に管理されている。部長さんと常陸さんが最後に鍵を返してから、他に貸し出しがなかったか否かを聞いてきたのだという。


「結論としては『わからない』だな。昨日今日は生徒も先生も出入りが多くてどたばたしてる。一応鍵を借りる際には台帳に記録することになってるけど、それを無視することも不可能じゃなかったと。流石に最低ひとりは職員室に詰めていたそうだけど、ひとり程度なら隙をつけばなんとかなるかも、という見解だった」


「部長さんが借りたときの記録は残っていたの?」


 と霧野。その質問に八戸くんも頷いた。


「ああ、それについては貸出・返却ともに確認されてる。返却のほうが午後六時を過ぎた頃だな。それ以降、完全下校時刻である七時半までにあの部屋の鍵が貸し出されたという記録はない。が、それを抜けた可能性も普通に残っている、ってわけだ」


「下手に可能性が全否定されるよりは助かるな。部長さんたちが部屋を出る前の犯行か、出た後の遠隔操作か……となると方法が見当もつかない」


「部長の見解ではそれはないと考えていいらしい。悪戯に使われた塗料は、ほとんどムラなく塗られていた。遠隔操作での犯行ならもう少し偏りが出るはずらしい。人の目で見ていたからムラをなくせた、ってことだな。俺たちの知らない科学的手法で悪戯の痕跡を隠されていた、という可能性も部長が否定してる。最後に部屋を出る前にひととおり見回ったのはあの人だし、頭もめちゃくちゃ切れるからな。部長に気づかれないような方法を考えつけるやつがいるとは思えない」


「すると焦点は部長さんたちが退出して以降の出入りに絞られる、と考えていいのか」


「そうだな。完全下校時刻以降は校舎が閉まるから、その前か……あるいは朝に校舎が開いたあとか。そこまでは限定できる」


「ところで、ひとつ気になっていたのだけれど」


 僕と八戸くんの議論を遮るように霧野が尋ねてくる。今日の霧野は人見知りを発動してほとんどずっと黙っていたから、なんとなく嬉しい。


「あのトリケラトプスの骨格標本は、どうやって作られたものなのかしら」


「企業秘密」


「…………」


「冗談だって」


 凍てつく視線を耐えられなくなった八戸くんはあっさりと白状する。


「といっても俺は一年だし、うまく説明はできないんだけど。基本的に使っていたのは、なんかの樹脂と、それを固めるための核になる格子、というか素子? だな。原料とか素材は部長が集めてきたからよくわからん。それぞれの素子を樹脂で塗り固めてから、設計図どおりに組み立てていった、って感じだ。瞬間接着剤でぺたぺたとな」


「設計図というのは?」


「インターネットから拾ってきたトリケラトプスの画像とか骨格とか。それを複数参照して、一番それっぽくなるように部長が考えたらしい。教室に入る大きさに縮尺を変更したりな」


「え、トリケラトプスもそんなに大きいのか?」


「当然だろ。恐竜だぜ? ああ、さっき部長が話していたことなら少し説明不足だったな。ティラノはプテラと違って空を飛ばない、というのは確かなんだが、結局のところあいつは頭の位置が高い。だから危ないことに変わりはなくて、あと体も長すぎるから、縮尺を合わせたところで教室じゃ見ばえが悪い。そういう事情もあってトリケラトプスになったんだ」


「へえ」


「製作にかかったのは……まあ、夏休み中はほとんど毎日作業を進めたな。実時間になると考えたくもない。けど、それだけ時間をかけただけあってかなりいい出来だった、というのは部員のみんなが同意してる」


「それはわかる」


「実際に製作を進めて驚いたのは意外と骨が細いことだな。腹とかなら筋肉とか脂肪の関係があるから想像できるけど、足の部分が思った以上に細い。だいたい角と同じくらいの太さで、折れるんじゃないかと心配になるくらいだ」


「角があるのか」


「二本ある。といっても、製作中に失敗したせいで先が丸っこくなってるからそうは見えないかもしれないが」


「失敗?」


「先端のほうを、こう、ぽきっと。いや、尖っているとはいえないというだけでそこまで丸くなってるわけではない、と思いたい、というか」


「八戸くんが失敗したのか……」


「そ、それより俺としてはお前たちの捜査の経過を知りたいんだけど」


「霧野、どう?」


 非常にわかりやすく話題を逸らしてくる八戸くんで遊んでいてもいいのだけれど──個人的にも気になることだから、蒸し返すのはやめにして霧野に話題を流してみる。

 彼女は完全に結論が出るまでは推理を口にしない。古今東西において名探偵とはそういうものだ、と言ってしまえばそれまでだけれど、霧野自身はそれを「探偵役として当然の責任だ」と言う。

 場における真実をいくらでも捻じ曲げうる存在──実績と信頼に基づいて推理の信憑性を担保する探偵役だからこそ、無根拠な憶測で罪のない第三者を害することがあってはならないのだと。

 その意見はもっともだと思うし、そういう信念を抱いているからこそ僕が彼女を信頼しているのも確かで──けれど、それでも気になるものは気になるのが人情なのである。


「そうね。……依頼を受けた時点で、一応は仮説がひとつあったのだけれど。午前の捜査で否定されたから今は白紙」


「ほほう」


 興味深そうに身を寄せてくる八戸くんから嫌そうな表情で身体を遠ざける霧野。行動を真似こそしないものの、僕も気持ちは八戸くんと同様だった。


「その仮説っていうのは?」


「可能性が潰れたから話すのだけれど──トリケラトプスを赤く塗る意味は何か、ということを考えてみたの。それはいわば動機そのものといっていい。それが解ければ自ずと事件も解決するでしょう。けれど見当もつかなかった。なぜ赤く塗ったのか、なぜ右の後ろ足なのか。そこには意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。何も判断材料がないのよ。かといって、それ以外の手段で──たとえば凶器や犯行時刻から犯人当てをする、ということもできない。消去法を試みたとしても、『地学部所属』という条件まで限定して手詰まりになってしまう。だから考え方を変えてみた」


 僕は頷いて先を促す。八戸くんも真剣そうに聞き入っている。


「いかにして塗ったかではなく、()()()()()()()()()に意味があったのではないか」


「……その心は」


「単純に『塗る』という行為で何が変わるのか。トリケラトプスは灰色だから、赤く塗ると汚れることになるわね。ところで部員は皆、そのトリケラトプスの完成度を誇りに思っている。完成度が高かったはずのものが汚された、となれば、地学部はどう動くかしら」


「真っ先に思いつくのは修復だね。八戸くんが言っていた樹脂、っていうので上書きしたりはできないのかな」


「それは無理だな。樹脂は部長が製作にちょうど足りる分量を発注してきたやつだ。作業途中で塗りすぎたり失敗したりした分も含めて、一切過不足なく使い切ってある。あの人の見積もりの的確さにはいつも唸らされるんだが……それが今回は仇になった」


「そうね。私がこの推理を組みあげたときには樹脂のことを知らなかったけれど、部長さんの様子を見るに、悪戯の痕跡を跡形もなく消す手段はないように思えた。だからこの選択肢は棄却される」


「新聞紙かなにかで上から覆う、っていうのは」


「手段としてはありでしょう。けれどその方法でも違和感が残る。近くで見て怪しまれる、ということは避けられない」


「じゃあこれも駄目か……?」


「いいえ。ここまでくればあと一歩よ。近くで見ると怪しまれるのなら、近くで見られないようにすればいい」


()()()()()()()()()()()()()()、ってことか!」


「そう。なんらかの手段で悪戯された部分を覆い、そのうえでトリケラトプスを部屋の奥へとずらす。そうすれば犯行の痕跡は目立たなくなるでしょうし──結果として不利益を被る人も現れる。あの部屋は狭いでしょう?」


「つまり、部屋の右奥で展示をする予定だった──」


「常陸さんを害することが犯人の狙いだった。すなわちその動機をもつ人物が犯人だった──これが第一の仮説」


 なるほど、といったん納得することはできた。不透明だった動機にも説明がつけられる。そして動機から犯人を導ける。あとは捜査で裏づけをとるだけだと、確かにそう思えるが──しかし。


「でもこの仮説は否定される、んだよな」


「ええ。それはもう、完膚ないほどにね」


 そうなのだ。捜査の結果として、そもそも仮説が成立しえないことを僕たちは知っている。


「まず、私が推理した対策──トリケラトプスの位置を動かして悪戯を隠す、という案は実施されなかった。それどころか、悪戯への対策そのものが行われていない。実行されるかも未確定な行動を見越して犯行をしようとは、少なくとも私ならしないわね」


「それに動機もないよな。雨海さんのあの態度が嘘だったとは思えない」


「そうね。展示場所に関して常陸さんと争っていたのは彼だけ。合宿等の報告やトリケラトプスは最初から目立つ場所にあるから、犯行の必要もない。トリケラトプスを動かすことでより目立つことになる雨海さんも、あの様子で本当の動機を隠しているとは疑いづらい。仮にトリケラトプスが奥へずらされたとしたら──その場合は間違いなく、彼は常陸さんと場所を替えていたでしょう」


「単に常陸さんへの嫌がらせの可能性もなくはないけれど」


「その場合は第一の根拠と同様ね。成立しない嫌がらせのためにわざわざ危ない橋を渡る必要はない。そしてなにより──」


 そこで言葉を切ると、霧野は悪戯っぽく微笑する。


「ただ動機だけから犯人を限定しようだなんて、探偵役の名が廃るでしょう?」


「────」


 うっかり見惚れてしまって息が詰まる。それには気づかずに彼女は話を進めていく。


「というわけでこの仮説は棄却。現状では別の推理もなし。あとは午後の捜査に期待、ってところかしらね」


「ふむ…………」


「……なにか?」


「いや、難癖をつけようってわけじゃない。その仮説が成り立たないことはわかったんだが、別に気になってきたことがあってな。あの骨格標本は基本となる素子を組み合わせてできている、っていうことは話しただろ?」


「ええ」


「その素子を一本、二本、と数えていくことにしよう。すると、悪戯で赤く塗られたのはだいたい三本分くらいの長さだったんだ。だから新聞紙で隠すとなれば結構面倒かな、と考えたりもしたんだが……そもそもなんで三本だったんだろうな、と」


「……確かに。私の第一の仮説どおりの動機なら、塗るのは一本で構わなかったはずね。もちろん二本でも、三本でも、四本でも構わないのでしょうけれど」


「そう、三本なんだ。そして赤くて右後ろ足。結局意味はわからないんだけど」


「いえ、解くべき謎を具体的に見いだせただけでも少しは参考になるわ」


「そう思ってくれるのはありがたいが……っと、そろそろ昼休みも終わりだな。俺はクラスのほうに戻る。おふたりさんは当日ちょっとシフトに入ってメイドと執事をやってくれればいいから」


「……やるのは普通の喫茶店のはずだよな」


「冗談だよ」


 と、軽く爆弾を落として八戸くんが去っていき、微妙な空気だけが残された。特に意味もなく僕は霧野のほうを向いて──思わず想像しそうになり、慌てて目を背けた。食べ終えていた食器を持って逃げるように席を立つ。


「じゃあ僕たちも捜査の続きに行こうか」


 と後方の霧野に投げかけた言葉は、事実上の敗走宣言だった。


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