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進軍は思ったより順調のようだ。
と思っていた時期があったが、いまはそんな自分を殴ってやりたい。
「隠れてろ! 絶対に動くなよ」
ただいま絶賛隠密中だ。
じっと息を殺して敵が通り過ぎるのを待っている。
敵と言っても敵兵じゃない。魔物だ。
まるで怪獣みたいなヤツが、足音を響かせながら森の中を闊歩してやがる。
「リグ。あれはなんだ?」
「多眼獣の一種だと思いますが、あれほど大きい個体は見たことがありません」
「俺もだ」
顔に大小の目を八から十くらいくっつけた獣を多眼獣と呼んでいる。
体内に支配のオーブがないものを魔獣と呼ぶが、その強さは千差万別。
「森の木の倍くらい背がある多眼獣なんて、存在していたんだな」
あんなのがいるのなら、村なんてできないはずだ。
俺の背丈くらいの多眼獣でも、かなりの強敵だ。
理性がないかわりに攻撃本能だけは発達している。
どうやったら獲物を倒せるかだけを考えて生きてきた獣なんて、俺は相手にしたくない。
見上げるほど大きな多眼獣と戦おうとは少しも思わないが、他の連中はどうだろう。
「ありゃヤベーな。見つかったら半分は喰われちまうんじゃねーの?」
サイファも同意見らしい。
この場合、半分喰われるというのは、残り半分は散り散りに逃げましたというオチだ。
半分の犠牲で倒せるという話ではない。
多眼獣は何かを探しているのか、少し歩いては顔を周囲に向けて、弧を描くように移動している。
日が暮れるころ、ようやく多眼獣はどこかへ行った。
「……ふう。見つからなくてよかったな」
こんな場所で怪獣大戦争みたいなことはしたくない。
背丈だけでいうならば、ギガントケンタウロス族の三倍くらいあった。
目立つからやってきたら分かるだろう。
「今日はここで野宿をしますか?」
「ああ、下手に移動して見つかっても困るしな」
精神的な疲労が多かったせいだろう。
その日は静かな夜となった。オーガ族ですら、黙して語らないという珍しい夜だった。
その後もゆっくりとジャニウス領を進み、何かあったらレニノス領へ逃げ込める準備をしながら進んだ。
異変に気づいたのは、国境を越えて十日目。
あと数日でファーラの国へ入れるのではという時であった。
「レニノス側で動きがあります」
やや切羽詰まった声でリグがやってきた。
ちょうど休憩を終えて出発しようとしていたときだ。
「動き? 気づかれたか?」
「いえ、兵の姿は確認できましたが、そういう雰囲気ではないようです。おそらく巡回の兵だと思います」
「今まで巡回兵に遭遇したことなかったよな」
ここはジャニウス領とはいえ、レニノス領にほど近い。
明確な国境線があるわけでもないので、正確なことは分からないが、レニノス領から数キロメートルくらい離れたところを通行していると思っている。
「わが国が侵攻を開始したのではないでしょうか」
「ああ……日程としてはそろそろか」
今回の作戦を成功させるには、三つの動きをうまく連動させる必要がある。
最初は俺たちだ。
国内で戦争準備をしている間にこっそりと国を脱出。
目的のファーラ領まで戦闘を避けながら進む。
同じ頃、ゴロゴダーン将軍は鳴り物入りでレニノス領の国境へ姿を現す。
当然レニノスは配下を迎撃に派遣するのだが、ゴロゴダーンとその部隊は巨人種が大半。
部隊をゆっくりと進めてもなんらおかしな所はない。
ゴロゴダーンの目的は、国境付近で戦端を開くこと。
敵をおびき寄せて戦うことで、戦力の分散を図っているのである。
その間にファルネーゼ将軍は精鋭を引き連れてレニノスの城を目指す。
夜魔種を中心としたファルネーゼ将軍の部隊は夜陰に紛れて、気づかれずに肉薄できるだろう。
俺はと言うと、ファーラ領で暴れるだけ暴れて、兵をレニノス領へ呼び寄せる。
予想ではトトワールの部隊がやってくるだろうから、それが到着する前にドロンを決め込む予定だ。
「ここでレニノスの国が動いたってことは、周辺国への警戒だな」
戦争に集中するためにも国境付近には目を光らせなければならない。
レニノスはそういう作業を面倒がらないタイプのようだ。
こちらとしてはその方が助かる。少しでも兵が散っていた方がいいからだ。
「あっ、でもファルネーゼ将軍が忍んで近づくのが難しくなるのか」
早い段階で見つかれば、こちらの意図が看破される可能性もある。
まあ、そこは夜魔種の隠密性に期待だ。ここからじゃ何の支援もできないし。
「我々はどうします?」
「あまりジャニウス領の奥に入るのは逆の意味で危険だしな。夜間のみの移動に切り替える」
レニノスが放った斥候に見つかるといろいろヤバいので、計画は遅れるが、安全策をとろう。見つかったら何もかもお終いだ。
仲間を集めて作戦の変更を伝えた。
「俺たちの国とレニノスの国が戦争状態に入ったと思う。これからは日中は寝て、夜のみの移動になる。もしだれかに見つかったらすぐに知らせろ。目撃者は消さねばならん。ここから先は気を引きしめろよ」
こうして予定より遅れること二日。
俺たちはだれにも見つかることなく、ファーラ領へ到着した。