082
◎ワイルドハント ネヒョル
魔王リーガードの国の東に小魔王レグラスの国がある。
この国は、過去数百年のうちに三つの小魔王国を滅ぼしている。
周辺諸国でレグルスの名は、野心的な小魔王として広まっている。
現在レグルスの国は、国内に四人の小魔王を抱えていることと、比較的大きな領土を持つことで、周辺諸国から警戒感をもたれている。
野心が高く、こちらから手を出せば噛みついてくる国。そんな風に思われている。
とある日の夜。
この国に、大魔王ビハシニの国から国境を越えてやってきた集団があった。
その集団は一種異様であった。
全員が黒衣に身を包み、少数ながらも規律のとれた一団であることがうかがえた。
それだけならば、身分を隠したどこかの軍隊かと思うかもしれない。
だが他と決定的に違うのは、それが周囲に死をまき散らす集団だからであろう。
「……ふう。やっと国境越えか。大変だったね」
久し振りだよ、こんなに移動したのと言って笑ったのは、ネヒョル。
それに付き従うのは、亡霊騎士や髑髏魔道士、それにデュラハンの群れだった。
彼らはここに来るまでの間に村々を襲っている。
あろうことか、彼らは奪った命を抱えて移動してきたのである。
ある者は剣に刺し、またあるものは身体の一部だけを馬の脇に結わいて。
ネヒョルを筆頭に、黒衣の集団はレグルスの住む城へ向かって直進する。
不気味な集団はレグルスの城に入ると、そのまま玉座の間まで進んだ。
先頭はもちろんネヒョル。
ネヒョルの行動を止める者はだれもいない。
周囲の者たちは驚きに目を見開き、固まったまま。
玉座に座るレグルスが、ここではじめてネヒョルに視線を向けた。
「やあ、久し振り」
それはあまりに軽い挨拶。
小魔王に対してそれは如何なものだろうか。
そしてネヒョルはレグルスに近づく。
控えていたレグルスの側近は、あまりのことに剣に手を掛けた。
一方レグルスは玉座から悠然と立ち上がると、ネヒョルの方へ歩を進め……直前で膝をついて臣下の礼をとった。
「おかえりなさいませ、ネヒョル様」
「うん。レグルスも御苦労さま」
「もったいないお言葉です」
ネヒョルとレグルス。ふたりの間に何があったのか。
それを知る者は、もはや多くない。
すでに三百年経っている。
高位種族はいまだ寿命がきていないが、それでも引退する者は多い。
ネヒョルとレグルスの間には、余人が入れない「親しさ」があった。
「それではお返し致します」
レグルスの胸から現れた光の帯は、ネヒョルの周囲を回ると身体の中に入った。
それは支配のオーブによるつながりの証し。
「大丈夫みたいだね」
「このレグルス。ネヒョル様のお帰りを一日千秋の思いで待ち焦がれていました。念願は果たせたのですね」
周囲の者がいぶかしむ。
念願とは何なのか。
「そうだね。それは大丈夫。……でもさ、ずっと起きないんだもの。時間が掛かっちゃったよ」
「そのようですね。ではどのようにしてお聞きしたのでしょう?」
「最初は起きるのを待つつもりだったんだけどさ、何か記録がないか探したの。そしたら、昔の手記があるって聞いてね。もしかしてと思ったわけ」
「なるほど。それが当たりだったわけですね」
「そういうこと。ハズレだったら、知らんぷりして戻ったんだけどねー」
「ようございました。これで私の肩の荷が下ろせます」
「うん。今までありがと。けど、必要なものが二つあるから、レグルスにも働いてもらうからね」
「そうでしたか。では、悲願成就にはまだ今少し?」
「うん。魔界を混乱させたら早まると思う。だから、これから忙しくなるよ」
「望むところです。もちろん私はネヒョル様についていきます」
「レグルスならばそう言うと思ったよ」
ネヒョルは笑いながら玉座に座った。
恭しく頭を垂れているレグルスを一顧だにせず、ネヒョルはここまでの道中に読んだ日記の中身に思いを馳せた。
小魔王メルヴィスの日記には、エルダーヴァンパイア族に至った経緯が書かれていた。
だが、直接的な表現ではない。
ネヒョルはそれこそ日記を何度も読み返し、前後の状況をじっくりと解析した上でひとつの仮説を立てた。
それは、考えるにあまりに無謀なこと。
魔王クラスの魔石と天界の住人が持つ生命石。
このふたつを同時に体内に取り込むことによって、ヴァンパイア族は一段高みへと進化できる。
(片方だけ取り込むと身体を蝕まれるのね。しかも同じくらいの大きさじゃないと駄目って、結構条件が厳しいよね)
魔界の住人が止めを刺すと、魔石の中に含まれる力はその人の一部となってしまう。
魔界の住人が敵を倒すことで支配のオーブの器を広げられるのには、そういった理由があった。
それでは駄目なのだ。力なき魔石では意味が無い。
つまり、ネヒョルが魔石を手に入れるには、魔王が死ぬ直前に、魔石を体内から取り出さねばならない。
魔王クラス相手にそれを行うのがどれだけ大変か。
「でもまあ、何とかなるかな。問題は天界だよね。大規模な侵攻が来てくれないと生命石が手に入らないものね」
しかも魔王クラスの生命石を持った天界の住人が、果たして都合よく魔界にやってくるものなのか。
「このままじゃだめだよね。魔界がもっと乱れなきゃ。戦乱が魔界全土に広がって、魔王がボコボコ沸いてくるようじゃないと、魔王を倒すなんて無理だよね」
ただ待っているつもりはネヒョルにはなかった。
魔界が混乱すればするほど、なりたての魔王が増えてくる。
魔王に成り上がったばかりの者など、討つことが容易い。
同時に、天穴がどこに開こうが、魔界が混乱していれば国境を越えて駆けつけやすくなる。
つまり今のネヒョルは、どうやって魔界を混乱の渦中に叩き込むか、それだけを考えていた。
「どうやればいいかな……楽しみだなぁ」
血で血を洗う世界を想像して、ネヒョルの笑みは止まらなかった。
その日、支配の石版に小魔王ネヒョルの名がひっそりと記された。