062
「……あれは警鐘というやつで、町に敵が迫ったときに鳴らすものなんだが」
ファルネーゼ将軍は苦笑しながらそう説明してくれた。
アレを鳴らしたことを怒ってはいないらしい。
「そうでしたか、初めて知りました」
無知は怖いな、うん。
「オーガ族の村にはないかな。ネヒョルの町で見たことは?」
「一度行きましたが、気づきませんでした」
「あそこは国境に接していないし、あっても目立たないかもしれない……まあ、一度行ったくらいでは、分からないか」
ファルネーゼ将軍が治めるこの町は、魔王トラルザードの国と接していてる。
格上の国と隣り合っているからこそ、危機意識が高いのだろう。
俺が鐘を鳴らしてしまったことで、町の住民がみな戦闘準備を始めてしまったくらいだ。
屋敷の中からも何人かのヴァンパイア族が出てきたので、ファルネーゼ将軍に取り次ぎを頼もうとしたら、無茶苦茶怒られた。
ちなみに、どうやって来訪を知らせるのかというと。
門の模様に隠れて見えづらかったが、ちゃんとノッカーがついていた。
オーガ族は身体が大きいから、細かいのは見えないんだよ……ということにしておこう。
結局、ファルネーゼ将軍が出てきたので事情を説明すると、呆れ顔で俺を見たあと、後ろを向いていた。
たぶん笑っていたのだと思う。肩が震えていたし。
鐘の音であるが、誤報ということで、町の人々に説明してもらうことになって、何体かのヴァンパイア族が慌てて出て行った。
うん、知らなかったとはいえ、やらかしてしまった感はある。
「こんな時勢だからな。住民も良い訓練になっただろ」
将軍は、くっくっくと笑いを噛み殺し切れていない。そんなにおかしかっただろうか。
「ですがなぜ、将軍の屋敷の前にあるのでしょう? ああいうものは、門や見張り台に設置するものかと思いますが」
そう、これみよがしに吊されていたので、思わず鳴らしてしまったのだ。
「もちろんそういう所にもあるさ。ただ私の屋敷には、直接空から知らせが来るからね」
なるほど。ヴァンパイア族は空を飛べる。
町の外で敵を見つけたら、将軍に知らせるため屋敷に急行する。
警鐘を屋敷の中においてもいいが、鳴らすと音がうるさい。
だから屋敷の外の中間、門の上に設置したようだ。
これならば、馬で知らせに来ても鳴らせるからだそうな。
それを知らずに俺が鳴らしたと……ああ、恥ずかしい。
このエルスタビアの町に来るまでに俺は五日間歩き通しだった。
まったく、太刀ひとつもらうのに大変な苦労だ。
ただし、そのおかげでこの国の大きさがなんとなく分かってきた。
城が国の中心にあるようなので、俺が十日も歩けば、ほぼ北から南まで踏破できる計算になる。
この国はかなり円形に近いので、東西も同じくらいだろう。
国の端から端まで歩いて十日。それなりに広いなというのが俺の感想だ。
ちなみに将軍は部下たちと一緒に空を飛んで帰ったので、二日で到着したらしい。
うん、これが種族差というやつだ。
「ではゴーランの褒美を用意するか」
将軍の副官アタラスシアが地下書庫の鍵を預かり、同じく部下のイーギスが書庫に入り、ネヒョル軍団長の監視をしているらしい。
警戒し過ぎではなかろうか。
地下書庫には色々外に出せない書物も置いてあるというので、当然の措置なのだろうか。
「部下の半数はまだ城に残ったままだよ」
「お手数かけます」
俺の方に将軍が来てくれて、軍団長には副官と部下がつくのか。
俺の方が偉くないので、つい恐縮してしまう。
「なに、屋敷の宝物庫は私しか開けられないからね」
たしかに自分の屋敷の宝物庫を他人が自由に開け閉めできたら大変だ。
「この町はどうだね?」
何気なく将軍が尋ねてきた。
宝物庫まで歩くのに、手持ち無沙汰だったからだろう。
聞かれた俺としては、冷や汗ものだが。
「いい町ですね。住民もみな穏やかで」
「そうだろう。これでもヴァンパイア族は上位種族の末席に身を置くからね。不用意なことをする輩はいないはずだ」
将軍の言葉に、額から汗がダラダラ流れた。
「やはりヴァンパイア族が多いのですか?」
「いや、半分もいないはずだ。ライカンスロープ族やルガルー族も多いな。少数ながらウピール族も住んでいる」
ライカンスロープ族は人狼とほぼ同じだが、山犬が人化したようなものも混じっている。
ルガルー族もまた人狼だが、こちらは黒犬が人化したタイプもいたりする。
ウピール族は聞いたことがない。
「寡聞にして存じないのですが、ウピール族というのは?」
「私たちの下位種と思ってくれていい。魔素量が少ないので、特殊技能がほとんど使えない種族だ」
やや言いにくそうな感じだ。
おそらく亡者とか、それに近いタイプなのだろう。
あれも特殊技能がほとんど使えない。
ファルネーゼ将軍の屋敷は三階建てで、宝物庫は三階にあるという。
地下とかではないらしい。
通路をめぐり、階段を二度上った。
もうすぐ宝物庫に着くというときになって……。
――ガラーン、ゴローン、ガラーン……
先ほど聞いたのと同じ鐘の音が響き渡った。
「誤報? それとも今度は訓練ですか?」
俺みたいに鳴らしてしまう奴がそうそういるとも思えない。
「いや……これはトラルザードの方角にある物見からだ」
音の響き渡り方から、将軍は方角を特定したようだ。
「トラルザード……魔王国から、敵襲ですか?」
俺の言葉に、将軍はただただ無言だった。