004
前世の記憶を持っていることで、困ることがある。
それは日本と魔界の価値観の違いってやつだ。
考えてみてほしい。
日本人と魔界の住民の考え方は同じであろうか。
両方経験している俺からすると、それはもう大きく違う。
たとえば、道を歩いていて互いに肩がぶつかったとしよう。
それが知り合いでも見知らぬ他人でも、日本人が取る行動に大きな違いはない。
「あっ、すみません」
「いえいえ、こちらこそ」
互いに会釈してそれでお終い。
騒動に発展することもなければ、殺し合うこともない。
だが魔界は違う。
「あっ、すみません」
「たりめえだ、コラァ。死にてえようだな」
とまあこんな感じで、一方的に殴られる。
それで済めばまだいい。魔界はここからが本番である。
やり返さないとそこで上下関係が決まってしまう。
日本だとどんな荒っぽい人間でも、一発、二発殴れば気が済む。それ以上追い打ちをかけたりしない。
ほとんどの場合、法律が立ちはだかり、トコトンまで追い込めないのだ。
魔界ではそんなことはない。
ここで上下関係が決まってしまうと、一生使いっ走りとなる。
と言っても、アンパンとコーヒー牛乳を買ってくるような生易しいものではない。
生死に関わるような上下関係だ。
なにしろ服従を強制されるのだ。
嫌ならば別の強い者の下に付くか、下克上で自ら立ち上がるしかない。
肩がぶつかっただけでなんでそんなに!? と思うかもしれないが、魔界はこれが常識である。
強い者には服従が絶対。そうしなければ生きていけない。
俺の場合、最初は戸惑った。
他人と衝突すると、つい半歩引いてしまう。
半歩だ。ほんの少し、相手のことを慮る優しさを見せただけで、二歩は踏み込んでくる。それはもうグイグイと。
半歩引いて二歩踏み込まれるのだ。
――これじゃダメだ。
俺は幼心にその愚を悟った。本当に悟るのが早かった。
そのため俺は、自分の気持ちとは関係なく、相手に対して強く出ることにした。
「痛てぇじゃねえか、コラァ」
「んだとコラァ、やんのか?」
「たりめえだ、ゴルァ! かかってこいや!」
とこんな感じで強く出るのである。そうすると、相手は考える。
この相手は自分より強いのだろうかと。
勝敗が決した場合、そのとき自分が負側にいたら、どんな運命が待っているのか。
力量差がよほどある場合は別だが、大抵の場合、舌戦では勝負がつかない。
喧嘩がはじまる。
ところがうまくしたもので、簡単に決着が付かない場合が往々にしてある。
魔界の住人はお互いタフなのだ。
日本人だった俺からすると、「殺したかも」とヒヤッとするような場面でも「痛えな!」と言って殴り返してきたりする。
自分も相手も頑丈。簡単に優劣がつかないと、戦うのがアホらしくなってくる。
なにしろ、上下関係が付くほど力の差がない場合、紙一重でも勝敗がつく場合がある。
ただし、負けた方は納得しない。すぐにリベンジ、下克上を仕掛けてくるのだ。
しかもそういう場合に限って、仕掛ける相手の方が準備万端だったりする。
前回は紙一重で勝ったが、今回は逆の結果になったなんてことも往々にしてある。
悔しいので、負けた方は準備をしてリベンジだ。
僅差の勝負の場合、そんなことが延々と繰り返される。
それが分かっているから、同程度の力量だと喧嘩も最後までやらない。
玉虫色の決着といえば分かるだろうか。
これは戦っても長くなるなと思ったら、どちらともなく引くのである。
「今日のところはこのくらいで勘弁しといてやる」
「俺が本気じゃない時でよかったな」
こんな捨て台詞を残して、互いに去っていく。
ときには、「なかなかやるな」「お前もな」と仲良くなったりする。
そのへんは、昔の不良漫画に近いかもしれない。
どちらにしろ、危機は去ったということだ。
つまり、何が言いたいかと言うと、魔界で生きていくならば、心の中ではどう思っていようとも、強気の発言、売られた喧嘩は全て買う。ときには自分から喧嘩を売りにいくのが必要……というか推奨される。
日本人のメンタルを持っている俺からすれば、かなり厳しい話だ。
だが双方ともこれが一番被害が少ないのだから、そうするしかない。
十キロメートルほど歩いて、軍団長のいる天幕についた。
場所が分からなかったので、ここまでコボルドのリグが案内してくれた。
ここまでの道すがら、リグからいくつかの話を聞いた。
俺たちの上官であるネヒョル軍団長は、ヴァンパイア族だという。
ヴァンパイア族は強力な個体が多い分、数が少ない。
ネヒョル軍団長は見た目は若くても、戦歴だけでも二百年以上あるという。
「マジ、そんな年なのか?」
百年も生きないオーガ族からすれば、信じられない長さだ。
「今から二百ほど前にあった防衛戦のとき、たった一人で敵の将軍を複数撃破しまして、その功績で軍団長の地位についたらしいです」
「前の軍団長はどうしたんだ?」
「その防衛戦で死んでいますね。ネヒョル軍団長が引き継いだ形になっています。そのときまでどこにも名前が出てこなかったといいます」
「放浪していたのか?」
「昔のことですので詳しいことはなにも……ただ防衛戦のときは、部隊長でもなく、ただの一兵士だったといいます」
一兵卒から一足飛びに軍団長に昇進したようだ。
「えらく出世したものだな」
部隊長の上が軍団長であるため、二階級特進となる。
凄いのは一兵士の時代に、敵の将軍を倒したことだろうか。
兵士ということは、支配のオーブによるブーストを受けていないのだ。
いくらジャイアント・キリングと言ったって、程がある。
どれだけ力量差があったのやら。
事前にそんな話を聞いたので、俺はかなり緊張して天幕の中に入っていった。
二百年以上生きるヴァンパイア族の軍団長。どれほど恐ろしい人物なのだろうか。
だが、その予想は見事に裏切られた。
「あれれ? キミはだれかな?」
どこぞのアイドル事務所の研修生みたいなのがいた。