345
天界の住人を殺し尽くすまでメルヴィスは止まらない。
そう思われていたが違った。
たったひとつのこと。
小覇王ヤマトの気配ひとつで、こうもすべてを投げ出せたのだ。
俺はメルヴィスに、ヤマトと会ったことを話さねばならない。
そのために来たのだから。
「どこから話せばいいのか分かりませんので、結論から先にいいます。ヤマト様は人界にいます」
俺とメルヴィスはいま、余人が入れない黒い世界の中にいる。
この中で生きているのは、俺たち二人だけ。『負の霧』と言うらしい。
魔素や聖気だけでなく、魔法含めて、およそエネルギーと呼べそうなものはすべて対消滅させてしまう霧なのだそうな。
この霧は「正のもの」に対する、「負のもの」という意味だろう。
『魔素吸収』を覚えておいてよかった。
そんな霧の中にいたら、誰だって死ぬわ。
「人界か。儂もそれしかないと思っていた……だが、ヤマト様はどうやって結界の中に入った?」
「ヘラが準備をしていたようです。ヤマト様を狙ったのも、ゼウスと同等の力を持つ『支配のオーブ』が必要だからでした」
ヘラの執念……というか、妄執の果てに、それは成功してしまった。
この『負の霧』と同じように、ゼウスの張った結界に同等かつ真逆の性質を持つものを近づけて、結界を無効化させたのだろう。
それでヘラが人界に下りた……ヤマトと一緒に。
ヘラの予定では、ヤマトとの戦いに勝って、支配のオーブだけを持ち出そうとしたのではなかろうか。
だが思った以上にヤマトは強かった。
そして追い詰められたヘラは、苦し紛れに技を発動。
俺の想像でしかないが、最期を悟って、結界を渡る術を発動させたのではないだろうか。
失敗して結界に阻まれれば死ぬ。
だが、魔界で死ぬよりも、ゼウスの結界で死ぬ方が何倍もまし。
そんな思いでヤマトと結界へ落ちた……とは考えすぎだろうか。
その時、ヤマトも何かしたのかもしれない。
結果、二人は無事結界を抜けて、人界に降り立った。
あれはヘラとヤマトがいたからこそ出来たことなのかもしれない。
「人界でもヤマト様とヘラの戦いは続き、ついにヘラを打ち負かしたようです。ヘラはいずこかへ去り、ヤマト様は人界に取り残された魔界の住人たちを目にします」
ちょうど人類の歴史から、異形の者たちが姿を消した時期だ。
伝承、伝説に語られた者たちが、人々の前から姿を消した。
彼らはみな、ヤマトとともに『異界』に向かったのだ。
ヤマトは、世界中に散らばっていた魔界の住人たちを集めてまわった。
同時に、同じく取り残された天界の住人たちも狩っている。
神や天使の物語が途絶えたのも、やはり同じ時期なのだ。
ヤマトは魔界の住人を保護するとともに、それらを排除した。
それだけでなく、「天界が正義」で「魔界が悪」という印象までも変えようとした。
どれだけ本気だったか分からないが、ある程度は成功している。
ただし、昔からの信仰は健在で、効果は限定的だったと思う。
「ヤマト様の造られた世界で、魔界の住人たちは争いを忘れて生きていました」
非戦闘種族など、寿命の短い種族は、世代交代が早い。
すでに全体の種族名すら変わってしまうほどに変容している者たちもいた。
すべてが、人に害を与えないように作り替えられていた。
「それは人間との共存を考えてのことだろう」
「そうです」
俺がすべて説明しなくても、メルヴィスは理解したようだ。
「ヤマト様は自ら内に抱え込んだ者を絶対に見捨てない。おそらくヤマト様の世界は、ヤマト様がいなくなれば、崩壊するものだ」
「はい。そのとき人間と共存できるよう、それまでに凶暴な性質を変えるよう、動いている感じでした」
危険な者が多ければ多いほど、魔界の住人全体が危険にさらされる。
そうさせないため、長い年月をかけて魔界の住人を変えていった。
ただし、絶対に変わらない者たちもいる。
そういった者たちは、戦いの中でこそ生きる実感を持てる連中だ。
ヤマトは彼らを暴発させ、戦いの中で満足して死んでいけるよう仕向けた。
すべては自分が死んだ後のために。
「俺はそんなヤマト様と対立し、戦うことになりました……といっても、負けて死んでしまいましたが」
ここで俺は、最初の話に戻る。
俺が魔界で死んで、魂が人界の擬人に入ったこと。
擬人が破壊されると、魂は元の身体に戻ること。
俺の場合、死んだと思っていたが、仮死状態でほとんど死んだも同義であったものの、まだかろうじて魂と肉体が繋がっていたことを話した。
「それで戻ったか」
「はい。それで戻りました。ゆえに人界でのことを、こうしてお伝えできたのです」
やはり理解が早い。
ヤマトのことになると、頭脳明晰になるのだろうか。
「他にお話しすることといえば、ヘラのことと結界についてでしょうか」
ヤマトに追わされた傷が深く、ヘラは人界のどこかで隠れ住んでいたこと。
結界の中心にはゼウスの遺骸があり、それと重ねるようにしてヤマトが異界の結界を張っていること。
ヘラがそこにやってきてついに決着がついたこと。
そしてヤマトは自分の死後を見据えていろいろ過激なことをしていることから、もしかすると寿命が残り少ないのかもしれないと伝えた。
「なるほど……お主は人界へ行って戻ってきた。どうすれば可能だと思う?」
「ひとつは魂を身体から切り離すことでしょう。魂だけでしたら、冥界を経由して人界へ入れます。ただし、浄化した魂しか転生の道へ乗れません。そこをどうにかできれば、可能性はあると思います」
自分で辿ったのだから、それは分かる。
「ひとつは……というからには他にもあるのであろう」
「おそらくヘラの研究は、結界を破壊するか通り抜けるものだったと思います。エンラ機関の研究にそれらしいものがあれば、それを奪うかなにかすれば、可能性がでるのかもしれません」
ヘラは本来支配のオーブだけで結界を抜けようとしただろうが、ヤマトのように身体ごとでも可能だった。
何が行われたのか分からないし、再現可能かも分からない。
ただ、実例がある以上、可能性がある。
「なるほど、ヤマト様とお主が人界に行った方法を踏襲すれば、行けるかもしれんな」
メルヴィスは重々しく頷いた。




