032
○ネヒョル軍団長の副官ミルヒ
偉大なる小魔王メルヴィス様が造られた国は、自分たちヴァンパイア族にとって、まことに過ごしやすいものだった。
住民の多くが夜魔か、その眷属たる魔獣種が多い。
自分の上司であるネヒョル軍団長だけでなく、その上の将軍もまたヴァンパイア族である。
ヴァンパイア族は魔界においては上位種であるものの、数が少ない。
このようにして一カ所に集まってこそ、同族どうしで守り合い、ともに繁栄してゆけるのだと思う。
エルダーヴァンパイア族たるメルヴィス様は、そのことをよくご存じなのだ。
「ネヒョル様、ゴーランなる者が尋ねて参りましたが、いかがとりはかりましょうか」
「ゴーランが? なんだろ?」
声音が上ずった。喜んでいるのだ。
「連絡もせず、突然来たようですし、一度追い返しましょうか」
「だめだよ、ミルヒ。ここに通して……いや、集会室にお願い」
「はっ、集会室でございますか?」
軍団長であるネヒョル様のもとには、多くの者たちが集まることがある。
集会室はそんなときに使う部屋のはずだ。
「あそこが一番頑丈だしね。何かあっても終わるまでは入ってこないでね」
「はっ、いやしかし……」
「ミルヒ。これは命令だよ。きっと面白いことがおこるから、絶対に邪魔しないで。もし邪魔をするようだったら……ボクはもうミルヒのことは知らない」
「……ハッ。かしこまりました。仰せの通りに」
「ありがとう。さすがボクの副官だ。……じゃ、ゴーランを呼んできてくれる」
案の定といいますか、集会室で轟音が響いてまいりました。
ゴーランなる人物が、ネヒョル様と闘っているようです。
しかしなぜ? という思いがぬぐえません。
なにしろ、自分が見た限りですと、ゴーランはそこらの一般兵となんら変わることのない魔素量しか有していないのです。しかも種族はオーガ族。
ネヒョル様と戦うなど、ハッキリ言って無謀……を通り越してただの自殺と変わりありません。
もともとオーガ族は、魔界でも中の下程度。
しかも魔法が使えず、身体能力頼みの偏った個体です。
魔法が使えないということは、魔法攻撃に弱いことになります。
体内の魔素は身体を強化することだけにしか使っていませんので、魔法に対して耐性がないのです。
「……にしては長いですね」
いまだ戦闘は続いているようです。
ネヒョル様が悪戯心をおこして魔法を使わない場合でも、決着はほぼ一瞬でつくはずです。
それほどヴァンパイア族とオーガ族の間には越えられない壁が存在します。
「ミルヒ、来て。片付けてほしいんだけど」
どうやらお呼びがかかったようです。
あのオーガ族はミンチになっているのでしょうか。
ネヒョル様が念入りに磨り潰したのだと想像できます。
「お呼びにより、参上しました」
集会室でまず目に入ったのが、オーガ族の巨体。
まさか五体満足だとは思いもしませんでした。
部屋の惨状から、ここで戦いが行われたのは確かなはずですが、どういうことでしょう。
続いて、我が主を見ておどろ……いや、驚愕しました。
片腕がありません。
慌てて床を見ますと、腕と……手首!?
ともに見慣れたネヒョル様のものです。
遠くに細身の剣が転がっていますから、それで斬られたのかもしれませんが、まさか!
ヴァンパイア族はだてに上位の種を名乗っていないのです。
剣で叩いたところで皮膚で跳ね返されます。
膂力のあるオーガ族ならば骨に刃が達することもあるかもしれません。
ですがそれだけです。斬り落とすなど、できるはずがありません。
これはどういうことでしょうか。
オーガ族が帰ったあと、少ししてようやく腕をくっつけ終わりました。
「あー、動くようになった。ありがとうね、ミルヒ」
「いえ、副官として当然のことをしたまでです……それでネヒョル様」
「なに?」
「随分と魔素が減っておりますが、まさか先の戦いで?」
「そうだね。なかなか強かったよ、ゴーランは」
「あのオーガ族がですか? それでもネヒョル様が魔法を使われれば一瞬だったのではありませんか?」
「どうだろうね。使う時間を与えてくれたのかな」
たしかに魔法を使うには精神の集中がいる。
我々ヴァンパイア族の場合、ほんのわずかな時間の集中で構わないが、近距離で一対一の場合、その一瞬が明暗を分けることもありえる。
「たかがオーガ族がですか?」
「ボクも本気じゃなかったけど、あっちもだね。まだ何か隠している。否定はしなかったし、たぶんどでかい隠し技があったんじゃないかな」
「!?」
「いやー、すごいね。楽しみだね。まったくゴーランは退屈させてくれないよ」
ネヒョル様は上々機嫌だ。
一応、戦いの結果を聞いてみると、勝ったとのこと。
ほっと胸をなで下ろしたが、相手も本気ではなかったし、次は分からないという。
「でもおかしいなあ。てっきり軍団長の座を狙いにきたと思ったんだけどなぁ」
そこが不満らしい。
「ミルヒも彼の顔と名前は覚えておいてね」
「ネヒョル様がそう仰るのでしたら」
自分はネヒョル様の副官。
さきの防衛戦のときは、この家を含めたネヒョル様の町を守るため、ここに残った。
防衛戦はこちら側の勝利で終わったらしいが、あのオーガ族はそのとき部隊長に昇進したらしい。
ハイオーガ族のグーデンを下克上で下しているという。
(なるほど次の狙いは軍団長かとネヒョル様が考えるのも頷ける)
今日の戦いは前哨戦かもしれない。
だとすると、勝てる算段をつけてまた来るかも知れない。
その前に副官たる自分があれを撃破したとして、だれも文句は言わないだろう。
「ネヒョル様、覚えました。ゴーランですね」
「そう。よろしくね」
名前はゴーラン。覚えましたとも。
笑顔を見せるネヒョル様に、私も微笑んだ。