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魔界本紀 下剋上のゴーラン  作者: もぎ すず
第8章 屠所の羊編
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「ここはどこだ……いや、いつもの所か」


 霧がかかったような場所。何も無い空間。

 ここは支配のオーブ内だろう。


「とすると、どこか近くに『オレ』がいるはずなんだが……いた」


 見えないと思ったら、少し離れたところでしゃがんでいるじゃないか。


 俺は「よぉ!」と片手をあげて挨拶した……が、反応が薄い。

 ゆっくりと俺を見て、小さく手を上げただけだ。


「どうしたんだ? 元気ないじゃないか。というか、薄くないか?」


 色素がなくなったような……なんて言うんだろう。

 全体的に「うっすら」している。


「どうしちゃったんだよ、『オレ』!」

 まるで幽霊みたいじゃないか。


「何でもないぜ」


『オレ』は親指を立てて無事をアピールする。

 だが、その姿すらも痛々しい。


「何でもないわけないだろ! 病気か? しゃがんでいるけど、どこか痛いのか?」

「本当に何でもない。気にすんな」


「気にするだろ。だって薄いじゃないか」

 存在そのものが透けて見えるようだ。


「大丈夫だって言……くそっ、もう来やがった」

『オレ』が舌打ちをした。


「来た? 何がだ? ここは支配のオーブの中だろ。またメルヴィスが来たのか?」

 あの存在感は、忘れることができない。『オレ』はそれを恐れていたのか?


「違う。穴だ。穴がやってきた」

「穴ぁ? ……穴っていうと、いつものアレか?」


 飛び込むと元に戻るやつ。

 今日は会ったばかりで、ロクに会話もしていない。


「いやいつものと違う。今回のは……かなりやっかいなやつだ。『オレ』たちじゃ逃げられない」

「言っている意味が分からないぞ。逃げられないって、何だそりゃ」


 冗談を言っているようにも見えないが、『オレ』は一体何を考えているんだ。


 逃げられないと言いつつ、逃げようとしない。

 嫌ならば、逃げればいい。


 俺は、『オレ』が睨む方角をじっと見つめた。


「あれが? もしかして、あれが穴なのか?」


 黒くてデカい竜巻みたいなのが近づいてきた。

 もう一度言う。


 黒くてデカい竜巻みたいなのだ。

 渦の中で雷が鳴っているようにも見える。


「そうだ、あれが穴だ。さっきは一度、やり過ごせた。おまえがいなかったからな」

「穴というにはデカすぎだろ。町ひとつ飲み込む勢いじゃないか……って、俺がいなかったからやり過ごせた?」


 アレが近づいてきたら逃げられない。

 どうやり過ごせたんだ? そっちの方が不思議だぞ。


 俺が不思議そうに見ていたからか、『オレ』がゆっくりと口を開いた。


「あれは冥界に通じる穴だ。やり過ごすとき、僅かだが穴の先が見えた。そこにウヨウヨと死した魂が見えたぜ」


「なん……だと?」

 いま『オレ』は何て言った?


 冥界に通じる穴? 魂が見えた?

 なんで俺たちの支配のオーブ内に、冥界に通じる穴が空いているんだ?


 いや、待てよ。なぜ俺がここにいる?

 思い出せ。俺はなぜここに来た?




 ――ネヒョルか


 俺は首だけになったネヒョルに噛まれた。

 激痛が走って、反射的にそれを振りほどいて、踏みつけた。


 その後だ。

 目の前がすぅっと暗くなって……そのあとどうしたっけ?


「思い出した。毒……俺は毒を受けたと考えたんだ。それで……力が入らなくなって倒れたと思う」


 最期に目に焼き付いたのは、トラルザードのアップ顔だ。

 あのババア、まっ先に駆けつけやがった。

 今際のきわの光景が、老婆の顔だよ。


「思い出したか? 空中で方向転換をするネヒョルの顔をずっと追っていたんだが、間に合わなかった。スマン」


「いや、『オレ』が謝ることじゃない。気がつかなかった俺の方が悪いんだ。そうだ、首だけのネヒョルに噛みつかれて、牙から毒を入れられた……んだよな」


「ああ、そうだ。それで『オレ』たちは死んだ」

「つまり、『オレ』が真っ白なのも、消え入りそうなのも、毒を受けたからなのか」


「これは別の……いや、それはもういい。とにかく支配のオーブ内に冥界に繋がる穴が空いたってことは、もう逃れられないってことだ」


 さっきまで遠くにあった穴は、もうすぐ近くまできていた。

 穴というよりも台風の雲みたいだ。


「マジか。俺は死ぬのか」

 たしかにこの世界すべてを飲み込むような穴では、逃れることができない。


 走ったところで焼け石に水だろう。

 それに『オレ』の方はもう、覚悟を決めたようだ。

 しょうがない、俺も覚悟を決めるか。


「楽しかったよ、『オレ』」

「オレもだ」


 俺は『オレ』と握手した。

 その手ぐっと握りしめ、どちらともなく、互いに腕を絡めあった。

 俺たちはずっと一緒だ。


 最期の瞬間がやってきた。

 俺たちの身体は、重力に引かれるようにして穴の中に吸い込まれていった。


「あっけないものだな」

 俺の意識は、そこで途絶えた。




「……ん?」

 違った。

 意識が途絶えたわけではなかった。


 暗いトンネルに入り何も見えなくなったのだが、そこを抜けたら淡く発光する世界に入った。


「ここは冥界?」

 遙か下方に海が見える。魂でできた海だ。

 海全体が光っているのは魂が集まっているからだろう。


 そして空。

 空にも魂が集まって雲を作っている。光る雲だ。

『オレ』が垣間見たのは、この光景だったようだ。


「ここがメルヴィスが赴いたという冥界か」

 中央に海と雲をつなぐ太い柱がある。


 魂が空からハラハラと降ってきては海に落ち、また柱を通して雲まで昇っていく。

 あれが魂の循環だ。


 循環を繰り返すうちに魂が浄化されて、さらになるらしい。


「なあ、俺」

「なんだい、『オレ』」


 いま俺たちは魂だけの存在になっている。

 互いの姿を見ることはできない。


 ただ、会話はできるようだ。


「『オレ』たちはこのまま冥界の海に落ちる」

「そうだな。いまもゆっくり下降しているし、このままいけば、確実に落ちるだろう」


「よく聞いてくれ。助かる方法がひとつだけある」

「えっ?」


「メルヴィスの話を覚えているか? 肉体と魂が結びついていると、冥界から抜け出せない」


「そうだな。メルヴィスが冥界に行ってから魔界に来て帰ってこられたのも、肉体と魂が繋がっていたからだよな」


 いわゆる、蘇生ってやつだ。臨死体験でもいい。

 死した魂がここへくる。


 だが、まれに死にきっていない場合がある。

 そのとき冥界に来た魂は、地上に戻される。

 息を吹き返したなんて言う場合がこれにあたる。


 そしてもうひとつ。

 こっちが本来の役割だ。


「あと、真っ新な魂になったときも冥界を抜けるんだよな」


 魂が浄化され、無垢な魂となったとき、冥界から他の世界へ生まれ変わる。

 輪廻転生ってやつだ。


「そうだ。いいか、このままなら『オレ』は生まれ変わる」

「えっ?」


『オレ』はなにを言っているんだ?

 生まれ変わる? どういうことだ。


 今日の『オレ』は言っていることが突拍子もない。


「実はな、『オレ』の魂はほとんど浄化されているんだ。もう残された時間も少ない。それが自分でも分かる……いや、自分だからこそ分かるのかな」

 ハハハと『オレ』は笑った。


「何でだよ。魂が浄化されるって……真っ新な魂になるって事なのか? 浄化されたら、記憶も何もかも失うんだぞ。どうしてそんなことに?」


「あの塩を浴びたからかな。あれは『オレ』の魂を削りにきた」

「…………」


 思い当たるフシがあった。

 聖気の塩を浴びたワイルドハントの兵が、なぜああも簡単に死んでいったのか。


 ネヒョルがトラルザード討伐に連れてきた兵が弱いわけがない。

 塩を浴びたくらいで絶命するだろうか。


 あれは何で死んだんだ?

 肉体強度とか、魔素量とか、そういったものを無視して魔界の住人にダメージを与えるものだったんだ。


 なのに俺が無事だった理由。

 それは人間の魂だったからではないのか?


 だとすると『オレ』の魂は……?


「正直、激痛でのたうちまわりたい気分だったんだが、冥界にきてからはもう、不思議と痛みは感じない」


『オレ』の反応が薄かった理由。

 色が白くなっていた理由。

 それらは何を物語っていたのか。


「おまえ……聖気の塩にやられていたのか」

「まあ……そうだな」


「スマン、気がつかなかった!」

「いやいいって。『オレ』だって、あれがあんな凶悪なものとは分からなかったし」


 聖気の塩が魔界の住人にとって劇薬である理由。

 それは魂を直接苛むからだったのか。


「おまえに辛い思いをさせたんだぞ。ネヒョルの奴、今度会ったらたたじゃおかねえ」


「もう死んでいるって。ここに来ているだろ。……いや、それはもういいんだ。それより一度しか言わねえから、よく聞いてくれ」


「何でも言ってくれ。『オレ』の言葉なら、何でも聞いてやる。叶えてやる!」


「そいつは嬉しいな。『オレ』はもうそろそろ限界だ。こう言っちゃなんだが、よく分かる。すぐに生まれ変わる準備に入るだろう。ところがな、『オレ』たちの魂はくっついている」


「そうだな。俺たちはずっと一緒だ」


「おそらく生まれ変わりをするには、魂がくっついていては駄目だと思うんだ。だからその時がきたら、『オレ』から離れて、お前が行け! 『オレ』を押しのけて、おまえが生まれ変わりの準備を始めるんだ」


「何を言っている!? 俺たちはずっと一緒だろ」


「さっき、願いは何でも叶えてやると言っただろ。『オレ』の代わりに、生まれ変わりの波に乗れ。それが『オレ』の願いだ。どこで何に生まれ変わるか分からないが、おまえなら何とでもなるだろ」


「俺がおまえを捨てて行けるわけないだろ!」


「捨てろ! 『オレ』の意識はなくなるんだ。もう他の魂と見分けがつかなくなる。そんで生まれ変わる準備に入る。ずっと一緒だと、この世界にずっといたら、おまえの魂まで浄化されてしまう。そうなって欲しくないんだ。これは『オレ』からの願い……最初で最後の願いだ。必ず、絶対に……叶えてくれ」


「嫌だ! 俺とお前は一緒だろ! 何を勝手に離れようとか言ってんだよ!」


「離れろ! ほら、もう海だ。これに潜ったら、俺の意識はもうほとんど無くなる。いいか……約束だぞ。『オレ』の魂じゃない。『オレ』の想いを持っていって……くれ」


 どぷんと俺たちは海に浸かった。


 普通の魂は海面に浮かび、柱に向かって吸い寄せられていくのに、俺たちはブクブクと沈んでいった。


 しばらく潜ると、もう他の魂も見かけなくなり、海の底の方が光り輝いて見えるようになった。


 するとどんどんと下方へと引っ張られていく。

 これが生まれ変わり……輪廻転生かと思っていると、どこかで引っかかった。


 魂がこれ以上下に潜っていかないのだ。


「おい、『オレ』、聞こえているか?」


 返事はない。

 だが俺は、喋り続けた。


「これ以上は行けないらしいぞ……生まれ変わりってのは、ずいぶんと狭量なんだな。俺たちじゃ駄目だとよ」


 魂が引っかかっているのが感覚で分かる。


「俺はずっとおまえと一緒にやってきたんだぞ。ここで離ればなれになんかできるわけないだろ」


「それが分かっていて、言ったんだよな……おまえ、性格悪いぞ」


「俺はここで魂が浄化するまで、おまえと一緒にいたいよ。このままずっと……」


「だけど約束したもんな。おまえとの約束を俺が破ったら、おまえは怒らないだろ。困った顔をするだけだ。知っているか? そういうのは、一番困るんだ。おまえは天然で俺を困らせる……天才だよ」


「なあ『オレ』。ごめんな……本当にごめん。おまえだって、俺と離れたくないよな」


「なのに……なのに……あんなこと言わせて、本当にごめん」


「謝って済むことじゃないけど……俺はやるよ。おまえの願い……叶える」


「何がなんでも叶えてやるぜ」


 俺はもはや異物となっている『もうひとつの魂』を外した。

 それを上方に放り投げる。


『オレ』の魂は、俺から離れるといずこかへ消えていった。


「お前の想いは持っていく。だから……だから……絶対に……来世で会おうぜ」



 ――あばよ



 俺の魂は、『オレ』が通るはずだった場所へ収まり、そのまま光の底へ向かって沈んでいった。



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― 新着の感想 ―
[一言] まじかよ……オレさん…… なんとかこの先でオレにはオーガに生まれ変わってほしい……
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