028
ネヒョル軍団長がやる気になった。これでもう戦いは避けて通れない。
そして改めて気づくその身のこなし。
(大牙族のアレとは経験が違うな)
力任せだった敵の部隊長。
たしかに強かったが、いま思えば持って生まれた能力だけであの地位を得たのだろうと分かる。
考え方や動きが未熟だった。それに引き替え、ネヒョル軍団長は一味も二味も違う。
戦闘になると分かってからは、俺を見極めようと殺気をひっこめてじっとこちらを注視している。
(これはヤバいな……おれじゃ対処できない)
多少魔素量が上がったとしてこの経験差は覆せない。
このまま部屋の中で戦うらしい。
軍団長は表情を消して、俺に次の行動を読まれないようにしている。
(こんなことなら、武器を出しておくんだった)
失礼に当たるかなと思って、布を巻いてきてしまった。
ほどく時間は与えてくれないだろう。
だが武器を手に持ったまま話し合いもないので、これはしょうがない。
壁に立てかけたままの武器に目をやりたくなるのを押さえ込んで、俺はボクシングの構えを取った。
おそらくこれがこの場に一番合っている。
「へえ……おもしろいことをするね。それはなにかな」
「さあな。自分で考えてみな」
もう敬語を使うのはお終いだ。
あとは力で語るのみ。
と言っても、勝てる見込みがこれっぽっちもない。
軍団長を見て分かったが、俺からおれに変わったところで、結果は変わらない。
ひょっとすると悪くなるかもしれない。
武道や武術は理をもって学び、道を究めることでより高みへと昇華させていく。
日本で基礎を学んでいた俺と違って、おれは完全に素人だ。
同じ技は使えるが、なぜそうなのか理解していない。
将棋でいえば、矢車や四間飛車の戦い方は知っているが、なぜそう駒を動かすのか理解していないに等しい。
こればかりは、どうしようもない。
そしてこの戦いでは、付け焼き刃は通用しない。
おれに変わったところで、魔素量の差で押し切られて時間切れになるだけだ。
「来ないみたいだね。じゃ、ボクからいくよ」
無造作に間合いを詰めてきた。というよりも間合いの概念がないのだろう。
そもそも今まで魔界で「構え」てきた相手は皆無だった。
ネヒョル軍団長もそうだ。能力任せで押し切ってくるようだ。
軍団長の背は俺の腹くらいまでしかない。
まだ遠い……と思っているだろう。
俺はフットワークを使い、間合いを詰めると顔面めがけてジャブを放った。
ピシィっと小気味よい音を響かせて軍団長の顔がのけぞった。
鼻っ柱に命中した。顔が戻ったところを二度三度。
グーデンのときもそうだが、これだけ魔素量差があると、ほとんどダメージになっていない。
それでもフックで脳を揺らし、反撃してきそうな気配を感じたらバックステップで距離を取った。
「!? ふうん。珍しい戦い方だね。一方的に殴られたのは久しぶりかな」
思ったとおり、全然効いてない。顔は綺麗なままだ。
「まだ余裕か? 徐々に顔色を悪くさせてやるぜ」
この室内は広い。ボクシングのリングくらいはある。
軍団長も他の連中と同じように、戦技には慣れていないようだ。
距離をとってジャブやストレートをたたき込み、時折フックを交えて一方的に殴っていく。
「何をしてくれるのかと期待したけど、もう飽きたよ」
今までの動きはなんだったのかと思うような加速で近づいてきた。
予想通りだ。
その足めがけてローキックを放つ。
着地しようとした足に綺麗に決まり、軍団長はその場に倒れ込む。
驚いてこちらを見たところに顔面蹴りを叩き込んだ。
体重が違う。
軍団長の身体は砲弾のように壁に吹っ飛んでいった。
「……なにそれ。ビックリだ」
「そうかい。こちとら引き出しの数には自信があってな」
口で言うほど余裕ではない。
筋力だけは飛び抜けているオーガ族の蹴りだ。
魔法主体のヴァンパイア族に対してでも、もう少し効いてもいいんじゃなかろうか。
渾身の蹴りだったのだが、これも効果なしとは悲しすぎる。
「でもボクには効かないね」
「だからどした」
グーデンと闘ったときも同じだ。
あのときはオーガ族とハイオーガ族で、しかもグーデンは部隊長だった。
それを覆したんだ。今回だってやってやるさ。
ネヒョル軍団長はなまじ自信かあるので、防御がおざなりになっている。
付け入る隙があるとすればそこだ。
「じゃ、そろそろボクはこれを出そうかな」
軍団長の爪が伸びた。魔法で攻撃してくるわけではないらしい。
魔法を使われたら一気に不利になるから、これはいい傾向だ。
それでもあの爪はやっかいだ。
引っかかれれば、剣で斬られるのと変わらない。
ボクシングのスタイルはもう止めておこう。
今度は腰を落として両手を前におく。レスリングでよく見る構えだ。
軍団長が一直線にやってきた。単純だが、避けるのが難しい。
俺は何十、何百……いや何千回も練習した技。
総合格闘技で立った状態から関節を決める技、脇固めを仕掛けた。
右手で相手の左手首を掴み、即座に左腕を絡ませる。
そのまま左腕に全体重を乗せると、自重でふたりの身体は床に落ち、体重が相手の肘にかかる。
――ポキ。
軽い音がして軍団長の腕が折れた。
そのまま首を絞めようとしたら、すぐに抜けられた。しょうがない。自力の差は覆しにくい。
「あれ? いまどうやったの?」
右腕をぶらんとさせて、軍団長は興味深げに俺を見ている。
「さあな。それより腕が一本になっちまったぞ。どうするんだ?」
「一本って、これ? これは……ほらっ」
腕を振っているうちに折れた骨がくっついたらしい。なんだそれは。
「うん……大丈夫」
まるで何事もなかったかのように、軍団長は微笑んだ。
マジかい。