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謁見の間で、俺とメラルダ将軍は膝をついて待つ。
しばらくすると奥から兵がやってきた。
安全を確認しつつ、先導しているのだろう。
前回は出会い頭に攻撃されたが、さすがに今回は大丈夫なはず。大丈夫だよな。
隣に控えるメラルダ将軍をチラ見する。
――グッ!
将軍は、人差し指と中指の間に親指をめり込ませて突き出してきた。
それはヒワイなジェスチャーだ。何がしたいんだ、この人は。
たぶん、「大丈夫」とやりたかったんだろうなと思うものの、脱力した。
「久し振りであるな」
威厳のある声が振ってきた。
将軍のお茶目のせいで、登場を見逃してしまった。
「お久しぶりでございます、トラルザード様」
「うむ。メラルダも一緒か。面を上げてよいぞ」
以前とは違い、魔王トラルザードも落ちついたものだ。
俺はゆっくりと顔をあげ、魔王を視界におさめた。
さすが魔王。内包する魔素量が他の者とまったく違う。
以前なら、これを越える大魔王とはどんな存在なのかと、恐れおののいたことだろう。
(それでもメルヴィスの方が上か)
受けるプレッシャーは、メルヴィスの方が強烈。
トラルザードが強者ならば、メルヴィスは化け物のたぐいだ。
「ゴーランよ。返礼品はたしかに受け取った。道中御苦労であった」
「ありがとうございます」
それでもトラルザードは威厳がある。
明らかに強者の雰囲気だ。
「……して、メルヴィス様はどうであった?」
なるほど、これほどの強者であっても気になるのか。
「そうですね。ちょっと勝てるビジョンが思い浮かびません」
「うん?」
支配のオーブの中で会ったとき、俺とオレの二人がかりでも勝てそうになかった。
「魔素は極めて膨大。保有する魔法も多岐にわたります。距離を置いて戦えば、魔法攻撃がやってきましょう。ひとたび受ければ、戦闘継続が不可能となりますので、速度で攪乱しつつ超近距離での戦いに持ち込んでみるしか手がないかと」
あの後、どうすればメルヴィスに勝てるか考えたところ、思い浮かんだのは超近距離からの連撃だ。
身体が触れるほど近寄ってこそ勝機がある。
それで魔素の削り合いをするしか手がないが、保有する魔素量のケタが違うので、先に枯渇するのは俺の方。
俺からオレに変わったとして、結果は変わらない。ゆえに……。
「そしてまだ届かぬものと判断しました」
「…………」
俺が言い終わると、トラルザードがぷるぷると震えていた。涙目だ。
「……お、おぬし……そんなことを聞いておるのではないわーっ!」
ないわーっ!
ないわーっ!
ないわーっ!
謁見の間にトラルザードの絶叫が響き渡った。
声の大きさに衛兵が槍を取り落とし、文官が平らな床で蹴躓いた。
「陛下を泣かすなっ!」
メラルダ将軍に殴られた。
見れば、大粒の涙を流したトラルザードは、コクコクと頷いていた。
戦う方法を聞いたんじゃないの?
○ワイルドハント ネヒョル
国を出発したワイルドハントの面々は、ネヒョルを筆頭に徒党を組んで進軍している。
ここはまだ魔王リーガードの国内。
ネヒョルたちはいま、秘かに通過中であった。
「ネヒョル様、そろそろ闇走族が限界にきています」
「そうかー、意外と保たないもんだね」
「今回は数が多いですから、致し方ないかと」
「うーん、ここで休憩をとると、見つかりそうなんだよね」
「北に町がありますので、もう少し南下致しますか?」
「そうだね。休憩場所はレグラスに任せる」
「畏まりました」
ネヒョルたちがいま無事に敵地を移動できるのも、闇走族の協力があってこそである。
闇走族が持つ特殊技能『闇隠れ』は、自分自身の存在を覆い隠し、気付かれないように移動する。
そして闇走族の中でも、まれに『共隠れ』という特殊技能を持つ者がいる。
これは、『闇隠れ』の集団版である。
能力の強さによって、隠すことができる輩の数は違うものの、大勢の闇走族を使えば、一軍ですらその範囲内に留めることができる。
ただし、能力を発動している間は魔素を消費し続ける。
長時間の運用は難しい。
今回の場合、移動人数を多くしたために、魔素がカラになるまで、およそ1時間。
見つからないように移動するため、十数人の闇走族が必要となっている。
「いまどこまで来たのかな」
「リーガードの国の約半分でございます」
「まだ遠いね。ちょっと面倒かな」
町や道を避けて移動している手前、時間がかかっても距離が稼げない。
普段ならばネヒョルも我慢できる。
だが、最近とみに物事がうまく運んでいない。
知らない内にストレスを抱えていたらしい。
なにしろ時間をかけた計画が崩れ。
手間を惜しまず張り切ったところで失敗。
慎重に行動してあと一息というところでいつもひっくり返されていた。
これだけ失敗すると、やる気が削られまくってもしょうがない。
ゆえに、夜中に出した斥候が翌朝戻ってきたとき、つい判断を誤ってしまった。
「面倒だから、真っ直ぐ抜けていこう」
斥候がもたらした情報は、リーガードの軍とトラルザード軍との戦闘であった。
両国の国境はいま、常に緊張状態にあった。
本来ならば一度北上して、大魔王ビバシニの国に入ってから、トラルザード領へ入ればよい。
だがネヒョルは、直接国境を抜けることを提案した。
「よろしいのですか?」
「目立たない場所を抜けて行こう。それで気付かれたら、殲滅すればいいよ」
「……分かりました」
できれば無傷のままトラルザードの住む町まで向かいたい所だったが、緊張状態のある国境線を抜けるのは難しい。
おそらくどこかで見つかる。
一度や二度の交戦は避けられそうにない。
ネヒョルたちはいま、「そこに誰もいないはずの土地」を抜けている。
ゆえに見つからない。
現在の国境は「だれかやってくるかもしれないから見張っている」場所である。
そこを集団で移動するのである。
半日前までなかった痕跡を見つけた場合、追ってくる可能性がある。
かといって、まったく痕跡すら残さず移動することも難しい。
マズいときに戦争が始まったなとレグラスは舌打ちしたい気分だった。
だが、これまで表だって活動してこなかったネヒョルがこうも大胆な行動を起こしたのだ。
待ちきれなかったのか、残された時間が少ないのか。
レグラスは分からない。
それでもレグラスは、部下として最大限主を補佐するだけである。
そう考えて、あとは黙って従うことにした。
ワイルドハントが、もうすぐトラルザード領に入る。




