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ファルネーゼ将軍は、目的を達して引き揚げてしまった。
こっちを振り返りもしない。
オレの目の前には、いまだ健在の小魔王キョウカがいる。
少し離れたところに、面倒くさくなったらしいネヒョルもいる。
一方、オレはというと、満身創痍で魔素も切れかけている。
今ここで『俺』に変わったとしても、状況は変わらない。
それどころか悪くなることすらある。
『俺』の魔素はもう空っぽであり、戦闘継続は不可能だからだ。
「仕方ねえ、やるか」
ここで逃げだしても、追いつかれるだろう。
ダメージの重いオレの方が、先に息切れしてしまうのは明らかだ。
小魔王相手に留まりすぎてしまった。
ならば、このまま殴り続ける。あとは根比べだ。
考えてみれば、逃げながら戦う作戦だったんだ。
アツくなって、すっかり忘れていたが。
「うおおおおおっ!」
いろいろ吹っ切れたら、力が漲ってきた。
もう怖いモンはねえ。
本陣の一角で、オレとキョウカの殴り合いが続く。
さっきと違って、こんどは冷静だ。
竜鱗の鎧のおかげで、ダメージはかなり軽減されているのが分かる。
そのぶん、腕や足、顔は酷いことになっているが。
そして体力。
どうやら、オレの体力は底をつきかけていたが、もう少し踏ん張れそうだ。
(そういや、あれ以来、『俺』とも話してないな……)
進化する直前、『俺』と『オレ』は互いに顔を合わせることができた。
それまでは記憶を共有するくらいだったが、あのときは完全に別人として相対することになった。
俺が言うには、オーガ族である『オレ』の魂に、人間であった『俺』の魂がくっついたらしい。
なんともおかしなことだが、俺の言うことだから恐らくそうなんだろう。
オレが覚えているのは、天界の住人の実験によって無理矢理魂をひっつけられたことだけだ。
その意味も意義も理解していなかった。
その分、俺の方が考えてくれるから助かっている。
人族が総じて頭がいいのか、『俺』だけが特別なのか分からないが、オレにも分かるように、分かりやすく説明してくれるのはありがたい。
(そういえば……もうひとつ教えてくれたっけか)
キョウカとの殴り合いの途中だが、思い出してしまったものはしょうがない。
そう……あれは、出口を探して連れだって歩いていたときのことだ。
「生前の俺は、道場というところに通って、いろんな武術を学んだんだ」
「毎日鍛錬しているから、オレも知っているぜ。やっていることも、なんとなく理解できる。オレに使えるとも思えないが」
「俺だって最初はオーガ族の身体に戸惑ったが、ちゃんと使うことができた。おまえも、オーガ族だからって、武術の習得を諦める理由にはならないと思うけどな」
「無理だって。ハッキリ言って、難しいことは何も分からねえ」
「そうは言ってもなあ……今後、必要になるかもしれない。これから強いやつに出会ったり、逃げられない状況に陥ったりするかもしれないだろ?」
「そしたら、殴ってぶっ殺せばいいだろ」
「それができないときが来るんだって……いやまてよ?」
「どうした? 悪いモンでも喰ったか?」
「喰ってねえよ。つか、この身体で喰えるのかよ。ここは支配のオーブの中じゃないのか?」
「さあ、まったく分からん」
「……まあいい。ちょっと聞いてくれ」
「なんだ?」
「俺が人間だったころ、習うだけ習って、習得しなかった技があるんだ」
「ほう。それで」
「それを教えるから、お前が習得してみないか?」
「それこそ無理だろ。俺にできてオレにできないことはイッパイあるが、その逆はねえ」
「いやできる……かもしれない。今もそうだが、どうしても俺は人間だった頃のクセを引きずってしまう。お前ならできるかもしれない」
「ほう。じゃあ、一応聞いてみるか。どういうんだ?」
「俺が習ったのは――暗殺拳だ」
そっから俺の長い話が始まった。
ようは、それまで習っていたのは、おもに人を痛めつける技。
どんなに残虐に見えても、手加減すれば人は死なない。
だがこの技を使えば、相手は必ず死んでしまう。
それを知って、「習得できるか!」と止めたらしい。
「やり方は知っているんだよ。今なら習得できそうな気がしているが、どうしても躊躇してしまう。暗殺拳は必殺拳。二の技が要らない反面、手加減ができない」
「へえ……オレには普通の技との違いが分かんないんだけどな」
「これを使うのは、どうしても相手を殺したいときだけ。なにしろ、一発逆転の技だ」
「一発逆転か。面白そうだな。教えてくれ」
「面白そうで暗殺拳を教えるのは不安があるが……魔界で生きていくなら、手札は多い方がいいしな。いいか、よく見ているんだぞ」
俺が技を見せた。
オレも真似をしてみる。
「こうか?」
「違う。手首をこうだ!」
「こうか?」
「そんな感じだ」
「ほう……意外に簡単だな」
「馬鹿言え。毎日鍛錬しろ。あと手首も鍛えろ」
「毎日って、オレが出てこられる時間は短いだろ。身体にも負担がかかるし」
「うーん、そうか。だったら、表に出ているときだけでいい。この暗殺拳をマスターしておいてくれ。もしものために」
「分かったよ。もしものためにだな」
そんなことがあった。
ああ、懐かしい……と思うほど時は過ぎてないはずだ。
あれからオレが表に出てくるたび、言われた鍛錬を繰り返してきた。
なるほど暗殺拳か。
せっかく思い出したんだし、魔素がスッカラカンになる前に、いっちょ試してみるか。
キョウカも疲れてきたのか、殴る間隔が開いてきた。
荒い息をしていることからもノーダメージじゃないことが分かる。
「よっし、いっちょ殺るか!」
オレは無事な右腕をキョウカの前に差し出した。
指は揃えて、指先まで力を入れる。
「いくぞ、暗殺拳。――天穿の逆鉾」
手を水平に構え、防御は無視。
その姿勢のままキョウカに近づく。
通常の間合いより半歩前に出るのが肝だ。
何をするのかとキョウカが身構えるが、水平にした手のひらを上にしたまま、キョウカの口にねじ込んだ。
強化されたオレの手は、キョウカの口の中に入り込む。
指先が奥に当たったのを確認したオレは、指を曲げて穿孔の準備を整えた。
キョウカは何事かと口を閉じるが、それも承知のこと。
『俺』が言うには、ここからはテコの原理らしい。
支点だ作用点だと難しいことを言っていたがそれは忘れた。
「ようは、身体を下げると指先が上がるってことでいいんだよな」
『いいか、相手の下あごを支点として、テコの原理で指先を脳に届かせるんだ。ほら、シーソーで体重の軽い方が上にいくだろ』
俺の言うことは、相変わらず難しい。
ただ、これだけは分かる。
「――届いたぜ」
上部口腔には骨がないと『俺』は言っていた。
体重をかければ、腕が折れないかぎり、必ず指先は脳を破壊するのだという。
手加減のできない必殺の技。
キョウカが鼻と目から汁を撒きらしたのを確認して、オレはそのまま倒れた。
どうやらオレの方にも限界が来たらしい。
気を失う瞬間、遠くから破砕音が聞こえてきた。




