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○大魔王ダールムの城 小魔王メルヴィス
ダールムは堕天した者を好んで配下に据える。これは珍しい。
魔界の住人の中で、「天界にいた者」に対して隔意を抱く者もいる。
それに比べたら、ダールムは柔軟な思考の持ち主といえる。
「天界はいま、魔界以上に混沌としているのか?」
「ああ……人界への道が閉ざされて長いが、それによって聖気の補充が難しくなったらしい」
「ほう……聖気は聖の気……人の祈りの気によって増えると聞いたが」
「そうらしいな。魔素と違って聖気は、無限にわき出るものではなかったらしい。聖脈から湧き出てくる聖気の量が目に見えて減ってきたことで、天界の住人が焦っておるようだ」
天界の住人は、聖気を体内に溜める。
それを使って奇跡を起こすのだが、使いすぎれば体内の聖気が減るし、枯渇すれば死に至る。もしくは、魔素に侵される。
どうやら天界にも魔素が僅かながらあるらしい。負の感情が魔素に変化すると思われている。
普段は体内にある聖気によって、魔素は触れたそばから消滅していく。
そのため天界の住人が魔素に侵されることはない。
ただし、体内の聖気が枯渇すれば話は別。
魔素に侵された箇所は変色し、そこから徐々に魔素が取り込まれ、変色した箇所が広がっていく。
身体の変色は、天界の住人にとって耐えがたい屈辱であり、魔素に侵されることをだれしもが恐れる。
「人界が閉ざされたことで、聖気すらも通り抜けることが敵わなかったか」
「そうみたいだな。ある意味予想できたことだと言えるが」
「いや、死した魂は相変わらず結界を通り抜けるのだから、聖気も通り抜けると考えたところで間違ってはおらん。これは、結界を敷いたゼウスですら知らなかったことではないかな」
メルヴィスの言葉にダールムも頷いた。
「堕天した者の話では、ゼウスは天界より人界を優先した裏切り者であるらしい。そんなゼウスを復活させようとするエンラ機関もまた同じだとか」
「エンラ機関は天界の最大研究機関であろう。力を持った者どもに対して、外から強く言える者はおるまい」
「いや、そうでもないらしいが……いや、話がずれたな。堕天した者によると、天界は聖気が減った事実を正しく受け止めた。すぐに小さき者、弱き者の淘汰が始まったという」
聖気を使う者が減れば、その分無駄に消費される量が減ると考えたらしい。
なんとも合理的、天界的な考え方であろうか。
迫害された力なき者は消滅を選び、ごく少数の者が堕天して魔界にやってきたという。
ダールムはそれらを発見次第保護し、こうして情報を集めていたらしい。
「その争いの過程でヘラを見付け、亡き者とした可能性もあるか」
メルヴィスは納得したように呟いた。
「それで、これからどうするつもりかな。できれば、大魔王領を混乱させてほしくないのだが」
相変わらずダールムは、メルヴィスに対して下手に出る。
「……お主にこれが見えるか?」
メルヴィスは腕を上げた。
「いや? そこに何かあるのか?」
「私の手首には鎖が巻かれている。この鎖は私にかけられた最後の呪のようだ。しばらくはこれを外すことに専念しようと思っておる」
いにしえの大魔王であったメルヴィスが小魔王の位まで落ちたのも、ヘラにかけられた呪が原因であった。
ヘラの研究の集大成である、魂に直接作用する呪であったため、メルヴィスも鎖の存在については、目覚めるまで気付かなかった。
自分にかけられていたのは、魔素を強制的に吸収し、冥界に送るものだと考えていた。
そこまで呪の解読に成功したメルヴィスは、実害がないとしばらく放っておいた。
その後、小覇王ヤマトを探すために冥界に行くことになり、ついでとばかりに自分にかけられた呪を解除することにした。
本来ならばそれは成功し、魔素量ももとに戻るはずであった。
だが、実際には余人には見えない鎖が健在であり、冥界で魂を洗浄したにもかかわらず、それが残っているのである。
「ヤマト様の捜索はよいのか?」
「冥界を通って人界へ行く予定であったが、その道が塞がれていた。手立ては失われたようだ」
これだけ探してもヤマトの存在が確認できないのは、ヤマトが人界にいるからではないかとメルヴィスは考えた。
支配の石版に名前があるのだから死んでいない。
ゆえに冥界へいく考えはまったく思い浮かばなかった。
そのきっかけとなったのが、メルヴィスにかけられた呪であったりする。
人界はいまゼウスが張った強固な結界のために、行き来ができない。
ゆえに冥界へ行く意義はなかったのだが、唯一の例外に気付いた。
人が死ぬと、魂は冥界に送られ、その後、洗浄されて天界か人界、魔界のいずれかに生まれ変わる。
つまり魂のみならば、人界へと赴くことができるのだ。
そう考えたメルヴィスは、自ら魂だけの存在となり冥界に向かった。
ただそこに待っていたのは、ゼウスの張った結界である。
洗浄された魂でなければ結界を越えることができなかった。
メルヴィスの魂は当然、身体と繋がっている。
洗浄もされていない。
それゆえに、どうやっても人界へと入ることが敵わなかったのである。
「そういえば、北が少し騒がしい」
「北? 私のところへ来た、キョウカという跳ねっ返りか?」
「来たのか。なんて無謀な」
ダールムはそう言ってしばし黙祷した。
「逃げたので配下を使わした。そのうち首になって届くだろう」
メルヴィスはその事実を疑っていない。
「どうかな。あれは面倒のタネになるかもしれないと考えているのだが」
「面倒になる前に潰せばよかろう」
面倒のタネ……つまり、魔王が一人増えると、その周辺で大きな争いがしばらく続く。
最終的に潰されるか、乗り越えて大魔王になるか、適度なところで安定するかになる。
どう転ぶかは未知数だが、その前に必ず大きな戦乱がおこる。
それに触発されるのか、戦いは他方へと広がっていく。
ダールムとしては鬱陶しいことこの上ない。しかも……。
「そもそもキョウカという者は、極めて短期間で勢力を拡大させてきた。それはつまり、認知されている以上の力を持っている証しだろう」
敵が強大ならばそれに合わせて準備をする。
ごく短期間で勢力拡大できたということは、周囲の目に比べて、本人の実力が勝っていたことになる。
「なにかあれば、私が直接出よう」
「それはそれで心配なのだが……」
ダールムは、後半の言葉を飲み込んだ。
あえて、尻尾を踏む勇気を持ち合わせていないのである。




