196
吸魔鉄は、魔素を際限なく吸収して、黒く、硬く、そして重くなっていく。
それを未加工の状態で盾にしたのは、多目族のドブロイ。
ややアーモンド型した甲羅に似た形は、盾にするにはちょうどよい。
よく見つけたものだと思う。
盾は全体的に平べったいものの、裏にある突起を握っていたらしい。
これに金具を付けて固定したところで、それを狙われたらおしまい。
純粋に吸魔鉄だけの方が便利なのだろう。
だがそんなもの、奪われてしまえば意味が無い。
立場は逆転するのだ。
「ここからは俺のターンだぜ」
驚愕しているドブロイの鼻に、吸魔鉄の盾をぶち当ててやった。
ゴインと低い音がして、盾が弾かれた。
「……ん?」
鼻が硬かった。盾も硬いが、ドブロイ自身もそうとう硬いらしい。
お返しとばかり、ドブロイは武器で反撃してくる。そんなもの、盾で受ければ問題ない。
どんな馬鹿力だろうと、盾を砕くことはできない。武器の方がダメージを受ける。
「この盾は最強だ」
そう言い返してやった。
今の言葉を聞いたときのドブロイの顔。絶望が表情に出ていた。
奴はこれまで、この盾で格上と戦ってきたはず。
そのおかげで強くなれた。そんな感じだろう。
だからそれを奪われたときの絶望感は、半端ない。
ドブロイが武器で攻撃してくる。破れかぶれの戦法だ。
俺は冷静に盾で受ける。その後、反撃。
これが何度か繰り返された。
ドブロイは不利を悟って、盾を奪い返しにくる。
だが、そんなものとっくに承知している。
武器を持ったまま、空いている手を伸ばしたところで、奪い返せるはずがない。
俺は盾を両手でしっかりと握っているのだ。
「ほらよっ!」
伸ばした片手を強かに打ち据えてやった。
ついでに横っ面を張り倒した。
さっきから思ったが、ドブロイの打たれ強さは相当なものだ。
俺が何度も本気で殴っても、ダメージらしいダメージが見受けられない。
小魔王クラスになると、こうも頑丈になるのか。
「だったら、仕方ねえ。心が折れるまでいくぜ」
肉体は平気でも、心はどうかな。
魔界の住人は、生まれた時から種族的地位が確立されている。
上位種族だと、他者の上にしか立ったことがない奴がゴマンといる。
泥水を啜った経験がないのだ。そういう奴は、心が脆い。
それこそ、町中に住むヴァンパイア族のように。
そして魔界の住人の、最大の欠点。
初めから強いから、技を鍛えるということをしない。
なにしろ、上の種族になればなるほど、その上との差は歴然。
腕立て伏せや腹筋をしたところで覆せる差ではない。
地道な努力で強くなる? そんなもの最初から諦めているのだ。それほど種族差の壁は大きい。
そのため、彼らは技術を磨くということをしないのだ。
だからこのドブロイのように、テレフォンパンチと呼ばれるテンプレな攻撃しかできなくなる。
「俺には通用しないぜ」
俺の体力は……腹が減るから無尽蔵ではないが、取り込んだ魔素の分だけは動ける。
体力の続く限り、戦ってやる。
「さあて、乱打ショーの始まりだ」
技術のない相手を俺は、一方的に盾で殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
たまに蹴る。
そのあとは、また盾で殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
怯んだところを足をかけて転がし、馬乗りになる。
やっぱり盾で殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
「盾で殴ると、どうしてこう気持ちがいいんだろうな」
マウントをとったあとは、強弱をつけるのがポイントだ。
必要なのは重心移動。暴れ馬に乗った気分で、振り落とされないように注意しつつ、殴り続けるだけでいい。
どのくらいの時間、俺は盾で殴っただろうか。
ドブロイは本当にタフだ。
上位種族でも、これだけ殴れば原型すら留めない。
これほど殴っているのに、まだ顔が腫れるくらいで収まっている。
「殴り甲斐があるな。……というわけで、ガンガンいこうぜ。そっちは命だいじにな」
俺のターンはまだ終わらない。
ちなみに両手で持った盾が徐々に重くなってきている。
俺が疲れたからではなく、殴ったことで吸魔鉄の盾がドブロイの魔素を吸収しているのだ。
可哀想に。ダイアモンドより硬い物質で殴られて、魔素まで吸われている。
俺だったら早めに降参している。
「おまえたち……」
タコ殴りの合間に、ドブロイが周囲の部下に呼びかけた。
「これはタイマンだから手を出すなと最初に確認したよな。分かってるな」
俺が脅すと、周りは静かになった。ドブロイは口をパクパクやっている。
ここで仲裁に入られたらたまらない。
ちゃんと前振りはしておいたので、俺の一言が効いたようだ。
万一ということもあるので、釘刺しは忘れないのだ。
それからさらに殴った。
あれから一時間? 二時間?
ドブロイから吸収した魔素は、かなりの量になっていた。
さすが吸魔鉄。魔王の魔法攻撃すら吸収するだけのことはある。
今回吸収した魔素は尋常でない量だ。その分、半端なく重くなった。
重量が増して、両手で持つのが難しくなってきたが、そこは根性で頑張る。
ドブロイを殴った音も、はじめはゴンゴン、ガンガンだったのが、ゴスゴス、ガスガスに変わり、少し前からゴシャ、グシャと小気味よい音を出すようになった。
――ゴピュ
「おっ、打撃音が変わったな」
いい変化だ。ソリストゴーランとしては、観客を退屈させたくない。
――グチュ
なるほどと俺は理解した。
打音に血が付着するようになったのだ。
「コポッ……グパァ」
何か言いかけて、ドブロイは血でむせた。
しかし、ドブロイは頑丈だ。尖ったドリルに大型トラックをくっつけて殴っているようなものなのにまだ生きている。
「おっ……お、おまえ……たち……」
ドブロイが何かいいかけた。
「このタイマン勝負、手出し無用だからな。上官の顔を潰すなよ」
マジこれ以上吸収できるの? と思えるほど魔素を吸い上げまくった吸魔鉄の盾は、持ち上げるのも嫌になるほど重くなってきている。
一方のドブロイは、魔素を吸われすぎて、最初に見たときの面影がない。
大量の魔素を吸われ、多くの血が流れ出し、多目族の象徴である目のほとんどが潰れてしまった。
逆を言えば、こんな一方的に攻撃しているのに、まだその程度で済んでいる。
素晴らしい耐久力だ。
「わ、分かった……や、止めてくれ」
ようやくドブロイは耐えるのに飽いたようだ。
泣き言が始まった。
「止めて欲しいのか?」
「そうだ。や、止めてくれ」
「いいか。心を折るというのはな、相手が音を上げてからが本番だ」
「えっ!?」
辛いのは俺も一緒だ。
何しろ、盾がこんなに重くなってきているのだ。まったくドブロイはどれだけ魔素を持っていたんだか。
「そういうわけで、殴るぞ」
盾で殴る殴る殴る。休憩。殴る殴る殴る。休憩。
マメに休憩を挟むから、効率が悪くてしょうがない。
殴る殴る殴る。休憩。殴る殴る殴る。休憩。
「分かった。悪かった。もう止めてくれ」
「分かってない」
「えっ!?」
分かったというのは幻想なのだ。というわけで、殴る殴る。休憩。殴る殴る。休憩。殴る殴る。休憩。
あー、マジしんどい。
殴る殴る。休憩。殴る殴る。休憩。殴る殴る。休憩。
これは俺も辛いんだ。分かってくれ。
殴る殴る。休憩。殴る殴る。休憩。殴る殴る。休憩。
あー、辛い。この辛さ、分かってくれるだろうか。
「私が悪かった。謝る。だからもう、本当にやめてください」
「そうか」
「わ、分かってくれたか?」
「心を折るとき、泣いて頼んできたら、ようやく五合目。いまは気を抜いちゃいけない段階だな」
「えっ!?」
なんか最近反撃がこないなと思っていたら、ドブロイの両腕がへし曲がっていた。
手で顔面をガードして、そのまま砕かれたのだろう。見てなかったから知らなかった。
「この盾は重いからな。気合いを入れないと」
頑張らないと、俺の心が折れそうになる。
ここで挫けてはいけないと。
俺は自分自身を叱咤激励して、殴り続けた。
あれからどれだけの時間が過ぎただろうか。
下のドブロイの反応が無くなったので、俺は殴るのを止めた。
「……マジか。腕がパンパンになったぞ」
起源種に進化して、身体は大きく頑丈になり、魔素は急激に増えた。
無尽蔵の力を手に入れたと錯覚するほどだったが、盾を上下運動させただけで、腕が上がらなくなるとは……マジ俺、弱い。
疲労困憊で、視界が揺れる。
こんなに疲れたのは久し振りだ。
「……うっ」
ドブロイが呻いた。今まで気絶していたのか。
だとしたら、気絶中に殴っていたことになる。無駄なことをした。
「さて、分かったか?」
俺は疲れる身体を奮い立たせて、平静を装った。
「分かりました。分かりました。分かり……」
丁寧な言葉で阿呆みたいに繰り返している。
「よし、じゃあ続きだ」
身体が動かない。やりたくないけど、仕方ない。
心を折るには、これが必要なのだ。
「申し訳ありません。これで、これでもう許してもらえないでしょうか!」
ドブロイの部下たちが一斉にやってきて、床に額をこすりつけた。
魔界でもこういうのがあるのかと新鮮な気持ちでいると。
「いまドブロイ様を失うと、この周辺は混沌とします」
「周辺の竜種を押さえておけるのは、ドブロイ様しかいないのです!」
部下たちが口々に言う。
この国に来て知ったのだが、竜種は喧嘩っ早い。
温厚な俺などは、お近づきになりたくない種族だ。
「分かった」
「……で、では」
「それはそれ。これはこれ」
「分かってない!?」
「俺が弱い者いじめを見逃す奴をそのままにするわけないだろ。やられた側の気持ちを味わうのも勉強だ」
「も、もう十分でございます。分かったと思います」
「もう二度とジュエルピジョン族に手を出させません。町にも通達します、絶対にさせます、守らせます」
「だがまだドブロイの心を折ってない」
「折れてます。それはもうバキバキに。ですからこれ以上はご容赦をっ!!」
部下たちが泣いていた。
「ゴーラン様……私ももう、夢に出てきそうなのですが」
ストメルも控えめに主張してきた。
「そうか……そういうなら、中途半端だけど、一旦終了するか」
「「「あ、ありがとうございます」」」
部下たちはむせび泣いた。
「……んじゃ、ようやくこいつらの仕置きができるな」
何しろ、湖に沈めている途中で邪魔が入ったわけだし。
「えっ?」
ドブロイの部下とストメルが顔を見合わせた。仲が良いのか?
「ドブロイの奴は心を折るだけで済ませたが、こいつらにはやったことの落とし前をつけさせなきゃいけない。それをこいつが止めたから、話がややこしくなったわけだ……ちょうどいいから、この盾を使うか。魔法特化の種族だと、どのくらい吸収できるか試してみたいし」
俺が盾を持って向かうと、連中はなぜか白目をむいて、気絶していた。