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「ゴーラン様……さすがにそれは」
俺が曲げた六角棍を見て、ストメルは非常に言いにくそうな声を出した。
「わざとじゃないんだ。魔素を流し込めるみたいだったからつい……多すぎた?」
いくら進化したからといって、無意識に折り曲げられるほど、俺の力は強くない。
こんなに簡単に曲がったのは、俺が魔素を流し込んだからで、それでぐにゃぐにゃになったからだ。
不可抗力と言える。
「と、とりあえずだな、直す」
ムキムキな連中が武器として使うのだ。強度は申し分ない。
これだけぐにゃ曲げしても、ちぎれたとかそういう感じはしない。
魔素を流し込んで、曲がったところを少しずつ伸ばしていった。
「……こんな感じでどうだろう」
どこぞの斜塔よりかは、まっすぐになったはずだ。
「違和感がないと思います」
「そうだろ? 平らな床に置いたら分かるかもしれないが、こうして持っている分には気がつかないよな」
(ふぅー、危なかった)
というのが正直な感想だ。
「ですが、ゴーラン様。どうしてこんなにあっけなく曲がったのでしょう?」
ストメルはそれが不思議らしい。
「うん、まあ俺もすべて分かるわけはないんだが、この六角棍には魔素を溜め込み易い素材が使われている」
鉄にまぜものがしてある。それは確実だ。
何を入れているのかは知らない。極秘だと思うし。
「そのせいで武器が柔らかくなるのですか?」
「俺の魔素を入れて、俺が握っている状態だから、魔素は繋がっているよな」
「そうですね」
上位種族になると身体強化だけでなく、防具や武器を魔素で強化したりする。
ストメルもその辺は知っている。
「魔素は意志の影響を受けるから、俺が柔らかくなれと念じれば、ある程度融通を利かせてくれる。俺の腕力と、魔素で柔らかくなった素材。その結果、ああして曲がったわけだ」
俺ができるのはおそらく、硬くなれ、柔らかくなれくらいだろう。
魔法が使える種族は、もっとできることが多い。
「なるほど、理解しました。……ということは、ホーンド族も同じ事ができるのでしょうか」
「いや、無理だな。あの種族はそういうのが苦手だ」
オーガ族と同じように。
つまりこの性質を彼らは知らないのではと思う。
俺のように力比べをして六角棍を貰った者は過去にもいただろうが、それは総じて、肉体派の連中。
同じタイプの種族ならば、やはり魔法を使うレベルの魔素を扱うことはできない。
つまり、ただの強力な撲殺武器として使うことになる。
たまたま俺は肉体派であって、進化したことで魔素の扱いができるようになった。
それゆえ、ああして飴細工のように曲げることができたのだと思う。
野宿をした翌朝、俺たちは町に向かって歩いた。
ここから歩けば、昼前には着くという。
「町か……楽しみだな」
ストメルは「何が?」とは聞かない。
俺が楽しみにしているのはメシだと分かっているからだ。
「六角棍に魔素を流し込んで少し減ってしまったでしょうし、魔素の多い食事がいいでしょうね」
「おう。分かっているじゃないか」
俺たち魔界の住人は、空腹感を栄養だけでなく、魔素の有無でも感じてしまう。
食事した後でも、特殊技能を使いまくれば体内の魔素が減る。
そうなれば空腹感が襲ってきて、しまいには飢餓感にまで発展する。
それを解消するには食事、つまり魔素を取り込むしかない。
――そもそも魔素とは何なのか
これは魔界の住人の根源に関わる問題で、しかも奥が深い。
分かっていることだけ並べてみる。
魔素は魔界に満ちている。
濃度の違いはあるものの、魔素はどこにでもある。
当たり前すぎて忘れがちだが、俺たちは魔素に囲まれて生活していることになる。
それだと空気の成分のひとつと思えてくるが、それは違う。
酸素や二酸化炭素、窒素の仲間かと問われれば、「それは違う」というのが俺の認識だ。
というのも、魔素は変容して瘴気となることが観測されている。
つまり、『腐る』のだ。これは大気の成分にはない変化だ。
魔素が腐ると、俺たちにも害になる。
それが凝り固まった場所――瘴気地帯を歩けば、魔界の住人と言えども死ぬ。
酸素が毒ガスになるようなものだ。
そのため、俺は魔素は有機物に近い性質を持っているのではと予想したことがある。
その根拠となるのが、魔素が持つ最大の性質――もしくは魔素がもたらす恩恵と言っていいかもしれない。
魔素は、魔界の住人にとって力の源なのだ。
活力、エネルギーと言い換えてもいい。
植物では窒素、リン酸、カリウムに相当する。
動物で言えば何だろう。糖質にあたるかもしれない。
俺たちは呼吸することによって微量ながら魔素を吸い、食事することで、動物や植物が溜め込んだ魔素を吸収している。
人間が栄養を吸収するように、魔界の住人は栄養と魔素を吸収する。
おそらくその差が、外見や、寿命、肉体強度の差になったりするのでは? と思ったりする。
特殊技能が使えるのも魔素のおかげであるのはみんな知っている。
何しろ、沢山使えば体内の魔素が減るからである。
そういうわけで、魔素は人間界にないエネルギーというのが一番近いかもしれない。
さて、ここで問題になってくるのが、魔素の対となる存在。『聖気』だ。
天界は聖気が満ちていると言われている。
そして天界の住人は、魔素が満ちている魔界に赴くと、様々な能力が制限される。
実力はおよそ半分になると言われている。
だから天界の住人が魔界に侵攻するとき、拠点を作ってそこを聖気で満たそうとする。
結界を張って魔素を追い出し、聖気を満たす。
それはかなり大変な作業らしく、巨大な結界を作ろうとすると、大量の聖気が必要になるらしい。
何人もの天界の住人が聖気切れを起こして死ぬか廃人になるとか。聞くだけで恐ろしい。
つまり、魔素は天界の住人には毒であり、聖気はその逆。
俺たちにとって毒となる。
魔素や聖気はただのエネルギーではなく、こうして世界を分ける重要な要因にもなっている。
「こう考えると、魔素ってなんだろう」
本当に不思議になってくる。
体内に取り込んだ魔素は、俺たちが活動するエネルギーになるだけでなく、変質変容させて使うことができる。
オーガ族の場合、〈岩投げ〉のように岩を投げたときだけ威力と命中率が上がったりする。
これが魔素の力だ。
死神族の〈一撃死〉もそう。特殊技能はみな、魔素を使って発動させられる。
ゆえに魔法の遠距離弾などは、魔素を「投げても威力が落ちない塊」に変質させていることになる。
摩訶不思議な現象だが、魔界の住人は「そういうものだ」と受け入れている。
メラルダ将軍が竜の姿から、人型に変身するのも同じだ。
とにかく体内に取り込んだ魔素は、その種族ごとの特性によって変質変容されて使われる。
では取り込んで吸収した魔素は、身体のどこにあるのか。
――支配のオーブ
ここに溜められる。
支配のオーブは、俺たち魔界の住人ならば誰もが持っている。
バケツをイメージすれば分かりやすい。
そこに入るだけの量しか魔素を溜められない。
その多寡によって、種族の強さや序列ができてくる。
このバケツのことを魔界の住人は『器』と呼んで、この器を大きくすることが強くなる秘訣だと考えている。まあ、間違ってはいない。
ちなみに天界の住人は、支配のオーブのことを『魔石』と呼んでいる。
実験の材料に使っているらしいので、互いに会ったら殺し合う関係だ。
そして俺は知っている。
支配のオーブには魔素だけでなく、魂も入っていることを。
支配のオーブと支配の石版が繋がっていている事は、大昔から分かっている。
一定値以上の魔素を溜め込む、もしくは器が広がると、魔界の各地にある支配の石版に名前が載る。
小魔王の誕生である。
そのとき、支配の石版に「自分の名前」が載るのだから、俺たちが普段名乗っている名前は、魂に刻まれているのだろう。
支配の石版は、支配のオーブの中にある魂と魔素量をリアルタイムで把握していることになる。
この魔界のどこかに中央演算処理装置(CPU)があるのではと、俺は秘かに考えている。
どこぞの影の総帥が「マザー」と機械に語りかけている姿を想像してしまう。
さて、そういうわけで魔素は俺たち魔界の住人にとって大変便利なものであるものの、意識せずに使えることから、あまり研究も進んでいない。
大気のようであり、栄養素のようでもある。
石油のように高エネルギーを取り出せると思ったら、電気のように姿を変えてくれる。
結局、魔素について考えれば考えるほど、分からなくなる。
今回、進化したことで俺の寿命が格段に延びた。
その有り余る時間を使って、魔素や聖気、それに支配のオーブや支配の石版についていろいろ調べてみたい。
もしかすると、魔界、天界だけでなく、人間界についても分かるかもしれないのだ。
「ゴーラン様、町が見えてきました」
「おお、ようやくだな」
いろいろ考え事をしていたら、次の町が見えたようだ。
魔素に関する考察はひとまず忘れて。
「よし、町に着いたら、すぐにメシにするぞ。早くて沢山食えるところはどこだ?」
「すぐに探させます」
荷物持ちのひとりが駆けていった。
すまんが、よろしく頼む。
「肉がいいな。魔素のたっぷり入った」
「大きな町のようですからね。きっとありますよ」
俺たちは足取りも軽く、町に向かって歩きだした。




