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翌日の早朝、天幕の外が騒がしかった。
出て行くと、兵が走り回っていた。ただ事ではないらしい。
「どうした?」
「メイダ族の偵察隊が敵戦力を発見しました。巡回兵が複数の場所で交戦しているようです」
「敵兵? 昨日まで発見できなかったはずだが」
「夜間に移動してきたのだと思われます」
他に報告があると言って、兵は行ってしまった。
敵がここを狙ってきたらしい。この陣には多くの負傷兵がいる。
甘い偵察はしていないはずだが、遠くから一気に来たのかな。
「これは拙いな。戦える者はどのくらい残っているのやら……というか、負傷兵が動かせないから、どうしたって迎撃戦になるわけか」
メラルダ将軍は西の国境付近が切羽詰まっていると言って、軍を引き連れて向かってしまった。
戦える兵は多くない。
ミニシェ軍が知れば戻ってくるだろうが、時間がかかる。
負傷者は多く、陣は広い。
「全てを守り切るには数が足らなそうだな。さてどうしたものか」
素直に潰走したかと思ったが、それでは腹の虫が治まらない奴がいたらしい。
俺が国から連れてきた部隊も、少なくない被害が出ている。
〈一撃死〉を打ち込むために亡霊将軍族に次々と接触した死神族の何割かも、攻撃を受けて治療中だ。
「ダイルが残っているのは僥倖だったな。迎撃態勢を整えて援軍を待つか。それとも一気に決着つけるか」
せっかく進化したものの、今の俺では戦力にならない。
いまの俺は、「オレ」並に活動時間が短いのだ。
主に空腹の関係で。
「暴れたあとはメシを食わなきゃ餓死しそうだし……攻めてくるにしても、もう少し間をあけてくれないものかね」
陣を見た。さすがに頑強に作り直してある。
籠城は可能だが、どう出る?
「ゴーラン様、敵襲です」
「来たか」
考えている暇も与えてくれなかった。
「遠くから魔法が次々と飛んできます」
「あー、隠れていろ。それで味方は?」
「いまだ動きはありません」
「盾を掲げて待っている感じだな。近づいてきたら、一気に動きだすだろう」
「それでは近くに詰め寄られると思いますが」
「敗残兵の狙いは、ここにいる負傷者だろ。数で押してくることはない」
せっかく魔王国へ攻め入ったのだ。
なんの成果もなく敗走したくないのだろう。
ということは、これを率いているのは出世狙いの部隊長か、軍団長か。
敗残兵を集めて指揮し、ここまでやってきたのだから大したものだが、軍全体の士気は高くないはずだ。
だれだって、負けたら早く家に帰りたいものだ。
作戦は決まった。
「よし、短期決戦をする。俺は敵将を討ち取りにいくからリグは……」
「はっ、残った部隊を受け持ちます」
「いや、奴らは勝手に戦うだろ。それよりすぐに帰ってくるから、メシの用意を頼む」
「はっ?」
「メ・シ・だ。重大事だから忘れるなよ」
「は、はいっ」
いくら敵を倒したとして、メシが食えないんじゃ俺も倒れてしまう。
それはすべてリグに任せた。
俺はいっちょ、フルスペックで暴れてみようか。
「さあ、ためし運転だ」
俺は陣を乗り越えて、敵がいる方に向かった。
「……ダイルが来ているのか」
派手に戦っているのがいると思ったら、ダイルだった。
もとはメラルダ将軍の軍団長。いまは俺の上司だ。
実力はこの陣で一番だろう。俺と考えることは一緒だな。
早くメシを食いたいに違いない。
「俺は必要なかったか?」
ダイルに向かってそう告げる。
「いや、我と相性が悪くて、どうしようかと思っていたところだ。見てくれ」
数体の黒炎狼族を引き裂くと、ダイルは顎をしゃくった。
そこには、全身トゲトゲの獣がいた。
「なんだ? 毛が逆立って……初めて見るぞ」
「猫蛇族だ。トゲじゃなく体毛な。針のように鋭く、一本、一本に毒がある」
「最悪じゃねーか。毒じゃ触れねえぞ」
オーガ族は毒には強いが限度がある。
上位種族の毒など喰らったら、ただじゃ済まない。
「あれがこの軍を率いているボスだ。あいつを倒せば敵は瓦解する」
「本当にボスなのか? 根拠は?」
「猫蛇族は同種を配下にする。黒炎狼族が従っているだろ。それに他の敗残兵はみな魔法特化の者ばかり」
「そういや、魔法がバカスカ飛んでくるな」
魔法抵抗を持たない俺にはキツい相手だ。
「猫蛇族の〈飛針〉は、『魔法種殺し』と呼ばれている。敵兵が魔法種ばかりなのは、あれが無理矢理連れて来たのだろう。〈飛針〉はお前には効かないから好都合なのだ」
「なんで俺に効かないって分かるんだよ」
上位種族の放つ毒だぞ。
「〈飛針〉の毒は魔素を魔法に変換するのを阻害する。解毒しなければ、しばらくそんな状態だ」
「……なるほど、俺向きだな。んじゃ、周りの雑魚を頼むぜ」
猫らしく毛を逆立てていると思ったら、あれは針を飛ばすのに必要なわけだ。
そしてダイルは魔法が使えることも分かった。
これまで隠していたようだ。食えない奴だ。
俺が前へ出ると、猫蛇族が警戒しだした。ただし、針は撃ってこない。
針と言っても体毛だ。次々と生え替わるわけがないから、撃ち過ぎると防御が疎かになるのだろう。
「そんでも変わらねえけどな」
この手の獣は、太刀の方がやりやすい。持ってきておいて良かった。
敵の魔素量は、賢狼族のロボスと比べると、数倍は上だ。
ロボスが立ち向かったら、前足の一撃でペシャンコだろう。
「……といっても、俺も増えたからな」
リグに確認してもらったら、以前と比べて五倍くらいに増えたらしい。
五倍なんて魔素の増え方を聞いたことが無かったから、驚いたわ。
だがそれだけ増えても、この猫蛇族より少なそうだ。
敵は勝てると思ったんだろう。臆することなく向かってきた。
「おっと!」
前転して体当たりをしかけてくる。
しかも当たる瞬間、針まで飛ばして。
針のいくつかが肩に刺さったが、たしかに効かない。
これなら大丈夫そうだ。
俺は太刀を正眼に構え、刃を寝かせて剣先を下げた。
これは下段の構え。
下からすくい上げる斬り方しかできないが、この場合は正解のはず。
猫蛇族はその場で地面を蹴ってグングンと回転すると、勢いをつけたまま飛び込んできた。
避けなければ跳ね飛ばされる。
速度からして、新幹線に衝突されたような衝撃を受けそうだ。
だが今の俺なら……。
――ィン
「失敗したか!」
早く振り過ぎたようだ。斬った感触がなかった。
慌てて振り返ったら、猫蛇族が二匹に増えていた。
回転する猫蛇族が左右に分かれて……分かれて……しばらく進んだあと、倒れた。
「倒……した?」
まったく感触がなかった。まるで空を斬ったような手応えだった。
「見たぞ……いや見えなかったというべきか。どれ、綺麗に切れているな」
雑魚を倒していたダイルが、倒れた猫蛇族の片割れをマジマジと見て、そう言った。
「敵将は倒したぞ。者ども、蹴散らせ!」
ダイルの大声が戦場に響き渡り、直後、敵は算を乱して退却していった。




