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戦場に突風が吹いた。まるでダウンバーストのようだ。
その突風は、周囲に舞っていた埃を俺たちの側へ押し出してきた。
「なんだ? 何が起こった?」
突然の風。
尋常ではない何かが起きたことだけは分かった。
腕で顔を覆ったままでは、周囲の状況は分からない。
「将軍が変身なされた」
ダイルの声だ。将軍――つまりメラルダが変身したらしい。
「変身って、竜の姿になったんですか?」
あれは被害甚大になるから、控えるはずではなかったのか。
「おそらく……敵の将軍が姿を現したのだろう」
「フォンバルですか」
竜食みと呼ばれたラハブ族。
魔王ジャニウスが、魔王トラルザードを牽制するために送ったと言われる将軍。
それがついに姿を現したらしい。
メラルダが変身したことで、俺たちだけでなく、敵味方がみな風に煽られてしまった。
ようやく目を開けられるようになった俺が見たのは……。
「……昇竜」
天に向かって一直線に昇っていくメラルダの姿だった。
なるほど、あれが翔竜族かと納得できる動きだ。
メラルダはかなりの高度まで上昇したのち、Uターンを描いて地上に舞い戻った。
向かう先はラハブのいる所だろう。
そこはちょうど森の切れ目。
最初に敵が姿を現したところへ向かっていった。
「……あれ? 俺たち置いていかれた?」
もともと俺たちは、メラルダの陣にいた。
そしてメラルダは敵将の所へ行ってしまった。
場所はここからもっとも遠い、敵の軍を挟んだ向こう。
もしかしなくても、置いていかれた。
「ダイル部隊長、このままここにいたら、ヤバいんじゃないですか?」
目の前の敵を倒せても、状況はよくならない。
メラルダを倒すために集まった兵たちが丸々残った中で孤立することになる。
「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」
相手がいないけど。
もう死亡フラグを立てるくらいしか、やれることがない。
「大丈夫だ。敵が混乱している」
ダイルに言われて敵陣を見る。たしかに大混乱だ。しかしどうして?
メラルダの姿がそれほど恐ろしかったとか?
「敵軍の大将がやられたのだろう」
なるほど、多くの兵が混乱しているならば、その通りかもしれない。
敵陣の混乱は収束する気配がない。
本来軍をまとめるはずの副官すら混乱しているため、収拾がつかないようだ。
「ですが、敵の大将はペインサーペント族ですよね。いつ倒されたんでしょう」
「将軍の近くにいたのだろう。変身の余波で押しつぶされたのではないか」
「…………」
思ったより変身の被害が大きかった。
あの時、将軍の近くにいたのは、軒並み変身後の姿の下敷きになったようだ。
壮絶なぶつかり合いの音がここまで響いてきた。
遠くて見ることができないが、魔王軍の将軍どうしが戦っているのだろう。
「どちらが勝ちますかね」
「馬鹿なことを言っていないで、逃げるぞ」
「えっ?」
「余波で死ぬ。なにも両者はあそこでしか戦えないわけじゃないんだ。こっちにきたら、軍が壊滅する」
「それは大変だ。逃げましょう」
「だからそう言っている。他の連中も逃げ出したぞ」
みな蜘蛛の子を散らすように、てんでバラバラに走っている。
「おまえら、後ろに向かって進軍だ!」
一度は使って見たかった台詞のひとつだ。
直後、巨大な音とともに二足歩行の恐竜が空から振ってきた。
バウンドして転がったため、敵の本陣が半壊している。
「逃げろーっ!」
俺は一目散に逃げ出した。
なんとなくだがこの辺にいた連中は、うまく敵と味方に分かれて避難できたようだ。
戦って死ぬのは構わないが、暴れる上司の下敷きになって死ぬのはみな嫌なのだろう。
「どっちが勝ちますかね」
「メラルダ将軍だろ」
ダイルはあっけなくそう言う。
「ですが、向こうだって同じ魔王軍の将軍ですよね。同格なのでは?」
「同格か。たしかに相手は将軍で小魔王だろう。だが、越えられない壁がある。メラルダ将軍が本気になった以上、勝敗は動かない」
すごい自信だ。
自軍だから信じているというわけではなく、メラルダ将軍の強さそのものを信じている感じだ。
「ならば俺たちは目立たないところにいましょうか」
勝ちが動かないならば、無駄に頑張る必要はない。
ちょうどこの辺の敵がどこかに行ってしまったようだし、一休みできそうだ。
だがそんな俺とは対照的に、ダイルが怖い顔をしている。
「どうしました、ダイル部隊長」
ここに敵はいない。
味方はそのうち集まってくる。
何が問題なのだろうか。
「出てこい! そこに隠れているのは分かっている」
「へっ!?」
しばらく先にある林に向かって、ダイルが叫んだ。
林は向こうが見通せるくらいに小さい。だれも隠れられる場所はないと思うのだが。
この人、何言っちゃってんの? 俺はそう思ったのだが。
「あれれ~? ちゃんと隠れたつもりなんだけど、どうして分かっちゃったのかな」
どこかで聞いたことのある声がした。
「我は、姿を隠した敵を見つける訓練を積んでいる」
ダイルがとんでもないことを言い出した。
「それでも格下には気付かれない自信があったんだけどなぁ。もしかして、キミ。少しばかり強かったりする?」
「だったら確かめてみろ! キサマはどこの何者だ!」
草原から林へ続く広い場所にユラリと陽炎が立ち上った。
その直後、不気味な集団が突如として現れた。
「ネヒョル!」
俺の叫びに、集団の中心にいた人物――ネヒョルは、あどけない顔に満面の笑みを浮かべて、こう言った。
「やあ、ゴーラン。また会ったね! そしてさよならだ」




