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俺は話が終わったので戻ろうと思ったが、ダルミアは違ったらしい。
音も立てずに近寄り、俺の匂いを嗅ぎはじめた。
「お、おい……ダルミア。何を?」
「赤いネズミの臭いがする」
「赤いネズミ……?」
何のことか分からない。
いや、ちょっとだけ思い当たったことがあった。
ここへ来る前、近くにあるオーガ族の村に立ち寄った。
そのとき、ちょっとした歓待を受けたが、たまに視界に何かが横切った。
聞いたら、最近ネズミが増えていると話してくれた。それが赤かったかどうかは聞いていないが。
「赤いネズミの臭い……する」
「ここへ来る前に村へ立ち寄ったら、引き留められてな。その村でネズミが増えた話を聞いたから、おおかたそこで臭いが移ったのだろう。気になるか?」
「赤いネズミ、疫病を運ぶ」
「疫病を?」
ダルミアはゆっくりと頷いた。
「赤いネズミの死骸、糞は疫病の塊。それを触ったりした者が疫病を運ぶ」
「もう少し詳しく教えてくれ!」
ダルミアたちラミア族がかつて住んでいた場所は、清浄かつ神秘的な場所で、流れる川と綺麗な湖。
少し行けば綺麗な滝がある、とても美しい場所だったらしい。
「ある日、仲間がひとり、死んだ」
「疫病でか?」
肌は荒れ、黒いシミができはじめ、身体の中が焼けるように痛いと言って死んでいったらしい。
何があったのか、そのラミア族が死ぬまでの間に、原因を探すべく、本人にいろいろ聞いた。
そこで得た唯一の手がかりが、「赤いネズミを食べた。拙くて、とても食べられるものではなかった」という証言だった。
赤いネズミに心当たりはなかった。だれも知らなかったのだ。
そして、仲間を弔ってしばらくしたとき、他の数人の仲間に同じ症状が出た。
死んだ者に近しい者がかかった。
これはうつる病だ。そう思って、彼らを隔離した。
水棲の種族は付近にいなかったため、罹患した者を別の水流に移した。
残った者たちには、赤いネズミが出ても決して近寄らない、食べないと、徹底させたらしい。
「それ以降、病を発症する者は出なかった」
何人かが死んだ赤いネズミを解剖したという。
案の定、内臓は腐っており、ネズミが病原を運んできたことが分かった。
「よくそこで調べたな」
俺ならば、近寄りたくもない。
「種族が生き残るため、必要だった」
ラミア族はネズミを食べることもある。せざるを得なかったのだろう。
調べた結果、赤いネズミは病原菌を運ぶ前は普通のネズミと同じらしい。
罹患すると全身の毛が抜け、肌が真っ赤に腫れ上がる。
「赤い肌は爛れている証拠。食べても拙いのは道理」
「そ、そうか」
そこまで分かるのにかなりの時間がかかったらしい。
最初の罹患者が出たとき、やってきた行商に症状を説明し、それに合う薬はないか頼んでいたという。
どうやらラミア族は、水底にある石をつかって装身具を作れるらしい。
意外と器用なのだそうだ。
水着のような服も自作できるのだから、そうなのだろう。
そして日が流れる。
ラミア族が原因を特定するまで、ただの一度も他の行商人がやってこないことに、ラミア族は不審に思わなかったようだ。
原因が特定でき、ホッとしたのも束の間。
「町が大変なことになっていた」
ラミア族が原因を究明している頃、近くの町では同じ症状を発症して死んでいく者が相次いでいたという。
交流がないラミア族はもちろんそのことを知らない。
そして間の悪いことに、最初に罹患した話は行商人が知っている。
「ラミア族が病を持ってきたと噂されたわけか」
「そう。水源近くに住んでいたし」
ラミア族が住んでいた場所は、町の水源地のすぐ近く。
最初にラミア族が罹患して、その後、町の者たちが相次いで罹患した。
そこまでは事実だが、別段、ラミア族が町の住人に何かしたわけではない。
だが、何百、何千と死者が出たことで、住民たちは冷静さを失っていた。
結果、住処を追われることになったらしい。
その頃にはもう、町全体が伝染病にかかったと、近隣の町に広がっていて、町の住民は出入り不可能。
それでも生き残る者はいる。
その者たちから、ラミア族犯人説が広がるはず。
ラミア族は一族をあげて、国を捨てて逃げたのだという。
「……なるほど。だけど、赤いネズミの臭いというのは?」
「見た目が普通でも、すでに病原菌を持っているネズミかもしれない。だから、ネズミの色を見て見分けるのではなく、臭いを覚えた」
赤いネズミになるのは末期症状。
それ以前でも罹患している可能性がある。
かといって、すべてのネズミを避けて生きるわけにはいかない。
ゆえに病原菌を持ったネズミが発する臭いを覚えたのだという。
「いい判断だと思う……けど、そうすると、村にいたネズミは」
「おそらく持っている」
持っている? 何をだ? もちろん、病原菌だ。
どうすればいい? いや決まっている。駆除しなきゃだ。
捕まえて……いや、そうすると手に病原菌がうつるかもしれない。
罠で捕獲して、集めて焼くか。
もしかしたらもう、保菌者がいるかもしれない。
「すまん。今の話、非常に助かった。俺はすぐに村に戻ることにする」
こうしてはいられない。俺は村に向かって駆けだした。




