3話
「ん、上原の居場所?」
「そう。急にいなくなったからどこに行ったのか気になって」
あの騒ぎから数十分後ーー。
次第に沈着な空気を醸し出す部室では、忽然と姿を消した上原の事を心配し、部員に何処へ行ったか聞いている堀北の姿があった。
放浪癖のある上原を動かないように縛り付けるには骨がいる。いとも簡単に達成出来る猛者は誰一人として存在しないそうだ。因みにソースは写真部を真面目に率いるため努力し続ける頑張り屋な部長こと喜村優姫。
……以前、広大な敷地面積を持つ施設で撮影を行ったことがあるのだが、目を離した瞬間、姿を削したのだ。撮影した場所が初めてだったのだろうか。何の前触れもなくいなくなった上原を喜村が捜しに行ったのだが、一周二周と敷地内を回り捜索したのにも関わらず見つけられなかったのを堀北が捜しに行くとほんの数分で見つけることが出来た。
そんな伝説のような出来事が起こってからというもの、上原の監視は堀北が受け持つようになっていた。しかし、今回はその堀北がはしゃいでしまい視線を外してしまった。
保護監督者としての責任を取るため、上原を捜しに行こうと決意し、上原が行そうな場所を聞き出そうと、部員全員に聞いているのだ。
だが、さすがは写真部。
口々に「保健室だろ」、「いや、散歩してるんじゃない?」、「或いは担任の場所とか」などと上原が行きそうな場所を挙げるのは良いが、途中からまったく関係ない場所を挙げ始めた。
どんなに普通な話でも、一度に話のネタにしてしまう写真部の空気に堀北は改めて驚愕しつつ、ここにいてもヒントは得られそうにないと言わんばかりに勢いよく立ち上がり部室を出ようとする。
「上原なら、井口が煩いから外に空気を吸いに行くって行って出てったよ」
あの子なら自動販売機辺りにある休憩所で休んでるんじゃないかな? と付け足すように言う喜村。
やっと真面目な反応が返ってきた事に喜びを隠せない堀北は、事務作業という当たり前な作業をしている喜村の手をギュッと握り締めていた。
「さすが、優ちゃん!」
「うるさいです。お礼もお世辞もいらないので、早く上原を捜して来てください」
異性が好き。という感覚もあまり存在し得ないのか、本当に面倒そうに呟く喜村。
あくまで素っ気なく言い放つ喜村の言葉に少なからずショックを受けた井口はメソメソと泣き真似をしながら訴える。
「ひどっ! 最近、オレの扱いが雑になってない!? 仮にも部活創設者だよ?」
「あくまで仮でしょ? そのせいで私が部長をやってるんだし。無能ヘタレアホなんちゃって部活創設者」
活動はするが事務的な作業はほとんど何もしない部活創設者である井口にストレスが溜まっていたのだろう。喜村から発せられた声の端には罵倒の数々があった。
「無能やアホは認めるけど、ヘタレはないから」
「……え? なんだって?」
絶対に聞こえているはずなのに、あくまで聞こえない振りをする喜村。
周囲の人間は皆、「またしても勢いで言ってしまったんだろうな」と口には出さないけれど飽きれていた。
「だーかーら……」
「……痴話喧嘩はそこまでにして」
聞く気が更々ない喜村に対して、絶対に引かないとばかりに追求する井口。だが、まともな反応が返って来なくなったところで草凪がようやく仲裁に入った。
「痴話喧嘩じゃないから!」
とツッコミを入れている喜村を尻目に、草凪は井口の耳元で何かを呟いていた。
「……また、仲間外れみたいに扱って」
今の態度が妙に喜村の感に触ったのか不貞腐れ、懐から携帯を取り出し驚いた顔をした後、さっきとは裏腹に笑顔を浮かべていた。
遠くから見てもわかるほどに満面の笑みだ。
「♪~」
メールを打ちながら鼻歌を紡ぐ。そんな喜村の様子を傍目に見ながら、堀北は席を立ち上がり、部室から出て行こうとする。
「どこ行くの?」
「んー? 上原のところ。ちょっと用事を思い出してな」
「そっか。上原とよろしくね」
「おー。おー?」
ぼうっとしていたからだろうか言葉を間違えた喜村の言い回しに違和感を感じながらも返事をして出て行く堀北。
「……普通は“と"じゃなくて、“に"だよね?」
「うるさい! ちょっとぼうっとしてたんだ」
「まぁ、それに返事をする堀北も堀北だけど」
暗室から出たところにある窓から、自動販売機があるエリアまで早歩きで向かう堀北が皆の視界の中に入った。
「早足で行かなきゃいけないほど、急ぎの用事だったのかな」
「いや、そういうことでもないと思うけど」
「たぶん、あれじゃない? 桃色な空気を漂わせる姫と一緒にいたら感染した。みたいな」
「人を感染病の元凶みたいな言い方をしないで。……ってか、何。姫って」
喜村の問いかけに対して、否定的な草凪に、その草凪の意見を使って具体的な例を出してきた井口。だけども、彼が出してきた例と渾名が気になったのかして、喜村の意識はそちらへ向き、堀北が急いでいた理由は闇の中へと消えていった。
以前、「姫」と呼ばれた過去でもあったのか、少し嫌そうな感じで問いただしていたが、そんな彼女の意図を察することがなかった井口はこの渾名にした理由を話すため口を開いた。
「だって、名前は確か優姫だったでしょ? 優しい姫って書いて優姫。で、その姫の部分を抜き出して使ってみました」
「……優しい姫、ね」
「文句があるなら、親に言って。私は関係ない」
「ま、それは良いとして。この渾名気に入らない? 我ながら完璧な渾名だと思うんだけど」
「ちょ、顔が近い……。うん、良いと思うから。良いと思うから離れよ?」
ずいっと顔を近づけながら聞いてくる井口から離れるように喜村は上半身を仰け反らす。
本当は嫌だった渾名だけども、このまま顔を近づけられ、至近距離で異性の顔を見続ける。そんな羞恥に耐える力はないと考え、嫌々ながら渾名を受け入れることにしたみたいだ。
自分の作った渾名を許してもらえたことを無邪気な子供のように喜ぶ井口を見ていると、「まぁ、いいかな」と思えて来る。そんな達観した表情で、そっと微笑む喜村の姿があった。
「……で、結局のところこうなるわけね」
午後五時三十分――。
部活終了時間まで残り三十分となった今だが、ほとんど駄弁ることだけに使ったという。
毎度のように同じ流れを繰り返しているので、部長である喜村は既に悟りを開いていた。
「まぁ、良いんじゃない? 今日くらいは」
「……今日くらいはじゃなくて、今日もが正しいと思うけど」
少し前にやっと戻って来た堀北に対して、冷静なツッコミを入れる草凪。
ほとんど部活動をしていないことについてはツッコミをほとんど入れないところを見ると、やっぱりこの部活は無責任な創設者が作っただけのことはあるな。と思える。
「そんじゃ、ま。とりあえず今日はこの辺りで終わろうか」
「え、もう終わり? まだまだ話したりないんだけど」
「堀北君は話過ぎだと思う……。愛乃相手に結構話してきたから」
各々が勝手に話しながら学校指定の鞄を持つ中、部長である喜村だけは決して鞄を手に取ることがなかった。
「あれ、姫はまだ帰らないの?」
「あ、ちょっとね。この後、先生に呼ばれてるんだ」
歪な笑顔を見せながら話す喜村のことを怪訝そうな表情で見つめ返す井口。
勘の鋭い彼のことだ。喜村が毎週のことながら、一人残ってしている作業がわかってしまったのだろう。
「……わたし達も待とうか?」
「いや、いいよ。すぐに終わるだろうし、先に帰ってて」
「……そう」
部室の鍵は私が返しておくからと、喜村は井口の手に握られていた鍵を取って「お疲れ様~」と部員全員に声をかける。
そんな彼女に見送られるように部室から出て行く写真部員一同。
彼らが玄関へと向かうのを上から確認し終えた後。
「さてと、残りの事務作業をやりますか」
部室前に付けていた『写真部活動中』と書かれている看板を部室内に戻し、扉を閉めた。
(本日の写真部、終了!)
そう、彼女は独り言のように呟いた。
◆
「はぁ、疲れた~」
家に着いた後、すぐさまベッドに直行し寝転ぶ喜村。所謂、バタンキュー状態だ。
制服にしわが付くことなど気にせずに、ただ欲望に忠実になり、勢い良くベッドへ飛び込んだ結果、彼女は睡魔に襲われていた。
(あ、もう眠くなってきた)
どれだけ疲れてしまっていたのよ。と自嘲していた喜村。
そんなときだった――。
寝る前に一度、携帯を確認しておこうと、傍に置いていた携帯に手を伸ばすと。一通の通知が入っていたことに気付いた。
「メール、か」
宛て先を見てみるに知らないアドレスだったので、どうでも良いかなと思いながら開いてみた次の瞬間。
「っ!」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ心臓が高鳴った。
「……やっぱりヘタレじゃない」
届いた一通のメールの差出人をアドレス帳に登録し、相手に気を遣った内容ではなく、あくまで自分を最大限に主張したメールを返信する。
これを受け取った彼は、どう反応するだろうかと期待に胸を膨らませながら……。