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【番外】フリュイ・コンフィとハチミツの午後(7)

 

――態度如何によっては即刻取り押さえさせていただく。


 ムフタールは手製のパンペルデュと薔薇のコンフィチュールが乗ったワゴンを通路脇に寄せ、ふたりの様子を窺った。

 古今東西、礼を欠いた態度は争いの火種となりうるもの。いつ何時でも避けるべきだが、そうでなくともアドルフの場合、作法を無視して許される立場ではない。

 相手は称号を与えてくださった王族の一員なのだ。心を尽くしてかしずくのが義務だとムフタールは硬い頭で考える。

……内心は若干複雑な気分であったのだが。

 自身、正式な婚約発表以前に何度もコトに及んだ無作法者なのだ。取り押さえることは出来ても、咎める資格まではない。


「それで、あたしに用ってなにかしら。あ、もしかして恋のお話? また新しい情報を教えてくださるの?」


 胸の前で両手を組み合わせ、祈る格好でアドルフを見上げるクレール。女王ほどではないが、稀に見る大粒の宝石のような瞳にムフタールは息を呑んだ。やはり王族だ。

 対峙しているアドルフも同様に感じたらしい。落ち着き無く後ろ頭を掻く仕草から、狼狽ぶりが見て取れる。


「あ、ああ、あのな、クレール……」

「でも残念だわ。あたしね、噂話はもう飽き飽き。身分差の恋だとか、隣国の王子が見初めた町娘の話とか。物語も沢山読んだし、だから世間の恋愛事情にも一応は詳しいつもりよ」


 退屈しきった顔。それは時々、ロレーヌも見せる表情だった。

 王族特有のものだろう……と以前は簡単に考えていたムフタールだったが、今回はそれだけでは片付けられなかった。


「あたしが本当に知りたいのは本物の恋。誰かの恋ではくて、自分自身の恋……」


 王族の女性が背負う荷の重さを、果たして国民の何割が正確に把握しているだろう。

 ロレーヌ付きの菓子職人パティシエとしてもう何年も王宮に仕えているムフタールでさえ、ここ最近になってようやく気付きはじめたくらいなのだから、大きな数字は期待できない。

 国を護り、繁栄させ、また、次の世代へ受け継いでいく役割をも担う彼女達は、戦にこそ出ないがそれに匹敵する――いやそれに勝る精神的な戦いと、克服を日々迫られている。

――こうしている間にも。

 ため息を吐きながらクレールが柱にもたれるのを見、女王を抱き締めたくてたまらなくなった。

 出て行けと命ぜられたとき、何故、抗いもせずに従ってしまったのだろう。締め出されるままに、素直に女王の間を出てきてしまったのだろう。

 惨めになろうが、それでもお側にいさせてください、と懇願すべきだった。


「く、クレール」


 するとアドルフがおもむろに動いた。硬い表情でクレールの前方に回り込む、その左手は不自然に体の後ろに隠されている。

 ムフタールは咄嗟に、ワゴンの上に乗せてあったナイフとフォークに手を延ばした。いざとなったらそれを飛び道具にしようと思ったのだ。

 が、実際、掴むには至らなかった。アドルフが中庭の地べたに片膝をつき、恭しく頭を垂れたからだ。


「――いや、クレール様。俺は、……いや、私は、その」


 何をする気だ?

 警戒を解くことなくその動向に注意を払う。珍しくオドオドしているが、あれは一体。

 すると「これを」粗暴な庭師は隠していた左手を体の前に差し出した。クレールのちょうど胸の高さだった。

 そこに握られているのは、一輪の深紅の薔薇。

 先程、彼が思いついたように駆け戻って摘んできたものだ。


「わ、きれい! あたしに? 受け取ってもいいの?」

「ああ、……いや、はい。姫君のために、た、手折って参りました」

「ありがとう、頂くわ。――ん、すっごくいい匂い。素敵……」


 クレールの顔が綻ぶ。それまでとは別人のように無邪気な笑顔だった。


「うれしい。あたし、アドルフには貰ってばっかりね。最初は異国の珍しい宝石、真珠、それからレース。あとは綺麗な貝も貰ったし、街で流行りの恋愛小説や、カメオのブローチもこっそり渡してもらったわね」

「ええ、そうでしたね」


 そうだったのか。ムフタールはふと、アドルフとの会話を脳裏に蘇らせる。

――その常套手段が通じねえから困ってるんだろうが。宝飾品を贈っても献上品だと思われるし、デートになんて誘えねえし。

 なるほど、苦心は誠だったらしい。


「覚えていて下さったとは思いませんでした」

「どうしたの、アドルフ。突然敬語なんて使いだして。いつも通り気安く接してくれてかまわないのよ? だって貴方はあたしの、数少ない友人だもの」


 さらりと言うクレールがやけに無慈悲に見える。鈍感なのは王族の特徴なのか――故意なのか。

 対するアドルフは自嘲し、肩を少し揺らすと若干俯いた。


「友人、ですか」


 その心中を察して胸が痛いと思う、ムフタールは完全に彼に同調していた。これほどあからさまに好意を表していて、知らぬ顔をされるのは辛過ぎる。


「そうよ。貴方はシェーンが連れてきた人だから信用出来ると思っているの。あたしの知らないことを沢山知っていて、教えてくれる先生みたいな人でもあるわね」

「友人と先生、どちらが貴女により近しいのでしょう」

「ふふ、嫌だわアドルフ。本当に今日の貴方、貴方じゃないみたい」


 言って、クレールは踵を返そうとする。手にした薔薇を口元によせ、その匂いを吸い込みながら。


「そうだわ。この薔薇、ロレーヌにも見せてあげましょ。きっと喜ぶわ」


 行ってしまう。同調しすぎるあまり思わずその場から飛び出しそうになったムフタールは、


「――クレール!」


 鬼気迫る声にビクリと体を固めた。

 その目に飛び込んで来たのは、立ち上がりざまに姫君の肩を掴んだ、アドルフの必死の形相だった。


「クレール、俺は」


 また敬称を忘れている。完全に礼を欠いている。そうとわかってはいたが、取り押さえる気にはなれなかった。


「俺は……、おまえに会えると聞いたからここに来た。おまえがいるからここに留まった。任を受けたんだ」

「あ……アドルフ?」

「でなければ、一生船乗りでいるつもりだった。陸に上がる気などなかった」


 アドルフは驚いた顔のクレールを引き寄せ、その小さな体を回廊の柱に寄せる。強引だが、無理強いをしている様子はない。


「あれは帰港した南部の港でのことだった。ふらっと立ち寄った画廊で肖像画を見たときは半信半疑だったよ。こんなに美しい女がこの世にいるわけがねえって」

「肖像……画?」

「ああ。依頼しただろ、シェーンづてに。俺は画家にシェーンを紹介されて、疑うなら実物を見に来ればいいと誘われたんだ。だから当初、城を訪れたときには物見遊山の気分で」


 ムフタールは眉根を寄せた。南部に居住するシェーンの知り合いの画家、というと――あのフリュイ・コンフィを持参した画家だろう。

 海の賊であるアドルフとシェーンにどのような接点があったのか、疑問に思っていたが……。

 画家はクレールの肖像画を手掛けていた。それにアドルフが興味を示した。その話を聞きつけたシェーンが、アドルフを誘った――もとい、海上の無法者を体よく飼い馴らす方法を思いついた、というところか。

 全てが一本の線で結ばれた気がして、ムフタールは長く息を吐く。してやられた気分だ。一杯食わされたわけでもないのだが。


「まさか実物のほうが美しいとは思わなかった」

「か、顔が近いわ、アドルフ……こ、こんなの、恋人同士みたい」

「そうなれたらと思う。恋がしたいなら、クレール、俺を相手にしてみないか」

「え、え?」


 混乱した様子で目をしばたたく少女を、抱き寄せるアドルフに迷いや躊躇はもうない。


「肖像画を一目見たときから惹かれていた。こうして逢うたびに、引き返せなくなっていく」

「うそ……よね。冗談でしょう? だってあたしは子どもっぽいし、体型だって女らしくはないし」


 声を震わせるクレールは、もはやアドルフと目を合わせることすらできなくなっている。男として意識している様子だ。

 これ以上の見物は流石に気が咎める。ムフタールはワゴンの方向を変え、来た道を引き返す選択をした。


「庭師の男と恋に落ちる勇気はないか?」

「そっ……そんなことはないわ! ロレーヌだって菓子職人と恋をしているのよ。あたしだってそういう、情熱的な恋に憧れてる」

「なら、俺でいいと言ってくれ」

「で、でも、こんなの考えたこともなくて。アドルフが、こ、恋の相手になるなんて」


 しばらく行くと、渡り廊下の窓から、ちらと彼らの姿が見えた。

 アドルフは再び地べたに膝をつき、クレールの手を取って甲に口づけを捧げていた。――女王陛下に、忠誠を誓ったときのように。


姫君プランセス、どうか私の恋人に」


 礼を尽くした申し出に姫君が小さく頷くのを見届け、ムフタールは厨房へ戻った。悔しいかな、晴れやかな気分だった。ワゴンの上に乗せていたパンペルデュの皿をクロシュごと持ち、瓶詰めにしたコンフィチュールをポケットに詰め込む。

 向かったのは女王とムフタール、そして数少ない王族だけが知る秘密の通路だ。

 通路の先にある女王の寝室は、執務室である女王の間へも繋がっている。

 ロレーヌが居るであろう女王の間へ、寝室伝いに忍び込むつもりだった。

 例え許していただけなくとも……婚約を解消されようとも、菓子職人としての仕事だけは継続させていただけるよう懇願しよう。

 すると辿り着いた寝室、真っ先に視界に飛び込んできたのは、ベッドの横に縋るようにしてへばりついている人影――。


「……陛下?」


 何故ここに。公務はどうなされたのか。

 呼ばれて振り返った彼女は、真っ赤に充血した痛々しい目でムフタールを見上げる。そうして、ぼろりと涙を零したのだった。


「む、ムフタール……っ!」

 

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