【番外】フリュイ・コンフィとハチミツの午後(4)
――詫びる暇さえ与えていただけなかった。
ムフタールは悄然と肩を落とし、女王の間に背を向けて回廊を引き返し始める。
クレール曰く「反省が済むまでロレーヌには逢わないで頂戴」とのことで、要するにムフタールはアドルフを追い出した次の瞬間、自らも追い出される身となったのだった。
しかし、反省……とは一体、何をどうすれば良いのだろう。
「よう、ムフタール。同じ穴のムジナになったな」
かたや同じ境遇の仲間を得たアドルフは、愉快そうな笑みを浮かべてついてくる。走って振り切ろうとも思ったが、ムキになればなるほど自分の未熟さを露呈する気がして、やめた。
「そんなに気落ちすんなって。国家存亡の危機、みたいな顔になってるぞ。笑え笑え、単に結婚が破談になっただけのことじゃねえか」
「……なっていませんから」
縁起でもないことを言わないで欲しい。何故このような事態に陥ったのか――考えると腑が煮えくり返りそうになる。
(元を辿ればこの男が妙な状況を作り出したせいじゃないか)
自分が追い出されたのも、ロレーヌが泣き出したのも。責任転嫁であることは承知で、それでもそう思う。
もちろんロレーヌを泣かせた張本人は他でもない、自分なのだが、あそこでクレールが現れさえしなければ、謝罪をする時間くらいはあったはずなのだ。
「暢気なことを言ってんじゃねえよ。喧嘩っつうのはだな、冷静になろうと時間を置けば置くほど、こっちの怒りが向こうに移るものなんだよ」
「なにがおっしゃりたいんです」
「ムフタールは案外理解度低いよな。頭、固いもんな」
余計なお世話だ。
「あのな、おまえが冷静になりきった頃、ロレーヌはなかなか謝罪に来ないお前に怒り心頭、結果、愛想を尽かされて、婚約破棄は必至だって言ってんだよ」
「理解度が低いのはどちらですか。あの場にいらしたならお分かりでしょうが、我々は喧嘩したわけではありませんし、私が怒っているわけでもありません」
「あ? あ、ああ、まあ」
なるほど、とアドルフは目を泳がせた。そこまで興味はなかったと見える。
「それと何度も言うようですが、王族の方々には敬称をお忘れなきよう」
ムフタールは厨房を突っ切り、その向こうにある自室へと急いだ。早く一人になりたい。
すると、厨房で働く以前の同僚たちは、示し合わせたかのように道をあけ、揃って頭を下げてくれる。それは女王の婚約者に対する当然の礼儀だったのだが、部屋を出るたびこの調子なので、毎回身の丈が縮みそうだった。
(ああ、新しい部屋を用意してくれる、というシェーン様の好意に甘えるべきだったのかもしれない)
数週間前までは共に働く仲間だったのに。むしろ口さがなく言われて虐げられてさえいたというのに……状況が一変しすぎだ。
ついていけない。
後悔しながら、ひんやりした内階段を上る。アドルフはまだついてくる。
「なあムフタール、女王は諸国一美しいというが、……まあ実際そうなんだろうが、俺はもっと美しい女がすぐ側にいると思うんだよ」
「随分と破綻した会話をなさるんですね。仲直り、させたいのかさせたくないのか真意をはかりかねます」
「いや、違ぇよ。俺は別に、おまえの目を余所を向けさせようとしているわけじゃなくてな、クレールについて」
また『様』を忘れている。呆れるのにも飽きた。
「……もう帰ってください。下品でしつこいのが南部の男の特徴ですか」
「根性があると言ってくれ。ま、俺は南部というか、その向こうの海が故郷みたいなものだが」
どっちでもいい。本気でそう思う。どっちでもいい。だが――、
アドルフの出身は、女王の間の天井画を手掛けた画家と同じく、王国南部である。それも、海の上が生活圏だったらしい。とはいえ漁師だったわけではなく、貿易船を狙う無法者……要するに賊の類いの人間だったというから驚きだ。
「で、だな。恋愛に疎すぎるあのお嬢さんを、俺はどうやって口説くべきだと思う?」
「恋に慣れておいでならあらかた見当はつくでしょう」
「その常套手段が通じねえから困ってるんだろうが。宝飾品を贈っても献上品だと思われるし、デートになんて誘えねえし。な、おまえ、どうやって女王を攻略したんだ。コツがあるなら話せ」
「何故あなたのような男を招いたのでしょうね、シェーン様は」
この人選だけはミスであったと思う。画家を招いたのも彼だ、と聞いた覚えがあるが、南部に馴染みでもあるのだろうか。不思議な方だ。
ともあれ海の男アドルフは庭のことなど実際はからっきし、現在も植木の手入れすらままならないずぶの素人だったりする。
それが何故庭へ配属されたのかといえば、剣の腕を買われて衛兵に所属したものの、周囲との折り合いが悪く、即日追い出された――という経緯があったから、なのだった。
「ムル、アール!」
すると、部屋のドアを開けようとしたところで背後から呼ぶ声がした。
「探したよ、ふたり揃ってどこにいたんだ?」
爽やかに整えた金の髪に、涼やかな瞳、柔和な微笑み。振り返ったムフタールはそこに立つ人物の麗々しさに目がくらみそうになる。
「ジュール、貴方こそ何故このような場所に」
美形ぞろいの王族に勝るとも劣らない秀麗な容貌の彼は、オネットの名を継ぐ三人目の賢者なのだった。
「報告せねばと思ってね。頼まれていた例の物、出来上がったよ」




