School of monster
四月八日。
淡い桃色の桜の花弁が舞い散るその遊歩道は、その木々でアーチを作るような造りとなっていた。
ただ歩くだけで心が落ち着き、だがこれから始まる新しい生活に緊張と不安と期待とが入り交じってくる複雑な気分に胸が高鳴る。
おおきく息を吸い込んだ。
――その瞬間だった。
蹄鉄が顔面を陥没させ、青年はひしゃげて勢い良く横に吹き飛んだ。咥えていたホットドッグは既に跡形もない。
公園をまっすぐ貫く石畳の軌道から反れて林の中へ。無数の枝を突き破りながら、巨木の幹に衝突する。
「くっ……」
声も出ぬ激痛。
新手の刺客か――疑心暗鬼にポケットへと手を伸ばす。
取り出したるは携帯電話。学生の嗜みで、テンキーの打術はずば抜けている青年にとって、『一一○』の連打はお手のものである。
せっかくの学ランは既にボロボロだ。
新しい街での新しい生活は、早くも幸先が悪い。
――呼び出し音が鳴り始めるや否や、応答。
「あの、もしもし――」
返事を待たずに青年は口を開くが、
「うつけがァッ!」
執拗な追跡の後に追いついた投石が、携帯電話を握る手元ではなく――その電話自体を破壊した。
折りたたみ式ゆえに、その上半分が引きちぎれる。そしてその勢いに飲まれて手元のテンキー部分さえも吹き飛んだ。
手元には凄まじい衝撃。痺れた指先をいたわるように、体の前で右手を守った。
「強き者に頼るな。弱者たりえたくないのならば、強くあれ。男の子、なのだろう?」
二股に別れる小さな枝には、たわんだ強靭な太いゴムが備え付けられている。
簡易なスリングショット――つまりはパチンコだ。
馬蹄をかっぽかっぽと鳴らしながら、やがて巨木にもたれかかる青年の前へ。
馬の肢体を持つ女性は、雄々しく後頭部で一纏めにされた髪を揺らしながら、上肢を折った。
顔が近づく。異国人のように整い、また眩しいほどに白い肌が迫った。
見慣れた制服。自身がこれから通うことになる学園の女生徒のそれを見ながら、彼は納得した。
「大したことのない怪我だ。まあいい、遅刻をしないようにな。誰であれ、遅刻は大罪だ」
――『私立モン・ステア学園』には模範生であり問題児でもある生徒会長が居る。そんな話を、そこに通っている友人から聞いていたのを思い出す。
つまりは彼女だ。
異国……もとい、異界からの留学生――『ユーリア・フラン=フーリッシュ』その人である。
「転入早々ケンカ? 困るなぁそういうの」
側頭部にうねるツノを持つ女性教諭は、コンタクトを外して眼鏡に変えながらそう言った。
自席に座りながら資料を整理しつつ、青年を蔑ろにすることなく器用に受け応えていく。
比較的広い職員室は、その半分ほどを彼女のような『異人種』が占めている。もっとも、それがこの学園たる所以なのだが……というのは、パンフレットの受け売りだ。
「いや、違いますよ」
「何が違うのかしら」
ワイシャツが小さいのか、果たしてその内側のたわやかな双丘の自己主張が甚だしいのか。ともあれ彼女は随分と男性に媚びるような凄まじい抜群なスタイルを持っていて、だがやや太り気味の下半身を隠すような長いスカートは、彼女の特徴を捉えるように白地に黒の水玉模様。
つまりは乳牛だ。
「なんか、人馬の人のおもいっきり蹴っ飛ばされて、携帯まで壊されました」
客観的に見れば賊に襲われたかのような惨劇だ。
これが、同じ学校の生徒の仕業であるならより悲惨である。
屈強な、番長とも呼ぶべき男のシルエットが自然に思い浮かぶのは当然だが、この犯人が下半身が馬で上半身が秀麗な美少女だと誰が思うだろうか。
もっとも、この学園の生徒ならば大半は自然に印象がそちらに傾くのだが。
「ああ、ユーリアさんね」
納得するように、エクレル教諭は頷いた。
「彼女は……ほら、学業も優秀だし、治安委員も務めてるからあまり強く言えないのよねぇ」
下手をすれば――いや、ヘタしなくともこれは十分に警察の及ぶ範囲内なのだが。
ともあれ、聞きなれない言葉に青年は反芻した。
「治安委員? 風紀委員じゃなくて?」
「ええ。ほら、この学園て半数以上が異人種じゃない? だから、付近の治安もそうそうよくもないのよね。姉妹校の……ほら、なんていったっけ。忘れちゃったけど、そっちなんかも九割が異人種だから、ね」
「つまり?」
「警察と協力して、学園とこの区域の治安を維持してるのよ。ゴミ拾いのボランティアとかあるでしょう? それみたいな感じ」
つまりは不良を殲滅、という事だ。
彼女が言うには、それが卒業時に内申に反映されて就職が有利になるだとか、警察とのコネが生まれるから世の中的に生活しやすくなるだとか――なんだか、ある意味で夢があふれるような利点があるらしい。
「まあ、それはそうと」
出席簿と、適当な資料を手に彼女は立ち上がる。
「クラスに案内しましょうか」
学園での新生活が、始まりを告げた。
本鈴が鳴るのとほぼ同時に教室に入るエクレルは、ひとまず転入生を廊下で待機させておく。テレビや漫画で見る限りこれが定石だし、そもそも最初から一緒に入ってきたらざわついてお話にならないからだ。
彼女の登場を知っているからこそ、このクラスは最初から皆が席に着いている。そう考えれば優秀なのかもしれないが、今度は近辺の友人とだべっているから静かだ、というわけではない。
「はいはい、みんな静かに!」
道具を小脇に挟んで両手を叩く。眼鏡を押し上げ、知的さをアピールしながら教壇へ。
荷物を教卓に置き、出席簿の該当ページを広げながら教室を見渡す。
縦に五、横に五の計四○の席が並ぶやや広めの教室。右手側には窓があり、そこから外を見れば運動場が丸見えである。今は三年生が体育の授業を受けているらしく、徒競走が催されていた。
――クラスには一部を除き欠席はないが、窓際最前列の席が空白だ。むろん、今日の転入生のための席である。
が、白々しく探しているフリをする……というのが、漫画やドラマを見てからのあこがれだった。
「えー、これからホームルームを始めるわね。もう既に知っているかもしれないけれど、このクラスに転入生が来ることになりました」
おお、と感嘆の声。
徐々にざわめき始める場をいさめて、彼女は静かに続けた。
「彼はこういった環境が初めてだから色々驚くことや大変なことがあるかもしれないから、慣れるまではあまり……ね。今朝も最初からユーリアさんに蹴りを入れられてしまったみたいだし、だからそういうわけで――」
「先生」
と、言葉を遮って手をあげた女生徒に、エクレルは首をかしげた。
「何かしら?」
「転入生が待ちぼうけているのでは」
「……ええ、そうね」
つい話が長くなってしまった。
大きく息を吸い込んで身を引き締め、頷き、扉へと目を向ける。
「それじゃ――入りなさい」
――校舎の中は、清潔さが保たれており、広く感じるようなめずらしい造りだった。
そこは四階建てでありながらも、天井までが吹き抜けていながらも、大の男が三人ほど並んで歩けるほどの広い通路がある。
一階部分が職員室などの公共施設。
二階から三年、二年、一年と順に上っていき、青年は三階部分の通路で待たされていた。
『それじゃ――入りなさい』
エクレルの呼び声に応じて、青年は胸いっぱいに息を吸い込んだ。
緊張を解しながら、扉をスライドさせた。
――緊張を表に出さぬように、飽くまで穏やかさを保ちながら教室内に。
そうして教壇まで歩き、エクレルの隣に来て正面に立ち直れば、四○人近い生徒らの注目を一身に浴びて、心臓が跳ね上がった。
「自己紹介、できる?」
肩を叩くように彼女が合図し、青年は小さくぎこちなく頷いた。
これからクラスメイトとなる連中に背を向け、受け取った水性ペンのキャップを取ってホワイトボードに名前を綴っていく。
祖父が異人種であるため、青年はクォーターである。そして命名には祖父が関わっているということから――日本人にして、名前には日本の要素が一切なかった。
踵を返し、また向き直る。
息を吸い込み、心を落ち着かせ、
「えー、ジャン・スティールです。日本人の血が殆どなので、別にあの、英語とかはあまり得意じゃないんですけど」
言葉を切って、呼吸。
――どうしよう。アピールポイントが一切ない。
「あの、馴染めるかわかんないですけど、極力頑張るんで――よろしくお願いします」
頭を深く下げて終劇。
「それじゃあスティールくん。えーっと、キミの席はぁ……」
楽しげに、窓際の席を凝視しながら何かを考えこんで、
「ああ、サニーちゃん、手を上げてくれる?」
空席の隣で、呼ばれた少女が手を挙げる。小柄な……本当は小学生なのではないかという幼さを持つ少女の耳は、長くピンと伸びていた。
「キミはその隣の、窓際の――」
『――あの世まで逝ってしまえッ!』
外から響き渡る怒号。
そして、窓の外から迫る黒い影。それが人の形をして、無防備にこのクラスへと吹き飛んでくるのが見えた。
このままでは、サニーと呼ばれた少女とその付近が危うい。
そしてその被害を著しく抑える事が、彼には出来るのだが……、
「迷ってる暇なんざねえか」
もう、朝から歯車は狂いだしているのだ。今更、どうってことはない。
――ジャンの背中に、眩く輝く陣が浮かび上がった。複雑な紋様、見たこともない文字が刻まれる、いわゆる魔方陣と呼ばれるそれは、瞬く間に彼の肉体を強化する。
全身の筋肉が膨張し、
「危ない!」
大地を弾くと、次の瞬間には突き破られようとしていた窓の前に移動していて――。
「アブねえのはお前のほうだよ」
そう声を掛けてきたのは既に窓を開け放つ、白髪頭の男であり、彼は黒い影が飛来するよりも早く、窓の桟に足を掛けて身を乗り出していた。
「んで、こいつもだよなァッ!」
全身黒ずくめの男を軽々と受けたと思うと、空中に放り投げ、彼は組んだ両手を槌のようにして勢い良く男へと振り下ろす。
彼は為す術もなく強打を受けて叩き落され――時間差も大して無く、大地が揺れるほどの衝撃が校舎に襲いかかった。
――ざわめき始めるクラス内を、エクレルの手を叩く音が再びいさめた。
「はいはい、グリームくんも自分のクラスに戻って」
そこで初めて、彼がクラスの一員などではなく、他のクラスから乱入してここまでやってきたという事に気がついた。
驚きを禁じ得ない。
少なくとも、普通の学校では無いと思っていたのだが……。
「ったくよ、少しくらいは感謝してくれたっていいんじゃねえか?」
「だって、それが治安委員の義務なんでしょう?」
「……ったく」
面倒そうに頭を掻くグリームは、桟から飛び降り、ジャンを一瞥する。
彼はいやらしそうに笑みを作ると、どこか嬉しげに肩を叩いてきた。
「いい動きだ。期待してんぞ、転入生」
――グリームの退室後、ホームルームは程なくして終了し、滞りなく授業が開始した。
理解の範疇を越えた出来事を終えたすぐ後に始まった、これから始まる前期の日程や報告をするエクレルの言葉を聞きながら、ジャンは状況の整理をしていた。
ここはまごう事無き日本であること。
そして普通の学校では魔術とか、こんな馬鹿げた身体能力は”普通じゃない”ことであり――だからこそ、こういった特殊な学園が用意されたこと。
普通じゃない者たちが集まり、この世の中に馴染んでいく……そういった趣旨であるのはここに来るまでで理解してきたはずなのだが、
(あんなのって、ありかよ?)
突如として吹き飛ばされてきた不審者。サニーが教えてくれた話によれば、不法侵入しようとしていた不審者らしい。
そして吹き飛ばしたのは、ちょうど体育の授業を受けていたケンタウロス……ユーリアだ。まずあの姿でどうやってブルマを履いているのかが気になったが、この際無視しておこう。
そしてグリーム。本名レイ・グリームで三年生。同じクラスのクラン・ハセと共に治安委員に所属。
特に目立った戦闘能力――もとい、身体能力の持ち主は治安委員に集中していて、一般生徒は異人種であっても普通の人間とそう大差が無いということだった。
配られたプリントを後ろに回してから頬杖をつく。
すると、隣の少女が脇腹を小突いてきた。
「ねえ、ジャン? この後暇?」
一度しか会話をしていないのにもかかわらず、彼女は唐突にファーストネームで呼んでくる。
まあ彼女も異人種なのだし――外人と相違ないのだから、そんな感じなのだろう。
「どうして?」
と訊いてみると、
「ここ初めてでしょ? 案内しようかと思って」
「ああ、そういうことね」
まさか、そんな親切な提案を受けるとは思いもしなかったジャンは、それを笑顔で受諾した。
「むしろお願いしたいくらいだ」
「うん、じゃあ私の友達を紹介するついでで、一緒に呼んでいい?」
「ありがとう。もちろんいいぞ」
――治安はそう良くはない。
だがそうとは思えぬほど、この学園には親切な人間が多かった。
授業が終わり、やがて放課になると集まってくる多くのギャラリーからの質問に受け答えしながら、ジャンはそう評価していた。
「なあ、どこから来たんだ?」
「えー、奈落に走る川を支配する神の国」
「神奈川かー」
ちなみに自宅はこの周辺であるのだが、訊かれない限り面倒だから答えない。
「趣味は?」
「特に無いけど、まあ適当に漫画読んだりゲームしたりするよ」
「なんで転入してきたの!?」
「ここ寮もあるから、両親が異界関係の仕事に就くから、そういう関係で追いやられた感じかな」
――まあ、結局は自宅通学なのだが。
得体のしれない、とは言わないが、三○分程度の通学路の場所に越してきた為、わざわざそこから寮に移る必要性が見いだせないのだ。
その為、既にこの付近でのアルバイトを開始している。
生活のためだ。
「ほらほら、これからジャンに学校の案内を――」
缶容器が勢い良く地面に叩きつけられるような、無神経な音を鳴らして扉が勢い良く開いた。
その音に、周囲に集まっていた者が一様に静まり返る。立ち上がり様子を伺うと、馬蹄を鳴らして教室に入ってくるケンタウロスの姿があった。
「ここに転入生が来たようだな」
恫喝するような勢いで、模範兼問題児は声を上げる。
その声に、クラスメイトはそそくさと身を引いて、道を開けた。
彼女と直線上に存在するジャン。無防備にも顕になるその肢体。
ユーリア・フラン=フーリッシュ、彼女の姿を見た途端、今朝の悪夢が脳裏に蘇った。
朝っぱらから理不尽な言動を浴びせられ、一方的に気持ちよくなって帰っていったのだ。確かに治安委員として立派に働いているのはわかる。わかるが……。
「新顔、少し面を貸せ。この学園というものを教えてやる」
「ええ、ちょっと待ってください」
静かに頷き、カバンを肩にかける。サニーを一瞥して、すまない、というポーズを取って――ジャンは脇目もふらずに窓に手を掛けた。
背中の魔方陣が眩く輝く。肉体が強化され、開け放つ窓に脚を掛けた。
「ふざけんな! そのやり方が気に食わねえ!」
怒りをそのまま中指を立てることで表現し、ジャン・スティールは三階の自分のクラスから飛び降りた。
落ちる感覚、というものはいつでも慣れず、ゆえに不快で――。
「貴様ァッ!」
怒号が聞こえる。
窓際でどうしようもなく怒鳴ることしかできないなど、結局はその程度……そう思って見上げれば、頭上には馬の身体が迫っていた。
「なっ?!」
「恨むのなら、貴様の愚行を恨むんだな!」
数秒たっぷりかけて――着地。すぐさま横転、受身をとって衝撃を逃し、立ち上がる。間髪おかず、すぐ隣で大地を踏み鳴らす轟音が響いた。
動き出すにはまだほんのコンマ数秒時間が要る。
だがその間に、今朝浴びせられた脅威たる馬蹄が振り上がり――。
「……ッ?!」
振り下ろされない。
それを許可しない。
青年の強靭な腕が馬蹄を掴み、彼女の力を凌駕したからだ。
ユーリアにとって災難なのは――本当に、それ以外の理由ではないことだった。
「くッ、くっ……」
「あんたの考えはいいと思う。あんたなりに、いい事をしているんだろう。そりゃ力でなけりゃどうしようもないことがある……だけどなあ!」
声を荒げ、ユーリアを見上げる。だが位置的に、彼女には彼が睨んでいるようにしか見えなかった。
思わず肩が弾む。
「悪いことをしたら謝れよ。お山の大将でまわりを脅してりゃ、そりゃみんな静かだろうよ。だがな、そんな統治は間違ってんだろ! あんたがいても居なくても、この学園を平和なままにしたいんじゃないのかよっ?! それが治安委員なんじゃねえのかよ!」
「べ、別に、私は――」
「つーか、もう……そんなの関係なしにおれはあんたが気に食わねえ!」
個人的な怒りだ。
それはやはり、今朝が発端だが、授業中に周りの被害も考えずに不審者を吹き飛ばしてきたことなども考えれば、治安を護ると同時に彼女は自らの行動で乱しているはずである。
馬蹄を弾くと、たたらを踏んで彼女は後退する。
すると――なぜだか、頬を紅潮させたユーリアが胸を抑えて沈黙していた。
そんな表情やらに思わず怯むが、ジャンは構わず責め続ける。彼女のようなタイプは一度徹底的にやらなければ分からない。それはこれまでの経験で理解していた。
「……ほ、法的な措置を望むぞ。今朝の出来事は」
そう言えば、彼女は過剰に胸を両手で抑え、股間を馬の尾で隠してジャンを睨んだ。
「せ……この変態め!」
「性的じゃねーよ」
「よ、よもやこの私に力で勝るとは言え、あの、貴様の……あれだ、そこらにいる不良となんら変わらん。己の主義主張を口にするだけで、その力で行使するだけで、他の者の不利益を考えん」
「おれは別に他者を貶めるために力を振るいませんよ」
そう、基本的には迷惑にならぬ限りは自分のために。機会があれば誰かのために。
むしろこういったことの方が稀なのだ。
大抵のならず者は、肉体強化があるために打破できるのだが、下手に力があり、下手に権力を持っているようなタイプはこれが初めてと言える。
「あんたみたいに負け知らず怖いもの知らずは一番危ういんだ。その為に、おれはわざわざあんたに教えてやってるんだ」
だが保身のために、もっともらしい事を言っておく。
それが彼の処世術だった。
「私のため、ということか?」
「転入生、しかも下級生が小生意気にすみませんでした。処罰ならいかようにでも」
――力が抜けたことで、自然と怒りも勝手に冷却される。
半ば八つ当たりにも似ていたが、まあ正当な怒りだったからいいだろう。ともあれ、彼女の様子をみる限り処分もそう大したことにはならなそうだから、心配もなさそうだ。
萎えた青年は落としたカバンを拾い、背を向ける。
「ああ、そういえば――」
女々しく今朝のホットドッグを弁償してもらおうと振り返ると、気配なくケンタウロスはすぐ横にまで肉薄していて、
「背に乗れ!」
伸びた手が腕を掴み上げ、強引に背中の持ちあげる。なし崩しに乗馬したジャンは、その不安定な乗り物に思わず畏怖し、ユーリアに抱きついた。
「ひゃっ……!?」
「わ、悪い……けど、降ろせ!」
「馬鹿者、どこを……いや、もっとよく掴ま……いや、抱きつかないと落とされるぞ!」
突風のように運動場を突っ切って、ジャンを乗せたユーリアは突風の如く瞬く間に学園を後にする。
景色が怒涛となって流れていく。急流なんてレベルではない。まるでロケットか弾道ミサイルか何かのようだ。
空気が流れて酷く寒気を感じる。だが抱きつくユーリアの背中越しに、彼女の胸が高鳴っているのが聞こえた。
「貴様のようなヤツは初めてだ!」
――力が上回るだけでなく、説教じみたことまでされるとは。
まったくもって屈辱的だ。
だというのに頬がほころぶ。高鳴る胸の原因は何だ?
わかっているのに答えを出したくない。
それではまるで、私はとてつもなく”軽い女”みたいじゃないか――。
「そりゃ光栄ですよ」
「なら今日はもう離さない! 私が”そう”なんかじゃないと、私のためにお前のことをもっと教えてもらうからな――」
ジャン・スティールの新たな日常は、そんな彼女の出会から日常からかけ離れたものへと変わり始めていた。