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北のまちに降る雪  作者: ことわりめぐむ
二章 奇跡
7/21

Ⅱ プライベート

 寂しい部屋だねと言われたことが、心の中まで寂しい人だねと言われた気がして少し焦った。

 慌てる必要なんて全く無いというのに




    2 プライベート




「はい、もういいですわ」

 閉じられたまぶたの外から声がかかる。


「ありがとう」

「どういたしまして」

 無意識に礼の言葉をかけると、相手もそれに返答する。

 今日は医者とその看護婦がローレン邸に数十人出入りしている。

 一つの検査に一人の看護婦が、入れ替わりローレンの世話をしていた。

 昨日の外出のせいで、風邪が悪化し朝目覚めたらベッドから起き上がれなくなっていたのを、メイドのラリサが発見し、医者を呼んだためである。

「リエシャ今、いくつの検査が終わったんだ」

 扉のところに控えているラリサに聞いた。

「まだもうすこしあるそうです」とにっこり笑って答える。ローレンの問いには答えていない。

「そういえばヴィオロンは?朝から姿を見てないが」

 朝一番に体調の不調を訴えてから、ずっと検査に拘束されていたため気がつかなかったが、静かな自分の執事がいつも控えている場所にはいなかった。

「体の調子がお悪いそうで、本日はご自宅です」

 すぐに答えが返ってきた。

 ヴィオロンは他の召使とは違い、別の場所に自宅を持っていた。

 朝ローレンが目を覚ますより早くに屋敷に出向き、そして夜ローレンが寝室に入ると自宅へ帰る。

 そんな離れている場所にあるわけではないのだが、朝早くと夜遅くまで屋敷と自宅を行き来するのは大変だろうとローレンは屋敷にヴィオロン用の部屋を用意させたが「一日中側に居れば坊ちゃまの負担になりますから」と断わっていた。

「体の調子か‥‥」

 僕と同じだなと天井を見つめて言うと「そうですわね」とラリサは、ほほえんだ。

「で、あとどれだけ検査があるんだ」

 先ほど軽くすかされた質問を、もう一度繰り返す。

「もう少しだけですよ」

 笑顔のまま次の看護婦を寝室に招きいれた。


「お疲れ様でした」

 検査がすべて終わって、ラリサは笑顔で言葉をかける。

 ベッドに寝転がって受ける検査だから、疲れはしないだろうとローレンは思っていたが、体は思っていた以上に疲れているらしくラリサに一言返してやることさえ出来なかった。

「はいるぞ」

 偉そうにノック無しで入室してくる。入ってきたのは医者だった。

「ノックして、中からの応答を聞いてから入って来い」

 入るなとは言わないだろうが、歓迎できない相手の態度に苛立ち、息を切らせながら注意をする。

「息を切らせながらでも、悪態だけは話せるんだな」

 つかつかと、横たわり天井だけを見ているローレンの視界に入る位置まで来る。

「相手に注意をするときは相手の顔を見ながら言うように」

 見下した態度で冷たく言った。

「しかし、何を不摂生な生活をしていたんだ?」

「何か見つかったのか」

 上半身を起き上がらせ、左手に注射を差し込みながら医者は続ける。

「病名は、ただの風邪だが、お前の体の抵抗力が弱くなっている」

「風邪‥‥」

 単純な病気でここまで体が痛めつけられたのだと知ると、そのつぶやいた言葉が、ショックを隠しきれずにいた。

「なんだ?ありえないと言う顔だな。今のお前は抵抗力がゼロに近い、風邪にだって殺されるさ」

 鞄の中からもう一本大き目の注射器を出すと、黄色の液体を注入した。

「これで、薬が効いている間は普通の行動が出来るようになる。これからは夜中に出歩いたりしないことだな」

「なんで知ってる」

「そこにいるラリサに聞いた。因みにこのカルテにも書いてあるぞ」

 そういってカルテをローレンのベッドに投げつける。散らばるカルテには読めぬ異国語がびっしりと並んでいた。

「リエシャ!!」

「ラリサを責めるな。貴様の健康状態と管理を知るためだ。安心しろ、何をしていたかはまったく興味がないから、父親には黙っておいてやる」

 投げつけたカルテと床に散らばった書類を拾い集めると鞄の中にしまいこむ。

「そして、一つ忠告しておいてやろう、おしゃべりなメイドは雇うものじゃない」

「大きなお世話だ」

「まぁフランス語が話せる使用人などなかなかいないからな」

 ローレンの言葉ににやりと笑い。部屋から出て行った。

 医者の名前はアウグスト・J・B。名の響きはドイツ国。だがどの種族かは誰も聞いたことがない。

 医学の勉強をフランスで学んだため、彼の配偶者はフランス人で使用人もフランス人である、秘密保持のためだそうだ。現在はローレン専用の医者となっているためこの街に住まわされている。

 この医者と連絡をとるためにはフランス語が話せないことには話しにならない。

「良かったですね。大病ではなくて」

 そのフランス語が流暢に話せる使用人の一人がこのラリサ。

 ローレンの身の回りを世話をするメイドその中で一番ローレンに接する時間が一番長い。ローレンは親しみをこめて幼少名で呼んでいた。しかし付き合いが長くても主人の心情を理解してくれるわけではなく、話す。

「大病ではないけれども」

 情けないことにただの風邪だと頭を抱える。これからこんな単純な病気でもすぐにかかり長引く、その未来を想像すると悲しくなった。

「あら、そういえば。ヴラディーミル・カールルエヴィチ様がお見えになってたのですわ。坊ちゃまは検査ですのでお会いできませんとお断わりしたのですけれども、待つといわれて」

「帰れといっても帰る人じゃないんだし、僕が出向くよ」

「では車椅子をご用意いたしますわ」

「車椅子なんて」

 家の中を歩き回るだけなのだから、そんな重病人に見えるような代物を使いたくないと言うのが彼の心情だった。

「いけません」

 ローレンに反論をさせまいと、きつくそういって部屋から出て行った。


 朝目覚めてから起き上がることが出来なかったこの体だが、今は薬のおかげで何不自由なく動けている。車椅子など用意する必要は本当に無いと思っていたが、あそこまできつく言われると反抗するだけ体力の無駄と考え大人しくラリサが帰ってくるのを待っていた。

「はいるぞ」

 医者と同じように偉そうに入ってきたのは、どこかの部屋で待っているはずのヴラディーミルだった。

「何しにきたんですか」

「いやアウグストが、検査が終わったからこっちに行けと言いに来たのでな」

「いや、そうではなくて。今日僕の屋敷に来られた理由を聞きたいのですよ」

 その言葉に幸せな表情でヴラディーミルは答えた。

「そうそう。お前にとっても、私にとっても幸せな事実を伝えに来たのだ」

 その時、窓ガラスを叩く音がした。窓から入ってくるのはスノウしかいない。

「すいませんが殿下。窓を開けてやってくださいませんか」

「窓?別にいいが一体誰がそんなところから入ってくるんだ」

 そう言いながら、スノウが以前入ってきた窓を開けた。

「あれ、ページ。なんでこんなところから入ってくるんだ」

 窓の向こうにいるスノウと目が合いヴラディーミルは驚く。

 当然の事である。

「王子様こそ何で坊ちゃまの部屋にいるの。びっくりしたよ」

 スノウもガラス越しに驚いた目をこっちへ向ける。

「どうでもいいけど、早く中に入れてよね。寒いんだから」

 スノウの背中からローシャの声の声がする。

「二人ともなんで窓から入ってくるんだ」

 ローシャとスノウが窓から入ってくるとヴラディーミルは疑問をもう一度ぶつける。

「坊ちゃまが病気だっていうから入れてもらえなかったのよ」

「そ、そぅ。だから壁を登ってきたの」

 昨夜ローレンがとっさに思いついたいい訳をうまく使いヴラディーミルの質問をかわす。この国の王子様は素直だから疑いもしなかった。

「私は入れたが‥‥」

「殿下は門前払いしても無理やり入ってくるでしょう。うちのメイドたちにヴィオロンが労力の無駄だから、やめなさいと言ったんですよ」

 現実にあった内々の話をする。そんな話をしたら、普通なら侮辱されたと怒り出すかとローレンは思ったがヴラディーミルは満面の笑みで「そうか、さすが気の利く執事だなぁ」と言った。


「そういえば姿が見当たらないが、いつもお前の隣に控えているだろうに」

「僕と同じで病気だそうですよ。本日は代わりに‥‥リ、ラリサが」

 車椅子を取りに言っているメイドの今日の身分を紹介する。

「ラリサ?あのおしゃべり娘か!聞かれたら皆に筒抜けになってしまうではないか」

 ここの家の事情に色々と詳しいヴラディーミルは名前を聞いただけで人物の特定をし、顔をしかめた。

「何か聞かれたら困ることでも?」

 ちょっとな。といってヴラディーミルはあたりを見回す。

「そのラリサ嬢は居ないじゃないか」

 そして、居ないことを指摘する。

「殿下がゲストルームに居るとの事で、僕が出向こうと思っていたのですよ。だから、移動の際に使用しようとしていた車椅子を取りにいってくれているんです」

 しかし、ヴラディーミルがここに居るのだから、それは無駄になったわけだが。そうとは知らず主人のために無駄な労力を使い動いてくれているメイドを気の毒にローレンは思った。

「坊ちゃま、車椅子でしか移動できないほど病気がひどいわけ」

 ローシャが心配そうに聞いてくる。

「ローシャちゃん。大病だったらうつったらいけないから、近寄っちゃだめだよ」

 すかさずスノウがローレンとローシャの間に入って彼女の行動をさえぎった。

「大げさなんだよメイドが。別に車椅子など必要ない」

 さきほど打った薬が効いているのか、体を動かすのにはまったく支障はなかった。車椅子は今の体からすると本当に大げさな道具である。自分の力で歩けないと言われたようでなぜか恥ずかしくなり、ベッドから立ち上がる。

 メイドが帰ってくるまでにこの部屋から出てしまえば、無理やり車椅子に座らされることなどないだろうと部屋から出る。風邪などで歩けなくなるはずがないと言い聞かせながら。

「ゲストルームに行くのか?」

 ヴラディーミルが背中に声をかける。

「ラリサに聞かれたら困るんですよね。彼女が来れない場所に行けばいいんですよ」


 ラリサは今日一日付き人に昇格したとしても、所詮メイドでしかない。付き人でも執事と主人以外のものが入ってはいけないとした部屋に案内すれば彼女は密談を聞くことが出来ないだろう。そうすれば不法侵入したスノウとローシャの存在もしばらくは見つからずにすむだろうとローレンは考えていた。

 メイドに入らせないようにした部屋。屋敷のものは「坊ちゃまのプライベートルーム」と呼んでいた。

 ここには、ピアノと数脚の椅子、そして譜面台が置いてあるだけのとても質素な部屋である。ピアノの調律を何度も合わせるのが面倒だとローレンが出入りを限られた人間のみにした。プライベートというものでもないのだが。

「なんだか寂しい部屋」

「お屋敷なのに、ローシャちゃんの家より寂しいかも~」

 スノウにそういわれたら部屋は悲しむだろう、きっと。

「ここはプライベートルームだそうだ。こいつのプライベートは、こんな寂しい心しかないって事だな。まったくなげかわしい」

 まるで自分が精神科医にでもなったかのような口ぶりでヴラディーミルは話す。その姿にローレンは「別にプライベートと名前がつくからって個性的にする必要は無いと思いますが」と口走ってしまった。

「いやいや、十分個性的だとおもうぞ」

 何にもない。すっきりしている。これが個性的と言わず何というか。とオペラ歌手のような口調でのたまうとくるっと回転し天井に向かって手を差し出した。

 何も無い空間が上向きに放たれた声を反響させる。


「この大きいのは何」

 そんなヴラディーミルの奇行は気にせずにローシャが指差したのはピアノ。

「物?ああピアノの事だな」

 誰よりも先にヴラディーミルが答える。

「ぴあの‥‥」

「そぅピアノ」

「はじめてみるわ」

 ローシャはピアノをなんとなくぼんやりと見つめている。その後ろのスノウも同じ焦点でピアノにくぎ付けになっていた。その姿にヴラディーミルがいち早く気がつく。

「あれ、ページもはじめてか?」

「僕もはじめて見る。打弦装置が共鳴箱で響く鍵盤楽器の一つだよね。本では何度か見たけど実物は初めてだ」

 説明書に書かれているような言葉でスノウは語る。その表情に本当に見たことがないのだと知るとローレンはおどろいた。

 天国には楽器はないのだろうか。

「その通りイタリアで作られた代表的な鍵盤楽器だ。見られて良かったな。じゃぁついでに天才に弾いてもらうとするか」

 ヴラディーミルがくるっと振り返りピアノの鍵盤をあらわにする。

「天才って」

 その言葉に疑問をもちスノウとローレンが同時に言葉を発する。

「ピアノは豊かな証拠になる。もっている貴族は多いが、弾ける貴族は少ない。この街の連中は練習する根性など持ち合わせていないからなぁ。お前以上の才能の持ち主はこの街には居ない」

 無理やりローレンを椅子に座らせ自分は横に立つ。

「調律はここ三ヶ月ほどしていないのですが」

「かまわん、弾け。ついでにバラードでも弾いてくれれば私の話ももっと幸せに聞けるだろうしな。それとも何か、私のことをディーマと呼んでくれるのか?」

「そんな失礼な呼び方はできません」

 ローレンが病人だということを忘れたか、それともそんな事は気にしていないのか、無理やり弾かそうとローレンが今一番嫌がる「敬称ではなく愛称で呼べ」を天秤にかけさせた。


 抵抗する事は労力の無駄だと言う事はローレン自身もよく知っていることなので、大人しく指をピアノにはわせた。

「たしか‥‥」

 バラードを弾けといわれたはずだよなぁと考える。

 音楽家でもない人間に楽譜もなしに弾けるバラードなど限りがある、思い出せる数曲の中から誰が作曲したかなどまでは覚えていない、その名さえも思い出せない曲をピアノは奏でた。

「うむぅ。確かこの曲は、ヴァイオリンが要るんじゃなかったか‥‥まぁいい。さて、ピアノの音がカモフラージュしている間に私がこの家にきた理由を聞かせてやろう」

 他人にピアノを弾かせておいて、一人話を先に進める。

「実はな‥‥昨日、かべを登ってまで手に入れたあの紙切れだが。その設計図にかかれた物は、製作不可能になったそうだ」

 どうだ幸せだろう!!!!!!と大声で叫ぶ。

「本当に自分のことがわかっておいでだな。ピアノが無ければ、響きわたってるぞ」

 騒ぐヴラディーミルの背中に聞こえないようにローレンは呟いた。

 設計図一枚を盗み出すことだけで、あのような大規模な製作が中断されるとは、昨夜苦労した甲斐があったなと、満足な気持ちがピアノを弾く表情を柔らかくした。しかし、設計図を盗んだだけなら、まだ父が居る限り何度でも描ける事だろう、いつまた復活することやら‥‥とすぐに眉をひそめる。

「じゃあ誰の目にも触れないように抹消しないと、僕らは大きな罰をうけるんだね」

 笑顔でスノウがヴラディーミルに言う。

「そうだなぁ。国家機密なんだから、死刑は確実だし、それまで死んだ方がましだと思える拷問の日々を見せしめとして大衆の前で行うだろうなぁ」

 このヴラディーミルの言葉でちょうどピアノが終わる。神秘的に聞こえるはずのバラードが最後の会話の内容で神神しいレクイエムに聞こえる。幸せな気分が台無しだとローレンは立ち上がった。

 当の二人はその様には感じてはいないだろうが‥‥。


「坊ちゃますごーい」

 一人会話に加わっていなかったローシャは立ち上がったローレンを誉めた。

 そんな普通の感想が嬉しくてローレンの口元から笑みがこぼれる。

「本当は僕の執事の方がもっといい演奏ができるんだけどね」

「そうなの。触ってもいい?」

「どうぞ」

 どうせ調律はここ最近やっていない。少しぐらい音がずれても問題ないだろうとローシャをピアノまでエスコートする。

「ありがとう」

 彼女は笑顔でピアノの鍵盤に近づいていった。

「楽器に心惹かれるとは、やはり女の子だな」

 その様子を見てヴラディーミルが言う。

「道具使ってローシャちゃんの心掴むなんて、坊ちゃまひどい」

 ヴラディーミルの肩越しからスノウが恨みの表情でローレンを睨みつけた。

「そういうつもりでピアノ弾いたわけじゃ‥‥」

「実際彼女の心は掴んだがなぁ」

 スノウの恨みの理由も知らず歓楽に笑うヴラディーミルの声だけが空しく響いていた。

 

「坊ちゃま探しましたわよ」

 ローシャがピアノから離れないのでスノウがむくれて皆をプライベートルームから追い出した後、ローレンの部屋に向かう廊下で車椅子を押しながら走るラリサにであった。

「私が屋敷を連れまわしていたのだ」

 何か問題でもと、スノウとローシャを隠すようにヴラディーミルがラリサの前に立つ。

「そうでいらっしゃいますか」

 第三王子に偉そうに言われたら、身分が低いローレン達は大人しく従うしかない、屋敷の主人がそうなのだからラリサもしおらしくなる。

「けれど坊ちゃま。外室なさるときは許可をもらってからにして下さい」

「分かった。だが、車椅子は大げさだ、今だって一人で歩けているし、大丈夫だ。それを片付けてきてくれ」

 そういうと「かしこまりました」とラリサは一礼し車椅子をかたづけに行った。いつもなら無理やりにでも椅子に座らせるだろうが、今日はヴラディーミルの手前、早々に立ち去りたいのだろうということがローレンには良く分かっていた。

「すごい坊ちゃま。本当に坊ちゃまなんだね」

 その様子を見てスノウが言った。

「お前は僕をなんだと思っていたんだ」

「えっ。なんだろうね」

 なんとも思っていなかった事を質問され回答に困りスノウが苦笑いを浮かべる。

「僕なんかより、お前の方がすごいよ」

 そんな態度に本心で思い。ローレンはスノウの方を叩いた。

「坊ちゃま?」

 手が肩に触れた瞬間スノウの表情が硬くなった。

「何だ?どうかしたのか」

 とても深刻そうなその表情にローレンは不安になり尋ねる。

「あ‥‥となんでもない」

 呼んでみただけだよとスノウは笑った。その笑い方がこわばっている様に見えるのはローレンの気のせいだろうか。


「おい坊ちゃま」

 ローレンの耳に後ろから医者の声が聞こえた。なぜ後ろからと疑問に思い、後ろを振り返るが誰もいない。いったい何処からしたのだろうかと辺りを見回す。

「俺の言うことを聞かないつもりか。安静にしていろと言ったはずだぞ」

 姿が見えぬまま、話は続く。ヴラディーミルも不審に思ってか姿を探し始めた。

「悪いが客人には帰ってもらえ。そうでなきゃ明日から動けないように薬を使う」

 今度は脅しにかかる。冗談には全く聞こえない。

「殿下。ローシャとスノウ。医者もああ言っている事ですので、お帰り願えますか?」

「動けなくされたら困るものね」

 ローシャがスノウにそう言うと、スノウは大人しく頷く。

「お前が動けないのでは、来ても意味が無い。用事も済んだ事だし帰るとするか」

 ヴラディーミルも大人しく帰ることにしたようだ。

「ねぇ王子様、手だして」

 差し出される前にヴラディーミルの手をスノウが握る。

「何だ?」

 ヴラディーミルは突然握られた手にビックリして手を引いた。突然引かれてもスノウは全く気にせず、首をかしげる。

「王子様には何にも感じられなかった」

「どうしたのスノウ」

 ローシャがスノウの少しだけ歪んだ表情と呟いた言葉を気にして声をかける。

「別に大した事無いよ。ちょっと疲れちゃった」

 乾いた笑顔で手をひらひらさせて言う。

「そう?じゃ早く帰りましょうか」

 この屋敷に入ってくるのにまずローシャを抱きかかえ空を飛ばないといけない。そんな行為がスノウを疲れさせたのだろうか?それだけじゃない気がする。さっきの笑顔も含めた疑問をローレンは抱きスノウのそばにより耳打ちする。

「何か隠してないか」

 その質問の答えはNOだった。


「坊ちゃま。無理はするな。お前が死んだら、俺は首をはねられるんだからな」

 三人を屋敷から出した後、自室に戻り窓の外をつまらなさそうに眺めているローレンに医者が話しかけてきた。

「たかが風邪ぐらいで死んだりはしない」

 馬鹿にされたものだと顔をそむける。

「まぁ。今日はこのままの状態で安静にしていろ。自室からは絶対出ようとはするなよ」

 振り向かない主に釘をさし医者は部屋から出て行った。

「アウグスト様のいうとおりですわ。私も坊ちゃまが心配ですの。今日は大人しくして、もう動き回ろうとかお考えにならないように」

 さらにラリサもローレンに注意する。

「言われなくても、もう出歩かないさ」

 窓の外を眺めているのだけが、今日の残りの日課である。

 諦めて大人しく窓の外を眺めていると、向こうの屋根の上に、人影が見えた。こんな寒い冬に屋根に登るとは何を考えているのだろうと、その姿を凝視する。

 髪が長いところや、動き方などがなんとなく女性に思えた。

 ふらりふらりと屋根の上をまるで空を漂うように歩いている、雪の積もる屋根の上はそんなに歩きやすい場所には思えなかったが、転倒したり立ち止まったりしている様子は無い。しばらく見ているとそのまま屋根から飛び立った。

「リエシャ!?」

 その様子に驚いたローレンは近くの従者の名前を叫ぶ。

「なんですか、大きな声で」

「窓の外が見えるか」

「見えますわよ、目はありますもの」

「それじゃあ、あの屋根の上の‥‥」

 といってラリサに存在を確かめさせようと指差すと、目標物が定まらない。見えていたものは消えていた。

「屋根の上?」

 首をかしげてラリサは窓に近づく。

「すまない勘違いの様だ。疲れているのかもしれないな」

 疲れて幻覚が見えたにすぎない、空を飛ぶ人間はスノウしかいていいはずがないのだとローレンは再確認する。

「静かに眠られた方がよいですわ」

 ラリサは微笑んでそういった。ローレンの寝床を整え、主人が眠れるようにすると安心してお休みくださいと明かりを消した。

 今日大人しく寝ていれば明日にはきっと元通りの体に戻れる。そうすれば死刑になる前にあの四枚の紙を処分しにいける。そう考えてローレンは瞳を閉じた。

 疲れていて眠ろうと考えれば人間眠れるものだ。瞳をとじてから数秒もたたないうちにローレンは夢も写らない暗い世界に入っていった。


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