Ⅰ 実験用
彼女をはじめてみたのは僕の父が人間として
やってはいけないことを望んでやってしまったときだった。
1 実験用
高い建物が立ち並ぶ街の中、その中でひときわ高い建物の中でくだらなそうに窓の下を眺めている人物が居た。
彼女とは見かけたと表現できる距離で出会えるはずが無い。彼、ローレンが住んでいる所と彼女が住んでいるところは果てしなく遠いのだ。
彼女とローレンが住んでいるのはアレキサンドリナという街である。物理的な距離は近いのだろうが、好き勝手に会いに行く事は許されない。
ダスキム通りという、どこの街にもある貧民屈……。ここに彼女は居る。華やいだ大通りのすぐ隣の路地から太陽の方に背を向けて歩けばたどり着く。元来この土地に住み生活をしていたが、避暑地を求め後からやってきた貴族達にここへ追いやられた者も多い。
石でできた大きな建物が太陽をさえぎって、昼間であってもほとんど陽もあたらない。影が通りを覆っている。台車を引っ張って通るのが精一杯の狭い道には働くことを忘れた大人達が毛布に包まって倒れていることもある。光をさえぎる建物は窓さえなくて、大きな大きな壁のように立ちふさがり、いかにも自分はそちら側の人間とは違う人種なのだなということを、無理やり分からせるのには十分だと思った。
当然学校も無ければ…警察も無い。窃盗、暴力、殺人、自分が生きていくためには他人を犠牲にするしか方法はなくて、この通りに住む子供たちは、それが悪い事だと知る者は少なかった。
ローレンが住むのはシャム通りと呼ばれる整備された通りである。正しい名前はライフィア通りと言うのだが、ここにすんでいる人種の人間をさして、シャムと呼ばれていた。
貴族たちが本家とは別に持っている別荘のようなもので、住人は使用人や正妻とは別の第二夫人以降、そしてその子供たち。
異常なぐらい高く立ち並ぶ建物は、趣味を疑うような装飾で飾り立てられ金持ち達の見栄の塊の象徴になっている。
このシャム通りに彼は住んでいた。
高い窓から下を眺めていると、彼の脳裏にあの日のことが刻々と思い出された。
彼は貴族ではなく、又その使用人でもない。
彼の父は科学者である。
この国の兵器開発のため、その知識を国に求められた。今ではなんでもない普通の武器も彼の父が発案したものが、いくつかある。
国王はこの優秀な科学者に何一つ不自由なことがないように、貴族より高い地位を与え、この街にひとつ屋敷を買い与えた。
ローレンはこの街で、一番高い地位を手に入れたことになる‥‥不本意だとしても。
その日、彼は最強の爆弾ができたという父の言葉に呼び出され軍用ヘリに乗っていた。
いつも見ている窓の高さよりも、もっともっと高いところでいつもより気分が良かった。
今回の爆弾が成功したら本当に世界最強なる破壊力を持っているそうで、そんな爆弾実験をいったい何処でやるのだろうとなど、彼は全く考えなかったといえば嘘になる。
しかしさほど興味も無かったので窓の外だけをずっと眺めていた。
「坊ちゃま。只今より爆弾が投下されるそうでございます。爆風により機体が揺れるそうなので、ベルトをお付けください。それから爆発時の光が目に大変お悪いそうなので、グラスを着用なさってください」
目の前で目を覆うグラスを差し出す執事の口からではなく、耳にあてた小型のスピーカーから声がする。言われるまま黒いグラスをかけ。身体を固定した。その姿を確認したパイロットが無線で「OKです」と言う。
改めて下を見下ろすと見覚えのある空き地だった。
薬物爆破実験農場。
ここの名前は父にそう教えられた。色々な薬品や爆弾をテストするためだけの場所だった。兵器が発展する前ここは大きなオレンジ農場だったことから最後に農場とつく。昔は青々とオレンジの樹が広がっていたそうだが、今は、木は当然のごとく雑草さえはえない。
本当の空き地になっていた。
相変わらずここか‥‥。他の場所でやるわけには行かないだろうがな。とローレンは呟く。
向こう側から一機のヘリがとんできた。
その真下にはロケット型の物が着いていることから、あれが爆破用なのだろう。
3
チカチカと軍機のライトが光った。
いつもと同じ実験前。
2
こちらもチカチカとライトで答えを返す。
1
これが成功したら、この国はしばらくは世界一だろう。代わりに何人の人が死ぬのだろうか。
0
軍機から爆弾が外される。ゆっくりとそれは落ちていった。
「坊ちゃま。大丈夫でございますか」
慌てた声がローレンを痛みに出会わせた。額、手、足、背中、体の全てが少しずつ痛みを訴える。
「ヴィオロン。いったい何があったんだ。体が痛い」
見ればまわりは軍用ヘリの中ではなくて、何もない地上の上だった。声をかけたヴィオロンの額は切れ、出血している。
「私も何が起こったのかよくは分かりませんが、どうやら私どもの乗っていた軍用ヘリが墜落したようでございます」
「墜落‥‥か、あまり怪我はしていないようだな。多少痛むぐらい‥‥か。それよりお前頭から出血しているぞ」
問いかけにヴィオロンは頭を抑えて傷口を確かめた。
「頭は皮膚が切れて外出血した方が安全なのです」
胸のポケットから真っ白なハンカチを出して先ほど確かめた傷口をぬぐう。白いハンカチが赤い色に変わっていった。
地面は草木もはえない実験農場である、上から垂直に落ちたようだ。
遠くに今まで乗っていたと思われるヘリが横たわっている、落ちた衝撃か落ちる前の衝撃かはわからないが、プロペラと尾が破損していた。
「助けがまもなく到着するようでございます。あそこに救助用のヘリが見えてございます」
「落ちてすぐ助けられるなんて、不思議な話だな」
あまりの手際のよさに父達がこれを予想していたのではないのかと思う気持ちが、ローレンに皮肉を言わせた。
「坊ちゃま。坊ちゃまが思っておられるほど短い時間ではないのですよ」
そういってスーツのボタンにかけてを指でたどった。
見れば、白いシャツは茶色く汚れているし黒いスーツは白くすすけていた。
ババババババと砂塵を巻き上げてヘリは僕らの前に降りてきた。
中には傷ついたパイロットが乗せられていた。傷ついていても息をしているのを確認できて、一応無事な様子である。ローレンは良かったと胸をなでおろした。 降りてきたヘリは二人を乗せると上昇していった。救助用のヘリから見た外の風景は、毎回の実験のときに見ていた風景と違っていた。
農場と言っていた場所の中央には大きな穴があいていて、爆弾の恐ろしい破壊力がうかがえた。
「農場の面積が大きくなっていますね」
ヴィオロンが言う。木々が倒れ、周りの森がかなり削られ、農場の面積は大きくなっていた。ローレンが垂直に落ちたと思った場所は元は森だったようで、ヘリは後ろに飛ばされ落ちたらしい。
「今度の爆弾はどうも思った以上に成功だったみたいだな。地形がかなり変わっているみたいだし。新しい地図を作るとき申請しないとな」
「左様でございますね」
そのときのヴィオロンの言葉はローレンには冷たく聞こえた。
遠くに、煙が見えていた。今の気まずい雰囲気を変えようとローレンが口に出す。
「あれはなんだ」
主人の言葉にくびをひねる。彼も何のものか分からないらしい。
火の無いところに煙は立たないという言葉がある。不信煙は街の方角からでていた。原因は多分あれだろうと、ローレンにはなんとなく想像がついた。
火の手は自分の屋敷からもあがっていた。
「皆逃げられたのだろうか」
ヘリの中から見下ろしているだけでは、何も分からない。
心配していることをローレンは口走る。
「坊ちゃま。使用人達はみな脱出したようです」
屋敷が燃えていること自体は、ローレンはなんとも思っていなかったが、ここにいた使用人達はどうしただろうと心配をしていたらヴィオロンが答える。救助ヘリのパイロットがそう言っていたようだ。
ちゃんと逃げ出したか‥‥とホッと胸をなでおろした。
街は炎で包まれていた。
原因はあの実験用爆弾の爆風だろう。口に出さずともローレンたちは皆分かっていた。
この結果にきっと国王は、軍は、政府は、そして彼の父は喜び踊りまくっているとだろう。この犠牲者達の事はなにも気にせずに。
ローレンの憎しみはヘリのガラスにぶつけられる。
ガンッと音がして、手からは血がにじみ出る。
「弱い体だ」
血がついたガラスの向こう側にはダスキム通りが見えた。当然そこも火の手があがっているのかと思えば、火の気はなかったものの只でさえ小さな建物が半分以上削られていた。
「これが、爆弾がやったことなのか‥‥そして、スイッチを押した父のやったこと」
何も悪くないのに、何のためにこんなことをするのだろう。ローレンの頭は父への不快感でいっぱいだった。
「ヴィオロン、今すぐここからおろせ」
主人の勝手なワガママに彼は素直に従う。
着地するのに時間が惜しかった、別に何処に急いでいるわけでもないはずだが、ローレンはヘリから飛び降りるように地面に降りた。
「彼を病院に連れて行き、それからまた僕を迎えにこい」
バババババババというヘリの音にかき消された言葉にヴィオロンはうなずく。そのままヘリは上昇していった。
「さてと」
ローレンが降り立ったのはダスキム通りの大きな噴水がある広場。
広場といっても大通りと広さの面積は変わらない。大きな噴水の周りに少し広めのスペースがあり、周りは大きな建物で囲まれていたはずだ、今では上の部分を削り取られた、低い建物が囲っている。
削り取られているのは、周りの高い建物ばかりで、噴水自体は何事も無かったかのように水を吹き上げていた。
周りの建物が無事ならば、高い建物に囲まれて、見える空はどんなものだろうとなぜかローレンは思った。
噴水の吹き上げる水越しに十字の形が見える。
「教会?」
周りの建物が削れたことで、向こうの路地にある教会が目に入った。
ダスキム通りにも教会があるのかとローレンは驚きそちらに向かって歩き出す。
小さな小さな建物は十字架が掲げてあることで、やっと教会だろうと認識できるぐらいみすぼらしいものだった。こんな所でさえも人があふれ返っていたのだろうか、あたりまえだが、今は誰も居ない。
ほとんどが逃げ出せたか‥‥死んだか。
上から見ていたダスキム通りは削られていたが、この教会はヒビが入っていたりクロスが欠けたりしているだけで、見た目にはそんなに酷いことになっているようには見えなかった。
「神が愛せたもうた領域か‥‥」
ひかれるように扉に手を当てると内側に倒れる。重い扉では無かったようで大きな音はしなかった。
見た目どおり狭い教会の中では‥‥人が居た。
人、泣きじゃくる幼女だった。
目の前には崩れた瓦礫が積み上がっている。その真上は広場で見た空が広がっているところを見ると、真上から天井が落ちてきたらしい。
天井であったそれらの下からは血だらけの手と足がでていた。幼女の幼さからして、両親の片方か両方か‥‥。
そのむごい現状に目を覆いたくなる。泣きじゃくる幼女にかける言葉がなくて、ただローレンはその姿を見ていることしか出来なかった。その額に小石が当たる。どうやら上から落ちてきているらしい。
ぱらぱらと幼女の周りにも小石が落ちてきていた。はじめはよく見ないと見落とすぐらいだったが、しばらくたつと砂のように途切れなく落ちてきている。ギギ‥‥と言う木がきしむ音もローレンの耳に聞こえていた。
何かが落ちると悟り幼女に向かって走り出す。覆い被さるように手足を張ると、歯をくいしばる間も与えずに背中に鈍痛がはしる。何かが真上から落ちてきたことと、自分の命はあることだけをローレンは痛みとして感じていた。
「こんな所にいたら死んでしまうだけだよ。早く逃げたほうがいい」
背中の何かを地面におろし、幼女を怖がらせないように優しい言葉を選んで話す。先ほどまでどう声をかければと悩んでいたのが嘘のようだ。だだ表情だけは痛みにゆがんでいた。
「ママとローシャがここに居るの」
かけられた優しい言葉に、泣くのをやめて指を指す。
彼女の指差した瓦礫のしたからは出ている腕が増えていた。
最初の手は相変わらずだったが、新しい手は微かながら瓦礫を動かそうと動いている。ローレンは痛む体を無視して動かせる瓦礫を除けだした。
助け出しても、無事とは限らない。そう思いながらも、生きるために邪魔なものを排除しようとしているこの手を助けたかった。
「ローシャ~」
いくつか天井を退けると動く手の主が姿を現した。出てきたのは泣いていた娘の姉らしき女の子。
「リーカ。無事だったのね」
泣いていた幼女はその言葉を聞くと飛びつくように抱きついた。相手の体は無事なようだ。
額に擦り傷、腕に切り傷。服は所々汚れたり破れたりしているだけでたいした損害は無い。普通なら、一緒に埋まっていた幼女の母と同じようになっているはずだ。骨折はおろか大怪我もしていないとは。
神が愛せたもうた領域か‥‥。
先ほど自分で口にだした言葉がふと思いつく。
ここは教会だ、何があってもおかしい事はない。教会という神域がおこした奇跡なのだと、無事だった少女を見て彼は思った。
「あなたが助けてくれたのね。ありがとう‥‥」
彼女の目は彼の背中に向いていた。スーツとシャツが引き裂かれ、傷つけられた背中が剥き出しになッいる。
「でも、あなたシャム様よねぇ。自分の命はってまで、ダスキムの子供なんか助けてどういうつもり。何も得することなんて無いと思うわよ」
シャム‥‥ここの地方の言葉で高貴。別格。という意味がある。
ここに居る貴族達を称して街の人間が呼ぶのだが、ローレンはそう呼ばれるのは嫌だった。自分とは違う人種なのだと思っているからだ。
貴族達は大金をちらつかせ贅沢しほうだい、自分たち以外の身分のものは人間としても見ていない。命だって売買している。金があることで何でも出来ると思い込んでいる。
しかし他者から見ればただ高そうな服を着て、ただ有り余る金を無駄に使い遊んでいるだけ、住んでいる場所は同じだし、同じ人間である、何が違うのだろうと思っている事だろう。
「確かに、あいつらなら‥‥人助けなんかできないだろうな」
する気が無いのではなく、する価値がないと真っ先に逃げ出すだろう。我が身がかわいいのだから。
「変な人‥‥」
呟いたローレンの言葉にローシャは言った。
「ローシャ。ママは?」
幼女が退けられた瓦礫の所へ行った。
足元にはさっきのままの手が落ちていた。
「ねぇママ?一緒に逃げなきゃリーカこまっちゃうよぅ」
指を引っ張って下から引きずり出そうと努力しているのが分かった。でも反応は無い。
その姿にローシャが声をかける。
「リーカ。ママね、先に行っててって言ってたわよ」
暗い顔をした彼女は、幼女の手を引いて歩き始めた。
「あなたも早くここから逃げたほうがいいわよ」
ただ立っているローレンの横を通り過ぎるとき、彼女は言い残した。
「ありがとう、そうするよ」
手を引かれている幼女がローレンに手を振る。
ローレンもつられて手を振っていた。
‥‥とここまでが、ローレンが彼女に会ったその日の出来事である。
あれから、一ヶ月ほどたっていた。爆風でぼろぼろだった街も国からの資金援助でほとんど元通りになっている。
ローレンの父達は、この爆風の原因を誰にも話すなと堅く口止めした。隠しとおすことにしたようだ。表向きの原因は、季節風の変化ということ、全くありえない言い訳に、国民はなぜか納得していた。何も言わず、援助だと街の復興に力を注いだ人物として国王の支持も上がり、国王としてはこのまま内密のままで都合が良いのだ。
しかし一部の貴族達の中では、隣国の元素実験の失敗だとか、戦争の始まりだとか噂はされている。
もう少しでばれるのかもしれないなぁとその噂を耳にするたびに、ローレンは期待していたが何も変わらない。
それよりも、彼女はどうなっただろうか?
瓦礫に挟まれたはずなのに、擦り傷程度ですんでいた。普通なら死んでいるはずなのに。神が愛せた領域で、彼女の母親は同様な目に会い亡くなっている。そうなると彼女個人が神が愛せし者なのだろうな‥‥と思わずにはいられなかった。