Ⅲ 与えられた人の罪
知っていたかその意味を
知らぬとは言わせないその罪を
攻められる声は無いけれど、僕自身の心は常に何かにおびえていた
3 与えられた人の罪
隙間から差し込む光をほとんど遮っているため昼であろうと、明かりを付けなければ安全に歩けそうにもない。
こんな場所に一生来るつもりはなかった空間に立ちローレンは父を探した。
研究室に隣接された父個人の部屋。
アレキサンドリナに屋敷を持ってからも、ほとんど自宅には帰らずにどこにいたのだろうと気にはなっていたが、こんな所でひきこもっていたのかとため息が出る。
足の踏み場もないぐらい部屋のいたるところにものが、散らかっていた。
ほとんどが、大きな羊皮紙に書かれた図面。その図面を組み立てれば何になるのかはローレンは知らない、だが間違いなく兵器であろうと眉をひそめた。
奥に階段があるのを見つけると、図面の山を蹴散らすように進んでいく。
下の階にくだるために作られた階段は螺旋状で、足を下の世界に下ろすたびに回転する世界に気分が悪くなっていた。朝と昼とに出血したせいで貧血になっているのだろうかと考える。
処置をしたラリサは大人しく寝ていろと注意をしていたが、ローレンはどうしても父親に確認したいことがあった。
アウグストがスノウの兄で天使様なのであれば、父はマーロと接触していたはずだ。
本当のアウグストとは、今と似ても似つかない、そんな人間をなぜ誰も疑問も持たずそばに置いていたのか、父は知っていたのではないのだろうか。
薄暗い倉庫みたいな地下室で血まみれのシーツが目につく。
「いいざまだな」
そこに寝かされていたのは、ローレンが探していた相手。科学者である父。
シーツの血は、今朝がた自分が吐き出したものと同じであろう。同じ病気を患っているだろうと思われる自分の未来の姿に嫌味を言う。
吐き出す呼吸は荒々しく、開いた瞳はどこを見つめているかさえ分からない。まだ、動き回れるだけ自分は軽傷なのかもしれない。
こんな状況で会話など出来そうにもないが、息子として聞く権利を無理にでも行使しなければここから地上に出られる気がしなかった。
「アウグストの正体を知っていたよな」
父は何も答えない。
「爆弾はあいつらに教えられたのか」
「ば‥‥く‥‥弾。マーロサマ」
「マーロ?」
スノウの兄の名前がそうだった、爆弾といってその名前がでると言う事は、間違いない。
「今度は、セイコウするから、設計図を返してください」
「返して」「今度は」を繰り返しつぶやきながら父は空をかきむしる。
その内容でなんとなく想像がついた。
「なんで、天使の悪巧みになんかそそのかされたんだよ」
天使に悪だくみがあったのかは知らない。ただ、今、父がしている行為は決して正しいとは思えなくて、こんな結果になったのは、誰かにそそのかされたとしか思えなかった。
「エレー‥‥ナ?」
「母さんじゃない。僕だ」
突然、父が母の名前を呼ぶ。
天使だったり、母だったり、もう相手を認識することはできないらしい。
「ローレン‥‥」
結局何も分からないまま。
生きていることが有害としか思えない。死んでからも何も有益を満たさない。存在が害だ。
そのように思っていたはずなのに、思いとは裏腹に、涙が止まらなかった。
こいつのせいで人は苦しみ、死ななくていい人まで憎しみの餌食にしてしまった。母親も父のせいで居なくなったと言うのに、最後に自分の名前を呼ばれて意識をなくしたのが悲しい?
オカシイ。
憎いはずなのになんで涙が出るのだろう。どうしてもう一度目を開けて言葉を交わしたいと思うのだろう。
「父さん‥‥」
まだ温かいが動かなくなった手を握る。手はまだ温かいが動くことはなかった。
ローレンに纏わり着くように光が地面から湧き出していた。
手が微弱に動いた。まさかと思い顔を上げて言葉を詰まらせた。
「と‥‥アウグスト」
自分の手を握り返しているのは、病気に臥せっていた父親ではなく。姿かたちも全く違う自分の主治医。
これで新ためてアウグストの存在が理解できた。
スノウの姉と同じ現象。
彼らが存在するには死体が必要だ。
「お前、やっぱり天使なんだな」
涙を流した瞳のままでマーロに向かってそう呟く。
「久しぶりに会って、そんな言葉はないだろう?」
「数時間ぶりだ」
涙を拭きながら、正確な時間を伝えると手を握りしめる。相手を逃す気はないからだ。
「とりあえず‥‥、なんでお前がここに居るのかを確認したい。それから父の話をしよう」
設計図一枚で開発がほぼ中止になったのは、こいつらが取り上げたからだと予測を立てた。父に聞けないのなら、こいつに確認するしかないと、相手を睨む。
「おまえが父を思ったから、それでここに居られる」
「父なんて、思っていない」
亡くなった父が居なくなってさみしいと一瞬でも思ってしまったのが恥ずかしくて、全否定する。
「思ったさあ。涙を流してただろ。天使は人が死ぬと、その亡くなった人を思い焦がれる人間の想いで地上に来れられる。道が分からないのを人間が教えてくれるんだよ。ただ、不安定だからその死んだ体を借りる」
「スノウは、トナカイって」
「スノウは別の方法で来たからその方法を知らない」
「俺は上手い具合に坊ちゃまの想いを見つけたんだ。隠してもバレバレなんだよ」
坊ちゃまはちゃんと父親が好きだったんだなあとアウグストは頭をなでた。
なんか、アウグストの性格が丸くなっている気がするのは、気のせいだろうか。
「‥‥では、設計図はなぜ?」
「何故博士に設計図を渡したか?って‥‥ことか。誰でも良かったんだよヒューイックは」
「ヒューイック?」
「俺の半身。あいつは俺と違って頭が良すぎてね、色々考えたんだ。
人間はほっとくとあっという間に増え続ける。死ぬ人間よりも生まれる人間のほうが多すぎて、魂の循環も追いつかない、それに他の循環にも悪影響を及ぼす。砂漠を広げたり、他の種を絶滅させたり。山を崩したり、海に穴を開けたり。バランスが崩れるんだよ。そうなれば‥‥」
「神が目覚める‥‥」
『父はこの世界に与えられた供物だよ。眠りを妨げて目が覚めたら、暴発する』とスノウから教えられた言葉を思い出す。スノウの説明では、目が覚めたら暴発すると言っていたが、今回の仮定は、暴発する直前に抑えられなくて目が覚めるという内容だ。
どちらもそんなに大差はないのかもしれないが。
「知ってるのか‥‥神の存在意義を。どこかが壊れるぐらいなら問題ないが、下手すれば何も残らなくなり。全てが消える。だから神を起こさないように昔から人間を適正な数に間引いているんだよ」
「まび‥‥」
「人間には知識がない。だから兵器を与えた。優位な武器を持つと権力者はすぐに使いたがる、まあ驚いたのは、博士は人間の中では優秀なほうで、実験段階で破壊力が俺たちの計算を超えてたことだな。おかげで、こちらの人数も若干少なくなった」
「そんな事許されると‥‥」
「人間の本意が変わらないから、いつまでも同じななんだよ。兵器を与えたのは初めてじゃない。坊ちゃまが生まれる何千年も前から俺らは同じ事をしてきた。人間が変われば、それを貰ったとしても戦争になど使わないだろ。兵器として渡しても、使う人間が兵器として認識しなければ、俺らの計画は遂行されない」
マーロの説明にローレンは絶句する。所々に意見は持っていたが、話を聞けば聞くほど反論はできない。
「今回だって現に、爆弾の設計図だとはいったが、兵器だとはなんとも言っていないし、軍人にも渡してはいない」
マーロが冷たく言った。
思い出せば父は、もともとポーランの人間ではなくて、軍の科学者でもなかった。
山奥で、放牧を主として生きていたローレン一家の安全と利点を考え、父はまずは獣を追い払う機械を造っていただけだ。部品を買うために山を下り、気がつけば、発明品を売ったお金が生活の主になっていた。造っては売りに行き、新しい部品を買い、また売りに行く。それが次第に留守がちになり、気がつけばアレキサンドリナに屋敷を持っていた。
「勝手に軍人になったんだぞ、あいつは」
父は、天使が思ったとおり昔から全く変わらない愚かな人間だった。
「あいつじゃなかったら、こんなことには‥‥」
「俺達は、ただの人間に与えたんだ」
マーロは先ほど言った言葉をもう一度繰り返す。
「嫌、やだ離して」
「僕は、僕は知らなかったんだよ」
嫌がるローシャをスノウが捕まえる。
「そんな事分かってる。分かってるけど、どうしたら良いの?あなたはお母さんを食べたのよ」
「そうだけど、そうなんだけど。だからって僕から逃げてもしょうがないだろ。兄さんはローシャちゃんを殺そうとしてる。僕はローシャちゃんを殺したくなんかない」
「でも‥‥」
「僕は君のお母さんを知らない、そんな気持ちでいるから君に拒絶されても仕方ない。でも他の誰でもない君だけを助けたいんだ」
逃げ出そうともがくローシャを納得させようとスノウは説明をはじめた。
「他の人間はどうだっていい、君だけは生きてて欲しいんだ。
だから‥‥地上に帰ろう‥‥」
抵抗する力は弱くなる。
「さっきと一緒、ベルゼブを探して」
ローシャはうなづいて目をつぶった。
ベルゼブブを思い、地上に帰りたいと願う。
「捕まえた」
ベルゼブブの気配は確実に捕まえた。
ローシャの想いに彼も答えてくれたからだ。
両目を閉じれば姿が見える、懐かしいダスキムの路地が見える。
手を伸ばせば届くような距離にベルゼブブが見える。
捕まえれば帰れる。そう思って手を伸ばした。
「なんでだよ。何ではじかれるんだ」
もうすぐ帰れるというのに、もう少しで届くというのに、弾かれるようにスノウとローシャは空に飛ばされた。
先ほどヒューイックと争った場所ではなくて、クアスが倒れている場所まで移動していた。
「クアス‥‥」
死んだように気を失っている片割れにスノウは言葉をかける。相手の返事は無い。
「もしかして、君が呼んだの」
腐った翼で先に行けと逃がしてくれたクアスが今更呼び戻すとは思えなかったが、もうすぐで地上に帰れるはずだったのに失敗した理由が考えつかなくて、スノウはクアスに問いかける。
もちろんクアスの返事は無い。
クアスの翼は元に戻っていることにスノウは気がついた。
「もしかして一人になれば力が増すのかな」
ただ元に戻るにはクアスの意識が戻っていないため、結論としては無理である。ここでクアスが目が覚めるまでの時間を費やすよりも早くヒューイックから逃げ出す方法を探すほうが大事だ。
「耳は痛まないか?目はかすまないか?胸は苦しくないか?」
以前部屋で聞かれた言葉をもう一度質問してきた。
「前も同じことを言ったな」
「まだ症状が出ていないかもしれないが、これがお前の冒されている病気だ」
アウグストは自分に指をさして言った。自分ではなく器の父の状態の事を指して言っているのだろう。
「知って‥‥」
顔を合わせれば風邪の診察しかして来ない偽医者だと決め込んでいたローレンには今の症状告知は驚きを隠せない。
風邪で耳は痛まないし、目がかすむだなんて聞いたことが無い。
直感的に知っていたんだと悟る。
ラリサに血の処置を説明していたのも、分かっていたからだろう。
「偽者の身体に入っていても、俺はお前の医者だったんだぞ。それぐらい知っては居たさ。原因は爆弾の原料だ。あの実験の日その場に居た人間が一番冒されている可能性は高い。俺の命がもう少し長ければ、坊ちゃまだけは治してやりたかったんだかな」
「命が長ければ?天使なのに死ぬのか」
マーロは腐り果てた翼を見せ付けるように背中を向ける。
大きな鳥の翼だったものが、赤黒く汚れて異臭を放っていた。
「死ぬ‥‥っていうのは適切じゃない。消滅するんだ、だから消える前に坊ちゃまにお願いがあっておりてきた」
「願い‥‥」
「人間の想いは強力だ、俺たちが居た空と呼ばれる別の世界に道を作り上げる。兄としてお願いする。スノウを地上に下ろしてやってくれ」
「道なんて‥‥どうやって」
「簡単だスノウとあの子の事を考えてやればいい。手を差し出せば帰って来れる」
どうしてベルゼブブの意識が途切れたのだろう?とスノウは首をかしげる。
もう一度探すが、よく分からない。一体どこへ行ったのだろう。
「スノウ」
ローレンの声が耳に届く。
「坊ちゃま‥‥」
不意に漏れた言葉にローシャが反応する。
「坊ちゃまがどうしたの?」
ローシャは多分ローレンという人間に想いを寄せているはずだ。その気持ちにわざと気づかない振りをしていた、だから、ローレンを意識の中からわざと除外していた。でもこっちから探さなくても、向こうから道を作ってくれた。
このチャンス、逃す必要は無い。自分の個人的なわがままで、ローシャの命を危険にさらす必要は無い。
地上に逃げれば、助かるのだから。
「ローシャちゃん、坊ちゃまが呼んでるんだ。坊ちゃまのトコに帰ろう」
ローシャが嬉しそうに頷くと、持っていたスカーフから光が滲み出す。
太陽の光を浴びて明るいはずなのに、目視できる別の色の力が二人に絡みついた。
「リブジスティス。帰り道だ」