Ⅱ オリジン
今まで二人だったのが気楽になっただけだと
二人で支えていたものが、一人で抱え込まなければならなくなったからだと
体調不良の言い訳をしていた
だから助けを呼ぶ必要はなかった
2 オリジン
「スノウ!スノウ!!」
ぼんやりするクアスに先生が呼びかける。
「クアス。スノウの名前で呼ばれているわよ」
先生に聞こえないように、セレンがクアスにいう。
「あ‥‥あっごめんなさい。何でしょうか」
我に返ったクアスは、スノウの口調で返事をする。たった数日でなれたものだ。
「スノウ・クアス最近調子が悪いようだな、毎回満点だった地上学のテストも最近‥‥」
そういって、あまり良くない数字の書かれたテストをクアスに渡す。
「スノウ、私は君に期待しているのだよ、クアスにはまったく期待はしていないのだがなぁ」
「本当にごめんなさい。最近まったく地上に興味がなくなったもので」
申し訳ないという表情をし、うつむく。
「興味とかの問題ではないと思うのだが」
「はん。じじい。地上学なんてできなくても、別に困らねえよ。興味がなくなったら点数下がって当然」
下を向いたままクアスは先生に聞こえないようにつぶやいた。
「それに最近、疲れやすいみたいな感じなんです」
「それはいかんなぁ。さぁ、今日はもう自室に帰りなさい」
目の前の教師に表情を読み取られないように、下を向いたままつぶやくように吐き出すと、相手はクアスを気遣って休むように言った。
「あっずるいのクアス」
これから教師と二人っきりになる姉は、教育の現場から逃げ出す弟をうらやましがる。
「うるさい調子悪いのは。スノウ」
「気をつけてね、クアスとスノウ」
「ありがとう、姉さん気をつけるよ」
クアスにセレンがいった気をつけてねという言葉には、二つの意味があるように思えた。
「気にしすぎだぜ、姉さん方」
部屋からでたクアスの顔は苦痛に耐える表情だった。
まったく正反対のスノウとクアス。それは性格だけではなく、同じ肉体を共有していても、体力も若干違いがある。もともと体力があるほうだとはいえないスノウの調子がおかしくなったのは、地上の環境のせいだとスノウ本人は考えていたが、クアス自身は違うという原因がわかっていた。
「早く戻って来い、スノウ」
クアスがもらした音のない声は‥‥相手に聞こえるはずもなく、クアスはそのまま廊下に倒れこんでしまった。
「どうしたのスノウ?」
ペンをにぎるスノウの手が止まったことに、ローシャが疑問に思う。
「ん?別にたいしたことじゃないよ」
「うそつき。そんな感じの顔じゃなかったわよ」
ローシャが、スノウにおこる。
大好きな彼女にうそつきと言われたのがショックだったのか、聞いてほしかったのか、スノウは苦笑いで「しょうがないなぁ」ともらした。
「空にいる、僕の兄弟の声が聞こえた気がしたの」
「なんて?聞こえた?文字で書いてみてよ!!」
読めるかどうか、テストも兼ねて!!とローシャが彼に言うと、スノウはスラスラと文字を黒板に書いた。
「何も‥‥ききとる‥‥無い。何も聞き取れない」
黒板に書かれた言葉は何も聞き取れない。
この内容は、もちろん嘘。クアスがスノウを思ってつぶやいたあの言葉は、ちゃんとスノウの耳に届いていた。
とても辛そうに響く声。
「すごいね。正解」
「でも嘘ついてるような気がする。教えたくない内容ね?」
声は笑っていてもローシャの瞳は怒っていた。怒りをかわすようにスノウは無理に笑顔をつくる。
「ほんとだよ。第一空耳かもしれないからね。僕の兄弟は独り言をいうほど弱くはないよ」
そういうスノウの言葉をまだ信用しないローシャは疑いのまなざしを向けていた。
「さぁ続き。時間がなくなるだろう。ほら太陽がかげってきた」
右の窓からは赤い夕日がさしていた。
目が悪くなるからとスノウはローシャに勉強を教えるのは夕日が落ちるまでといった、その約束を思い出 させるように、太陽という言葉を使う。
もともと、教えるという立場になりたいと思って、本を読み漁っていたスノウなので、自分に教師たちがどのように接するか、から教える行為を学んでいた。
自分が教えてもらったとおりに、ローシャへ教える。ただ。自分が教えられたものと、今教えているものは全く違うけれど。
「また、はぐらかす。ま、いいけど。でも今日はもうおしまい、やる気がなくなっちゃったもの。ご飯作るわね。ベルゼブかたづけといて」
わんっとベルゼブブがベッドに上がり、今まで使っていた黒板をくわえどこかに持っていく。
「それが終わったらカギ閉めといてね」
ローシャが言うと賢い愛犬は部屋を出て主人の命令どおりカギをかけに走っていった。
スノウは、外で倒れてから数日経つと、ベッドから出ることが少なくなっていた。寝て起きて勉強を教えて、食事して、また眠る。そんな日が続いていた。
動けないわけではないけれど、初めてここに来た時みたいに、体が軽いわけではない。
空に帰らなければ、いけない日が近づいているのだと思う。
帰るのならば、一つ‥‥スノウは聞いて見たいことがあった。
「ローシャちゃんは僕の事好き?」
「うん。大好きよ」
何のためらいもなく笑顔でそう答える。
スノウの顔が横の皺でいっぱいになる、心からニヤニヤがこみ上げて仕方ない。
「ワンワン」
幸せな気分を犬の声が遮った。
「ローシャちゃんは僕の事が好きなんだっていってる。決め付けてるよ偉そうに」
「あら、わかってるのねベルゼブ。ベルゼブの事も大好きよ」
「え?」
スノウはローシャの言葉に驚いた。
「ベルゼブの事も‥‥て」
「スノウもベルゼブも大事な家族ですもの、大好きに決まってるじゃない」
「家族‥‥ね」
言葉にはかなりショックではあったが、とりあえずはそれでもいいかとその身分に満足してみる。
「でも、ヴラディーミル様も面白いし好きよ」
家族では無いけれどもとローシャは続ける。
「じゃあ坊ちゃまも?」
「坊ちゃま‥‥は」
ローシャはうつむいて考え込む。
手は、髪に結んであるスカーフへ向かう。
「わかんない」
明らかにほかの人とは違う態度にスノウは表情を曇らせた。
「ちっ。この体も限界か」
アウグストはわき腹からにじみ出ている、どす黒い血を見てつぶやく。
「おやおや、マーロ‥‥いやアウグスト先生とお呼びした方がいいのかな」
真後ろにアウグストと同じ姿の男が立っている。
金色の髪、金色の瞳。違うのは表情と服装だけで、彼らは全く瓜二つであった。
「俺をバカにしに来たのかヒューイック」
「いいえ。そんな事は無いですよ。そろそろ限界かなぁと思いまして」
張り付いたような笑顔で白衣をめくりあげると、アウグストの寛骨あたりの肉が腐り、茶色に固まった血で汚れた背中があらわになる。
「寒い土地だ、まだもつだろう」
隠すように白衣を引くと、ヒューイックが手を離す。
「まぁ、限界なのは、そちらもですけど」
二人の目の前には、ローレンの父がベッドに横たわっていた。
目は開いているが、こちらを見ない。
ただ天井を見ながら、「今度こそ成功するから」と繰り返しつぶやき、震える左手で何かをつかもうとしていた。
「それにしても、面白いものを持っていますね」
「‥‥」
『アジーン』と赤い文字で書かれた小瓶をマーロの胸ポケットからつまみあげた。
「毒に名前をつけるなんて、不思議で興味深い」
無駄な事をさせればかなう相手が居ないでしょうと馬鹿にして笑う。
「こんなもの作らせてどうするつもりだ?」
「別に、作れとは言ってないですよ。あなたに『作り方を教えて差し上げてください』と言っただけではないですか。
それよりも、せっかく勝手に作り上げた物を引き上げてくる貴方が不思議ですが」
ちょうど真後ろに同じ姿をしたマーロが立つ、馬鹿にした笑みを張り付けたヒューイックとは違い、その表情は全く別で眉はひそめられ、瞳は憎々しげに半身を睨んでいた。
「お前の選んだ、セーヴァは天才だ。お前が渡した4つの物のの内、3つも作り出した」
「そして実戦に使用した、ですね。いい事でしょ」
「‥‥」
ヒューイックの言葉に表情を変えるわけもなく、ただ沈黙を続けるマーロの耳元で「いい事だろ、マーロ」ともう一度冷たくヒューイックは言った。
「おまえが気にとめる必要はない。私たちはただの人間に教えてあげただけなのだから」
『アジーン』ヒューイックがセーヴァと言う人間に与えた4つ目の物。
害虫駆除に使えるだろうな‥‥との言葉とともに贈ったそれは赤い血の様な毒薬。体内に吸入し時間がたてば命は消える。セーヴァはそれを濃度を薄めて霧のように散布した。
吸い込んだ虫に蓄積されるように。
農薬として考えだし、使用目的は作物に集る虫の駆除だったのだが、虫たちに使用する前に気がついた。
濃度を薄めずに、むしろ凝縮すれば、人間にも害意を及ばす兵器となるだろうと。
軍に出入りするようになってから、すぐにセーヴァは一度実験を行ってみた。その結果、一つの館から人が姿を消した。
確認のためマーロが見た物は、地下室へと続く廊下や部屋で、喉元をおさえた人間が倒れたまま息をしていない事。
発生源の地下室から、外に逃げたそうとして途中で絶滅した様子だった。
「すばらしいですね。セーヴァ様」
誰が言ったか分からないその一言にセーヴァは汗をかきながらも口元に笑みがこぼれる。驚いたような表情だが、「素晴らしい」その言葉に酔っているかのようにも見える。結果は満足だっただろう。
マーロは気に入らなかった。
その表情もそうだが、何よりも実験場所が一番納得いかない。特書な場所を与えられなかった所為もあるだろうが、結果を焦り使用したのは自分の屋敷。
唯一の肉親を頂点に住まわせる場所。
安全な区域に息子を置いて、使用人をモルモットとして利用するその考えにどうしても賛同できなかった。
「もう少し濃度を上げてみればどうなる」
耳を疑う国王の声が聞こえた。
地下室から地上に上がり、玄関近くまで逃げ出した死体を見て思いついたのだろう。即効性を上げれるのかの問い。
王がその成功を認めた以上、もっと適した場所を提供されるだろうが、この犠牲の成功は気に入らない。
「実戦使用まで預からせてもらう」
提供者の返せという言葉に反論させず、実験すべてを回収し出来上がったものをセーヴァから没収した。
その毒薬をヒューイックは楽しげに持っている。
「結局、何も変わらなかったぞ。人間は」
医師は、無表情に患者を見つめ、つぶやく。
「今回も、高度なおもちゃを与えても、使いこなせなければ意味がないって事は分かりましたから、これはこれで満足ですよ」
「爆弾ぐらいだな、有効だったのは」
「あれは、あれで使えなければ意味がない」
実験段階では、予想外の破壊力を生んだ爆弾。使用するのであれば、友軍に被害を及ばしてはいけない。
自爆するなら何も考える必要はないが、その必要は全くない。
兵力を爆撃で削いで、一気に攻め込み制圧する戦法では、こちらの兵力を削いではいけない、実戦投入するのであれば、被害が及ばない距離へ発射する技術か、爆弾の規模を緩める方法かの判断が必要となった。
発射技術はまだ未熟で開発途中。貰ったものを、作成図通り組み立てた科学者は、そもそも原理が理解でいないため、規模を縮小する方法が分からない。よって、爆弾の使用は、現状は見送る形となっていた。
「ま、どちらにしても、君も限界な様ですし、新たな助言も要らないでしょう。もうすぐ命も尽きてしまうようですからね。新しい実験をしてみますか」
「何を考えついたんだ今度は」
「強制的な天使の作り方」
「はぁ?」
「まだ仮説ですけどね」
そう言ってヒューイックは笑った。
その笑顔に医師は眉間にしわを寄せた。
「天使が地上に降りてはいけない理由。それは、混乱を招くから」
異質な姿に、存在に、人間たちは混乱するだろう。
考え方や知識も空の方がはるかに上だ。
「そしてもうひとつ天使が地上に降りてはいけない理由。それは、地上では死んでしまうから」
天使は空だと永遠に生きる。それを生きると表現するのが正しいのかは分からないが、マーロ・ヒューイックは何百年も人間が、繁栄し滅んでいくさまを見続けていた。
ただ見ていた時もあるし、一緒に守ろうと努力もした。時には自分が間接的に手を下した。
天使も色々調べてみた、空では二人一緒だった存在が半分に分かれ、不安定な存在になっているのも見ていた。
天使たちが何ヶ月も不安定なままで人間の世界に居ると、消え去ってしまう姿も何度か見た。
いろんな存在を犠牲にしたことで、人間の思いを媒介にし、人間の屍を手に入れる方法で存在を保護する方法を考え出した。
人間の思いの塊をリブジステイスと名付け、人間のそばにいられる時間が長くなると、今まで間接的に人間と関わっていたものが変化する。
ただ、よくわからないのが自分たちの存在意義だ。
何年たっても滅びない体、ただ蓄積されていく知識。
この世は、自分たちに何を求めているのだろう。何をすればいいのだろう。ただ、それだけが分からない。なにをすると決められていないのであれば、咎められるまで好きなことをしようと考えた。
そのために、スノウが必要だった。