Ⅲ ヨンバンメ
伝えた言葉が正しいわけではなくて。
伝えたい言葉が思いつかなくて。
3 ヨンバンメ
「やっと誤解が解けたか」
「もともと誤解などありませんでしたよ」
「じゃあ何故拘束など。それに、私の面会が拒絶されるのは納得できんが」
そう言われて気がついた、ヴラディーミル王子はローレンが牢に入れられてから一度も面会に来てはいないのだ。
連日客人が詰めかける事ができたのにもかかわらず、一度もあの待遇を目の当たりにはしていないのである。
「殿下が騒ぐからですよ。みんな怖がったんじゃないですか」
本来の理由など知った事ではないが、いまさら探るつもりも無い。
「茶化すな」
「申し訳ありません」
「まぁ、お前が無事ならば問題は無い。お前に何かあったらページやダスキムのお嬢さんにに合わす顔が無いからな」
「スノウはページではありません」
前にも言った言葉を繰り返す。無駄だと分かっていても。
「‥‥ふ」
ヴラディーミルが噴出すように笑った。
「何も変わってないようだな、元気そうで安心した」
「数日監禁されたぐらいでなんともならないですよ」
あれは監禁と呼ぶのかどうかは分からないが、ヴラディーミルに要らぬことを考えさせぬようにそう言って笑顔を作った。
「私は少し疲れたがな」
そんなローレンの笑顔を確認すると、節目がちにため息をつく。
ローレンが牢でリサイタルを行っている間、そんな待遇を受けているとは知りもしないヴラディーミルは気が気ではなかったろう、無茶な行動は起こせない、ローレンはほおっておけない、そんな考えの葛藤で疲れているに違いない。
「‥‥殿下。ありがとうございます」
「悪いと思っているならば、ドレスを着ろ」
満面の笑顔でヴラディーミルが迫ってくる。
「嫌です。それによく考えたら、私のせいではなく、事故です」
ドレスという言葉にすばやく反論し、近づくヴラディーミルと同じ歩幅で後ろに避難する。
だが部屋は限りがあり終点にたどり着いたところで短い鬼ごっこは終わりを告げるとヴラディーミルが胸元に銃を押し付ける。
「こんな物騒なもの」
押し付けられた銃をそのまま両手で押し返してローレンは恐れた。
「物騒じゃないぞ、相手に向けて引き金を引いたら、相手は眠りこけるだけだ。平和を愛する私としてはすばらしい護身銃だろ、お前は自分の事さえ守れないのだから持っていて損失は無いと思うが」
「殿下の身は何で守るのですか」
銃は自分の護身用のために持っていたと思われる、それを従者に渡すなど。
「お前が守れ、足りない分は剣さえあれば問題ない」
剣があれば自分は不要の気がするが‥‥とローレンは口には出さないで、静かに王子の言葉に従った。
「付き人が開放されたらしいぞ」
「そろそろ帰国するのではないのか」
「二人になったらこちらは不利ではないか」
「だから早急に対応しろと」
湿り気のあるレンガの壁にランプが光をともす。薄暗い部屋で男が口論を始めていた。
頼りない明かりに映し出されたのは、綺麗とはいえない身なりの男達。
「大体、誰かが付き人など狙うから、計画が狂うんだ」
「しっかり止めをさせなかったのが失敗だったのだ」
「あのタイミングで仕掛ければ、分散できたかもな」
誰が何を発言しているのか分からない、まとまりの無い罵りあいが大きくなる。
「彼が開放されたのがいいタイミングなのですよ」
ランプの光が届きにくい隅のほうから、男が現れる。
さして、大きくないのに通る声が、ざわついていた男達を静かにさせた。
金色の髪に、口元だけが見える仮面を着けているため表情は見えない。穏やかな声色が、嫌な気配を漂わせていた。
「またお前か」
一番近くにいた男が、胡散臭そうに振り向く。
「お前には関係が無い」
別の男が声を荒げて壁を殴った。
「まあまあ、ポーランの二人組を片付けたいと考えている分、あなた方と同じでしょうと前にもいいましたが」
口調は変わらず、仮面の男は続ける。
「俺らは仇を取りたいだけだ」
「でしたら、やはり王子よりも付き人があなた方の憎しみの対象となるのだから」
「どういう意味だ」
「あの兵器を作ったのはあの者の父です」
男の言葉にざわついていた回りの声が一瞬凍りついたように止まる。
止まる前より大きなざわめきが広がっていった。
王子よりも、付き人を殺すほうが敵討ちになるのではないかと、迷いのある声が耳障りなほど大きな声で聞こえる。
迷いのある声は、必要かどうか判断が付かないからか。
所々、「王子だ」という声も混ざっている事が、意思の不協和音がさらに耳障りに聞こえた。
「だからなんだと言うのだ。そんな男、殺しても何の意味も無い」
低い声で一人の男がそういうと、また周りの声が止まり、「そうだ、王子を殺せ」と声が統一されていった。
「邪魔立てするなら、一緒だがな」
その様子をみて満足した男は場を乱した相手を見て口角を上げる。
「まあ‥お好きに、今回は私もご一緒いたしますよ」
相手も同じく口角をあげる。
「好きにするがいいさ、邪魔だけはするなよ」
また廊下で兵士が待ち構えていないかと、少し警戒して部屋の外へ出る。
ローレンの期待を裏切り、外は誰も居なかった。
はじめてきたときと同じように、やわらかい風がただ流れているだけだった。
「大変申し訳ない」
食事の席で王が頭を下げた。
「いえ、当然の結果ですよ。それにこいつが牢に入ってから、過剰な警護をつけてくださったいたじゃないですか。礼を言うのならともかく、攻め立てる必要は無いでしょう。むしろご迷惑をおかけして申し訳ありません」
ヴラディーミルも同じように頭をさげる。
会食の場では、王はこちらに気を使い、ヴラディーミルもあちらに気を使い、それ以上はあえて何も言わないし、聞かなかった。
「まだコウクナはポーランを許してくれていないのだな」
二人歩く廊下でぽつりとヴラディーミルがつぶやく。
ローレンは首をかしげる。
ポーランは過去に一度もコウクナを攻めたことは無い。
コウクナは、100年ほど前は別の国だった、もともと国とは言っても、3つの民族が固まって国としていた土地であるため、その民族同士がそれぞれ政治組織を形成し国家を形成していた。事実上、別々の国として機能していたため、起こるべきして起こったのだろうと書物には記されていた気がする。
特に珍しい資源も無く、特に何の魅力も無い土地で、独立運動が起こったとして、他国はそれを拒絶しない。
現在のコウクナとして独立する際に軍事支援を喜んでしたのが前王の頃。コウクナに対してはポーランが手を貸した史実があり感謝されども許しを請う必要があるのかは不明だ。
「何を許していただくのですか、こちらは史実上、協力者なのでは」
「協力者?」
「ええ、独立の際の」
ローレンがそういうと、ヴラディーミルは驚いた表情で、ローレンのほうへ振り返った。
「知らないのかローレン。ポーランがコウクナに独立を強制したため、コウクナは国家として独立せざるを得なかったのだぞ」
そうか、内部のごく一部しか知らない話だしな。とぶつぶつつぶやき続けた。
「お前が知らないだけで、現実はコウクナに被害をもたらしている。コウクナ貴族から、ポーランに嫁いだ姫を盾にして、強制的に独立を迫った。実際は姫などは関係が無く、抵抗すれば攻め入る予定だったのだろうがな」
そういえば、つい先日、コウクナと元々同じ国であった国が、併合されたと新聞には書いてあった。
この併合に、当然、ローレンの父の武器もかかわっていることだろう。
しかし、それが原因なのであれば、コウクナ国ではなく、他の国のものが絡んでいるのではないかとローレンは思う。
「先日の併合問題も、近すぎる隣国だ。戦争の影響は、こちらにも及んでるさ。爆風であり、難民であり」
故に、コウクナはポーランを許せない。
憎んでいるものにすれば、ローレン達は、完全な敵である。
「これ以上憎まれないように、私どもは気をつけなければならないわけですね」
「そのとおり、コウクナを奴の手から守るため。お前は無事に帰らねばならない」
「殿下は‥‥」
「何言ってるんだ、私が負傷するはず無いだろう」
いつもの自国の王子様に戻ったのを見て、複雑な気分でローレンは笑う。
ただ、こんな発言が出来るうちは、余裕があるのかと少しだけ安心した。
そして、問題はその夜起こった。
消えた蝋燭の匂いと、飛び散った油の香りがあたりを漂う。
寝るつもりは無い時間だか、この時間まで何も起こらなかったため、気が抜けていたのかもしれない。
「殿下。大丈夫ですか」
「問題ない。離れるなよ」
灯りが消えたすぐさまは、見えにくかった部屋の中も、しばらくすれば目が慣れる。
月明かりも手伝って、どこに何があるかだけは確認できるようになっていた。
足元には、先ほどヴラディーミルが気絶させた男が二人のびている。
ただ、このまま部屋に居るべきか、ここから逃げ出すべきかを二人は選択に迷う。
この男達だけが相手なのか、ならば、これで終了である。さらに追加が現れるのか、返り討ちに出来るのか追い詰められたのか状況に持っていけるのか、ローレンは未経験な危険を頭の中で再現していた。
「憎きポーランの第三皇子。弟の仇。死ね」
死角から声が聞こえ、新たな相手の刃物がヴラディーミルに向けられる。
「殿下!!」
ローレンの言葉がヴラディーミルの耳元に届く前に、ヴラディーミルは向かってくる力を利用して相手を地面に倒した。
「弟の仇?私は命を狙われる筋合いは無いが」
倒れた相手の手をひねり上げる。
「お前にはなくともお前の国にはあるんだよ、あんな桁違いの兵器で戦争なんかしやがって」
桁違いの兵器で戦争?その言葉がローレンの心に罪悪感を生み出した。
父の兵器で亡くなったのか。
「弟は我が国の軍隊にやられたのか」
複雑な表情でヴラディーミルは見下ろす。
「分かった、命を狙われる筋合いは納得した。しかし、敵討ちなどしても弟は帰ってこないぞ。むしろ望んではいまい」
「命が惜しいからと偽善を語るか」
他方向から男の声がする。見れば仮面をつけた人物がこちらを指差している。今の声の調子からすると男なのだるう。
「誰もが知らないだろうと、自分は関係ない世界だと思っていただろう。知っているぞ本当の仇はお前なのだということを」
そういいながら指先はローレンから外さずに前に踏み出す。
「本当の‥‥かたき。知ってる?」
指した指で貫かれたかのようにローレンの体は硬直し、ただ男の言葉を繰り返す。
「一体何を知っているのだと言うんだ!」
ヴラディーミルが意識を離そうしてか、男に対し怒鳴り声をぶつける。
「そちらのお方がセーヴァ氏のご子息だってことさ」
仮面の男からローレンの父親の名前が語られる。
相手は、目の前の坊ちゃまがただの付き人ではなく兵器開発の中心人物の息子であることを知っている。
桁違いの武器で弟が死んだのなら、直接仇になるのは自分のことに違いない、だから知っているのだと指を刺すのだと気づき、足が後ろに下がる。
心が耐えられずに足を後ろに動かした。
無意識とはいえ、まさか自分が逃げ出すとは思わなかった。
扉の代わりのカーテンを何枚かめくった頃、息が苦しくなり足を止める。
このコウクナという空間で自分たちに逃げる場所なんてないと悟ったのは、ほんのわずかな瞬間だった。
薄いカーテンの向こうには仮面の男が歩いてくるのが分かる。
相手も逃げ道はないと知っているのだろう、馬鹿にされたようにゆっくり歩いてくるスピードにさらに追い詰められた気分に落とされる。震える手がたどり着いたのは、胸元に差してあった麻酔銃。
「相手に向けて引き金を引いたら、相手は眠りこけるだけだ。平和を愛する私としてはすばらしい護身銃だろ」
ヴラディーミルが無理やり押し付けた銃である。こんなもの決して必要ないだろうと存在すらわすれていたが、武器はこれしかない。
歩いてくる標的に銃口を向ける。
「相手が死ぬわけじゃない。あの時と同じように、なるだけだ」
あの時とはスノウとローシャとヴラディーミルの四人で忍び込んだ南の教会。ヴラディーミルがうれしそうに見せ付けていた物と全く同じ物のはずだ。
「銃が撃てるのか、ローレン様。冗談だろ‥‥また暴発するぞ」
暴発という言葉にローレンの頭に嫌な記憶が流れ込む。
音がして、飛び散る火薬と人間の血液、目の前で母親が死ぬその瞬間。
何も気にしなかった自分の鼓動の音が耳障りなほど大きく聞こえる。
「何してるんだ、ローレン」
「ヴラディーミル様、残念なことにご友人はここで討たれてしまうのですよ」
遠くから近づいてくるヴラディーミルの声と金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた。
目の前には仮面の男が自分を殺そうとゆっくり歩いてくる、ヴラディーミルには頼れない。
腕は震えたままだが麻酔銃は握り締めたままである。相手に打ち込もうと銃口を見るが目が銃を写すと、先ほどの記憶がまた思い出された。なるはすがないのに、指先までが引き金を引くのを嫌がる。
仮面で表情など分かるはずがないのに、相手が勝ち誇った笑みを浮かべ剣を振り上げる。
引き金が引けないのならとローレンは思いっきりそれを投げつけた。
銃は、鈍い金属がこすれる音を出して男の仮面にぶち当たる。その衝撃で仮面が地面に落ちた。
「まさか、こうなるとは」
男は顔を抑え逃げ出す。前かがみになっているせいで長い金色の髪が垂れうまい具合に顔を隠していて表情は読み取れない。言葉の感じからすると、慌てているのはローレンにも分かった。
「逃がすか」
ヴラディーミルは自分が組み合っていた男の腹を蹴り飛ばすと、剣の柄で殴って気絶させ、逃げた男を追いかけていった。
部屋には仮面とローレンだけになった。
高鳴る鼓動を抑え、ひざを付く。
「貴様でも構わない。恨むのなら王子の傍にいた事を恨むんだな」
柱の影から別の男がナイフを突き出したまま走ってきた。
ひざを付いたこの体制で避けられるはずもなく、ローレンは両目を閉じる。
「ひっ‥‥」
すぐに男の悲壮な声がする。
痛くない‥‥真っすぐに突き刺されたと思ったのに。刺されるというのは思った以上に感じないのだろうか?
いつまでも感じられない痛みに、固く閉ざした瞳の奥で思考をめぐらす。
「何てことだ、フェイカ様を」
ローレンを殺すべく振りかざした刃物が自国の王女を傷つけたと知った男は驚きナイフを地面に落とす。
その悲壮な声と落ちた刃物の音で敵は何を突き刺したのか理解する。
「フェイカ‥‥様?」
ローレンを庇うように前に立ち、小刻みに震える後姿の主を呼ぶ。
弱々しく彼女は座り込むように崩れた。
「ひぃっ、フェイカ様を」
狂ったように同じ言葉を繰り返して男は逃げ出した。
代わりに王女の名前を聞いたのかヴラディーミルが真っ青な顔をして戻ってきた。
「フェイカ様」
目の前で倒れた女性をヴラディーミルが抱きかかえる。
フェイカの胸元からは赤い血が滲んでいた。
「ヴラディーミル様。ローレン様は?」
「私ならここに」
「あら、無事でした‥‥か、よかった‥‥ですわ」
弱々しく言葉を語るとごほごほと口から血を吐き出す。
「話しては駄目です。血が、血があふれてきますから、息が詰まってしまいますよ」
ヴラディーミルはフェイカの口から吐き出される血を吸い取るようにハンカチを当て、彼女が呼吸をし易いように首を横に傾ける。
「私は四番目ですから、もう‥‥分かっているのですよ」
「何を弱気な。止血さえ出来ればすぐに」
胸を刺され口から血を流している時点で、外部からの止血など意味が無い事はそう語っているヴラディーミルでさえ分かっていた。
「無理ですわ‥‥」
自分を抱きかかえる相手の言葉が気休めしかならないと知っていて、フェイカは言葉を否定した。
「それにしても、死とはこんなに痛いものなのですね」
「第四だと覚悟はしていても。まだ、まだ死にたくない‥‥」
暗闇の中手探りで相手を探し出すようにふらふらとローレンの方へフェイカは手を差し出した。
「大丈夫。大丈夫ですよ」
何の根拠もない、ただその言葉だけしか伝えられなくてローレンは差し出された手を握る。
「痛みを感じなくなりましたわ。ローレン様はすごいのですね。本当大丈‥‥」
言葉が途切れ、フェイカの体を支えるヴラディーミルの手に重みが増す。
彼女は二度と瞳を開けなかった。
「フェイカ様!!」
抱きしめたまま血まみれの喉元に顔を押し付け、ヴラディーミルが叫ぶ。
フェイカはぐったりとしたまま動く気配は無い。
ローレンはただ無力に、その光景を見ているしかなかった。フェイカの手はまだ暖かかった。
代々の王族が葬られている墓地の中に、何も間違うこともなく、フェイカの墓が出来上がっていた。呪われた運命を察して用意していたためか、それとも愛らしい王女のため無理に急がせたのか、立派なそれはこの短期間で出来たようには見えなかった。
送られた言葉は「孤独を愛し生きた歌姫ここに眠る‥‥」独身のまま死した人間に送る言葉。
葬儀にはヴラディーミルのみ参列していたため、ローレンは初めてフェイカの墓前に立った事になる。
つい先日まで話をしていた相手がもういないという実感はあまり無くて、ただ機械的に墓前に礼をつくす。振り返ると、ヴラディーミルが複雑そうな表情でローレンを見つめていた。
ローレンではなくローレンを通して後ろの墓標を見つめていたのかもしれないが。
ヴラディーミルの真横にはフェイカと同じ顔をしたコウクナの姫が微笑んでいた。
「姉姫はローレン様のピアノがお気に入りでしたから、お帰りになる前に会っていただきたいと思っていましたの」
寂しそうに笑う表情に胸が痛む、墓石が無ければ、彼女がフェイカだと勘違いしてしまいそうだ。
「こちらこそ、墓前に立つことを許していただいてありがたいです」
無礼だとはわかってはいても、相手の姿を見ていることができず、すぐに目をそらす。
「こんな事でしか償うことができませんから、ごゆっくりお別れをお伝えください」
軽くお辞儀をして王女はローレンから離れていった。ヴラディーミルも後に続く。
姿は見えるものの、小さな声の届く範囲には誰も居なくなった。
墓標と二人にされてローレンは何も伝えることは思いつかず、ただ、フェイカが居なくなったという現実を自覚しようと努力しはじめる。
「せっかく二人きりにしていただいたのに、何もお伝えできなくて」
申し訳ない‥‥。
もう二度と会えない相手がそこに居るわけではないのだから無駄だと感じているわけでもない。
だだ、言いたい言葉がない。
ローレンと向かい合う墓標を見つめこっそりとヴラディーミルは彼女へ話し出す。
「お恥ずかしいお話ですが私はフェイカ様に、貴方の姉君に思いを寄せておりました」
「そうですの‥‥」
「ですので、こんな目に合わせた奴を探し出して‥‥」
ヴラディーミルの言葉が止まる。
「探して」
続きを聞きたいと彼女は止まる直前の言葉を繰り返した。
「探し出して殺してやりたい」
手を握り締め、小さな声で気持ちを吐き出す。
だがすぐに、間逆の言葉を打ち消すように語りだした。
「‥‥とは、思っていても行動は起こさない」
「どうしてです」
希望を否定したヴラディーミルの言葉に素直に疑問をたずねる。
「敵討ちだと、あの男と全く同じでは無いですか。私があいつを殺したところで姉君が戻ってくるわけでは無いし、そんな事望んでもおられない。それに、またあの男の親しいものが仇といって現れる。そんな絶望の繰り返しはごめんだ」
弟を殺したのが、ポーランだと言った男。
あの男のように、同じ気持ちの者がまた追いかけてくる。
「ヴラディーミル様‥‥」
「弱虫だと笑われるか?」
「いいえ。ご立派です」
王女がそう伝えたとたんに、ヴラディーミルの瞳から涙が溢れ出した。
「貴方を見ているとどうしてか涙が止まらなくなる、ご婦人の前で情けない」
涙を流す姿を見られまいと、ヴラディーミルは初めて墓標から目を逸らした。あふれる涙は拭おうともどんどん湧き出てくる。
「姉妹ですから似てもいますよ。流してくださる涙はそれだけ姉様を思ってくださっていた証拠です。私の前でお隠しにならなくても、良いのですよ」
顔を背けたヴラディーミルの正面に回りこみ、王女は刺繍入りのハンカチを渡す。
「私はローレン様も、姉も救うことができませんでした。今、目の前のヴラディーミル様だけでもお救いしたい。そう考えるのはわがままでしょうか」
なくなった王女と違う名前の刺繍されたハンカチを無言のままヴラディーミルは受け取った。