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北のまちに降る雪  作者: ことわりめぐむ
三章 介在
11/21

Ⅱ 客牢

 同じ姿をした人間は何人いるのだろうか

 質問の意味さえ分からなくて、困り果てる。



   2 客牢



 

 目が覚めると太陽の光が感じられた。

 窓から差し込む光だけで、室内を明るくしているのだから、天井の隅は少し薄暗く感じられた。

 ここは、どこだろう。

 体を起こして周りを見渡すがまったく記憶が無い場所にローレンは眠っていた。

 自室では無いことは確かである。


「目が覚めたか」


 ぼんやりしている頭の中に嫌な声が突き刺すように入ってきた。

 この人と居るとあまり良いことが無いと体のすべてが分かっていて、声だけで拒否反応が起こっている。

「殿下‥‥どうされました。こんな朝早くに」

 引きつらせた表情でヴラディーミルの方を向くとその心配そうな表情に驚く。

「記憶だけは混乱してるな、昨日おまえはい・の・ちを狙われたのだ。覚えてないか」


 命を狙われた。

 上手く状況を表している言葉である。


 昨夜の事が思い出されると、軽い頭痛がローレンを苦しめた。

「まったく、お前は。女性を守れる程度の護身術を身につけておくのが礼儀だろう」

「すいません」

 何もできず、ただ手を引いて逃げ出しただけの状況を思い出し、ただ謝ることしかできない。

「もし私が遅ければ、フェイカ様と一緒にあの世行きだ、それはそれでうらやましいが」

「‥‥」

 冗談に聞こえない言葉がローレンから会話を奪う。当の本人は全くそんなことは気づいてもいない様子で、表情を変えず続けた。

「命を狙われるのが私なら分からない話でもないが、なぜお前に‥‥」

「もしかしたら、フェイカ様を?」

 あの時ヴラディーミルは傍にいなかった、いたのはフェイカ一人だけ。そう思ってばかばかしいとすぐに否定する、一体どこの馬鹿が自国の姫を手にかけるというのだろう。 


「個別に一人ずつという手段ではないでしょうか」

 ヴラディーミルを孤立させてから行動を起こす。

 簡単に考えられるシナリオが思いつく。

「‥‥付き人より、主人が強いという事は知らなかったということだな。まぁ‥‥目を離した私も悪かった」

「で‥‥殿下のせいでは」

「ヴラディーミル殿下。ご入室を許可されたい」

 ローレンの言葉と同時に部屋の外で声がする。

「こんな朝早くから客人とは‥‥」

 不機嫌な顔のままヴラディーミルは入口の布をあげると外には数人の男が立っていた。

 通常では考えにくい団体に不信感からか招き入れるという行為ではなく、相手の前に立ちはだかる。言葉にはしていないが「許可する」表情と態度ではない。

「おつきの方にフェイカ様の暗殺容疑がかかっております、道をおあけください」

 客人を押しのけることはせずに男は用件を述べる。暗殺容疑の言葉に驚きローレンは飛び起きる。

「朝からばかばかしい。どちらかといえば被害者だぞこっちは」

 ヴラディーミルの反応は当たり前のように拒否のままである。


「大変申し訳ありません。道を譲っていただけませんか」

 男の後ろからか細い女の声がした。

「フェイカ様‥‥」

 予期せぬ相手にヴラディーミルが驚いて一歩下がった隙をついて男たちが部屋へと入り込む。

「僕は、フェイカ様の命など狙っていない」

 端から犯人だと決め付けている相手に対してそんな抗議が通用するわけはなく、問答無用に押さえつけられた。

「ほら、ローレン様は違うと言っておられますわ。皆様の勘違いで‥‥」

 前に出て静止しようとした王女を押しのけて男たちはローレンをベッドから引きずりおろす。男たちの進行方向から間逆の方向へ抵抗するローレンは引きずられる形で連行される。 


 コウクナの牢は地下にある。牢屋は罪人を隔離し、苦痛を与える場所とポーランでは常識だったため、暗い、汚い、寒い等、良い想像はしていなかったため、自分が留置された部屋に驚いていた。

 牢とは名前ばかりの、ただの個室。

 この部屋が牢と呼べるものは外に続く全てのものに鉄格子がはめられている事だけだった。

「コウクナの罪人は、特別な待遇を受けてるんだな」

 喜んで入りたいなんて思わないだろうが、ここの気候は穏やかで、寒くも暑くも無い、ちゃんと休息が取れるようにきちんと手入れされたベッドも用意されている。しかも、部屋の隅には、小さなピアノまで置いてあった。

 ダスキムに住むローシャの家のほうがよっぽど牢に思えてくる。

 牢はさすがにレースなんて目隠しが壁であるわけはなく石で四方を囲まれている。薄い布が壁がわりというこの国の建物に住んでいる人間にすれば、風の抜けないこの狭い空間が苦痛で仕方ないのかもしれない。唯一の出口は鉄格子の入ったドアのみである。見回しても、あと見つかるのは換気口ぐらいで、一般青年の標準体型のローレンにはとうてい脱出は無理な話であった。

 この部屋が思った以上に快適なため、逃げ出そうなどとも思わないが、有事のため脱出路を確認だけはしておく。逃げ出す気も起こらないのは、留置者の作戦なのかもしれない。

「これは、望みどおりの結果になったのかな‥‥」

 戦争大好きな国王は、平和の使者が捕らえられたと聞いて歓喜するだろうか、父は自分を助けに来るのだろうかと最悪の結果を想像する。

「でも、僕ごときが捕まったぐらいでは‥‥大義名分も整わないだろうけど」

 すぐに自分の考えを否定する言葉を吐き出し、ローレンは誰も居ない鉄格子の向こう側に目を向けた。


 朝方室内に入ってきた男たちは、ローレンを捕えにきた。

 拘束される理由は「王女暗殺」

 罪状を簡単に読み上げられると、ベッドの上から引きずりおろされる。

 素直に従えば押さえつけられたり、引きずられたりしなくても良かったのだろうが、無実の罪で罪人になるつもりは無かった。

 抵抗はローレンよりも主人のほうが強く、声も大きい。布一枚を壁としている宮殿では響き渡り、自室で休んでいる王女の耳にも騒ぎは伝わった。

「どうなさったのです」

 何事かと出てきた王女の目には、客人が引きずられていく姿が映る。

「お前たち、何をしているのです」

「フェイカ様には関係のないことですよ、危険ですからお下がりください」

 フェイカの視線を遮って男達は言うと足を速める。

「そんな男が、あん‥‥計画などできるわげがない」

 王女を前にしてヴラディーミルは暗殺と口に出すのがためらわれる。

 ヴラディーミルの言葉など聞こえていないかのように男たちは歩幅を広げ先へ進んでいく。宮殿の者だとわかっている以上手を出せないヴラディーミルは、自分の従者の行く先を見失うわけにはいかず小走りでついていった。

「あっ‥‥」

 後ろから鈴の鳴るような声がする。

 振り返ると、フェイカが倒れていた。歩く速さに足がもつれて横転したという所だろうか。婦人が倒れている姿にほおっておくわけにはいかなくて、真逆の方向に駆け寄った。

 離れていくローレンの姿にどうすることもできなくて「奴を牢獄に入れるというのであれば、連れてきた私も同罪だろう」と言葉を浴びせかける。

 もちろんのことだがこちらを振り返ることもなく消えていった。

 その二人に女性が慌てて駆け寄る。その姿にヴラディーミルは驚き、ローレンを追いかけることなど気にしていられなくなっていた。


 ふと我に返ると、牢の前に知らない男女が数名現われる。「裏切り者」や「人殺し」など罵りにきたに違いないとローレンは気づかないふりをしていた。

「ローレン様、お約束‥‥守っていただけますか」

 男は、罵る言葉ではなく、そう言った。

 約束とは何のことだろうと首をひねる。

「今ならピアノもお時間もあります。彼女のために、カンタータ用のソナタを」

 その言葉を聞いてローレンは思い出した。昨夜の宴でフェイカに止められなければ、次に弾くことになっていた依頼者である。あのときの残念というより、うらめしそうな表情が思い出された。

「本気で僕に言っているのですか」

 宴のあれは周りの他の人間に自分はこんな難しい曲を愛でているのだと、自分の知識を語っているだけだと思っていた。ローレンにピアノを依頼するものの聞いてはいないのだろうと思っていた。

「それが終わったら、私にノクターンを」

「いえ僕にノクターンを」

「ワルツがいいですわ、可愛い花の様なワルツ」

 次々と言葉が発せられる。各々に好きなことを言っているようだが、絶対、作曲者や曲の指定はしない、曲調だけを依頼しローレンの反応を確認していた。譜面も無いこの牢屋で具体的な曲を指定し、ローレンを困らせないように気を使っているように思えた。

 ローレンは驚き、そして嬉しさの余り涙を流した。

「僕に時間はたくさんありますから、一人ずつ聞かせていただいていいですか」

 ローレンの言葉に鉄格子の向こうの人々は歓喜の声を上げた。

「ただ‥‥演奏できるのは僕が知っている曲だけで、ピアノの質はこれなんですが」

 牢に入れられて贅沢な言葉だと自分でも思う。

 ただ、純粋にローレンの演奏を聞きたくて来てくれているこの人々に、昨日と同じ良い楽器で、良いものを聞かせたいなと思うのは当たり前の気持ちであった。


「まずはソナタ‥‥でしたね。どんな感じの物が歌いやすいですか」

 曲調を語った依頼人に好みを尋ね、そして選曲する。誰一人として同じ曲は弾かないと小さな違いで振り分ける。

 一曲終わるたびに、依頼主の嬉しそうな表情と、次の依頼人の期待に満ちた眼差しが嬉しい。

 他人の為にピアノを弾くことが、なんて心地がいいことなのだろう、それをコウクナの人は教えてくれる。牢に入れられた他国から来た犯罪者であっても、才能を認めて自分の為に弾いてくれと願いを伝える。


「昨日のピアノより何倍も素敵なのは何故でしょうね」

 依頼も終わりに近づいたとき、フェイカが現われた。昨日のピアノより良いものとは言えないし、音も普通である。一つだけ良い物に変わったのは、ローレンの心情だろう。

「フェイカ様、このような場所に」

 やはり王女様あろう者が踏み入れる場所では無いのか、周りの者がざわめく。

「あら、皆様も来られているじゃないですか。私にお気遣いなさらずに続けてください」

 その言葉に、順番待ちをしていた者がローレンへと希望を伝え始め、小さなリサイタルが引き続き開始された。


 

「フェイカ様。どうしてここへ」

「お客様の様子をうかがいに参っただけですわ」

 他の人間からローレンが解放された事を確認して言葉を発する。

「僕は罪人なのでしょう。まぁそれにしてもこの国の罪人は捕まっても人間として扱われるようですが」

「お気分を悪くさせてしまって申し訳ないですね。ここは牢と呼びはするものの、人をかくまう為に造らせた場所ですの。妹が気を利かせたのでしょうね、ローレン様は多分お命を狙われていますわ」

 ほんの少し間を開けて王女は続けた。

「残念なことに、わが国の誰かに」

 昨日の夜の男が思い出される。

「僕は、貴方の命など」

「分かっていますよ、お客様なのにこのような所に申し訳ないですわ。それに、罪人は、そんな美しいピアノは奏でられないですわよ」

 鉄格子越しにフェイカが微笑んだ。

「あなた様のピアノを聴いている時の皆さんは心ここにあらずですね。まるで空を飛んでいるようです」

 空を飛ぶという言葉に、すっかり忘れていた天使の顔が浮かんだ。

 こんな時にそばにいれば役に立つだろうに、と内心思う。


 牢に入れられたその夜は無事に次の日の朝を迎えた。

 目が覚めて目が覚めると牢屋の中で、監禁されている事実は変わらない。いつまで、ここに居なければならないのだろうか。

 考えることから逃げたくて、唯一の娯楽に手を伸ばした。

 聞きなれた音階が目の前の箱から奏でられる。

「朝から‥‥御熱心ですのね」

「フェイカ様」

 どうしてここにと言わんばかりの表情でローレンは相手の名前を言った。

「私、ローレン様のピアノが心地よくて」

「歌姫にそう言っていただけて、光栄です」

 嘘ではない、お世辞でもない。彼女の歌は素晴らしいと思った。そんな彼女に褒められるのは心から光栄だと感じられる。

「歌姫だなんて、歌が他の方よりも少し好きなだけ」

 ほほを赤くしてうつむき加減に王女は照れる。

「僕もピアノが好きなだけですから。これは、エチュードなんですよ僕の‥‥」

 練習曲と言う名のオリジナルの曲に賛辞を貰うのはかなり嬉しい。

「まぁ、エチュード‥‥。こんな綺麗な曲で練習されればピアノも嬉しいことでしょうね」

 王女は言葉を続けずピアノを見つめる。

 何か言いたそうなその口元に沈黙したまま待つ。

「ローレン様。教えていただけますか‥‥空の飛び方を」

「またスケルツォがご希望ですか?」

 ためらいがちに依頼された言葉を素直に受け取るのが恥ずかしくて、少し茶化して言葉を返した。

「いいえ、サンドリヨンなんか素敵ですのね。オリジナルなどできないかしら」

 王女は首を振り、有名なおとぎ話の題名を語る。この王女の依頼はハードルが高い。

「‥‥できない事は無いですが、お気に召しますかどうか」

「ローレン様が考え付く幸せなお話ですもの」

「灰かぶりは悲劇ではなかったでした?」

「オペラでのチェネレントラは喜劇ですのよ。おとぎ話も」

 いつものおしとやかな王女様ではなく、小さな子供のように笑顔を見せて曲をねだる。表情からして大好きな話なのだろうと察しがつく。

 期待を裏切らないようにローレンは鍵盤に指を走らせた。


 ラリサが読み聞かせてくれたおとぎ話を思い出しながら。


 曲が終わるとフェイカの賛辞をいただきピアノから離れた。

 他に話すこともなくて聞いてみた。

「冬はどうされるのですか」

「冬‥‥ですか。もう少し厚い布を張るんです」

「雪や雨なんかが降ったら全く防げないでしょう」

「雨はすぐに乾いてしまいますし、雪は全くふりませんのよ」

 一年のほとんどが雪まみれの自宅に住んでいるローレンはフェイカの答えに驚く。

 雪が降らない地方がこの世界のどこかに存在するのだとは知っていたが、現実に耳にするとやはり疑ってしまうようだ。

「驚かれましたね」

 ローレンの表情をみてフェイカは笑った。

「ローレン様は何も知らないことなどないのかと思っていましたわ」

「‥‥知らない事ばかりですよ」

 口に出して、心でもう一度思う。本当に知らない事ばかりだ。


 環境が及ばす影響。


 褒められるという喜び。


 狙われるほど自分の名前が知れ渡っていることを。


「もしかするとローレン様がお命を狙われたのは、私のせいかもしれません」

 命を狙われたのは、おそらくヴラディーミルのせいだろうと考えていたローレンは驚いた。

「フェイカ様は全く関係無いと思われますが」

「私はコウクナ国第四王女ですから‥‥」

 伏せた眼を覆う長いまつげが瞬きとは違う振動で小刻みに揺れている。

「‥‥」

 意味ありげに言葉を失ったフェイカを見てローレンは相槌に近い言葉を返す。

「それは知っています」

「四番目はコウクナでは死を表す数字です。コウクナでは代々四番目の生を受けたものは若い内に不幸な死に方をするのですよ」

「?」

「だから私の側にいれば、巻き込まれて死んでしまうのです」

 こじつけた理由を当然のように語るフェイカにローレンは首を振った。

「迷信ですよ」

「ありがとう。私もそう思いたいですわ」

 科学的根拠のない知識を打ち消す言葉。それにすがりたいような同意。

 そのような理由でこの場所に監禁されるのはあまり納得はいかない。

「ですから、私が死んだら牢から出れるかもしれませんわよ」

 いたずらをした子供のように笑い姫は立ち上がる。この人はこんな表情もできるのかとローレンは少し見惚れ言葉を失う。

「どうされましたの」

 固まったままの表情のローレンを覗き込んで困ったように首をかしげる。

「あ‥‥と、冗談?」

「さあ」

 見惚れていた事に気がついて驚いて返事をしたローレンに満足したのか、フェイカはくるりと後ろを振り向いて出口へと向かった。

「四番目なんて迷信ですよ」

 もう一度だけ念を押すようにローレンは声をかけた。

 別に自分が牢から出たいから、考えを変えてくれなどと懇願しているわけでは無い。ただ、そんな迷信で自分の死期を決め付けている彼女が可哀想だったからだ。


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