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涙の洗礼式 2

 夕刻、通常の礼拝を終え、その後の集会を信徒に任せて信輔と順子が教会に到着した。

「博美ちゃん、僕ほんまに今回は神様に文句言うてしもたわ。何でもうちょっと待っててくれへんのですかって」

「うん……」

それは衛が救われるべき器ではなかったということになるのか、そう思うと博美は悲しかった。だが、信輔は続けてこう言った。

「けど、信仰はちゃんとしてたから、神様はご自分が解ってたらそれでええと考えてはるのかもな」

「曳津先生?」

「ああ、衛君な、僕とずっとメールで聖書研究してたんや。

そんで、受洗するっていう話になって、それやったらやっぱりちゃんと教会に戻った方がええやろうって言うて、安藤先生にお願いしたんや……言うとくけど、それ博美ちゃんと縒り戻す為やない」

博美は信輔が衛への伝道を続けてくれていたことに感謝したが、やはり受洗という話になると自分に合わせようとしてくれていたんじゃないかと思ってしまう。それが表情に出てしまったのか、信輔はそう付け加えた。

「博美ちゃんも見たんやろ、あの検査結果。あの病気は直接命を取られる印象はないけど、冠不全や腎不全て、名前を変えて持っていく。そうでなかっても、失明したり末端が壊死起こして切断せんならんかったり。ちょっとした怪我や病気が重症化する。『博美の明日が見えないって言う気持ちがやっと解った』そう言うてた。ほんで衛君は、ホンマに永遠の命と救いを信じたんや」

「そう……」

「そんな顔せんとって。だれでも家族には一番伝道しにくいもんや」

そして信輔の寝耳に水の発言はまだ続いた。

「それにな、博美ちゃん、衛君はホントは浮気してなかったんや」

「それって、どういう!」

「あれな、衛君が酒の席でぽろっと北村冴子に『博美が追いつめられてるのを見るのは辛い』って、『俺がいくらエッチだけが夫婦生活の基本じゃないって言ったって、周りは次の子供のことを聞いてくるからな。全く子供がいないのならそれでも遠慮してくれるのかもしれないけど、一人いると、普通に次も産めると思うらしい。―一人っ子はかわいそう―と、とくとくと説教するばあさんなんか首絞めてやりたくなることがある』って言ったらしい。それをあの女は逆手に取ったんや」

「逆手に?」

「うん、案の定二人が離婚した後、寄ってきたらしいけど、そんなん衛君が相手なんかするかいな。ずっとあのアパートで独りや。」

そして、少し声のトーンを落としてこう言った。

「それにな、病気で勃たへんて分かったとき、ほっとしたらしいよ。『やっと博美に負い目感じさせないで済む』そんな風に言うてたから」

信輔はそう言い終わると、衛の両親がいる、礼拝堂の前の方に歩いて行った。

「それで相談なんですけど、衛君を聖徒の墓に入れるために、これから安藤先生に洗礼を授けてもらってええでしょうか。

博美ちゃんといっしょに聖徒の墓に入るのが、彼のたっての希望やったんです。今回のペンテコステでの受洗もそのためでした。『長いこと放って置いた分、永遠の命を共に生きたい』衛君はそう言うてました」

と言った。

「衛から洗礼を受けたいというのは聞いとりました。私らはもう、お前四十も越えとんだから、何もこっちからは口は出さんと言うとりましたし、墓も教会の墓に入れてもらえるんだったら、それで」

それをすんなり受け入れた衛の父の発言に博美は目を瞠った。

「お義父さん、寺内の墓に入れなくていいの?」

「ウチも本家とは違うしな。本家筋の墓に入れてもらうより、別に建てようかと話とったとこじゃ。衛もみなさんのおられるとこの方が寂しないじゃろうて」

「ありがとう、お義父さん」

本来なら長男なのだから、難色を示されても不思議はない。親戚などにも言われないのだろうかとも思ったが、寂しがり屋の衛が新しい墓で『一人に』なるより良いと言う彼の両親の気持ちは博美にも解った。

「じゃぁ、僕このこと安藤先生に話してきます」

 信輔はそう言うと、安藤にそのことを打診するため、牧師館に向かった。


「ごめんね、衛君が信輔先生と連絡を取ってたのは知ってたけど、何も言わなくて」

順子がそう言って博美の頭を撫でる。

「衛を導いてくれてありがとう」

「導いたのは私じゃないよ、信輔先生。それに、私実はまだ本当は後悔してるの。あんたたちが結婚したとき、なんでもっと衛君が受洗する様にプッシュしなかったのかなって。そしたら、あんたたち別れなかったと思うから」

博美の感謝の言葉に、順子は軽くため息を吐きながらそう答えた。


 牧師館で信輔から衛の洗礼の依頼を受けた安藤はすぐさまその旨を中野に連絡し、中野が衛の無言の洗礼式を司式することとなった。それで、急遽君枝と徹、その配偶者も呼ばれた。

 中野は再度、

「私たちは息子さんから個人的に信仰表明は聞いておりますが、洗礼式を挙行させていただいてよろしいでしょうか」

と衛の両親に問う。両親は黙ったまま深々と頭を下げた。


 衛の洗礼式が挙行された。

「寺内衛さん、あなたは神を信じますか? またそのひとり子……」

中野の温かい、それでいてよく通る声で「使徒信条」の文言に則った洗礼のための質疑の言葉が読まれる。当然衛からの返事はない。

「はい、私は神様を信じます」

博美はその代わりではないが、声を出さずに唇だけで、それに答えた。そして、答える人のないまま式は進んでいく。

「寺内衛、私は今父と子と聖霊の御名によって、あなたにバプテスマを授ける、アーメン」

 洗礼の条文を読み終えた後、中野が洗礼のための器に浸した手を衛の頭にそう言いながら三度押し当てる。中野が三度目に手を引き上げたとき、濡れているその指の隙間が高壇からの照明に照らされて光輝く。それはまるで遅ればせながらの衛の洗礼式を神が祝福している様だと博美は思った。

 そして、その式に衛の肉親が挙って参加している。衛はその生を以て主を立証している。博美は『何故今なのですか? そして何故私ではなく先に衛をお取りになるのですか?』という悲痛な叫びにも似た祈りに対しての神からの答えを見たような気がした。

「衛……天国でまた逢おうね……待ってて、私ちゃんと行くからね……衛……衛」

 式が終わった後、衛の棺に縋りつきながらそう言う博美の言葉に、礼拝堂は涙に包まれた。

 




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