格子のむこうに
その子は、気がつけば狭い小屋の中にいた。
金網越しにのぞいてくるのはランドセルを背負った子供たち。
一日に一回戸があいて、たくさんの子供たちがはいってくる。
差し伸べられる手、て、手。
次から次へと抱きまわされて、小さな手足をひっこめてじっとしていた。
「かわいい」「かわいいねえ」
かわいいってどういう意味だろう?
親の顔も兄弟の顔も知らないチビうさぎの鼻先に
林檎とかかさかさの食パンがおしつけられる。
食べてみるけどおいしくない。何かが違う。
「ウサギはキャベツを食べるものよ」
時々そんな声がして、誰かがキャベツやニンジンを食べさせてくれた。
これはほんとにおいしいと感じる。
10分ほどで小屋に戻される。エサ入れには何もない。
どういうわけか子供に抱きまわされている時間だけがご飯の時間で、あとはなにもおいてくれなかった。
日が昇り日が沈み、ただご飯の時間を待つ日々。
ニンジンとキャベツ。それは4日にいっぺんくらい。
あとは食パン。
ただ金網の外を眺める日々。
そのうち子供たちは飽きて、餌の係を忘れるようになった。
誰かが金網の外を通ると懸命にあとを追った。
ぼくのごはんは?
だれもかわいいといわなくなった。だからごはんをわすれるようになったの?
その頃学校に何かの仕事できたらしいあたらし大人が僕に気づいて
金網の隙間からときどき草やキャベツを突っ込んでくれた。
むちゅうでたべた。
「ごめんね、毎日の仕事じゃないのよ。でもきたらあげるから」
ほかに、大人が何人か気付いて金網の隙間から草をくれるようになった。
「夏休みになっても、あなたはちゃんとお世話してもらえるのかしらねえ」
「ねえきみたち、ウサギのこと忘れないで。ご飯はニンジンとキャベツだよ」
そんな声が聞こえた。
誰ももう僕を抱かない。かわいいともいわない。
暑い日が続いて、のどが渇く。
金網の向こうの子どもたちの姿が消えた。
誰も通らない。
あつい、のどが渇く、お腹がすいた。
あの大人は?
金網の前をたまに大人が通る、でも草をくれた人じゃない。
夢中で追っかけて金網をかじった。
小屋の中のほうきのさきもたべた。
だれもこない。
ものごころついた時は目の前の景色は金網だった。
今もほこり臭い金網が見える。
お皿の中のわずかな水も尽きた。
きたなくなったから?
かわいくないから?
おおきくなったから?
横になると、もう体が動かなくなった。
いつも見る夢も、金網の向こうの景色。
あの隙間から、いつか草がはいらないかなあ。
いつか草が。
夏休みの終わり。
キャベツをもった「いつもの大人」が小屋の前に立ち尽くした。
「ぴょんちゃんは夏の間に天国に行きました。みんなで祈ってあげましょう。みじかいあいだだったけどありがとう」
小さな貼り紙。
そのおとなに、ある保護者が話しかけた。
「餓死ですよ。お盆の間、こどもの当番はなしになって、先生の間で交代にえさをやることになってたはずなのに、当番がはっきりしないまま夏休みになってそのまんま。
今は責任の押し付け合いやってますよ」
ながいこと大人は小屋の前に座り込んでいた。ちょっと泣いていたかもしれない。
校庭の片隅に小さなお墓があった。
「僕が作ってあげたんですよ。残酷な話ですねえ」
校庭の庭師をしていた男の人が話しかけた。
「小屋があるから、うさぎが来る。
もうあの小屋は壊してほしい、壊すべきだと思います。
命の尊さを教えるためなんて、大人のほうがそんなもの放棄してるのに
何のためにうさぎを飼うんでしょうか」
おとながいう。庭師さんはだまっていた。
おとなは、草をお墓のそばにうえた。
ぴょんちゃんが好きだったオオバコの葉。
小屋はきれいに掃除されて、そして。
新しいうさぎが入った。
子どもたちが小屋にむらがる。
「かわいい」「かわいいねえ」
次々に抱きまわされる子うさぎ。
ごはんはやはり、食パンとりんご。
また夏が来る。