第7話 魔法と先生
輝真は少しだけ眉を曲げた。
(この世界にも学校みたいな場所があるのか……)
毎朝決まった時間に起きて、制服を着て、教室には机が並び、黒板があって、先生が授業をする。
そんな当たり前の風景。けれどこの世界は違う。
村は小さく、家も木でできていて、電気もない。そんな場所に「学舎」と呼ばれるものがあるというのが、少し不思議だった。
(多分、日本みたいな学校じゃないよな)
輝真は心の中で思う。
(でも……)
ミアがさっき言っていた言葉を思い出す。
“字とか、計算とか、魔法とか”
(魔法……)
その言葉だけで、胸の奥が少しだけざわつく。
昨日、森でクラウスがゴブリンと戦っていた。あのときは剣だったけれど、この世界には確かに魔法があるらしい。
(学舎で魔法とか教えてたりするのかな……)
そんなことを考えていると、ミアがじっと輝真の顔を見ていた。
「……テルマ?」
「え?」
輝真ははっとする。ミアはにやっと笑った。
「やっぱり気になるんでしょ」
「え?」
「学舎」
ミアはそう言ってから、少し楽しそうに言った。
「じゃあさ」
「今から行ってみる?」
輝真は目を丸くした。
「えっ」
思わず声が大きくなる。
「いいの!?」
ミアはきょとんとした顔をしてから、くすっと笑った。
「いいよ?だって私、言ったでしょ」
腕を組んで、少し得意げに言う。
「村の全部を案内するって!」
それから少しだけ視線を横にずらした。
「本当はね」
「今の時間、小さい子が学舎にいるから後にしようかなって思ってたんだけど……」
ミアはまた輝真の顔を見る。
そして、にやっと笑った。
「テルマ、今すぐ行きたそうな顔してるから!」
輝真は思わず固まった。
「え」
ミアは頷く。
「うん」
「すっごい顔してた」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
輝真は少しだけ困ったように笑った。
(そんなに顔に出てたかな……)
自分では普通にしていたつもりだったけど、ミアには全部見えていたらしい。
ミアはくるっと向きを変える。
「よーし!」
元気な声だった。
「じゃあ決まり!」
「学舎行こ!」
そう言うと、また輝真の袖をぐいっと引っ張った。
「ちょ、ちょっと待って」
輝真は少し慌てる。
「そんな急に行って大丈夫?」
ミアは振り返る。
「大丈夫だよ!先生優しいし」
それから少しだけ考えて、付け足す。
「たぶん」
「たぶん?」
「怒らなきゃね」
輝真は思わず笑ってしまった。
ミアもけらけら笑う。
二人はそのまま村の奥へと続く道を歩き始めた。
道の両側には畑が広がり、朝の光を受けた作物の葉が風に揺れている。遠くでは村人が鍬を振るい、鳥の鳴き声がのんびりと空に響いていた。
ミアは軽い足取りでどんどん進んでいく。
「こっちこっち!」
ときどき振り返って、輝真の袖を引っ張る。
しばらく歩くと、村の家より少し大きな建物が見えてきた。
木で作られた横長の建物。屋根は少し高く、壁には小さな窓がいくつも並んでいる。
豪華ではないが、村の中では目立つ建物だった。
輝真はそれを見上げる。
「ここが……?」
ミアは大きく頷いた。
「うん!」
胸を張って言う。
「ベルナ村の学舎!」
近づいてみると、入り口の横には小さな花壇があり、色とりどりの花が植えられていた。子供たちが世話をしているのか、土もきれいに整えられている。
建物の中からは子供たちの声が聞こえてきた。
「ちがうよー!」
「だから六だって!」
「静かにしなさい」
大人の声も混ざっている。
どうやら授業の途中らしい。
ミアは扉の前まで来ると、急に声をひそめた。
「テルマ」
輝真もつられて小声になる。
「なに?」
ミアは指を口の前に立てた。
「静かにしてね」
それから少し気まずそうに笑う。
「前にね……うるさくして先生に怒られちゃったから」
「そうなんだ」
ミアはこくこく頷く。
「すっごく怖かったんだから」
それから小声のまま付け足す。
「先生、怒ると声低くなるの」
「それは怖いね」
輝真も小さく笑った。
そのとき、ふと思い出す。
「そういえば」
ミアを見る。
「さっき言ってたよね」
「魔法」
ミアはきょとんとした。
「うん?」
輝真は少し興味深そうに聞く。
「この世界って魔法あるんだよね?」
ミアはすぐに頷いた。
「あるよ!」
輝真はさらに聞く。
「ミアは魔法使えるの?」
その瞬間、ミアの顔がぱっと明るくなった。
「できるよ!」
元気いっぱいの声だった。
そして得意げに胸を張る。
「じゃあ見てて!」
ミアはそう言うと、学舎の横にある花壇のところへと歩いていった。色とりどりの花が咲いている小さな花壇だ。
ミアはその前でしゃがみ込む。
「ここなら大丈夫」
輝真もつられて隣にしゃがむ。少しだけ土の匂いがする。
ミアは小さく息を吸うと、輝真の方を見て言った。
「見ててねー……」
そう言って、右手を前に出す。小さな指先が、ぴんと伸びる。ミアは少しだけ集中するように目を細めた。
その瞬間――
ふっ、と。
ミアの指先に、小さな光が灯った。次の瞬間、それは炎になった。ライターの火ほどの、小さな炎。
ゆらゆらと揺れながら、ミアの指先で燃えている。
輝真は思わず目を見開いた。
「……うわ」
声が小さく漏れる。
(本当に……魔法だ…)
炎は小さいが、確かに存在している。
ミアは少し得意げに笑った。
「ね?」
「できるでしょ」
炎はしばらく指先で揺れていたが、やがてふっと消えた。
ミアは手を下ろす。
輝真はまだ驚いたままだった。
「すげぇ…」
思わず言葉が出る。
ミアは照れくさそうに頭をかいた。
「これくらいなら、詠唱しなくてもできるよ」
輝真はその言葉に首をかしげた。
「……詠唱?」
聞き慣れない言葉だった。
ミアは「あっ」という顔をして、それから説明するように言った。
「うん。魔法ってね、普通は言葉を言うの」
「言葉?」
「そうそう」
ミアは手をひらひらさせながら言う。
「魔法の言葉。呪文みたいなやつ!」
それから少し得意げに胸を張った。
「詠唱するとね、もっと大きな炎も出せるよ!」
輝真は目を丸くした。
「ほんと?」
「うん!」
ミアは元気よく頷く。
「じゃあ見せてあげる!」
そう言うと、もう一度花壇の前にしゃがみ込んだ。輝真もつられて少し身を乗り出す。
ミアは右手を前に出し、今度は目を閉じた。
さっきよりも、少しだけ真剣な顔になる。
小さく息を吸い込む。
そして――
「えっと……」
詠唱を始めようとした、その瞬間だった。
「駄目ですよ」
落ち着いた男の声が、すぐ後ろから聞こえた。 輝真はびくっとして振り返る。
そこには、いつの間にか一人の男が立っていた。
白い髪。丸い眼鏡。
年齢は三十歳くらいだろうか。細身の体で、長めの上着のような服を着ている。どこか学者のような雰囲気をしていた。
腕を軽く組みながら、少し困ったような顔でこちらを見ている。
ミアも振り返った。そして、その顔を見るなりぱっと明るくなる。
「先生!」
元気な声だった。
ミアは勢いよく立ち上がり、そのまま男の方へ駆け寄る。
「ルーカス先生!」
そう叫ぶと、ぎゅっと抱きついた。
男――ルーカスは少し驚いた顔をしたが、すぐに苦笑する。
「おやおや」
「元気ですね、ミア」
ミアは満面の笑みだった。
「先生!見て!」
「今テルマに魔法見せてたの!」
ルーカスはミアの頭をぽん、と軽く撫でる。
それから少しだけ真面目な顔になった。
「それは分かりましたが……」
静かな声で言う。
「炎が花に引火したらどうするんですか?」
ミアは「あっ」という顔をした。
花壇を見る。色とりどりの花がすぐ目の前に咲いている。
「……あ」
ミアは小さく笑って、ごまかすように言った。
「だ、大丈夫だよ?」
ルーカスは少しだけ眉を下げた。
「大丈夫ではありません」
穏やかな声だが、はっきり言う。
「ここは花壇です。火を扱う場所ではありませんよ」
ミアは肩をすくめた。
「は〜い……」
素直に返事をする。ルーカスはそれを見て、小さく息を吐いた。
それから視線を横に移し、輝真の方を見る。
輝真は少し緊張して背筋を伸ばした。
(この人が……先生……)
さっきミアが言っていた「怒ると怖い先生」。
でも今のところは、怒っているというより落ち着いた雰囲気だった。
ルーカスはしばらく輝真を見ていた。それから静かに口を開く。
「貴方が」
少しだけ言葉を区切る。
「スズムラ・テルマさんですか?」
輝真は一瞬びくっとした。
「は、はい!」
思わず声が少し大きくなる。慌てて頭を下げた。
ルーカスは穏やかに頷く。
「やはり」
それから一歩近づく。
「初めまして」
軽く微笑んだ。
「私の名前はアルノヴァ=ルーカス」
胸に手を当て、丁寧に名乗る。
「この村で子供たちに読み書きや計算、それから魔法が使えるものには基礎を教えています」
それから少しだけ肩の力を抜くように言った。
「気軽にルーカス先生と呼んでください」
輝真は慌てて頷く。
「は、はい……!」
ルーカスは優しい目で輝真を見る。
「貴方の話は聞いていますよ」
「え?」
輝真は少し驚き、ルーカスは続ける。
「クラウスさんを助けてくれたこと」
「この村に住むことになったこと」
そして、ほんの少しだけ間を置いた。
その視線は静かだった。
だがどこか、何かを確かめるようでもあった。
「そして……」
ルーカスはゆっくり言う。
「貴方が、どこから来たのかも」
その言葉に、輝真の胸が一瞬だけ強く鳴った。
風がそっと吹き、花壇の花が揺れる。
学舎の中からは、子供たちの声がまだ聞こえていた。




