第4.5話 長い1日の終わり
食事を終える頃には、外はすっかり暗くなっていて、暖炉の火だけが部屋の中を赤く照らしている。
ミアは立ち上がり、皿を重ね始めた。
「よーし、片付け!」
クラウスも立ち上がり、大きな鍋を持ち上げる。
二人は慣れた様子で食器を運び始めた。輝真も慌てて立ち上がる。
「あ、僕も手伝います!」
ミアは振り返って笑う。
「じゃあそれ持ってきて!」
輝真は皿を抱えて後についていった。
台所は食卓のすぐ奥にあった。石で組まれた簡素な流しと、大きな桶が置かれている。ミアは桶に水を汲みながら言った。
「ここに置いといて!」
「はい」
皿を置くと、ミアは手際よく洗い始める。
クラウスは壁にもたれながら腕を組んでいたが、ふと輝真を見た。
「テルマ」
「はい?」
「今日はもう休め」
穏やかな声だった。
「明日は早い」
輝真は少し首を傾げる。
「早いんですか?」
「ああ」
クラウスは頷いた。
「朝になったら村長のとこ行く」
「それにミアが村を案内してくれるんだろ?」
ミアは皿を洗いながら元気よく言う。
「任せて!」
泡だらけの手をぶんぶん振る。
「ベルナ村の全部を見せてあげるから!」
クラウスは呆れたように笑った。
「全部って、そんな広くねぇだろ」
「気分!」
ミアは胸を張る。
その様子を見て、輝真は小さく笑った。
「ありがとうございます」
クラウスは片手をひらひらさせる。
「礼はいい」
それから少しだけ真面目な声になる。
「今日は色々あったろ」
確かにそうだった。
森で目が覚めて、ゴブリンに襲われて、村に来て、異世界だと分かって。
一日とは思えないほどの出来事だった。
クラウスは顎で廊下の方を示した。
「部屋はさっきミアが案内したとこだ」
「ゆっくり休め」
輝真は頭を下げた。
「はい」
ミアは水をばしゃっとはねさせながら笑う。
「おやすみテルマ!」
「お、おやすみ…」
輝真は二人に軽く頭を下げて、廊下へ向かった。
廊下は静かだった。さっきまで賑やかだった声が遠くなる。
木の床がきしっと小さく鳴る。
輝真は自分の部屋の扉を開けた。
小さな部屋だった。
木のベッド、机、窓。窓の外は真っ暗で、遠くに虫の声が聞こえる。
輝真はベッドに腰を下ろし、そのまま一気に横になる。
天井の木目がぼんやりと見えた。
(……今日、めっちゃ疲れた…)
小さく息を吐く。
森で目が覚めたこと。
ゴブリンに襲われたこと。
クラウスに助けられたこと。
ミアと出会ったこと。
そして――
(異世界……)
まだ実感がない。今でも夢じゃないのかと思う。
でも、暖炉の匂いも、スープの味も、全部が現実だった。
輝真は目を閉じる。すると、別の顔が浮かんだ。
曽良。
最後に見た光景が頭に蘇る。
道路。
強いヘッドライト。
迫ってくるトラック。
曽良の声。
――「危ない!」
その瞬間。
輝真はぎゅっと目を閉じた。
(曽良……大丈夫かな)
あの後どうなったのか分からない。
自分は気を失って、そのまま森で目を覚ました。
曽良は無事だったのだろうか。
それとも――
そこまで考えて、首を振る。
(いや、大丈夫だ)
そう自分に言い聞かせる。
曽良はきっと無事だ。
そして、もう一つの顔が浮かんだ。
母。
朝、怒鳴って起こしてきた母の顔。
「てるま!!起きなさい!」
あの声が、やけに遠く感じる。
(母さん……)
今どうしているのだろう。
自分が帰ってこないことに気づいているだろうか。警察に連絡しているかもしれない。
心配しているかもしれない。
胸の奥が少しだけ締め付けられる。
輝真は天井を見つめた。
(俺……帰れるのか?)
ぽつりと心の中で呟く。元の世界に。
あの街に。
母のいる家に。
答えは分からない。
この世界のことは、まだ何も知らない。
ただ一つ分かるのは――
今、自分はここにいるということだけだった。
窓の外では、夜の風が木々を揺らしている。
虫の声が遠くで鳴いていた。
その音を聞きながら、輝真の意識は少しずつ遠のいていく。
長い一日の疲れが、静かに体を包み込んでいった。




