第3話 ベルナ村とミア
馬はゆっくりと速度を落とし、森の出口へと近づいていく。木々の間から差し込む光が強くなり、やがて視界が一気に開けた。
そこには、柵で囲まれた小さな村があった。
木で組まれた簡素な門。柵の内側には、石と木で作られた家が十数軒ほど並んでいる。屋根からは細い煙が上がり、どこかで薪を割る音も聞こえてきた。
畑も見えるところどころに緑の芽も見えていた。
家の前では子供たちが走り回り、年配の女性が洗濯物を干している。
穏やかな光景だった。
輝真は思わず呟いた。
「……村だ」
その声には、少し安堵が混じっていた。
クラウスは軽く笑う。
「そうだ。ここがベルナ村だ」
馬は門をくぐり、村の中へ入っていく。
すると、畑の近くで作業していた男が顔を上げた。
「お、クラウスさんじゃねえか!」
「帰ってきたのか!」
クラウスは片手を軽く上げて応える。
「おう、今戻った」
村の人たちは、どこか安心したような顔をしていた。どうやらクラウスは村の中でも信頼されている人物らしい。
輝真はその様子を見ながら思った。
(この人……村で結構偉い人なのか?)
馬はやがて一軒の少し大きめの家の前で止まった。
クラウスはひらりと馬から降りる。
「よし、降りろ」
輝真は少し戸惑いながらも、なんとか馬から降りた。足が地面についた瞬間、少しふらつく。
さっきまでの緊張が一気に抜けたのかもしれない。
クラウスは腕を組み、しばらく輝真を見ていた。
それから、ふと口を開いた。
「なあ、テルマ」
「はい?」
「お前、この村に住むか?」
輝真は一瞬、意味が分からなかった。
「……え?」
クラウスは当然のように続ける。
「お前、訳ありなんだろ?見たところ身寄りも無いだろ」
確かに、森で一人。荷物もなし。服もぶかぶか。どう見ても普通じゃない。
「それに、助けてくれたしな」
クラウスは軽く笑った。
「さっきのゴブリンの石だ。ありゃ助かった」
輝真は慌てて首を振る。
「い、いや! あれは偶然で……!」
「それでもだ」
クラウスはあっさり言う。
「何もしねぇより、ずっといい」
それから少しだけ真面目な顔になった。
「この村は人手が足りねぇ。働く気があるなら、住む場所くらいは何とかなる」
輝真の胸がどくんと鳴った。
住む場所。
この世界で、生きていく場所。
でも、すぐに不安が浮かぶ。
「で、できるんですか……?」
思わず聞いてしまう。
「そんな簡単に……」
クラウスは少し呆れたように笑った。
「できるさ」
そして胸を親指で指す。
「こう見えて俺は副村長なんだぞ?」
輝真は目を丸くした。
「副村長……!?」
クラウスはにやりと笑う。
「驚いたか?」
それから家の扉に背を預けながら言った。
「俺は年に二回、王都に行く」
「王都……?」
「ああ。エルシア王国の王都だ」
クラウスは空を見上げながら続ける。
「報告会があるんだよ。各村の収穫量とか、周辺の様子とか、税とかを報告するやつだ」
つまり、村の代表の一人ということだろう。
「今回もその帰りだった」
クラウスは腕を組む。
「王都から帰る途中で森を通ったら、馬が急に騒ぎ出してな」
そして輝真を見る。
「そしたらゴブリンがいて、お前がいたってわけだ」
本当に偶然だったらしい。
もしクラウスが王都から帰る日じゃなかったら――
もし森を通らなかったら――
輝真は今ここにいなかったかもしれない。
背筋が少し寒くなる。
クラウスはそんな輝真を見て、少し柔らかい声で言った。
「まあ、すぐ決めなくてもいい」
「……」
「だが、少なくとも今夜はここに泊まれ」
村の中を指さす。
「腹も減ってるだろ」
その瞬間、ぐうううう……と大きな音が鳴った。
輝真の腹だった。顔が一瞬で真っ赤になる。
クラウスは大笑いした。
「ははは! 腹は正直だな!」
そして輝真の肩をぽんと叩く。
「とりあえず飯だ」
クラウスは軽く笑いながら、目の前の家を指差した。
木と石で作られた、村の中でも少し大きめの家だった。壁はしっかりとした丸太で組まれ、屋根には乾いた藁が敷き詰められている。窓からは暖かい橙色の光が漏れていて、中で火が焚かれているのが分かった。
煙突からは細い煙がゆっくりと空へ伸びている。
クラウスは顎で家を示した。
「今日は俺の家に泊まれ」
あまりにも自然に言われたので、輝真は一瞬反応が遅れた。
「……え?」
「どうせ泊まる場所もねぇんだろ」
クラウスは扉の前まで歩きながら続ける。
「村の空き家はあるが、掃除もしなきゃならんし、今日はもう日が落ちる」
空を見上げると、確かに太陽は山の向こうへ沈みかけていた。空は橙色に染まり、森の影が長く伸びている。夜が近い。
森の近くの村で夜を迎えるのがどれほど危険なのか、輝真にはまだ分からない。けれど、クラウスの言葉の重みは感じ取れた。
輝真は慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます!」
深くお辞儀をする。
こんな見知らぬ自分を助けて、さらに泊めてくれるなんて思ってもいなかった。
クラウスは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
「礼はいい」
そう言って手をひらひらと振る。
「これで貸し借りなしだ」
「え?」
輝真が顔を上げる。
クラウスは肩をすくめた。
「さっき言っただろ。石」
ゴブリンに投げた石のことだ。
「お前が投げてなかったら、あの一瞬で少し手間取ってたかもしれねぇ」
そして扉の前で立ち止まる。
「だからこれでおあいこだ」
軽く笑う。
「気にすんな」
そう言って、木の扉を押し開けた。
ギィ……と音を立てて扉が開く。
中から暖かい空気と、香ばしい匂いが流れてきた。どうやら何か料理が作られているらしい。
その瞬間――
「お父さーん!?」
元気な声が家の奥から飛んできた。
ドタドタドタッと足音が近づいてくる。
そして次の瞬間、家の奥から少女が飛び出してきた。
「遅いよー!もう夕飯……って――」
そこで言葉が止まる。
少女は輝真を見て、ぱちぱちと瞬きをした。
年は中学生くらいだろうか。肩までの茶色い髪を後ろで軽く束ねている。活発そうな瞳で、服の袖は少し汚れていた。どうやらさっきまで何か作業をしていたらしい。
少女はクラウスを見て、また輝真を見る。
「……誰?」
クラウスは靴を脱ぎながら答えた。
「森で拾った」
「は?」
少女の声が裏返った。
「森で!?」
輝真は慌てて頭を下げる。
「えっと、す、鈴村輝真です!」
少女は目を丸くしたまま輝真を見ていた。
それからクラウスを振り返る。
「お父さん」
「なんだ」
「また変なことしてる」
クラウスは笑った。
「変なことじゃねぇ」
少女の頭を軽くぽんと叩く。
「ミア、こいつはテルマだ」
そして輝真に向き直る。
「こっちはミア。俺の娘だ」
輝真は驚いた。
(娘……)
少女――ミアは腕を組んで輝真をじっと見つめていた。
少し警戒しているようにも見えるが、好奇心の方が強そうだ。
「テルマ?」
ミアは名前を繰り返す。
「変な名前」
「ご、ごめん……」
思わず謝ってしまう輝真。ミアは突然笑った。
「冗談だよ!」
明るく言う。
「この辺じゃ聞かない名前だけど、別に変じゃないって!」
そして輝真の周りをぐるっと一周する。
「へえー」
興味深そうに覗き込む。
「年、いくつ?」
「えっと……」
輝真は一瞬迷った。
実際の年齢はもっと上だけど、体は中学一年の頃だ。
「た、たぶん十三……」
「ふーん」
ミアは頷く。
「私より1つ下か」
胸を張る。
「私十四歳!」
元気いっぱいの笑顔だった。
クラウスは呆れたように言う。
「自慢することじゃねぇ」
それから台所の方を指差す。
「飯できてんのか?」
ミアはぱっと振り向いた。
「あっ!」
そして慌てて奥へ走っていく。
「スープ火かけっぱなしだった!」
ドタドタと音が遠ざかる。
クラウスは苦笑した。
「相変わらず落ち着きがねぇ」
そして輝真を見る。
「まあ、あんな感じだ」
少し肩をすくめる。
「女手はあいつだけだからな」
輝真は思わず聞いた。
「あの……」
「ん?」
「お母さんは……?」
一瞬、空気が静かになった。
クラウスは少しだけ視線を外し、窓の外を見た。
そして短く言った。
「いない」
それ以上は言わなかった。
けれど、その一言だけで十分だった。
輝真も申し訳ないように思い、それ以上聞かなかった。
奥の台所から、ミアの声が響く。
「ご飯できてるよー!」
クラウスは息を吐き、軽く笑う。
「ほら」
テーブルの方を指差す。
「腹減ってんだろ」
そして言った。
「まず飯だ」




