第12話 謝罪
小さな音が廊下に響く。
輝真は扉の前に立ったまま、じっと待つ。
……返事はない。
(やっぱり怒ってるよな……)
当然だと思う。
自分でも、あんな言い方をされたら腹が立つ。
輝真はもう一度、少しだけ強くノックした。
こん、こん。
少し間があって――中から声がした。
「……何」
さっきより落ち着いた声だったが、どこか冷たい。
輝真は少し背筋を伸ばす。
「えっと……テルマです」
短い沈黙。
それから、扉の向こうで小さくため息のような音がした。
「……どうぞ」
輝真はそっと扉を開けた。部屋は小さかった。
机と、本棚と、ベッド。それだけの簡素な部屋だ。窓から夕方の光が差し込み、部屋の中をやわらかく照らしている。
リシェルは窓のそばに立っていた。
背中を向けたまま、外を見ている。
長い黒髪が、光を受けて静かに揺れていた。
輝真は扉の前で立ち止まる。
「……あの」
言葉が詰まる。
何をどう言えばいいのか、一瞬分からなくなる。
でも、逃げるわけにはいかない。
輝真は頭を下げた。
「さっきは、ごめんなさい」
部屋の空気が静かに止まる。リシェルは振り向かない。
輝真は続けた。
「俺……」
言葉を探しながら言う。
「黒髪見て、勝手に異世界人だって決めつけて……」
拳をぎゅっと握る。
「ちゃんと考えずに聞いてしまいました」
静かな声で言う。
「本当に、ごめんなさい」
しばらく沈黙が続いた。
窓の外から、遠くで遊ぶ子供たちの声が聞こえる。
やがて――
リシェルがゆっくり振り向いた。
表情はさっきほど怒ってはいない。
でも、少しだけ警戒するような目をしていた。
「……別に」
短く言う。
「謝らなくていい」
輝真は顔を上げる。
リシェルは腕を組んだ。
「どうせ、みんな同じこと言うから」
視線を少しだけ逸らす。
「黒髪だと、すぐ異世界人とか災いとか」
声は落ち着いていたが、どこか慣れてしまったような響きがあった。
「慣れてる……」
輝真はその言葉に、胸が少し痛くなる。
「……でも」
輝真は言った。
「それでも、俺が悪かったです」
リシェルは少しだけ目を細めた。
輝真をじっと見て、それからふっと小さく息を吐く。
「……はぁ」
ため息混じりに言った。
「私も……」
窓の外へ視線を向ける。
夕方の光が、黒い髪を赤く染めていた。
「貴方みたいな金髪とか」
少しだけ口元を歪める。
「ミアみたいな茶髪が良かった」
その言葉は、静かだった。
怒りというより――諦めに近い響きだった。
輝真の胸が、ぎゅっと苦しくなる。
(……あ)
この感情を、輝真は知っていた。
胸の奥に、ずっと昔の記憶が浮かぶ。
――中学校の教室。
周りはみんな黒髪。
当たり前のように、みんな同じ色だった。
でも、自分だけ違った。窓ガラスに映る自分の髪。
明るい金色。
嫌でも目立つ。
「ハーフ?」
「染めてんの?」
「外国人?」
何度も聞かれた。
悪気がないことも分かっていた。
でも――それでも嫌だった。
ある日の夜。
家のリビングで、俺は母さんに怒鳴った。
『なんで俺だけ金髪なんだよ!!』
母さんは驚いた顔をしていた。
『みんな黒髪なのに!!』
『なんで俺だけ違うんだよ!!』
言いながら、涙が出そうになっていた。
本当は怒りじゃない。
ただ――普通になりたかっただけだ。
みんなと同じになりたかっただけだ。
「……」
輝真はゆっくり顔を上げた。
リシェルを見る。黒い髪。
夕日の光を受けて、柔らかく揺れている。
輝真はぽつりと言った。
「……最初はさ」
少し言葉を探すように間を置く。
「俺も、この髪色が嫌いだったんだ」
リシェルの眉がわずかに動く。
輝真は自分の金色の髪を軽くつまんだ。
夕方の光を受けて、細い髪がきらりと光る。
「小さい頃からずっとこの色でさ」
苦笑する。
「目立つし、よく色々言われるし」
肩をすくめる。
「だから、何回も思ったよ」
少し視線を落とす。
「なんで俺だけ違うんだろうって」
部屋の中に、静かな空気が流れる。
リシェルは何も言わない。
ただ、じっと輝真を見ている。
輝真は少し恥ずかしそうに頭をかいた。
「でもさ」
ゆっくり言葉を続ける。
「あるとき思ったんだ」
「これって、ただの髪だよなって」
リシェルが小さく瞬きをする。
輝真は少しだけ笑った。
「金色でも、黒でも、茶色でも」
「結局ただの髪だろって」
少しだけ視線を上げる。
「なのに、その色だけで色々言われるのって」
肩をすくめる。
「なんか変だよなって思った」
リシェルは腕を組んだまま、静かに聞いていた。
輝真は続ける。
「だから今は」
自分の髪を指でくしゃっとかき上げる。
「まあ、これはこれでいいかなって思ってる」
それから、ふっとリシェルの方を見る。
黒い髪。
夕日の光で赤く染まっている。
静かに揺れる長い髪。
輝真は少しだけ照れくさそうに言った。
「……俺は」
一度言葉を区切る。
それから、はっきりと言った。
「その髪、綺麗だと思う」
リシェルの目が、わずかに見開かれる。
輝真は少し慌てて続けた。
「あ、いや、変な意味じゃなくて」
「その……」
言葉を探す。
「夕日当たってると、すごく綺麗だなって思った」
窓の外から差し込む光が、黒髪をやわらかく照らしている。
まるで夜空みたいに深い色だった。
輝真は少し笑った。
「だから」
「そんな嫌そうに言うの、もったいないなって思って」
部屋の中が、しばらく静かになる。
リシェルは少しだけ視線を落とした。
指先で自分の髪を軽く触る。
さらり、と黒い髪が揺れる。
そのまま、ぽつりと聞いた。
「……本気で言ってるの?」
輝真はすぐ答えた。
「うん」
迷いはなかった。リシェルは少しだけ黙る。
それから、小さく息を吐いた。
「……変な人」
輝真は苦笑する。
「よく言われる」
リシェルは窓の外を見たまま、少しだけ口元を緩めた。
しばらく、誰も何も言わない。
静かな時間が流れる。
やがて――
リシェルがぽつりと呟いた。
「……初めて言われた」
輝真は少し首を傾げる。
「え?」
リシェルは自分の髪を指先でそっと触った。
さらり、と黒い髪が肩の上で揺れる。
「綺麗って……」
小さな声だった。輝真は思わず言った。
「そうなの?」
リシェルは少しだけ視線を落とす。
「うん」
短く頷く。
それから静かに続けた。
「みんなは……」
言葉を探すように少し間を置く。
「怖いとか、気味が悪いとか、不吉だとか」
窓の外を見る。
夕日がゆっくりと沈みかけていた。
「そういうことばっかり」
部屋の空気が少し重くなる。
輝真は何も言えなかった。
胸の奥が、じわりと苦しくなる。
リシェルはふっと小さく息を吐いた。
それから、輝真の方を見る。
「……私も」
少しだけ眉を下げた。
「大人気なかった。さっき、怒鳴って」
小さく言う。
「ごめんなさい」
輝真はすぐに首を振った。
「いやいや!」
慌てて手を振る。
「謝らなくていいよ!」
少し笑う。
「俺が変なこと聞いたんだし」
肩をすくめる。
「怒るの普通だって」
リシェルは一瞬だけ驚いたような顔をした。
それから、ほんの少しだけ表情が柔らぐ。
輝真は少し考えてから言った。
「じゃあさ……」
リシェルを見る。少し照れくさそうに笑った。
「友達になろうよ」
リシェルは目を瞬かせた。
「……友達?」
輝真は頷く。
「うん」
「せっかく同じ村にいるんだし」
頭の後ろをかく。
「その……」
「さっきみたいな感じで終わるの、なんか嫌だなって思って」
部屋の中に、少しの沈黙が落ちる。
リシェルは輝真をじっと見た。
まるで何かを確かめるみたいに。
それから、ふっと視線を外す。
窓の外の夕焼けを見る。
「……」
しばらく黙ったあと、ぽつりと言った。
「……考えとく」
その言い方はぶっきらぼうだった。
でも――
さっきまでの拒絶とは違っていた。
輝真は少し笑った。
「うん」
「それでいい」
窓の外では、夕日がゆっくりと沈んでいく。
そのときだった。
――ガタン。
廊下の方から、小さな音がした。
次の瞬間。
「わわ!?」
ドアが勢いよく開き、ミアが前のめりに部屋へ転がり込んできた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
ミアは慌てて両手を床につき、なんとか倒れるのをこらえる。
しばらくその姿勢のまま固まる。
部屋の中が一瞬しんと静まり返った。
輝真とリシェルは同時にミアの方を見た。
ミアはゆっくり顔を上げる。
「あ、あはは……」
乾いた笑い声。
輝真は半目でミアを見る。
「……ミア」
ミアはぴくっと肩を震わせた。
輝真は腕を組む。
「もしかして」
少し間を置く。
「聞き耳立ててたな?」
ミアは視線を泳がせた。
「いや〜……」
後頭部をぽりぽりとかく。
「その〜……」
少し考えてから、にこっと笑う。
「偶然ドアにもたれかかったら、ちょうど倒れただけっていうか〜」
輝真はじっと見る。
「最初から聞いてたろ」
ミアは目をそらした。
「……ちょっとだけ?」
リシェルが小さくため息をつく。
「はぁ……」
腕を組んだまま、呆れたようにミアを見る。
「いつから?」
ミアは指で空中をくるくるさせながら答えた。
「えっと〜……」
少し考える。
「綺麗って言ったあたり?」
一瞬、部屋の空気が止まる。
輝真の顔が一気に赤くなった。
「そこから!?」
ミアは慌てて手を振る。
「いやいやいや!」
「全部聞いたわけじゃないよ!?」
輝真は額を押さえる。
「ほぼ全部じゃねぇか……」
リシェルも少しだけ顔を赤くして、視線を窓の外へ逃がした。
ミアはそんな二人を見て、ぱっと表情を明るくした。
「でもよかった〜!」
両手を胸の前でぱんっと合わせる。
「仲直りしたんだね!」
輝真は少し照れくさそうに頭をかく。
「まあ……」
リシェルは小さく息を吐いた。
「別に、喧嘩してたわけじゃない」
ミアはにやっと笑う。
「でも友達になろうって言ってたよね?」
輝真がぎくっとする。
「お前ほんとは全部聞いてたな!?」
ミアは楽しそうに笑った。
「えへへ」
リシェルはミアを見て、少しだけ困ったように眉を下げる。それから輝真をちらっと見た。
「……考えとくって言っただけ」
ミアはすぐに言う。
「じゃあ半分友達だ!」
「は?」
リシェルが思わず声を出す。ミアは得意げに胸を張る。
「考え中ってことは、可能性あるってことでしょ?」
輝真は思わず笑った。
「めちゃくちゃだな」
ミアはにこにこしている。
「いいじゃん!」
それからリシェルを見る。
「リシェルも、たまには友達増やした方がいいよ!」
リシェルは一瞬黙る。
それから小さく息を吐いた。
「……うるさい」
でも、その声はさっきまでよりずっと柔らかかった。
ミアはぱん、と手を叩いた。
「じゃあ今度こそ帰ろっか!」
くるっと振り返りながら言う。
「お父さんも待ってるだろうし」
輝真も頷いた。
「だな」
それからリシェルの方を見る。
「じゃあ、俺たち帰るよ」
ミアもぺこりと頭を下げた。
「今日はありがとう!」
リシェルは少し驚いたように瞬きをする。
「……別に」
ぶっきらぼうに言う。
でも、追い出すような雰囲気ではなかった。
輝真は扉の前まで歩き、手をかける。
そのとき、少しだけ振り返った。
窓のそばに立つリシェル。
夕焼けの光の中で、黒い髪が静かに揺れている。
「……またな」
何気ない調子で言った。
リシェルは一瞬だけ目を細める。
それから、ほんのわずかに頷いた。
「……うん」
その小さな返事を背に、輝真は扉を開けた。
ミアと一緒に廊下へ出る。
廊下にはもう夕方の静けさが広がっていた。
さっきまで聞こえていた子供たちの声も、ほとんど消えている。
学舎の外へ出ると、空はすっかり夕焼けに染まっていた。
赤と橙が混ざった光が、村の屋根や畑をやわらかく照らしている。
遠くで牛の鳴き声が聞こえ、どこかの家からは夕飯の匂いが漂ってきた。
ミアは大きく伸びをした。
「は〜……」
空を見上げる。
「今日は色々あったね」
輝真は苦笑した。
「確かに」
二人は並んで歩き出す。
村の道は土でできていて、歩くたびに小さく砂が鳴った。
少しの間、ミアは何も言わずに歩いていた。
でも――
ちらっ。
横目で輝真を見る。
また前を見る。
そして、またちらっと見る。
輝真は気づいて言った。
「……なんだよ」
ミアはにやにやしている。
「別に〜?」
わざとらしく言う。
輝真はため息をついた。
「絶対なんかあるだろ」
ミアはついに笑い出した。
「だってさ!」
輝真を指さす。
「テル、あんな真面目な顔して」
声色を少し真似する。
『その髪、綺麗だと思う』
輝真の顔が一気に赤くなる。
「お前ほんと全部聞いてたな!?」
ミアは大笑いする。
「だって気になるじゃん!」
「テルがあんなこと言うなんて!」
輝真は頭を抱えた。
「うわぁ……最悪だ……」
ミアは楽しそうに笑いながら言う。
「でもさ」
少しだけ真面目な顔になる。
「リシェル、ちょっと嬉しそうだったよ」
輝真は歩きながら少し黙る。
「……そうか?」
ミアは頷く。
「うん」
少し考えるように空を見る。
「リシェル、あんまり人と話さないし」
「村の子も、ちょっと避けてるから」
輝真はその言葉に少し眉をひそめた。
「やっぱり、髪のせいか?」
ミアは小さく肩をすくめる。
「うーん……」
「それもあると思う」
少し間を置いて続ける。
「黒髪って、この辺だと珍しいし」
「それに……」
言葉を濁す。
「昔から、色々言われてるみたい」
輝真はそれ以上は聞かなかった。
二人はしばらく無言で歩く。
村の道を抜け、畑の横を通り、ゆるやかな坂を下る。
夕日はもう半分以上沈んでいた。
空はだんだんと紫色に変わり始めている。
輝真は前を見ながら、心の中で考えていた。
(……気になるな)
さっきリシェルが言っていた言葉。
“災い”
“気味が悪い”
ただ珍しいだけで、そこまで言われるだろうか。
ただの噂というより――
もっと昔から続いているような感じがする。
輝真は小さく息を吐いた。
(クラウスさんに聞かないとな)
何でこんなに――
異世界人が嫌われているのか。
空はすっかり夕暮れ色に変わり、村には少しずつ夜が近づいていた。




