第11話 黒髪の少女
水晶の赤い光は、しばらくの間静かに揺れている。まるで小さな炎が、透明な石の中でゆっくり呼吸しているようだった。
やがて輝真が手を離すと、その光は少しずつ弱まり、ゆっくりと消えていく。
教室には再び静けさが戻った。
輝真はまだ水晶を見つめていた。
(本当に……光った)
胸の奥が、さっきから妙に落ち着かない。
ミアは相変わらず目を輝かせている。
「すごいよテル!」
「炎だよ炎!」
嬉しそうに両手を振る。
「私と同じ!」
輝真は苦笑する。
「そんなにテンション上がる?」
ミアは即答した。
「上がるよ!」
ルーカスはそんな二人を見ながら、静かに水晶を手に取った。
指で軽く撫でるようにしてから、ローブの中へしまう。それから、改めて輝真を見る。
「テルマくん」
輝真は姿勢を少し正した。
「はい」
ルーカスは穏やかな声で言った。
「もしよかったら――」
少しだけ間を置く。
「魔法を学びませんか?」
輝真は瞬きをした。
「魔法を?」
ルーカスは頷く。
「はい」
腕を組みながら、静かに続ける。
「今のままでは、せっかくの才能が宝の持ち腐れです」
窓の外をちらりと見る。
子供たちの声は、もうかなり遠くなっていた。
「この村には正式な魔法学校のようなものはありませんが」
「基礎くらいなら、私が教えることはできます」
ミアがぱっと振り向いた。
「ほんと!?」
ルーカスは軽く笑う。
「ええ」
それから輝真を見る。
「もちろん、無理にとは言いません」
「テルマくんが望むなら、ですが」
輝真は少し黙った。
魔法。
さっきまで、現実とは思えなかったもの。
でも、確かに水晶は光った。
(俺が……魔法を)
胸の奥が、また少し熱くなる。考えるまでもなかった。輝真は顔を上げる。
「ぜひ!」
はっきりと言い、ルーカスは満足そうに頷いた。
「分かりました」
「では、少しずつですが教えていきましょう」
ミアがぴょんっと跳ねた。
「やった!」
拳を握る。
「テルと一緒に魔法できる!」
輝真は苦笑する。
「まだ何もできないけどな」
ミアは胸を張った。
「すぐできるよ!」
教室の窓から、夕方の光が差し込んでいた。
いつの間にか、太陽はだいぶ傾いている。
床に長い影が伸びていた。ルーカスがふと外を見る。
「もうこんな時間ですか」
静かに言う。
「すっかり夕方ですね」
輝真も窓を見る。オレンジ色の光が村の屋根を照らしていた。
(そういえば……)
(事故も夕方だったな)
一瞬、あの日の光景が頭をよぎる。
横断歩道。
迫るトラック。
曽良の声。
――だが、その記憶はすぐに薄れていった。
今は、ここにいる。
ベルナ村の小さな教室に。
ミアがぱんっと手を叩いた。
「よし!」
輝真を見る。
「じゃあ帰ろっか!」
にこっと笑う。
「お腹すいた!」
三人は教室を出る。
木の扉がきぃ、と小さく軋む。
廊下には夕方の光が差し込んでいた。窓から伸びる光が床に長い帯を作り、歩くたびに三人の影がゆっくり揺れる。
ミアは両手を頭の後ろで組みながら歩いていた。さっきからずっと機嫌がいい。
「いやー、びっくりした!」
振り返って輝真を見る。
「まさかテルマも魔法が使えるなんて!」
輝真は苦笑した。
「俺が一番びっくりしてるよ」
自分の手を見ながら言う。
「今でもちょっと信じられない」
ミアはくすっと笑った。
「大丈夫だよ!」
「すぐ慣れるって!」
輝真はふと疑問に思って聞いた。
「そういえばさ」
ミアとルーカスを見る。
「魔法って……できない人もいるの?」
ミアは「え?」という顔をしたが、答えたのはルーカスだった。
廊下を歩きながら、落ち着いた声で言う。
「ええ、いますよ」
少し考えるように視線を上げる。
「この世界では――」
「およそ二人に一人くらいですね」
輝真は少し驚いた。
「そんなに?」
ルーカスは頷く。
「魔法は珍しいものではありません」
「ですが、誰もが使えるわけでもない」
ミアが横から口を挟む。
「父さんも使えないよ!」
胸を張る。
「剣はめちゃくちゃ強いけどね!」
輝真は頷いた。
(クラウスさんか)
確かにあの体格なら、魔法がなくても強そうだ。
ルーカスは続ける。
「魔法の才能がなくても、剣士や職人として生きていく人は多いです」
「ですから、魔法が使えるというのは――」
少しだけ微笑む。
「それだけで一つの才能なんですよ」
輝真は少し照れくさそうに頭をかいた。
「才能って言われると、なんか恥ずかしいな」
そんな話をしながら、三人は廊下を歩き続ける。
やがて、学校の玄関が見えてきた。
木の大きな扉。
夕方の光が差し込み、外の土の道がオレンジ色に染まっている。
ミアが言った。
「もうみんな帰ってるかな」
そう言いながら玄関へ向かう。
その時――
一人の少女とすれ違った。
輝真は思わず足を止める。
黒髪だった。
夕方の光を受けて、長い髪が静かに揺れる。この村で見てきた人たちは、ほとんどが茶色や金色に近い髪だった。だからこそ、その色はひどく目を引いた。
そのとき、ルーカスが穏やかな声で言った。
「おかえり、リシェル」
少女は足を止め、少しだけ振り向く。
「ただいま、父さん」
落ち着いた、丁寧な口調だった。
そのまま、特に気にした様子もなく三人の横を通り過ぎていく。輝真は思わず振り返った。
長い黒髪が、廊下の奥へと遠ざかっていく。
(黒髪!?)
心臓がどくんと鳴る。
(この世界に来て初めて見た……)
ふと、村長の言葉を思い出す。
――黒髪。それは異世界人の証拠。
(まさか……)
あの人も、元の世界から来た人なのかも!
輝真は慌てて声をかけた。
「あ、あの!」
少女の足が止まる。
ゆっくりと振り向いた。
「……?」
少しだけ首をかしげる。
「何?」
輝真は慌てて言った。
「ぼ、僕!今日からこの村に住むことになった輝真って言います!」
少女は一瞬だけ輝真を見つめる。
そして短く答えた。
「そう…」
それだけだった。
輝真は続けて言う。
「日本から来ました!」
少女の眉がわずかに動く。
「……ニホン?」
「そうです!日本から!」
少女はきょとんとした顔をした。
「ニホンなんて所、知らないけど」
輝真は一瞬固まる。
「え?」
思わず聞き返す。
「異世界人じゃ無いんですか?」
その言葉を聞いた瞬間だった。
少女の目つきが、すっと鋭くなる。
「……は?」
低い声。
先ほどまでの落ち着いた雰囲気とは違う。
「何で私が異世界人なの?」
一歩、輝真を見る。
「もしかして――」
自分の髪を指先で軽くつまむ。
「この髪色だから?」
輝真は慌てて言う。
「え、いや!異世界人は黒髪って聞いて……」
その瞬間。
少女の表情がはっきりと怒りに変わった。
「だから何?」
声が少し強くなる。
「あなたは異世界人を見たことがあるの?」
輝真は言葉に詰まる。
リシェルは続けた。
「髪が黒いだけで異世界人?」
「ふざけないで!」
廊下に、ぴんと張りつめた空気が流れる。
リシェルは輝真を睨むように見たあと、くるりと背を向けた。
そのまま廊下の奥の部屋へと歩いていく。
バタン!、と扉が閉まった。
静けさが残る。
ミアは少し困った顔をしていた。
「……テル」
小声で言う。
「今の、ちょっとまずかったかも」
輝真はまだ状況が飲み込めていない。
「え……?」
そのとき、ルーカスが静かに口を開いた。
「テルマくん」
いつもの穏やかな声だった。
「この世界で黒髪は……確かに極めて珍しいです」
ゆっくり続ける。
「ですが、稀に黒髪として生まれてくる人もいます」
輝真は驚く。
「そうなんですか?」
ルーカスは頷く。
「ええ」
少しだけ視線を落とした。
「ですが――」
「黒髪=異世界人という偏見がある」
「そのせいで、黒髪の子供は……」
言葉を選ぶように少し間を置く。
「災いの子だと、思われることもあります」
輝真は息をのむ。
ルーカスは静かに続けた。
「リシェルは……」
「王都で捨てられていた子です」
輝真の目が見開かれる。
「え……」
「まだ小さい頃でした」
ルーカスは少し遠くを見るように言う。
「黒髪だからという理由で、道端に捨てられていた」
廊下に夕方の光が差し込んでいる。
長い影が静かに揺れる。
「ですから――」
ルーカスは静かに言った。
「私が拾い、この村に連れてきました」
ミアも少し寂しそうな顔をしていた。
「リシェル、普段は優しいんだけどね」
ぽつりと言う。
「黒髪とか、異世界人とか言われるの……すごく嫌がるんだ」
輝真はさっき閉まった扉を見た。
(俺……)
胸の奥が少し重くなる。
(やっちまった……)
輝真は、さっき閉まった扉を見つめたまま動けなかった。
(俺……)
胸の奥が、じわりと重くなる。
思い返す。
黒髪を見た瞬間、勝手に「異世界人だ」と決めつけたこと。相手の事情も何も知らないまま、当然のように聞いてしまったこと。
(俺が一番やったら駄目なことだ…!)
唇をきゅっと結ぶ。
(髪色だけで判断して、勝手に決めつけるなんて……)
ふと、昔の記憶が頭をよぎる。
クラスの後ろの席。笑いながら人をからかう声。
理由なんてどうでもよさそうに、ただ「違う」というだけで誰かを見下す連中。
(このままじゃ……)
拳を握る。
(俺をいじめてたヤンキーと一緒じゃねぇか!)
胸の奥が、じんと痛んだ。
輝真は顔を上げた。
「……ルーカス先生」
ルーカスが静かに視線を向ける。
「はい」
輝真ははっきり言った。
「謝ってきます」
廊下の奥の扉を見る。
「ちゃんと」
「俺が悪いんで」
ミアが少し驚いた顔をする。
ルーカスは一瞬だけ輝真を見つめ、それから小さく頷いた。
「……それが、一番いいでしょう」
穏やかな声だった。
「リシェルも、きっと分かってくれると思いますよ」
輝真は小さく息を吸う。
そして、廊下の奥へ歩き出した。
夕方の光が床を長く染めている。
一歩、また一歩。
やがて、さっきリシェルが入っていった扉の前に立った。
木の扉。
中からは物音は聞こえない。
輝真は少しだけ迷う。
(怒ってるよな……)
当然だ。
それでも――
逃げたくはなかった。
輝真は拳を軽く握り、扉をこんこん、とノックした。




