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第9話 先生の助手

教室の前は、すっかり小さな嵐のようになっていた。

窓の前に集まった子供たちは、口々に喋り続けている。


「ミアお姉ちゃん!」


「これ見て!」


「この問題わかんない!」


「ねえ遊ぼうよ!」


「鬼ごっこしよ!」


小さな手が窓枠に並び、顔がいくつも重なっていた。算数の紙を振る子もいれば、ただ嬉しそうに笑っている子もいる。


輝真はその光景に少し圧倒されながら立っていた。


(すごいな……)


(めちゃくちゃ元気だ……)


日本の学校でも休み時間は騒がしいけれど、ここまで一斉に集まってくる感じはなかった気がする。


そんな中――


ルルが、ふと輝真の方を見た。


猫の耳がぴくりと動く。


黒い瞳がじっと輝真を見つめた。


少し首を傾げてから、ルルはミアの服の裾をちょんちょんと引っ張る。


「ねぇミア」


ミアは振り向いた。


「ん?なに?」


ルルは輝真の方を指さす。


「あの人誰?」


教室の中にいた子供たちも、今さら気づいたように輝真の方を見る。


「ほんとだ」


「知らない人だ」


「誰ー?」


ミアは「あっ」と声を上げふっと笑う。


「テルマって言うの!」


元気いっぱいに言った。


「今日からこの村に住むことになったからみんなも仲良くしてあげて!」


少しだけ誇らしそうに胸を張る。


その言葉を聞いた子供たちは、すぐに声をそろえた。


「はーい!」


元気な返事だった。そして次の瞬間――


ばたばたばたっ!


教室の扉が勢いよく開いた。

子供たちが一斉に外へ飛び出してくる。


「うわっ!?」


輝真は思わず後ろに一歩下がった。


だがもう遅い。


あっという間に、子供たちが輝真の周りを囲んでいた。


「どこからきたのー?」


「ミアお姉ちゃんの友達?」


「ねえねえ!」


「ドラゴン見たことあるの!?」


一人の子が算数の紙を差し出してくる。


「この問題教えてー!」


別の子は輝真の服をちょんちょんと引っ張った。


「背高いね!」


「何歳!?」


「剣使える!?」


質問が次々飛んでくる。


輝真は完全に囲まれてしまっていた。


(え、ええ!?ちょっと待って!?)


頭の中が追いつかない。


その時――


足元に、ふわっと何かが触れた。


輝真は下を見る。


そこには――


ルルがいた。


ルルは輝真の足に、猫のように体をすり寄せていた。


すりすり。


すりすり。


柔らかそうな尻尾がゆらゆら揺れている。


「えっ」


輝真は固まる。ルルは気にせず、もう一度すりすりした。


まるで本物の猫のようだった。


(え……なにこれ……ちょーかわいい!)


思わずそんな感想が浮かぶ。


その様子を見て、ミアが目を輝かせた。


「あ!」


嬉しそうな声を上げる。


「いいなー!」


輝真はミアを見る。


「え?」


ミアは指をびしっとルルに向けた。


「ルルがすりすりする時ってね!」


にやっと笑う。


「撫でて欲しい時なの!」


輝真はもう一度ルルを見る。


ルルは相変わらず、輝真の足に体を寄せている。


猫耳がぴくぴく動き、尻尾がゆらゆら揺れていた。


そして、ちらっと上目遣いで輝真を見る。


「……?」


小さく首を傾げていた。


(え、撫でていいの……?)


輝真は少し戸惑いながら、そっと手を伸ばした。


ゆっくりと――


ルルの頭に触れる。


ふわっ。


思っていたより、ずっと柔らかかった。


「わ……」


思わず声が漏れる。


ルルの耳がぴくっと動く。


そして目を細める。


「……にゃ」


小さく、満足そうな声を出した。


その様子を見て、ミアが楽しそうに笑った。


「でしょ!?」


「ルルふわふわなんだよ!」


子供たちも興味津々で見ていた。


「いいなー!」


「俺も撫でたい!」


「ルルずるい!」


わいわいと騒ぐ子供たち。


そしてその少し後ろで――


ルーカスはまた静かにため息をついていた。


だが次の瞬間。


パンッ!


乾いた音が廊下に響いた。


ルーカスが両手を叩いた音だった。


子供たちはびくっとして、一斉に先生の方を見る。ルーカスは穏やかな笑顔のまま言った。


「はい、皆さん」


声は優しいが、しっかり通る声だった。


「休憩はおしまいです」


少し間を置いて続ける。


「そろそろ授業に戻りましょう」


子供たちは一瞬だけ静かになった。


そして――


「は〜い……」


少し名残惜しそうな声が返ってくる。


「えーもう?」


「まだ遊びたいー」


「算数やだー」


そんな声も混ざっていたが、それでも子供たちはぞろぞろと教室へ戻り始めた。


ルルも輝真の足から離れる。


少しだけ名残惜しそうに見上げてから、とことこと教室の中へ戻っていった。尻尾がゆらゆら揺れている。


輝真はその様子を見て、なんとなく寂しい気持ちになる。


(あ……行っちゃった)


さっきまで足元にいた温もりがなくなっていた。


子供たちは机に戻り始める。椅子を引く音。

紙を広げる音。


まだ少しざわざわしているが、さっきの騒ぎに比べればずっと静かだった。


その様子を見て、ルーカスは満足そうに小さく頷いた。


それから輝真の方へ振り向く。


「テルマさん」


「はい?」


輝真は少し背筋を伸ばす。


ルーカスは穏やかに微笑んだ。


「せっかくですから」


少し教室の方を見てから言う。


「テルマさんも授業を手伝ってくれますか?」


輝真は一瞬驚いた。


「えっ」


自分を指さす。


「僕がですか?」


ルーカスは頷く。


「ええ」


そして少しだけ冗談めかした声で言った。


「見ての通り、今日は少し騒がしくなってしまいましたから」


教室の中では、まだ子供たちがひそひそと「テルマだ」「さっきの人だ」と話している。


ルーカスは続ける。


「人数が多いと、一人で見るのも大変でして」


輝真は少し考えた。


(授業を……手伝う?)


日本では、もちろんそんなことはしたことがない。けれど――

子供たちの顔を見ていると、不思議と嫌な気はしなかった。むしろ少し楽しそうだと思ってしまう。


輝真は頷いた。


「はい!」


少し元気な声で言う。


「僕でよければ!」


ルーカスは嬉しそうに微笑んだ。


「助かります」


それから、すっと視線を横に向ける。


そこにはミアがいた。


さっきから少し気まずそうに立っている。

ルーカスは眼鏡を軽く押し上げた。


「ミア」


ミアはびくっと肩を震わせる。


「は、はい!」


ルーカスは穏やかな笑顔のまま言った。


「貴方は強制ですよ」


ミアは「え?」と目を丸くする。


ルーカスは続けた。


「うるさくした罰です」


その言葉は優しい口調だったが、内容はしっかりしていた。ミアの肩がしゅんと落ちる。


「う……」


少しだけ視線を下げる。


「ごめんなさい……」


ルーカスはふっと笑った。


「謝るのはいいことです」


それから教室の扉を開ける。


「では」


静かに言う。


「臨時の助手が二人も増えました」


教室の中の子供たちが一斉に顔を上げた。


「分からないことがあったら二人に聞いてくださいね」


その言葉を聞いた瞬間――


教室の中で、一斉に手が上がった。


「はいはいはい!!」


「先生!!」


「こっち!!」


あちこちから声が飛ぶ。


さっきまで静かに机に向かっていたとは思えないほどの勢いだった。


小さな手が次々と上に伸びる。


紙を振る子。


立ち上がりそうになる子。


もうほとんど競争のようだった。


その中で――


ルルも、ぴんっと手を上げていた。

小さな体で一生懸命腕を伸ばしている。


猫耳がぴこぴこと動いていた。


輝真はその姿に気づく。


(あ……ルルだ)


自然と足がそちらへ向いた。


机の横まで歩いていく。


ルルは嬉しそうに顔を上げた。


「テルマ」


小さな声で言う。


「ここ、わかんない」


輝真は机の上の紙を覗き込んだ。


そこには数字と簡単な文章が書かれていた。


(ん……)


(あれ?)


輝真は少し目を細める。


問題文はこの世界の文字なので、完全には読めない。けれど――


数字は分かった。


(数字……日本と同じだ)


1、2、3、4……


見慣れた形だった。


そして問題の並び方を見る。


(これ……掛け算だ)


例えば、


3 × 4

5 × 2


そんな感じの問題が並んでいた。


(なるほど)


輝真は少し安心する。


(これなら教えられる)


ルルはじっと輝真を見上げていた。

耳がぴくぴく動いている。輝真は紙を指さす。


「これね」


ルルはこくんと頷く。


輝真は机の端に指で小さく丸を描きながら言った。


「例えばさ」


「3が4つあるって考えるんだ」


指で数を並べるように机を軽く叩く。


「3、3、3、3」


「これを全部足すと――」


ルルの指をそっと紙の上に置く。


「3+3+3+3」


ルルは小さく声に出す。


「3……3……3……3……」


猫耳が真剣に立っていた。


輝真は笑う。


「そう」


「それを足すと?」


ルルは指を折りながら数え始める。


「3……6……9……」


少し考えてから、


「12!」


輝真は頷いた。


「正解」


ルルの顔がぱっと明るくなる。


「できた!」


嬉しそうに尻尾がぶんぶん揺れる。


「僕すごいでしょ!」


その声に、隣の机の子が覗き込んできた。


「え?」


紙を見る。


「もう解いたの?」


ルルは得意げに頷く。


「うん!」


「テルマが教えてくれた!」


その子は目を丸くし、輝真を見る。


「すげぇ……」


ぽつりと呟く。それを聞いた別の子も顔を上げた。


「え?」


「ほんと?」


「もう解いたの!?」


すると――


また一人、手を上げる。


「テルマー!」


別の席から声が飛ぶ。


「こっちも教えてー!」


さらに、


「俺も!」


「ここわかんない!」


「テルマ先生ー!」


一気に教室がまた賑やかになり始めた。


輝真は少し困ったように笑う。


(あれ……)


(なんか先生みたいになってる……)


その様子を教室の前から見ていたルーカスは、眼鏡を押し上げながら静かに呟いた。


「なるほど……」


少し感心したような声だった。


「教えるのが上手ですね」


その言葉を聞いて――


輝真は思わず頭をかいた。


「いや、そんな……」


少し照れくさそうに笑う。けれど、内心は少し違っていた。


(……なんか)


(ちょっと気持ちいいかも)


周りを見る。


子供たちがこちらを見ている。


「テルマ!」


「次こっち!」


「先生ー!」


紙を持って、次々と声をかけてくる。


さっきまで知らない人だったはずなのに、もうすっかり頼られていた。


(これ……)


輝真はふと考える。


(これが)


(もしかしてまた俺なんかやっちゃいましたかってやつか……?)


胸の奥が、ちょっとだけくすぐったい。


そんな、妙な高揚感があった。


(たまんねぇな、これ……)


思わず口元がゆるむ。


そんなことを考えていると、前の席の男の子が紙を突き出してきた。


「これ教えて!」


男の子がぐいっと紙を差し出してくる。


輝真はそれを受け取った。


「どれどれ」


紙を見る。数字が並んでいる。


そしてまた教え始める。


その様子を、教室の前からルーカスが静かに見ていた。


窓の外を見ると――


太陽はもう高く昇っていた。


朝の柔らかい光は消え、しっかりとした昼の光が教室に差し込んでいる。

木の机の上に、明るい四角い光が落ちていた。

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