第8話 この世界にはケモ耳がいる!
輝真の胸が、どくんと強く鳴った。
(……知ってる)
ルーカスの言葉は穏やかだったが、その一言で空気が少し変わった気がした。輝真は無意識にミアの方を見る。
ミアはきょとんとした顔をしている。どうやら話の内容までは分かっていないらしい。ただ、二人の空気が少し真面目になったのは感じ取っているようだった。
輝真はゆっくりとルーカスの方へ視線を戻す。
この世界に来てから、まだ二日しか経っていない。けれど村長との会話やクラウスの言葉の端々から、なんとなく感じていた。
――この世界は、異世界人をあまりよく思っていない。
理由まではまだ分からない。
けれど、良い印象ではないことだけは伝わってきていた。だからこそ、胸の奥が少しだけ冷たくなる。
(もし……)
(この人も……)
そんな考えが頭をよぎる。輝真は小さく息を吸った。
「……あの」
言葉を探すように口を開く。
だが、その前にルーカスが静かに言った。
「安心してください」
その声は、とても落ち着いていた。まるで輝真の不安を最初から分かっていたかのように。
ルーカスは眼鏡の奥の優しい目で輝真を見る。
「この事を他言するつもりはありません」
輝真は一瞬、言葉を失った。ルーカスは続ける。
「村長のバルドさんから話は聞いています」
「え……」
輝真は小さく声を漏らす。ルーカスはゆっくり頷いた。
「今朝、クラウスさんが貴方を連れて村に戻った後」
「バルドさんが私のところへ来ました」
少しだけ空を見上げるように視線を動かす。
「この村にとっても、貴方にとっても、慎重に扱うべき話だから、と」
それから再び輝真を見る。
「だから私も知っています」
「貴方が、この世界の人間ではないことを」
風が、また少し吹いた。花壇の花が揺れる。
ミアは二人の顔を交互に見ていた。
「……?」
何か大事な話をしているのは分かるが、内容はよく分かっていないようだった。
輝真は少し迷うように口を開く。
「……あの」
声は少し小さい。
「怒らないんですか」
ルーカスは一瞬、きょとんとした。
「怒る?」
「はい……」
輝真は言葉を選びながら続ける。
「その……異世界人って……」
うまく言えない。けれど、言葉は自然に出てきた。
「この世界では、あまり良く思われてないって……」
ルーカスはしばらく黙っていた。
そして、ふっと小さく笑った。
「ええ」
あっさり認める。
「残念ながら、その通りです」
輝真の胸が少しだけ重くなる。ルーカスは続けた。
「この世界では、昔から異世界人に対して良い感情を持たない人が多い」
「宗教的な理由もありますし、歴史的な出来事もあります」
少しだけ遠くを見る目だった。
「ですが」
言葉を区切り、そして優しく言った。
「それは“全員”ではありません」
輝真は顔を上げた。ルーカスは微笑む。
「クラウスさんも、バルドさんも」
「少なくとも、私は」
ゆっくりと言う。
「貴方をただの“異世界人”として見るつもりはありません」
少しだけ肩をすくめる。
「目の前にいるのは、一人の少年です」
「それだけですよ」
その言葉はとても自然だった。
作った優しさではなく、本当にそう思っているような口調だった。
輝真はしばらく何も言えなかった。
胸の奥にあった小さな緊張が、少しだけほどける。
ミアがその空気を破るように口を開いた。
「先生ー」
ルーカスは「はい?」と振り向く。
ミアは首をかしげていた。
「何の話してるの?」
ルーカスは少し考えてから答える。
「大人の話です」
ミアは頬を膨らませた。
「えー!」
「ずるい!」
ルーカスはくすっと笑う。
「ミアがもう少し大きくなったら話しましょう」
「今は授業の時間ですよ」
そう言って学舎の扉の方を見る。
中からは、まだ子供たちの声が聞こえていた。
それからルーカスは輝真に言う。
「せっかく来たのです」
「少し中を見ていきますか?」
輝真は目をぱちぱちさせた。
「えっ……いいんですか!?」
思わず声が少し大きくなる。
ルーカスはくすっと笑った。
「ええ、構いませんよ」
穏やかな声だった。
「ただし」
少しだけ指を立てる。
「今、子供たちは勉強をしています」
眼鏡の奥の目が優しく細くなる。
「静かにしてくださいね」
輝真とミアは同時に背筋を伸ばした。
「はい!」
声が重なる。ルーカスは満足そうに頷いた。
「では、こちらへ」
そう言って、学舎の扉を静かに開ける。
ぎぃ、と木の扉が小さく音を立てた。
中に入ると、外より少しひんやりとした空気が流れていた。木の床と木の壁。古い建物特有の、乾いた木の匂いがする。
廊下は長く、両側にいくつかの扉が並んでいた。窓から差し込む朝の光が床に細長く伸びている。
遠くの教室から、子供たちの声が聞こえてきた。
「うーん……」
「ちがうかな……」
鉛筆が紙をこする音も混ざっている。
ルーカスは歩きながら小声で説明した。
「今は算数の勉強をしています」
輝真は少し驚いた。
「算数……」
この世界にも同じような勉強があるのか、と少し不思議に思う。
その横でミアが口を尖らせた。
「算数ってすごい難しいんだよー?」
小声だが、少し大げさな言い方だった。
「私、ちょっぴり苦手なの」
ルーカスは歩きながら、ちらりとミアを見る。
「本当に“ちょっぴり”ですか?」
その声には少しだけからかうような響きがあった。ミアはすぐに反論する。
「ちょっぴりだよ!」
腕を組んで言い張る。
「ほんとだよ?」
ルーカスはくすっと笑った。
「そういうことにしておきましょう」
ミアはむっとした顔をしたが、すぐにまた歩き出す。
そんなやり取りをしながら、三人は廊下を進んでいった。
やがて、一つの教室の前でルーカスが立ち止まる。
「ここです」
小さく言う。
扉は閉まっていたが、横には大きな窓がついていた。
ルーカスはそっと窓の方を指さす。三人は静かに近づき、窓の中を覗いた。
教室の中には、木の机が並んでいる。
そこに十人ほどの子供たちが座っていた。
みんな机に向かい、紙と鉛筆を前にして考え込んでいる。
「うーん……」
額にしわを寄せながら悩んでいる子。
指を折りながら一つずつ数えている子。
紙に数字を書いては消して、また書き直している子。
反対に、すらすらと手を動かして問題を解いている子もいた。迷いがなく、どんどん紙を埋めていく。
そして――
一人
少しだけ他の子と違う子がいた。
小さな体で机に向かっているその子の頭には、ぴょこんとした猫耳がついていた。三角形の耳がぴくぴくと小さく動いている。
さらに椅子の後ろからは、ふわりと揺れる尻尾まで見えた。
輝真は思わず目を見開く。
(え……)
(えええ!?)
頭の中が一瞬で混乱する。
(猫耳……?)
(尻尾……?)
目をこすりそうになるのを必死でこらえながら、もう一度よく見る。
――間違いない。
その子は鉛筆を持って机に向かいながら、時々耳をぴくっと動かしている。尻尾も、考え込むたびにゆらゆらと揺れていた。
輝真は思わずミアの袖を引いた。
小声で言う。
「ミ、ミア……」
「ん?」
ミアが振り向く。
輝真はそっと教室の中を指さした。
「あ、あの子……!」
ミアはちらっと教室を見る。
そして、すぐににっこり笑った。
「ああ!」
元気な声だった。
「あの子はルル!」
胸を張って言う。
「猫の獣人なの!」
輝真はもう一度教室の中を見る。
ルルと呼ばれたその子は、小さな体で一生懸命問題を解いていた。鉛筆を握りしめて、うーんと唸りながら紙に数字を書いている。
耳がぴくぴく動いているのが、なんとも可愛らしい。
(すげぇ……)
輝真の胸がじんわりと高鳴る。
(本当にいるんだ……)
(獣人……)
日本では、そんなものはアニメや漫画の中だけだった。猫耳のキャラクター、獣人の種族、ファンタジーの世界。
画面や紙の向こう側にしか存在しないもの。
それが今――
目の前にいる。しかも普通に学校で勉強している。
(すげぇ……)
(めっちゃかわいい……)
思わずそんな感想が浮かんでしまう。
その横で、ミアが楽しそうに続けた。
「ルルね、すっごいふわふわなんだよ!」
輝真は「え?」とミアを見る。
ミアはにこにこしていた。
「私、いっつももふもふしちゃうんだー!」
そう言いながら、自分の頬をもふもふするような仕草をする。
その声は、さっきまで小さかったのに少しだけ大きくなっていた。
ルーカスの眉がぴくっと動く。
「ミア」
小さく、しかしはっきりとした声だった。
「……静かに」
ミアは「あっ」と口を押さえる。
だが――
時すでに遅かった。
教室の中の子供が一人、窓の方を見た。
「あっ」
その子が声を上げる。
「ミアだ!」
次の瞬間。別の子も振り向いた。
「ほんとだ!」
「ミアお姉ちゃんだ!」
「ミアー!」
一瞬で教室がざわつく。
さっきまで真剣に算数をしていた子供たちが、次々と椅子から立ち上がった。
「ミアお姉ちゃん!」
「いつ来たの!?」
「ねえねえ!」
「この問題わかんない!」
「教えてー!」
「遊ぼー!」
ばたばたばたっと、子供たちが一斉に窓の方へ駆け寄ってくる。
輝真はびっくりして一歩下がった。
(うわっ!?)
窓の向こうで、小さな顔がいくつも並ぶ。
手を振る子。
紙を見せてくる子。
にこにこしている子。
もう完全に勉強どころではない。
その中に、さっきの猫耳の子――ルルもいた。
ルルは少し遅れて立ち上がり、とことこと歩いてくる。尻尾がゆらゆら揺れていた。
そして窓の前まで来ると、ミアを見てぱっと顔を明るくする。
「ミアおねーちゃん!」
耳がぴんと立っていた。
ミアは困ったように笑う。
「わー……」
「ごめんごめん……」
だが子供たちは止まらない。
「この問題わかんない!」
「これどうやるの!?」
「ミアお姉ちゃんすぐ解けるでしょ!」
「ねえねえ遊ぼうよ!」
「鬼ごっこ!」
「かくれんぼしよ!」
完全に大騒ぎだった。
その様子を見て――
ルーカスは小さくため息をついた。
「……はぁ」
やれやれ、といった表情だった。
腕を軽く組み、静かに言う。
「皆さん」
声は大きくない。
けれど、ぴたりと通る声だった。
「算数の時間ですよ」
子供たちは一瞬だけ静かになる。
……が。
一人の子が言った。
「先生ー!」
「ミアお姉ちゃん来てるよ!」
別の子も続く。
「問題教えてもらうー!」
またざわざわし始める。
ルーカスはもう一度ため息をついた。
そして小さく呟く。
「……やれやれ」
まるで、こうなることを最初から分かっていたかのようだった。




