「ホワイトモア家の提案」
「なら最初からああいうことはしないでください!冗談でも!」
「ヴィヴィアンお嬢様、先ほどの件についてお詫び申し上げます」
「このくらいはもういいです。とにかく、早く終わらせましょう。謝罪と、この部屋への損害賠償として、明日補償金をお送りします」
一流の侍女テスタがずっと俺の顔を見ている。
腕を解放してくれた後も、じっとこちらを見続けている……。
「では、テスタ。帰りますよ」
「……」
なんかやらかされそうな気がしてならない。
「……テスタ?」
「ヴィヴィアンお嬢様、少しよろしいですか」
「なんですか?」
二人が顔を寄せて、何かを話し始めた。
「フランツ様とここまで似た人間はそうそう存在しません。これは運命です。この機会を逃したら――」
「でも……彼にとって有利なことだからといって、無理に巻き込むのは……お父様にも隠しきれないし……」
「もちろんヴィクター様のご了承は頂きます。ですがまず機会を確保しなくては」
真剣な声のやりとりが聞こえ、二人がこちらを見た。
「あの……まだ何かあるんですか?」
「ヴィヴィアンお嬢様、今すぐご決断を。フランツ様のためでもあります」
「でも……」
ヴィヴィアンというお嬢様がちらちらとこちらを見ている。
「なぜちらちら見るんですか、また変なことしますか」
「わかりました。私の方からお話しします。フランツ様のためでもありますし、お嬢様も反対はされませんよね」
「テスタ……そうね……でも……」
「おい、ヒソヒソしながらこっちを見ないでください。警戒しますよ」
「春野和樹様」
様、だと?丁寧な呼びかけ方になった。何か企んでいる。
「はい?」
「貴方は最近、バイトをしていた焼肉店が給料を未払いのまま閉店したことで、金銭的に困窮しておられますね?」
「なんで知って――……ああ、さっきのレポートに書いてあったんですね」
「ええ。貴方の現在の状況と、ご家族のことも確認しました。失礼ですが、あまり金銭的に恵まれているとは言えない状況ですね」
「失礼なのはわかってるんですが、そうですね……」
「口座の残高、生活費、この部屋の家賃……他にも様々な問題を抱えておられますよね」
「回りくどい。要点だけ言ってもらえますか」
「では単刀直入に。私どものもとで、バイトをしませんか」
「バイト?もしかして焼肉店でも経営してますか」
「そういう話ではありません。貴方にしかできない仕事があるんです」
「焼肉じゃないとして、どういう職場ですか」
「住居と食事三食付きです」
「待ってください、住居と食事が無料ってことは囚人みたいな仕事ですか?」
「違います!それ以外に給与もあります。最初の給与は日給二十万ではいかがでしょうか」
「二十万!!ちょっと、落ち着け。絶対普通の仕事じゃない。何を運ぶんですか?違法なものとか、海に沈めるやつとか……まあ、それはそれで……」
「違法なことは何もありません。ただ……少し説明が難しいのですが」
やっぱり普通じゃない仕事だ。
「では核心をお伝えします。私どもは貴方に……フランツ・ホワイトモアになっていただきたいのです」
「……はい?」
「本当の意味でフランツ様になるということではありません。ボディダブル、つまり代替者です。同じ格好をして、同じ行動をすることで世間一般を欺く役です」
「要するに、俺が代わりに誘拐されるということですか?」
「違います。フランツとして生活していただきたいんです。もちろん、その間は守られます。フランツとして振る舞うことで、危険を引き付けることができる」
「なんとなくは……」
俺には「彼ら」が具体的に誰を指すかはわからないが、俺がフランツの代わりに表に出れば、本物のフランツが少し安全でいられるということだ。
単純な身代金誘拐より、もっと深刻な事情がありそうだ。
「でも、俺にも自分の生活があります」
「失礼ですが、勤め先は既に閉店されていますので、その点は問題ないかと」
「でも大学がある」
「恐れ入りますが、大学のサーバーに接続して出席状況を確認しました。今学期はまだ余裕があります。その期間中、学業でもご協力できます」
「ハッキングできるんですか?」
「一流の侍女ですから」
魅力的な話ではある。でも怪しすぎる……。
「もちろん強制ではありません。あくまでお願いです。フランツ様のためにも、貴方のお力をお借りしたい」
「追い詰められてる感じがしますが。全然お願いには聞こえません」
「本当にそう思っています。正直に言えば、貴方に受けていただけることを切実に願っています」
確かに金は必要だ。日給二十万というのは何度聞いても桁がおかしい。しかも食事付き。
「でも……」
「では、春野様。こういう条件ではどうでしょう」
「ん?」
「まず一週間、試してみるというのは。春野様は現在の金銭的な問題を心配されていますよね?」
「そりゃまあ……」
「では一週間だけ。一週間で百四十万円です。大きな助けになりますよね?」
「一週間でやめるかどうか、自分で決められますか?」
「そういうことです。いかがでしょう、春野様?」
「うーん……」
百四十万で一週間。ありえない話だ。
「もし続けなくてもいいんですか?」
「はい。短い期間でも、助けていただけるだけで十分です」
「ボディダブル……ですか」
明らかに怪しい仕事だ。でも目の前の人たちが普通じゃないのはわかっている。
俺をだます理由もないはず……そう信じたい。
一週間か……。
「……わかりました。一週間だけ。試しにやってみます」
「ほ、本当ですか!嫌じゃありませんか?」
「正直に言います。一週間でやめても怒りませんよね?百四十万が目当てです」
「……ありがとうございます」
俺が一週間でやめると知りながら、ヴィヴィアンお嬢様は目を閉じて、本当に心から感謝している顔をした。
「では今すぐ、フランツ様扱いを始めさせてください。まず、アリバイの一致が必要です」
「アリバイ?」
「フランツ様は本日から入院の予定です。ですから貴方がそのまま戻られては不自然になります」
「……え?つまり……どういうことですか?」
「単刀直入に申し上げます。春野様にも、入院が必要な状態になっていただきます」
目の前のメイドが突然ファイティングポーズをとり、拳を固めた。
「ちょっと待って!何をするつもりですか!」
「テスタ、待って。そこまでする必要があるの?」
「もちろんです。フランツ様を守るためには、他に方法がありません」
「そ、そうなの?テスタがそう言うなら……」
「待ってください!〝他に方法がない〟で許してもらえると思わないでください!」
「ご安心を、春野様。一流の侍女です。後遺症のない形で入院させてみせます」
「待って!普通に仮病を使えばいいじゃないですか!病院には怪我しなくても入れますよね!?」
「ヴィヴィアンお嬢様、おっしゃる通り仮病という手もありますが、リアリティの問題があります」
「待って!待ってください!」
一週間引き受けたのは早まりすぎたかもしれない……。
「ぎゃあーーーー!!!」
---
「んっ……んんっ……」
見知らぬ環境で目が覚めた。
少し硬いベッドに横たわっている。壁は全部白で、独特のにおいがある。
「ここ……病院?」
「正解、病院だよ」
「おはようございます」
「あ……おはよう……」
「水、飲む?」
「あ……いただきます……」
ペットボトルの水を開けて差し出してくれた。
俺に驚くほど似た顔の少年が。
「昨日は夢じゃなかったんだな……」
「ごめんなさい。僕のせいでこんなことに巻き込んでしまって」
「いや……コスプレのメイドじゃなくて本物の一流の侍女の人のせいだと思うけど」
彼が小さく笑う。俺が力なく笑うと意外とちゃんと見えるな、と思った。
「ところで……えっと、フランツさん?」
「そうだね、まだ自己紹介してなかった。こんなに助けてもらったのに。……鏡と話してるみたいで変な感じだけど……はは。フランツ・ホワイトモアです」
「春野和樹です」
「失礼ですが、調査結果で既に知っていました。テスタから報告を受けてました」
「テスタ?」
「うちの侍女です。テスタ・ヴィラローボス。もう会いましたよね」
「ああ、あの一流の侍女……もう一人の金髪の人はコスプレじゃなかったんですか?」
「もう一人……ああ、姉ですか?」
「姉!?」
「そうです。ヴィヴィアン・ホワイトモア、僕の姉です」
「え、二人きょうだいなのか。でも全然似てないですね」
「そうなんですよね……ところで」
明るいが少し疲れた顔が、急に真剣になった。
「……本当に大丈夫ですか?僕の代わりをするなんて……」
「正直に言うと、心配はしてます。人の代わりになるなんて経験ないですから」
「そういうことじゃなくて……」
「大丈夫です。俺にも俺の事情があって。前の職場がなくなって、収入がゼロになった。助けを求めたくても連絡がつかない。そこへ偶然あなたとぶつかった」
「そうだったんですね……」
「だから、これが縁かなと思って引き受けた理由のひとつです」
「もうひとつの理由は?」
「……まあ正直に言うと……日給二十万という話と、食事三食付きというのが無視できなかったです」
「苦しかったんですね」
「苦しいとは言わないけど、楽でもなかった。バイトしながら大学行って、給料の範囲でなんとかやってた。突然収入がなくなって、家族にも連絡がつかない。それだけのお金を断れる状況じゃなかったです」
「そういう理由で引き受けてくれたんですか?」
「印象よくないですよね。助けたって言ってくれてましたけど、本当の動機は金です」
「そんなことないです。むしろ……こっちが弱みにつけ込んだみたいで、ごめんなさい」
「お互い損はしないんだから気にしないでください」
「そう言ってもらえると少し楽になります」
「でも、入院まで一緒にさせられるのは本当にいらなかったです」
「ごめんなさい。僕の体が弱くて」
「それは気にしてないです。コスプレじゃない一流の侍女に〝フランツ様のため〟を理由に送り込まれたことに腹を立ててるだけです」
「あははは。テスタはたまにそういうことをするんですよね」
笑顔の彼を見ていると、俺が笑うとそこそこ様になるんだなと思う。
「で、フランツさん。これから俺は何をしたらいいんですか?」
「僕にもわかりません。誰かが来てくれると思います、カズキさん」
「カズキさん?なんでそんな呼び方を」
「僕の方が年下ですから。当然じゃないですか」
「え、フランツさんの方が年下なんですか?」
「高校一年です。カズキさんは大学三年ですよね?」
「うわ、だいぶ年下だ……ってことはヴィヴィアンさんも……」
「姉とは一歳しか違わないので、カズキさんの方が年上ですね」
「そ、そうか……」
その顔で高校生か……つまり俺の顔は四歳若く見えるということになる。
待てよ。高校生なら――
「つまり俺も高校生として学校に通うんですか?」
「そうなりそうです」
「高一の授業を思い出せるか不安ですが」
「それは大丈――」
*コンコン*
ノックがして会話が途切れた。
「はい?」
「入っていいかな」
「お父さん!どうぞ」
「お父さん?」
穏やかに微笑んだ口ひげの男性が入ってきた。
「そうです。ヴィクター・ホワイトモア、父です」
「はじめまして。春野……和樹、です」
「よく知っているよ。春野和樹くんだね?」
「なぜこちらに?何か問題でも?」
「問題があるとすれば、父親が寂しかったことかな。子供が倒れたのに心配しない父親などいないよ」
「そんな大げさな倒れ方じゃなかったですよ。こんなに忙しいのにわざわざ来なくていいのに」
「いや、誘拐の話も聞いたし……それに、息子の恩人にも会いたかった」
ヴィクターさんが俺の方を見た。
「……え?俺ですか?」
「もちろんだよ。フランツに似ていて、代わりを引き受けてくれる人……」
「今日のお仕事は?」
「問題ない。何事も流れる通りに進んでいる。息子のためなら仕事を放り出しても構わない」
良い人そうな父親だ。ドラマに出てくるような冷たい親じゃなくてよかった。
「それはヴィクター様が子供のような思考回路で先のことを考えないからです」
「……!?」
聞き覚えのある声が廊下から聞こえた。
「……来てたんですか」
昨夜俺を意識不明にまで追い込んだ侍女を見て、体が固まった。
「春野様、お体の具合はいかがですか。私の計算では頭痛も吐き気も残っていないはずですが」
実際に何も痛くはないが、まだ腹が立っているので……。
「頭が少し……」
「それはいけません。追加で電気刺激が――」
「いりません!いりません!これは精神的な痛みです!」
「左様ですか。それならよかった」
本当に怖い人だ。この人の近くでは常に油断できない。
「テスタ、彼についてなんだけど」
「はい。本人のご同意を得ております。あとはヴィクター様のご判断を」
「確かに顔も声もそっくりだ。個人的には……フランツの代わりを務められると思う」
「同意します」
「フランツの代わりを一週間、ということですよね」
「当面はそうです。その間に、フランツ様に対する将来的な脅威を全て除去します」
「フランツは他の病室に移すんですか?」
「いいえ。同じ病院内で部屋を変えます。ただし、春野様の退院のタイミングに合わせます」
「うーん……出入りの多い病院だ。万全を期すためには、やはり彼にも協力してもらう必要があるね」
ヴィクターさんが俺の目を見て、肩に手を置いた。
「本当にいいのかい?一週間の間、こちらの指示に従ってもらうことになるが」
「はい、お任せします」
「感謝するよ。巻き込んでしまって申し訳ない」
「仕事の一部ですから、大丈夫です」
「そう言ってくれると助かります。改めて、ありがとう」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ヴィクターさんと握手した。これが契約の証になるようだった。




