7.安全距離
百点の成績が公表されてからというもの、蛍の静かな校内生活は跡形もなく崩壊した。 廊下には、用もないのに二年二組の前を通りかかる男子生徒が群れをなし、昼休みには机の上に送り主不明のジュースや、拙い字で書かれた手紙が置かれるようになった。蛍にとって、それは甘酸っぱい青春の始まりなどではなく、大規模な「ノイズ汚染」に過ぎなかった。
「氷室さん、これうちで獲れたレンブだよ。すごく甘いから食べて!」 「蛍ちゃん、次図書館行くの? 僕も行こうと思ってたんだ……」
蛍は席に座り、シャープペンシルを折りそうなほど強く握りしめた。机を取り囲む男子たちの、卑屈で落ち着かない笑顔を見つめていると、嫌悪感が潮のように押し寄せてくる。彼女は自分が「標的」にされる感覚が大嫌いだった。何より、彼らの汗の匂いや、無遠慮なまでの距離の詰め方が耐え難かった。
「持って帰って。私はレンブなんて好きじゃない。それに、図書館は勉強する場所であって、社交場じゃないわ」 蛍の声は冷淡で、抑揚もなく突き放すようだった。「光を遮らないで。自分の席に戻ってちょうだい」
男子たちは気まずそうに散っていったが、その静寂も五分と持たない。次の波がすぐに押し寄せてくる。南方の少年たちは「拒絶」という言葉を知らないようだった。彼らは蛍の冷たさを「照れ」や「東京特有の知性」だと都合よく解釈していた。この絶望的なまでの認識の乖離に、蛍はかつてない無力感を覚えた。
彼女は窓の外に目を向けた。騒がしい人混みの隙間に、秋山瞬の姿が見えた。彼は俯き、昨日教えたばかりの英文法の問題を計算用紙にゆっくりと書き込んでいた。彼の周囲三メートルには、目に見えない防護壁があるかのようだった。誰も彼を邪魔せず、誰も彼に安っぽい媚を売ることはない。 その瞬間、蛍はあの沈黙のブラックホールの中に逃げ込みたいとさえ思った。
クラスの男子たちが顔を見合わせ、蛍が窒息しそうなほどの圧迫感を感じていたその時、教室の木製ドアが耳障りな音を立てて開いた。 「みんな、この時間は体育に変更だ。グラウンドに集合しろ」
先生の登場で空気は一時的に和らいだが、続く宣告は悪夢そのものだった。 「体育委員の大雄、氷室さんを連れて用具室に行ってくれ。彼女はまだ場所を知らないだろうからな」 「あ?」 先生の提案は、蛍にとっては最悪の試練だった。
「氷室、行こうぜ!」大雄は隠しきれない喜びを顔に出した。 「……」 蛍は俯いたまま、黙って大雄の後についていった。
体育用具室にて。 「なあ氷室、先に着替えておいでよ。用具の貸し出しは僕がやっておくから」 「あ……そう。なら、お願いするわ」 蛍は足早に更衣室へと向かった。
狭いロッカーの前で、蛍は手際よく制服のボタンを外し、袋から学校指定の運動着を取り出した。 「このデザイン、本当にひどいわね……」 散々毒づきながらも、彼女にとって大きすぎるその運動着に着替えた。緩いズボンのウエストを軽く引き上げ、細い腰のラインになんとか合わせる。最後に、手首から一本の黒いヘアゴムを外した。
蛍は微かに顔を上げ、絹のように滑らかな黒髪を両手で後ろへかき上げた。指先が髪を抜ける微かな音とともに、視界を邪魔するすべての毛先をまとめ、高い位置で一筋のポニーテールに結い上げた。 更衣室を出ようとしたその時、彼女の視界を何かの影が横切った。
「誰?」 冷徹な眼差しが壁の隅にある隠れた亀裂を捉えた瞬間、張り詰めた空気は一気に氷点下まで下がった。 蛍の姿は引き絞られた弓のように緊張し、その声は空っぽの更衣室に冷たく響き渡った。返ってきたのは、穴から吹き込む熱い風が土埃を巻き上げる音だけだった。彼女は躊躇することなく、履き替えたばかりの運動靴で更衣室を回り込み、隣接する用具室へと直行した。
「あ、氷室! 着替え終わったんだ。今ちょうど運ぼうと……」 用具室の奥へと続く通路を、大雄の大きな体が塞いでいた。その顔には後ろめたさと、媚びるような馬鹿げた笑顔が浮かんでいた。
「どいて」 蛍の口調に容赦はなかった。彼女は細いが力強い手で、呆然とする大雄を突き飛ばした。大雄が背にしていた壁際こそが、更衣室のロッカー裏へと繋がる破れ穴だった。縁の木屑には、まだ新しい断面の跡が残っている。
「今、ここで私を盗撮……いえ、覗いていたの?」 蛍は振り返り、自分より一回り大きな大雄を睨みつけた。高く結んだポニーテールが空中で冷たく揺れ、その瞳にはプライバシーを侵されたことへの強烈な嫌悪が宿っていた。
「地理に不案内な私を利用して、この死角から観察していた……。あなたのこの行為は、好意なんて次元をとうに超えているわ。ただの、吐き気がするような覗き見よ」
「ち、違うんだ! 覗きなんて……僕はただ……」 大雄は顔を真っ赤にして焦った。蛍の怒りに満ちた輝く瞳を見つめるうちに、長い間心の底に積み重なっていた原始的で直接的な衝動が、この瞬間、完全に決壊した。彼は退くどころか一歩踏み出し、蛍を見下ろして叫んだ。
「好きなんだよ! 氷室、君が転校してきた最初の日から、目が離せなかったんだ! ただ少しでも君を見ていたかった、東京から来た子が何を考えてるのか知りたかった……僕は本気だ! 君が好きだ!」
狭い用具室に告白の声が響き渡り、少年特有の汗の匂いと荒い息遣いが混じり合った。 蛍は無表情にそれを聞き届け、睫毛一つ動かさなかった。彼女は汗で湿った亮ブルーの運動着を見下ろし、そして大雄の期待と不安に満ちた顔を見つめ、露骨な嫌悪を露わにした。
「言い終わった? あなたの『好き』なんて、私にとってはただの高デシベルなランダムノイズよ。卑劣な手段で独占欲を満たそうとしながら、それを告白なんて言葉で飾る。そんなの評価をマイナスにするだけだわ。その安っぽい感情ごと、私から離れて。……これが最後よ。私が文明的な語彙であなたと話すのは」
言い捨てると、蛍は彼を一瞥もせずグラウンドへと向かった。高く結い上げたポニーテールが背中で冷たく跳ね、大雄の身勝手な熱情を、ゴミのように塵の中へと掃き出した。
薄暗い用具室を出ると、強烈な紫外線が蛍の目を射抜いた。グラウンドでは体育教師の笛の音と、男子たちの喧騒が交じり合っていた。それらの「騒音」は、今の不快な対峙を経て、より一層濁ったものに感じられた。 彼女は無意識に足早になり、覗き見されたあの粘りつくような感覚を振り払おうとした。
「止まれ」 低く、抑揚のない声が、グラウンドへと続く角の向こうから聞こえた。 蛍は勢いよく立ち止まった。ポニーテールが慣性で宙を舞う。彼女は警戒して顔を上げると、そこに秋山瞬が古びたレンガ壁に寄りかかっているのを見た。彼は相変わらず色褪せた旧制服を着て、両手をポケットに入れ、蛍の肩越しに用具室の影でうなだれる大雄を眺めていた。
「あなたも、笑いものを見に来たの?」蛍は冷たく言い放ったが、震える指先が彼女の乱れた脈拍を隠しきれなかった。
瞬は答えず、体を起こすと黙って蛍の傍らまで歩み寄った。その石のような圧倒的な圧迫感は、この瞬間、周囲の喧騒と熱気を不思議なほど遮断してくれた。彼はポケットからある物を取り出し、蛍の手のひらにポンと置いた。
それは、パッケージに入ったままの新しい銀色の安全ピンだった。
「更衣室裏の穴は、学校がずっと放置してるんだ」瞬の声は淡々としており、何の感情も読み取れなかった。「お前の運動着、ウエストが緩すぎるだろ。走る時に重心がぶれる。それで固定しろ。余計な動きで誤差を出すな」
蛍は手の中のピンを呆然と見つめた。用意していた数々の防御的な台詞が、すべて喉の奥に引っかかった。醜くて大きく、自分を不安にさせていたこの運動着を見下ろし、彼女は不意に悟った。瞬は、あの告白の場に姿こそ見せなかったが、ずっとそこにいたのだ。 彼は彼なりのやり方で、彼女が最も大切にしている「正確さ」と「尊厳」を守ったのだ。
「……ありがと」 蛍は低く呟くと、瞬に背を向け、そのピンでダブついたウエストを正確に留めた。衣類がようやく体にフィットし、その掌握感が彼女の呼吸を安定したリズムへと戻した。
「秋山」蛍は服を整え、振り返った。その瞳から怒りは消え、新たな決意が宿っていた。「次の時間の英単語、もしまた『S』を一つでも書き間違えたら、このピンをあなたのノートに直接突き刺してあげるわ」
瞬はそれを聞くと、口角を極めて微かに、判別できないほど僅かに上げた。 「なら、ピンをたくさん用意しておけよ」
二人は並んでグラウンドへと歩き出した。太陽の光が二人の影を長く伸ばす。一人は細身で精密、一人は重厚で沈着。この騒がしく混乱した南方の校舎で、本来平行だった二つの線は、小さな銀色のピンを通じて、初めて安定した交差点を結んだのだ。




