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風落ち、縁(えにし)の始まり  作者: WE/9


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3/10

3.生存の最適解

南方の公立中学校は、校舎が古びていて、今にも烈日に焼かれて粉々になりそうだった。 蛍は二年二組の教室の入り口で深呼吸をした。学校のトイレで身なりを整え、可能な限り「氷室家」の端正さを維持しようと努めたが、教室には中央冷房などなく、天井で四台の錆びついた吊り下げ扇風機が、老人の喘ぎ声のような重苦しい「ギィ、ギィ」という音を立てて回っているだけだった。


「氷室 蛍です。東京から来ました。よろしくお願いします」 彼女の清冷な声は、蝉時雨に包まれた教室の中でひどく場違いに響いた。担任は POLO シャツを着た肌の黒い男で、教室の後方にある唯一の空席を適当に指差した。 「氷室さん、君は秋山の隣に座ってくれ」


蛍は先生の指の先を見て、鼓動が一つ跳ねた。窓際の最後列、あの秋山 瞬という少年が机に突っ伏していた。彼の制服の襟元はひどく擦り切れていたが、乾いた清潔感があった。彼は顔を上げることさえせず、東京から吹いてきたこの「風」など、窓の外の一匹のハエよりも価値がないと言わんばかりだった。


「ちっ……またあいつか」 この一日は、蛍にとって慢性的な拷問だった。 ただ暑いだけではない。ここの黒板は平らですらなく、先生がチョークを走らせる音は耳障りで不安定だ。教科書は旧版で、ページの端は黄ばみ、湿ったカビの匂いがした。そして何より耐え難かったのは、周囲のクラスメイトたちの「境界線のない情熱」だった。


「ねえねえ氷室さん、東京の学校って本当に全部エアコンあるの?」 「そのシャープペン、すごく高級そう。限定版?」


論理を欠いた、純粋な好奇心に基づく質問に対し、蛍は最短の返答を返すのが精一杯だった。彼女は高難度の数学問題集を開き、「知力の絶対的優位」によって心の防壁を維持しようとしたが、ここの机と椅子は人間工学を無視した高さで、姿勢の悪さから背中が疼き始めた。


暑さはただでさえ悲惨な状況に色を添えているに過ぎない。本当に彼女を狼狽させたのは、ここで自分が誇るべき「エリートスキル」――文献の素早い検索、高度なソフトウェアの使用、精密な実験記録――のすべてが、使い物にならないと気づいたことだった。彼女は荒野に放り出されたスーパーコンピュータのようで、電源プラグが見つからず、ただバッテリーが削られていくのを眺めるしかなかった。


昼休み、蛍はカバンから精緻な保冷バッグを取り出した。今朝、自分で用意した低GIの健康サラダだ。彼女は意識的に隣の瞬を見た。瞬は相変わらず誰とも話さず、引き出しからしわくちゃのビニール袋を取り出した。中には二枚の乾いた食パンと、自分で詰めたらしい水道水のボトルが入っている。


「ちょっと」蛍はついに口を開いた。主導権を奪い返そうとする挑発的な響きだ。「そんな炭水化物過多の食事、午後の血糖値を激しく変動させて、脳の効率を下げるだけよ。あなたの生存方程式に、栄養バランスという項目はないの?」


瞬はようやく顔を向けた。乾いたパンを咀嚼しながら、その瞳は世間知らずな異邦人を眺めるようだった。 「昨日のことをまだ根に持っているようだけど。効率を考える前に、『コスト』を考えるべきだな」 瞬は食べ物を飲み込み、人を突き放すような冷静な口調で続けた。 「そのサラダの保冷コストと購入コストがあれば、俺は一週間食べられる。俺にとっては、放課後の仕事まで持つだけの熱量を確保するのが最適解だ」


彼は袋を片付け、汗で頬に張り付いた蛍の髪を一瞥して、淡々と付け加えた。 「それと、保冷剤がもう溶けてるぞ。早く食べないと、その高貴な栄養バランスとやらが腐り始める」


フォークを握る蛍の手が止まった。保冷バッグの縁に結露した水滴を見つめながら、彼女はかつてない無力感に襲われた。彼女が最も誇りとしていた「質の高い生活のための知識」が、ここでは最も皮肉な足枷に変わっていた。

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