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風起縁落  作者: WE/9


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2.お前のことは、覚えた

町の路地裏、空気は不規則な鏡のように歪んで揺らめいている。 蛍は重いスーツケースを引きずり、手のひらは脂っこい汗で滑っていた。電波が悪いために狂ったように回転し続けるスマホ画面の現在地マークを見つめ、焦燥感は体温とともに上昇していく。彼女が「データ」に対して疑念を抱いたのは、これが初めてだった。


「ちっ、この辺りの基地局建設は、前世紀の産物ね……」 彼女は低く毒づき、位置情報システムを再起動しようとした。その時、タンクトップ姿で肩に錆びた鉄パイプを担いだ少年が、彼女の前で足を止めた。彼は通りすがりの人間のように好奇心や驚きを見せることはなく、ただ「交通の邪魔な障害物」を見るかのような、冷淡な眼差しで蛍を見た。


「おい、そこで道を塞ぐな」 少年の声は低く、乾燥していた。それは炎天下で曝された砂利のような響きだった。 蛍は勢いよく顔を上げた。汗が髪の先から滴り、熱を持ったスマホの画面に落ちる。東京で、彼女にこんな口調で話しかける者など一人もいなかった。


「私が『道を塞いでいる』って言ったの?」 蛍は、熱波のせいで呼吸が荒くなっているのを悟られまいと、氷室家特有の清冷な語調を強いて保った。 「私は必要な環境校正キャリブレーションを行っているだけよ。この付近の基地局は稼働しているの? どうして私の地図がロードされないのかしら」


少年はそれを聞くと、極めて短く、氷のような鼻笑いを漏らした。彼はゆっくりと肩の鉄パイプを下ろした。金属が地面に叩きつけられる鋭い音が、死んだように静かな熱気の中でひどく耳障りに響いた。


「基地局?」少年はようやく彼女を直視した。その黒曜石のような瞳には、欠片ほどの温度も宿っていない。 「ここにあるのは、熱中症で倒れる奴か、倒れない奴か。その二種類だけだ。お前が手に持っている熱くなった機械は、お前を救っちゃくれない。ここでは電力を無駄にするだけのゴミだ」


「ゴミと呼んだの?」蛍は胸の鼓動が激しくなるのを感じた。それは、自尊心を土足で踏みにじられた刺すような痛みだった。 「この機械の演算能力があれば、この町全体の流体力学だってシミュレートできるわ! あなたの直感よりも一万倍は精密よ!」


「精密だと?」少年が一歩踏み出す。汗と鉄錆の混じった圧倒的な圧迫感が、瞬時に蛍を包み込んだ。 「精密ってのは、三十八度の猛暑の中で、最小限の水分で最大限の距離を移動することだ。アイロンのきいた制服を着て、熱くなったプラスチック片を握りしめながら座標を計算するお前は、体内の電解質をドブに捨てているだけだ」


彼は、力が入りすぎて白くなった蛍の指を指差し、残酷なほど平板な口調で続けた。 「あと十分もすれば、その機械は熱暴走でダウンする。そしてお前は脱水症状で脳の演算能力が落ちる。その時には、家に帰る道筋すら計算できなくなるだろう。それが、お前の誇る精密さか?」


蛍は言葉を失った。彼女の論理の世界では、データは常に肉体に先んじていた。しかし目の前の少年は、最も原始的な物理の常識で、彼女の生存能力の空虚さを直接暴いてみせた。


「あなた……名前は?」蛍は奥歯を噛み締めて尋ねた。 少年は再び鉄パイプを担ぎ上げ、振り返ることなく路地の奥へと歩き出した。ただ、感情の欠落した言葉だけを残して。


「秋山 瞬。その機械が使い物にならなくなる前に、あそこの井戸水で顔でも洗ってろ、東京のお嬢さん」 「覚えてなさい! 道が見つかったら、どっちが賢いか証明してやるわ!」 「別に、『賢い』なんて名乗った覚えはないけどな」

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