第九話 皇道学館の未来と不安
俺は桜華院梓が所属しているという華道部を訪ねてみた。
「まあ、村井様。いらっしゃいませ」
華やかな着物を着こなした梓が、優雅に迎え入れてくれた。
彼女の周りには、すでに数名の生徒がいて、真剣な眼差しで生け花に取り組んでいる。
その空間は、彼女の醸し出す気品と相まって、まるで別世界のようだった。
「こんにちは、桜華院様。委員長から、サークル活動についてお詳しいと伺って……」
俺は素直に尋ねた。
「ええ、少しばかりは。村井様は、まだどちらにも所属されていないとか。もしよろしければ、この華道部などいかがです? 貴族の方々との交流も深まりますし、作法も身につきますわ」
梓はにこやかに誘ってくれた。その笑顔は、花のように可憐で、俺の心を惹きつけた。
俺は華道にはあまり興味はなかったが、彼女の言葉に耳を傾けた。
この学校での人間関係は、将来のビジネスにも大きく影響するだろう。
特に貴族との繋がりは、この世界では何よりも重要だ。
俺は華道部の見学をしながら、梓に様々な質問を投げかけた。
学校の雰囲気、貴族間の力関係、将来の進路についてなど、平田嶺としての知識と村井宝塔としての立場を融合させながら、情報を収集した。
梓は、俺の質問に嫌な顔一つせず、丁寧に答えてくれた。
彼女は庶子ではあるものの、公爵家の令嬢だけあって、この学校の事情にはかなり詳しいようだった。
「桜華院様は、この学校の未来をどうお考えですか?」
ふと、俺はそんなことを尋ねてみた。梓は少し驚いた顔をした後、静かに答えた。
「この学校は、日本の未来を担う人材を育てる場所です。貴族も平民も関係なく、優秀な者が集い、互いに切磋琢磨することで、より良い社会を築き上げていく……それが、わたくしの理想ですわ」
彼女の言葉には、強い信念が込められていた。
その瞳は、未来を見据えるかのように輝いていた。
しかし、俺の脳裏には、先の狂騒の終焉後の日本経済の混乱が浮かんでいた。
この学校の生徒たちの多くは、親の資産に依存している。
もしそれが弾ければ、彼らの生活も、この学校の未来も、大きく揺らぐことになるだろう。
「この学校も、将来は大きく変わるかもしれませんね」
俺は、思わずそんな言葉を口にしていた。
梓は、俺の言葉の真意を測るように、じっと俺を見つめた。
その視線は、まるで俺の心の奥底を見透かすかのようだった。
「どういう意味かしら?」
「いえ……ただの、私の直感です。時代は常に移り変わりますから」
俺は曖昧に答えた。
この世界の歴史が俺の知るそれとは異なるとはいえ、経済の原理原則は変わらないはずだ。
そして、歴史は繰り返す。先の狂騒が弾け、混乱が訪れるのは、時間の問題だ。
*****
学園の日常と人間関係の機微
放課後の校舎は、部活動に勤しむ生徒たちの活気で満ちていた。
俺は華道部での梓との会話を反芻しながら、廊下を歩いていた。
彼女の言葉は、この学園が単なる貴族の子弟の集まりではないことを示唆している。
むしろ、未来の日本を形成する上で重要な役割を担う、ある種の「温床」なのかもしれない。
そんなことを考えていると、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「村井様、まさかこんなところでお会いするとは思いませんでしたわ」
振り返ると、そこに立っていたのは白麗幸だった。
入学式でその娘である澪と瓜二つだと驚いた、白麗子爵家の令夫人だ。
彼女は上品な笑みを浮かべ、俺に近づいてきた。
「白麗様、こんにちは。入学式以来ですね」
俺は努めて平静を装って挨拶した。
しかし、内心ではまだ澪の面影に動揺を隠せないでいた。
「ええ。村井様はまだ、どちらのサークルにも所属されていないと伺いましたわ。実は、わたくしが保護者会の役員をしております関係で、学園の茶室で新入生を歓迎するお茶会を催す予定でして……もしよろしければ、いらっしゃいませんか?」
幸は優雅な所作で誘ってきた。
彼女の誘いは、華道部とはまた異なる、より格式高い社交の場を示唆している。
「お茶会ですか。興味はありますね」
俺は即答した。
茶道は日本の伝統文化であり、貴族社会では必須の教養だ。
平田嶺の記憶は、この世界で生きていく上で非常に役立つ。
「まあ、光栄ですわ。でしたら、来週の土曜日、午後二時に茶室へお越しください。場所はご存知でいらっしゃいますか?」
「ええ、問題ありません」
幸は満足そうに微笑むと、深々と頭を下げて去っていった。
彼女の醸し出す雰囲気は、まさに貴族そのものだ。
茶道のお茶会への誘いは、俺にとって新たな情報収集の機会となるだろう。
幸は、梓とはまた違う層の貴族との繋がりを持っているはずだ。
この学園で生き残るためには、多角的な情報が必要だ。
*****
策略の裏側:法子さんと爺さん婆さんとの情報交換
夜、法子さんのマンションに戻ると、俺は早速シンガポールでの投資の進捗と、学園での出来事を彼女に報告した。
法子さんは、俺の話を静かに聞いていた。
「なるほど……桜華院のご令嬢は、聡明な方ですわね。そして、白麗様からの茶道部へのお誘い……宝塔様の周りは、ますます華やかになりますわね」
法子さんは、どこか寂しげな笑みを浮かべた。
俺は彼女の気持ちを察し、そっと手を握った。
「法子さん、君は俺にとって特別だよ。他の誰とも違う」
俺の言葉に、法子さんの顔に微かな赤みが差した。
「宝塔様……」
彼女は俺の胸に顔をうずめ、小さく頷いた。
「それで、シンガポールでの**『宝塔ファンド』**の運用状況は?」
俺は話を戻した。
彼女に心配をかけたくはなかったが、経済的な準備は待ったなしだ。
「ええ、今のところ順調ですわ。宝塔様のご指摘通り、日経平均は上昇を続けております。先物取引も、レバレッジを抑えているため、リスクも限定的です」
法子さんはプロの弁護士らしく、冷静に状況を報告してくれた。
「よかった。今のうちに、できるだけ多くの現金を手元に置いておきたい。この狂乱が終われば、この国は大きく変わる。その時に動けるだけの資金が必要だ」
俺の言葉に、法子さんは真剣な眼差しを向けた。
「ええ、承知しておりますわ。私も、典子様や爺様と連携して、資産の現金化を急ぎます」
「そういえば、爺さんと婆さんはどうしている?」
「爺様は、相変わらず闇のルートで様々な情報を集めていらっしゃるようです。怪しげな会社の買収も、順調に進んでいるとか」
法子さんは苦笑いしながら答えた。
爺さんの行動は、常に俺の想像を超える。
「婆さんは?弁護士の仕事は忙しいのか?」
「典子様は、最近、資産家の方々からの相談が増えているようですわ。節税対策や資産保全について、皆、不安を感じ始めているのかもしれませんね」
法子さんの言葉に、俺は確信した。
この国の経済の狂乱は、終わりに近づいている。
賢い者は、すでに次の手を打ち始めているのだ。
「法子さん、もう少ししたら、俺は学園内で動き出す。情報を集め、人脈を築く。そのために、君の助けが必要だ」
「もちろん、宝塔様。わたくしは、いつでもあなたの味方ですわ」
法子さんは俺の頬にそっとキスをした。
その温もりは、俺の決意をさらに固くした。