第八話 日本への帰還と、法子さんとの時間と学園の生活
日本に帰国すると、ゴールデンウィークはすでに残り1日となっていた。
シンガポールでの緊張と興奮に満ちた日々の反動か、不思議と疲労感はなかったが、まだ小さな体には無理をさせられない。
明日は学校もない。
そう思いながら、俺は法子さんと静かな午後を迎えた。
久しぶりに誰にも邪魔されない自宅。
リビングには柔らかな光が射し込み、時計の音がやけに大きく響く。
ふと気がつくと、法子さんが台所からグラスを2つ持ってきた。
冷たいジンジャーエールの泡がパチパチと弾ける音が、やけに耳に残る。
「お疲れ様でした、宝塔様。……シンガポールでは、本当によく頑張りましたね」
その声は、いつもの弁護士としての理知的な響きとは違う。どこかほっとしたような、安堵と甘さを含んでいた。
「ありがとう、法子さん。あれがなかったら、俺はこの世界でまだ足を踏み出せなかったかもしれない」
グラスの中の泡が弾けるように、沈黙の中で何かが溶けていく。
言葉を交わすよりも、互いの気配が親密さを深めていった。
やがて、法子さんがそっと俺の隣に座った。
肩が触れ合う距離。その体温がじんわりと伝わってくる。
「……ねえ、宝塔様。少しだけ、甘えてもいいですか?」
囁くようなその言葉に、俺は黙って頷いた。
彼女の頬に手を伸ばし、優しく撫でると、彼女はそっと目を閉じた。そのまま、額を合わせるようにして唇を重ねた。
最初は軽いキスだったが、次第に深く、求め合うようなものに変わっていった。
俺の背に腕を回した法子さんは、まるで初恋の少女のように震えていた。
けれど、俺の指先が彼女の肌に触れるたびに、その震えはやがて熱を帯びていった。
「宝塔様……どうして、そんなに優しいの……?」
「法子さんが、俺に優しくしてくれるから。きっと、そのお返しだよ」
ソファの上、ゆっくりと倒れこむようにして彼女を抱きしめた。
指先が彼女の背に触れるたびに、呼吸が浅くなっていくのがわかる。
柔らかな肌の温もり、細い腰のしなやかさ、首筋にかかった吐息の甘さ。
すべてが俺の理性を削り取っていく。
そして、その夜、俺たちは――ひとつになった。
裸で触れ合うその時間の中で、言葉よりも深く、互いの存在を確かめ合った。
愛撫も、接吻も、まるで何度も時を超えて重ねてきたような自然さがあった。
「宝塔様……どうか、忘れないでくださいね。私が、ここにいること」
その言葉を胸に、俺は彼女の指先を握りしめた。
「忘れるわけないよ。法子さんがいたから、今の俺があるんだ」
そのまま抱き合い、朝まで言葉少なに過ごした。肌と肌の温もりが、俺たちの繋がりを確かめるように、重なっていった。
やがて、東の空が白みはじめたころ、法子さんが俺の髪を撫でながら静かに言った。
「宝塔様……あなたがこれから歩む道は、きっと茨の道でしょう。でも、私はどこまでも、あなたと一緒にいます」
その言葉に、俺は何も返せなかった。
ただ、彼女の胸に顔をうずめ、ぬくもりを感じながら、もう一度眠りに落ちていった。
それは、少年と大人の狭間にある、儚くも強い絆の夜だった。
*****
日常とサークル活動
翌日からはしっかりと皇道学館に通う。
4月中にほとんどの生徒はサークル活動に所属するが、俺は色々と忙しかったこともあり、まだどこのサークルにも所属していない。
別にこの学校ではサークル活動が必須というわけでもないが、ほとんどの生徒は何かしらのグループに参加している。
下から上がってきた貴族の連中は、そのほとんどがそのまま同じようなサークルに参加するが、中学校から入る俺のような者たちは貴族のサークルに参加するか、別のクラブに参加するのが一般的だと聞いている。
この学校は上流階級の子弟が通う学校だけあって、とにかく伝手を作ることもこの学校の存在意義なので、サークルやグループ、クラブにほとんどの生徒が参加している。
なので、どこにも参加しない俺のような者は、かえって悪目立ちしてしまうことを5月に入りすぐに理解した。
前に一度絡んできた貴族の女子が、案の定そのことを俺に言ってきた。
「村井様。まだどちらのサークルにも所属していらっしゃらないそうですね。この学校では、サークル活動は社交の場としても重要な意味を持つんですよ」
高飛車な声が、俺の耳に響く。彼女はやはり暮友だった。
どうも彼女は四大財閥に属する暮友の創業家に連なる貴族で、伯爵の三女にあたり、このクラスの委員長だった。
知らない俺もどうかとは思ったが、委員長が一人浮いていた俺のことを心配……いや、違うな。面倒事を避けたくて注意してきたようだ。
「そうか、委員長。実は忙しくて、まだ何も決めていなくて。何かおすすめのサークルとかあるのか?」
俺は素直に彼女に、サークルなどのことを聞くと、前に絡まれたときに助けてくれた公爵家の令嬢を紹介してきた。要は暇な彼女にでも聞けという感じだった。
「わたくしよりも、公爵家の桜華院 梓様にお伺いするのがよろしいかと存じますわ。彼女はそのあたりについて大変お詳しいですから」
委員長の言葉に、俺は少し呆れたが、まあ、面倒事を避けたい彼女らしいなと思った。
俺は素直に彼女にそのあたりのことを聞きながら、彼女の所属するサークルも聞いてみた。
「ちなみに、委員長はどちらのサークルに所属されているんですか?」
「わたくしは、弓道部に所属していますわ。伝統と規律を重んじる我が家には相応しいかと」
なるほど、と俺は納得した。彼女のきっちりとした性格には確かに似合っている。