第三十話 資産の拡大と新たな戦略:秘された過去と、動き出す復讐の歯車
自宅マンションに戻ると、法子さんがリビングで、相場の結果をまとめた資料を熱心に調べていた。
2月に入る前に仕込んだ先物ポジションは、既にすべて決済済みだ。
年度替わりを控え、結果が出揃う時期だった。
「宝塔様、とんでもないことになっておりますわ!」
法子さんの声が、興奮に震えている。
彼女が差し出した資料に目をやると、俺の心臓が大きく脈打った。
2月に入る前に640億円のほとんどを先物にベットした結果、俺の資産は驚くべき数字を叩き出していた。
2000億円。わずか2ヶ月足らずで、資産が3倍強に膨れ上がっていたのだ。
平田嶺としての記憶がなければ、この狂気とも言える増殖ぶりに、俺自身が動揺していただろう。
「これほどの利益を出すとは……やはり、宝塔様は天才でございますわ」
法子さんの瞳は、驚きと尊敬の念で輝いている。
その眼差しは、俺に対する揺るぎない信頼に満ちていた。
彼女の言葉は、俺の孤独な復讐を支える、何よりの力となる。
「まだまだこれからだ、法子さん。この相場は、俺の記憶ではさらに深く、長く下がる。だが、今、俺が真に狙うべきは、市場だけではない。そろそろ他のことにも目を向けないと」
俺はそう言って、法子さんの手を握った。
その指が、俺の指に優しく絡みつく。
この莫大な資金があれば、様々な手を打つことができる。
20億円でリリーナさんの屋敷を買い取り、その売却益で基金を作らせているが、基金が本格稼働すれば、俺の方から更に追加で資金を入れる予定だ。
当面は100億円でもあれば、彼女たちの生活は盤石になるだろう。
しかし、俺の真の目的は、単なる庇護ではない。
「そういえば、以前リリーナさんの個人資産を確認した時に見つけた**『丸亀造船』**の株券があっただろう? あれ、爺さんに調べてもらえないか?」
俺は、ふと頭に浮かんだ疑問を口にした。
あの時見つけた、わずかながら残されていた株券。
桜華院の宗家が、なぜあれを見落としたのか、あるいは、なぜ敢えて残したのか。
その理由が気になっていた。
翌日、爺さんに連絡を取ると、すぐに調べてくれることになった。
数日後、爺さんから連絡が入った。
その声は、普段の飄々としたものとは異なり、どこか怒りを孕んでいるようだった。
「おい、宝塔。あの『丸亀造船』の株だが、調べたぞ。あれは、桜華院の宗家が強奪できなかった代物だ」
爺さんの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。
強奪できなかった? 一体どういうことだ。
「どういうことですか、爺さん?」
「リリーナの旦那は、確かにあの造船会社を創業し、地方財閥にまで育て上げようとしていた。だが、桜華院宗家が邪魔をした。奴らは、あの会社を丸ごと手に入れようとしたが、できなかったんだ。なぜなら、その背後に、海軍の目があったからだ」
爺さんの声が、低く響く。
海軍。
この時代、軍部は、国内経済にも大きな影響力を持っている。
「丸亀造船は、四国で唯一、海軍指定工場として、軍艦の修理や部品製造を請け負っていたらしい。だから、桜華院宗家が、公然と株を買い占めたり、強引な手段で乗っ取ろうとすれば、海軍の逆鱗に触れることになっただろう。奴らも、そこまではできなかったようだ」
「では、支配権を奪ったというのは?」
「委任状の偽造だ。桜華院の倅は、株式の過半数を握っていたが、その株券を物理的に奪うことはできなかった。しかし、偽造した委任状で、彼の保有する株式の議決権を掌握し、役員を送り込み、事実上の支配権を奪ったんだ。表向きは彼の急死による経営権委譲という形を取ったが、実態は違った。だから、あのわずかな株券が、リリーナさんの手元に残っていたのだろう。株券そのものを奪えば、海軍が黙っていないからな」
爺さんの説明に、俺の胸に熱いものがこみ上げた。
桜華院宗家の狡猾さ、そしてその背後にちらつく軍部の影。
これは、単なる復讐ではない。この国の闇の深部へと、俺が踏み込むきっかけとなるかもしれない。
丸亀造船の株券。
それは、ただの紙切れではない。
梓の父親が命を懸けて守ろうとした、最後の抵抗の証なのだ。
「なるほど……ありがとう、爺さん。これで、やるべきことが明確になった」
俺は、受話器を置いた。法子さんが、心配そうに俺を見つめている。
「宝塔様……何か、大変なことが?」
「ああ。とんでもない置き土産を見つけたようだ。だが、これで、俺の復讐の歯車は、さらに複雑な動きを見せることになる」
俺の口元に、冷たい笑みが浮かんだ。丸亀造船。その名が、俺の脳裏に深く刻み込まれた。