第二十八話 相場の行方と復讐の序章:嵐の後の静寂と、新たな覚悟
春休みが終わり、桜の花びらが舞い散る4月。
新学期が始まった皇道学館の校舎には、例年のような華やいだ空気はなかった。
生徒たちの間では、年始から続く株価暴落の話題が尽きない。
休み明け、友人たちと顔を合わせるたびに、耳に飛び込んでくるのは、親の会社の経営悪化、倒産、そして家庭の財政状況について、不安を口にする声ばかりだ。
かつては豪奢な生活を謳歌していたクラスメイトの中には、顔色を悪くし、精彩を欠いた者も少なくない。
この学園にも、時代の荒波が確実に押し寄せていることを肌で感じた。
俺のシンガポール口座の資産は、この混乱の中で、まさに爆発的に膨れ上がり続けていた。
2月からの日経平均の大暴落は、俺が仕込んだ先物売りにとって、まさに神風だった。
莫大な利益が日々計上され、その数字は、俺自身の想像さえも遥かに超えるものとなっていた。
しかし、まだこれは序章に過ぎない。
俺の平田嶺としての記憶が示す未来では、この後も数年にわたって株価は低迷し、多くの企業が倒産し、そして、これまで「不沈神話」とまで言われた土地価格も、奈落の底へと下落を続ける。
俺は、この未曾有の混乱の中で、さらに大きな利益を掴み、過去に俺からすべてを奪った社会への復讐を完遂するつもりだ。
だが、それは単なる破壊ではない。
この腐敗した社会を一度壊し、その上に、俺が望む新たな秩序を築き上げるための、壮大な序曲なのだ。
その日の夜、法子さんのマンションで、俺たちは今日の出来事を語り合った。
温かい紅茶の湯気が立ち上るリビングは、外の世界の喧騒とは隔絶された、穏やかな空間だった。
「リリーナさんも梓さんも、宝塔様のおかげで、本当に安心されたことでしょう。あれほど追い詰められていらしたのに、たった数日で、あんなにも表情が穏やかになるなんて……」
法子さんは、優しく微笑んだ。
彼女の存在は、俺の心を常に穏やかに保ってくれる。
彼女の揺るぎない信頼と、包み込むような優しさが、俺の冷徹になりがちな心を癒してくれる。
「ああ。彼女たちを守ることは、俺の新たな使命でもある。この混乱の中で、彼女たちのような純粋な者たちが、無慈悲な権力者に食い物にされるのを黙って見ているわけにはいかない」
俺はそう言って、法子さんの手を握った。
彼女の柔らかな指が、俺の指に絡みつく。
その温かさが、俺の全身に広がる。
俺の復讐は、ただ破壊するだけではない。
この混乱の中で、俺が新たな社会の秩序を築き上げるための、礎でもあるのだから。
そして、その秩序の中で、俺の大切な人たちが、幸せに暮らせるように。
リリーナさんと梓を庇護したことで、俺の周りの人間関係は、さらに複雑で、そして豊かなものになった。
この春からの学校生活は、これまで以上に波乱に満ちたものになるだろう。
しかし、俺はもう一人ではない。
新たな家族と、そして法子さんという心の支えがある限り、俺はどんな困難にも立ち向かっていける。そして、俺はまだ知らない。この新たな関係が、俺の人生にどれほど深く、そして甘美な影響を与えることになるのかを。
それは、ただの庇護を超えた、心の交流となっていくことを、まだ、この時の俺は知る由もなかった。
*****
中学二年生、新たな始まりと深まる関係:秘めたる誘い
4月に入り、俺も梓も、ともに進級して中学二年生になった。
新しい教科書を抱え、年度初めに始業式に出てみると、校内の雰囲気は、年始から始まった株価の下落の影響を色濃く受けていた。
新学年の始まりを祝うような浮かれた空気は微塵もなく、多くの生徒たちの顔には、不安や戸惑いの色が浮かんでいる。
まるで、未来への希望が見えないかのように、皆が俯きがちだった。
その日は始業式だけなので、そのまま午前中で学校は終わり、俺は梓と一緒に、彼女とリリーナさんが新しく移り住んだマンションへと向かった。
橘執事と、新たに雇われたメイドの美咲さんもここで生活をしているらしいが、今はふたりとも、リリーナさんのための基金設立に関する最終手続きや、松濤の屋敷の売却後の後始末に奔走しているらしく、住まいにはいない。
広々としたリビングには、まだ最低限の家具しか置かれておらず、引っ越しの段ボール箱がいくつも積まれていた。
しかし、窓から差し込む春の光は、この部屋に、そして彼女たち母娘の未来に、希望の光を投げかけているかのようだった。
梓が、淹れてくれた紅茶を俺の前に置いた。その手つきは、まだ少しぎこちない。
「村井様、本当にありがとうございます……。まさか、私たちがこんな風に、新しい生活を始められるなんて」
梓の声は、安堵と感謝で満ちていた。
彼女の表情は、数週間前までの絶望の色は完全に消え去り、澄み渡る青空のように晴れやかだ。
リリーナさんは、そんな梓の頭を優しく撫でながら、俺を見つめた。
その瞳には、深い安堵と、そして今まで見たことのない、熱を帯びた輝きが宿っていた。
「村井様……」
リリーナさんが、静かに俺の隣に座った。
梓が、何かを感じ取ったかのように、そっとリビングを出ていく。部屋には、俺とリリーナさんの二人だけが残された。
窓から見える東京の街並みが、夕焼けに染まり始めている。
その光が、リリーナさんのプラチナブロンドの髪を、燃えるような金色に染め上げていた。
彼女は、ゆっくりと、しかし確実に俺に顔を近づけてきた。
その吐息が、俺の頬を熱くくすぐる。甘く、そして官能的な香りが、俺の理性を揺さぶる。
「私……そして梓は、村井様のおかげで、すべてを失う寸前で救われました。私たちに残されたものは、この身体だけ。そして、この身体は、村井様にお仕えするためにあるのです」
リリーナさんの声は、先ほどまでとは打って変わって、低く、そして誘うような響きを帯びていた。
彼女の瞳は、吸い込まれるような青い光を放ち、俺を見つめている。
その視線には、覚悟と、そして秘めた情熱が宿っていた。
プラチナブロンドの髪が、肩から滑り落ち、白い肌が、かすかに露わになる。
その完璧な造形美は、まるで神が創造した芸術品のようだった。
彼女の指先が、俺の服の裾にそっと触れる。
それは、まるで氷のような冷たさでありながら、同時に、燃えるような熱を帯びているかのようだった。
このマンションの一室で、俺とリリーナさんの間に、新たな、そして決定的な関係が築かれようとしていた。
それは、単なる庇護関係を超えた、もっと深く、そして甘美なものになるだろう。俺の復讐の序章は、確実に、そして予測不能な方向へと進み始めていた。