第十七話 白麗澪との再会と議論:天才たちの狂騒と、その先
箱根の別荘での合宿二日目、俺たちは、昨日行われたキャリア官僚による講演会を受けてのディスカッションに臨んでいた。
広々としたラウンジには、年齢に似合わないほどの知的な熱気が満ちている。
生徒たちは皆、活発に意見を述べ合っており、正直なところ、俺は彼らを少し舐めていたことを認めざるを得なかった。
どう見ても中学生がするべき内容ではない。
彼らの議論は、日本の経済、国際情勢、そして未来への展望にまで及ぶ。
現役の証券マンから見れば、確かに見当違いな分析や、あまりにも甘い見通しも散見される。
しかし、それにしても、彼らが示す理解度と思考の深さは、俺のいた世界の大学生か、それ以上のレベルに達していると言えるだろう。
この世界の指導者の卵たちのレベルは、かなり高いと言わざるを得ない。
彼らは、生まれながらにして、この国の未来を背負うことを運命づけられている。
そのための教育が、いかに徹底されているかを、このディスカッションが如実に示していた。
しかし、俺には理解できないことが一つあった。
これほど優秀な卵たちが、なぜ成長すると、現状を放置し、この先に待つ破滅的な経済崩壊に対して指を咥えて見ているだけになるのか。
彼らは、今、この場で、目の前の数字とデータ、そして世界情勢をこれほどまでに深く分析しているというのに。
まあ、真剣に自分たちの利益まで考えるようになると、身動きが取れなくなるのかもしれない。
既得権益という名の鎖に縛られ、過去の成功体験という名の幻想に囚われる。
それゆえに、この先に破滅が待っていると分かっていても、誰も大きな舵を切れないのかもしれない。
だが、それにしても、この先に**『日本潰し』**という陰謀が待っているのだ。指を咥えてばかりは居られない。
俺の心の奥底には、「社会が大ダメージを受けようとも、俺自身が無事ならばそれでも構わない」と考える冷徹な部分がある。
過去の苦い経験が、そう俺に囁く。
しかし、それとは別に、この社会全体への復讐を考えると、何もしないでダメージを与えるのも違う気がする。
この狂騒を仕掛けた者たち、そしてそれに加担する者たちへの復讐を完遂するためには、ただ傍観するだけでは足りない。
より深く関与し、その混乱の中で、俺が望む未来を掴み取らなければならない。
そんな複雑な思いを抱えながら、ディスカッションは昼食を挟んで午後まで続いた。
今回の議論の結果は、今年の秋の学園祭の出し物となるようで、その準備も並行して進められていた。
生徒たちは皆、それぞれの役割を果たすべく、真剣な顔で資料をまとめ、意見を交わしている。
*****
白麗澪の才気と、幸との再会
ディスカッションの合間、俺は改めて白麗澪先輩の姿に目を向けた。
彼女は今日のディスカッションのリード役を務め、冷静かつ的確に意見をまとめ、議論の方向性を定めていた。
その姿は、俺の知る「澪先輩」とは違う年齢だが、彼女が持つ類稀なる才気は、やはり変わらない。
彼女の声は穏やかでありながら、その言葉には確かな説得力と、周囲を納得させるだけの論理的な裏付けがあった。
彼女が、このサークルで会長を務めるにふさわしい人物であることを、誰もが理解しているだろう。
「村井様、白麗先輩はいかがでしたか?」
隣に座っていた梓が、俺の表情を窺うように尋ねてきた。
彼女の涼やかな瞳は、俺の心中を見透かそうとしているかのようだ。
「ああ、素晴らしいな。さすがは代表だ。彼女の洞察力には驚かされるばかりだ」
俺は素直に感心した。
澪先輩の姿を見ていると、俺の心が疼く。
彼女の才能を、この狂騒の波に飲み込ませてはいけない。
その思いが、俺の胸に強く去来した。
その時、ちょうど休憩時間に入り、生徒たちが三々五々、飲み物を取りに行ったり、談笑したりし始めた。
俺は、その機会を逃すまいと、梓に声をかけた。
「梓さん、少しお手洗いに行ってくる。席を外す間、法子さんと少し話をしていてくれないか?」
「ええ、もちろん村井様。ごゆっくりどうぞ」
梓はにこやかに頷いた。
俺は法子さんに目配せをしてから、一度席を立った。
お手洗いから戻る途中、ラウンジの一角で、見慣れた顔が視界に飛び込んできた。
白麗澪先輩の母である白麗幸夫人だ。
彼女は、ティーカップを片手に、数人の保護者たちと談笑していた。
俺は、彼女に気づかれないように、あえて少し遠回りして、彼女たちの会話に耳を傾けた。
「……ええ、最近は本当に、どこに行っても景気の良い話ばかりでしてね。主人も、そろそろ手を引く時期だと言い始めているのですが……」
幸夫人の声は、控えめながらも、どこか諦めのような響きを帯びていた。
他の保護者たちは、口々に「まだまだこれからですよ」と笑っている。その能天気な声が、俺の耳には空虚に響いた。
俺は、意図的に幸夫人に近づいた。
「白麗様、こんにちは。合宿にお越しになっていらっしゃったのですね」
俺の問いかけに、幸夫人は驚いたような表情を見せた後、すぐに上品な笑みを浮かべた。
「あら、村井様。ごきげんよう。ええ、娘の合宿ですから、やはり顔を出さないわけには参りませんもの。それに、あなたもいらっしゃると伺って、少しばかり興味がございましたのよ」
彼女の言葉には、どこか意味深な響きがあった。
俺がこの場にいることを、彼女はすでに知っていたのだろう。
「恐縮です。お嬢様のディスカッション、拝聴させていただきました。素晴らしいですね。さすが、白麗先輩だ」
俺は、澪先輩を褒め称えることで、幸夫人の警戒心を解こうとした。
「まあ、ありがとうございます。澪も、最近は少しずつ自分の意見を言えるようになってきて……。これも、サークルの皆様のおかげですわ」
幸夫人は、嬉しそうに微笑んだ。
その表情からは、娘への深い愛情が感じられた。
その時、法子さんが俺の隣にそっと近づいてきた。
俺は、この機会を逃すまいと、法子さんを幸夫人に紹介した。
「白麗様、こちらは、私の秘書兼、私の後見人を務めてくださっている、経世法子と申します」
俺の紹介に、法子さんは深々と頭を下げた。
「初めまして、白麗様。村井宝塔の件では、いつもお世話になっております」
法子さんの丁寧な挨拶に、幸夫人は少し驚いたようだった。
法子さんの醸し出す知的な雰囲気と、落ち着いた物腰に、幸夫人も興味を抱いたようだ。
「まあ、これはご丁寧に。わたくしこそ、宝塔様にはいつもお世話になっておりますわ。白麗幸と申します。あなたのような方がいらっしゃるとは、宝塔様も心強いでしょうね」
幸夫人は、法子さんの手を握り、にこやかに微笑んだ。
その瞬間、俺は確信した。この二人は、きっと良い関係を築けるだろう。
「ありがとうございます。もしよろしければ、この機会に、お互いに連絡先を交換させていただいてもよろしいでしょうか? 何かとお力になれることもあるかと存じますので」
法子さんは、すかさず連絡先を交換することを提案した。
幸夫人は、少し戸惑った表情を見せたものの、すぐに了承した。
彼女は、法子さんの提案が、単なる社交辞令ではないことを察したのだろう。
「ええ、喜んで。わたくしのようなもので、お役に立てることがあれば、いつでもお申し付けください」
二人の間で連絡先が交換されたのを見届け、俺は内心で微笑んだ。
法子さんと幸夫人が繋がることは、俺の計画にとって大きな意味を持つ。
幸夫人が持つ貴族社会の裏側の情報と、法子さんが持つ法的な知識と情報網が合わされば、これまで見えなかったものが見えてくるはずだ。
ディスカッションの熱気が冷めないラウンジの中で、俺は、新たな情報網の構築に成功したことを実感していた。
この箱根の合宿は、単なるサークル活動の場ではない。
それは、この国の未来を賭けた、壮大な情報戦の舞台なのだ。
俺の知らないこの世界の『裏』が、少しずつ、そして確実に、明らかになっていくだろう。
そして、その情報が、俺の復讐計画をさらに加速させるはずだ。