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【シリーズ】ちょと待ってよ、汐入

【2】事件は密室では起こらない (2023年冬)

【シリーズ】「ちょっと待ってよ、汐入」として投稿しています。宜しければ他のエピソードもご覧頂けますと嬉しいです。


【シリーズ】ちょっと待ってよ、汐入

【1】猫と指輪 (2023年秋)

【2】事件は密室では起こらない (2023年冬)

【3】エピソードゼロ (2011年春)

【4】アオハル (2011年初夏)

【5】アオハル2 (2011年秋)

            (続編 継続中)

   事件は密室では起こらない 第一章


その日も本業がない為、汐入はいつもの様に大森珈琲のカウンターに立っていた。

客がいないのをいいことに、妄想にふけっている。挽いたコーヒー豆の粒子径と苦味との相関性についてどう検証したらよいだろう?粉の表面積は球形近似して相対的に比較はできそうだ。だが粉が細かくなると液体が通り難くなりドリップ時間がかかってしまう。時間のファクターをどうキャンセルしようか。いっそ粉を湯に漬けて一定時間後に取り出してみたらどうだろう、いや、もしかしたら単に時間だけの違いかもしれない、粉の大きさが一定でドリップ時間だけを変えた条件での苦味の変化も確認しないとな。そもそも苦味が官能評価だから、ここも何か客観的な指標を採用したいなあ。粉の表面積も球形近似だからここもかなり大胆な仮定になるな、など、どうでもいい検証法を真剣に思案していると、店のドアが開き、引き締まった体躯の男が一人、入ってきた。


「いらっしゃいませ。お、センくん!」

と店長の大森が声をかける。

「おす、大森。汐入、いる?」

「いるよ。カウンターへどうぞ」

と言われ、男はカウンターに座る。


「よ。千本松。こないだはお疲れ様」

「ああ。ありがとう。皆で観に来てくれたんだってな。そう言って労ってもらえるのは嬉しいけど、負け試合だからなんともな・・・」


男は千本松千尋。格闘家だ、いや、だった。先日の試合をもって引退した。

名前に「千」が二つもあるのでミリオンと呼ばれている。1000×1000でミリオンという訳だ。一部の人からは千と千尋だ、などと弄られてもいる。

ものすごく有名、と言う訳ではなかったが、テレビ放映する格闘技イベントの前座に組まれた事もあるぐらいには強かった。


にわか格闘技ファンからは「千本松?誰、それ?」と言われるが、逆にコアなファンからは千本松を知らない奴はモグリだ、とも言われている。

美しいハイキックとグランドでの関節技を併せ持つ稀有な格闘スタイルでコアなファンからは根強い人気を誇っていた。


ちなみに外見は、美しいハイキックとは裏腹にコテコテの昭和ヤンキーだ。ツヤツヤのポマードで黒髪を後ろに撫で付け、前髪の一部を眉間に垂らしている。目力のある鋭い眼差しの精悍な顔つきをしている。


「飲み物は?」

「ホットコーヒーをくれ。豆は汐入が決めてくれ」

汐入が豆を選び挽いてドリップする。千本松は黙って待っている。

「キリマンジャロ。浅煎りだ」

「サンキュ」

千本松はゆっくりと珈琲を味わった。


「気持ちは落ち着いたか?」

「全てお見通しって訳だな」

「ワタシに相談したいことがあるんだろ?探偵事務所に行くほどの事ではないが、ここに来て、もしワタシがいたら話してみようかな、といったところかな」

「ま、そんなところだ。警察には既に相談しているからな。でも、探偵として汐入に話を聞いて欲しい」

「もちろん話を聞くのは構わない。だけど、仕事だから依頼料は頂くよ。だがそのかわり、千本松の要望には全力で応える」

「それでこそプロフェッショナルだ。実はな―――」

と千本松は話し始めた。



先日の試合、俺にとっては引退試合となったわけだが、その試合は自分で言うのもなんだが、そこそこのビッグマッチだった。

一応、俺は団体の東洋チャンピオンで相手は北中米チャンピオンだから、その勝者は太平洋チャンピオンとでも言うのか、俺も相手も賭けるものがある試合だった。


相手はアフリカ系アメリカ人で、蹴りの威力は俺の倍はあるだろう。ま、ヤバい奴ってことだ。

これまで、メキシコのボクサータイプの格闘家や、タイのムエタイ、ブラジルの総合格闘家などと闘ってきたが、立技も寝技も負ける気はしなかった。実際、勝ってきた。

だが、あの試合は立技で完敗した。見ての通りハイキックを喰らいKOだ。迷う事なく引退を決意できたからある意味で幸せな最後だったかもしれない。いや、この話はいい。今日の本題はそこじゃない。


あまり裏話はしたくないが、ファイトマネーは200万円。俺にとっては破格の金額だ。今、入り用でな、即日キャッシュでの支払いでプロモーターと契約した。だから当日、メディカルチェックなどをパスして興行が成立した段階でファイトマネーを受け取った。


200万円の札束、見たことあるか?分厚いぞ。2センチぐらいある。それをマネージャーに預かってもらい、試合後に受け取る予定、だったのだが、試合後、その札束がそっくり消えた。


もう少し詳しく話そう。プロモーターから受け取った金はマネージャーが控え室の金庫に保管した。そして試合に臨み、試合後、控え室に戻り、金庫を開けると消えていたって訳だ。

部屋と金庫の鍵はマネージャーが肌身離さず持っていたし、マネージャーは、試合中はセコンドと一緒にリングのコーナーに控えていたから単独で動ける時間は無かった。要するにアリバイあり、だ。セコンドも同様で、つまりチームミリオンは皆、アリバイありって訳だ。


警察に通報して、その日に色々調べたが手掛かりはなし。鍵のスペアは会場の建物の管理会社が守衛室に保管しているが、その日スペアキーに触れたものはいなかった。

そうなると、誰かが予め合鍵を作り持っていた事になるが、それも疑問が残る。

俺が現金で受け取るのをどうして知っていたのか?

俺の控え室、その金庫をなぜ特定できたのか?

マネージャーと共謀しマネージャーから鍵を受け取るパターンもあるが、俺やセコンドが見た範囲ではその様な人物との接触はなかった。ま、鍵の受け渡しの方法は工夫次第でなんとでもなるかもしれんが。


どうだろう、汐入。解決の糸口や、何か見落としている点を教えてくれ。



   事件は密室では起こらない 第二章


「そっか。ワタシ達が観戦していた裏でそんな事が起こっていたとは・・・。幾つか確認させてくれ。まずは現金を金庫に入れたところだ。マネージャーが金庫に入れたのは見たの?」

「マネージャーから入れておきますねって声を掛けられたから、見ると、金庫に納まった札束が見えた。そして扉を閉めて鍵をかけたのも見た」


「マネージャーはどんな人?」

「三十代後半ぐらいの男だ。俺専属ってわけではない。ウチのジムに所属する何人かを掛け持ちで見ている。セコンドが回るように上手いこと選手の予定を分散させたり、任せておけば間違いはない。大きなイベントは現場に同行するが、予定を伝えるだけの時もある」

そっか、と呟きしばし沈黙する汐入。


次いで、

「お金を保管した後はずっとチームミリオンは一緒にいた訳だな。その間、誰も控え室に入っていないのか?何か証拠はあるのか?」

「ああ。廊下に防犯カメラがあって控え室のドアも映っていだけど、試合の間は誰も控え室には入っていない。ちなみに控え室には窓もなく出入り口はひとつだ」

「なるほど。監視カメラで確認済みか。密室と言うやつだな。金庫の指紋はどうだった?警察は採取した?」

「結論を言えば指紋は手掛かりにはならなかった。チームミリオン全員の指紋が出た。金がないってわかった後、皆で探してその時、金庫を触ったからな。鍵も何度も開け閉めしてちゃんと閉まるのか確認したりもした。もちろん誰のものかわからない指紋も多数出た。毎回綺麗に拭き取る訳ではないから前に使った人達の指紋なんだろうな」

ふむ、と汐入は頷いて、思考を整理する。


「さっき、千本松は幾つか仮説を述べていたね。第三者が管理室のスペアキーを使った説。第三者が予め合鍵を作っていた説。それからマネージャーと第三者の共犯説。だが、そもそも第三者は誰も控え室に入っていない。第三者が密室のトリックを施して犯行に及んだ、と言いたいとこだが、それはないだろうね」

汐入は続ける。

「いいか、よく考えろ。密室で事件なんて、そうそう起こるものではない。だって密室なんだぞ。どうやって犯行に及ぶんだ?密室を破る、犯行を行う、もう一度密室を復帰させる、という現状復帰型の密室だって、今回は控え室と金庫の二つの鍵が必要になる。合鍵を作った奴、控え室の情報をリークした奴などから足がつく可能性が高い。それに今回は監視カメラがある。言わば、常時維持型の密室だ。そこで犯行を行うとしたら監視カメラに細工をしなきゃいけない。ドラマなんかではよくあるが、実際問題そんなことはできないだろ?少なくともワタシには無理だ。だから素直に考えれば、マネージャーが犯人だ」

「でもマネージャーは俺とずっと一緒にいた。一体いつ盗んだって言うんだ!?」

「千本松がマネージャーをシロだと思うのは、金庫に現金を入れてから次に金庫を開けるまでずっと一緒にいたからだろ?確かにその間、犯行は無理だ。だがその前はどうだ?金庫に現金を入れる前に犯行が行われた可能性はあるだろ?」

「いや、矛盾してるぞ、汐入。金庫に入れる前に金を盗んだら、どうやって金庫に金を入れるんだ!俺は金庫に札束が入っているのを見たぞ」

「そこが問題だ。でも逆説的に言えばそこさえクリアすれば犯行は可能なんだ」


どうやって千本松を騙したのか?状況的には犯人はマネージャーの一択だ。あとはどうやってやったのか、だ。

「それに仮にそうだとしても、盗んだ金は?警察が持ち物検査をしたんだぞ」

「鞄とかを見ただけだろ?盗んだ札束は百万円ずつに分けて靴底にでも隠しておいたんだろう。それは何とでもなる」

警察もその場で関係者全員を徹底的に調べ上げることはできない。観客も含めれば容疑者は途轍もなく多い。千本松はうーん、と納得のいかない表情で黙り込む。汐入は千本松に質問する。


「もう少し詳しく控え室の様子を教えてくれ。部屋の間取りは?」

「ドアを入って左側の壁に面してテレビ、金庫、荷物を置くスペース。中央は体が動かせる様にスペースがとられていて、テーブルは反対側の壁に寄せられていた。テーブルの前には椅子が4つだったかな」

「金庫の現金を確認した時の状況をもっと詳しく教えてほしい。千本松は何をしていたとか、マネージャーと千本松の位置関係とか」

「俺はその時、少しアップをして身体が温まったから椅子に座りテーブル側の壁を向いてイメトレをしながら気持ちを高めていた。そしたらマネージャーが、ファイトマネー、金庫に入れておきますね、一応確認して下さい、と声をかけてきたから振り向いて金庫を見た。しっかりと見たのかと言われればそうではなかったな。チラッと見た感じだ。だが金庫内の札束がハッキリと見えたから、わかった、と返事をした。その後マネージャーは金庫を閉めて鍵をかけた」

「わざわざ確認を求められたんだな。で、金庫はどの角度から見えた?」

「うーん、ほぼ正面に近い感じだったかな」

「そうか。どうやったら金庫内に現金がある様に見えるかなぁ。そんなに複雑なことはしていないはずなんだが・・・」


しばし考え込む汐入。

確かに見たんだよな、それは事実だ。なにを見て金庫にある様に思ったのか?なにを見せてそう思わせたのか?その場で簡単にやらなくてはいけない、などぶつぶつと独り言を言っている。


「ところで、マネージャーは手帳派、タブレット派?」

「えっ?なんだそれ?」

「予定の管理とか大事なこととか。手帳?タブレット?」

「あぁ、そう言えばタブレットを持ってるな」

「そうか。マネージャーの武器はおそらくタブレットだ。これを使って上手く千本松を騙したんだろうな」


汐入は

「大森、タブレットあるかな?」

と聞く。大森は

「あるよ」

と答え、タブレットを手渡す。

試してみよう、と呟いて汐入は説明し始めた。


ここに電子レンジがある。そして一冊の文庫本もある。

この電子レンジを金庫、文庫本を札束と見立てよう、と言って電子レンジ内に文庫本を置く。

そしてその状況をタブレットのカメラ機能を使い、ちょうど電子レンジの間口の枠が画角いっぱいに来る様にして撮影する。

それを写真アプリで全画面表示する。画面は少し暗めにした。

そして、電子レンジから文庫本を取り出して、汐入のエプロンのポケットに仕舞い、電子レンジの間口にタブレットを当て込む。左端は電子レンジの扉で少し隠し、右端は自身が立ち死角を作る。


「どうだ?ちらっと見た感じ、どう見える?」

「そんなバカな。ぱっと見、中に本がちゃんと置いてある様に見えてしまう。こんな仕掛けに騙されたのか、俺は?」

「比較的正面に近いアングルだとあまり違和感ないだろ?扉を閉める時に自身で千本松の視界を遮りタブレットを取り、鍵をかければ完了だ。手にタブレットを持っていても特に不審には思われない。わざわざ確認を求めてきたのは千本松に安心感を与え、画像の違和感を軽減させるためと、しっかり金庫に入れたと思い込ませるためだ」

「確かに言われればそうだ。俺は試合前で正直、それどころではなかったから、今、汐入がした様にタブレットで撮影した画像を見せられていた、と言われたら否定する自信はないな・・・。いや、今にして思えばむしろハッキリと見えた点に違和感が出てきた。見え過ぎていたかもしれない。タブレットの画像だと考えれば説明がついてしまうな」

「ま、これはそんなに詰めなくてもいいんだ。大事なのは、マネージャーが犯人だと確たる自信を持って、千本松がマネージャーに対峙する事だよ。信頼しているマネージャーに疑念を向けるのは辛いかもしれないけど、千本松が揺るぎない態度で問い詰めれば、マネージャーに迷いが生じる筈だ。そこを逃さず、畳み掛けろ。二人だけの秘密にする、被害届は取り下げる、だから即、全額、返せって」


しばし考え込む千本松。沈黙の後、

「わかった。汐入、お前を信じる。善は急げだ。これからマネージャーに会ってくる」

「よし、頑張れ。依頼料は成功報酬で良い。取り戻した金額の5%を頂戴する」

「ああ、わかった。行ってくる。コーヒー代、ここに置いておくぞ」

と言って千本松は店を出た。

汐入はレジで会計の処理をしてから、珈琲カップを片付けてカウンターを清掃した。

「大森、ワタシもちょっと出掛けてくる。買い物を思い出した。すぐ戻る」


2時間後、再び、千本松がやってきてカウンターの汐入の前に座った。

「汐入、ありがとう、取り返した。これ、依頼料だ」

「よかったな、千本松。確かに受け取った。ではこれはワタシからの引退の餞だ」

と言って、汐入は受け取った十万円を祝儀袋に入れて千本松に手渡した。


        (事件は密室では起こらない 終わり)



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