241.楽器の練習(2)
みんなで音を出せて喜んだ後、再びそれぞれの練習に入っていった。みんな真剣に教本と向き合って、一音ずつ音を出しては喜んでいる。まだまだ手元は覚束ないけれど、音を出せると小さな自信に繋がっていく。
「うーん、ここは手元は……」
「えーっと、抑える手は……こう?」
「力と角度に気を付けて、弓を弾く」
みんな、集中して教本通りに楽器の練習をする。練習が進むと音は頻繁になり、家の中が少し賑やかになってきた。誰かが音を鳴らすと、遅れないように音を鳴らして頑張っているアピールをする。
「手元はこう、次はこう、その次はこう!」
「キーの抑える順番は……ふむふむ。こうやって、こうやって、こうですね」
「短く持つ時、中ぐらいの時、長い時……うん、いい感じ!」
一歩ずつ確実に練習は進んでいる。本が苦手だと思っていたクレハは思いのほか早く進歩しているし、イリスは最初こそ大変だったがそれを抜けた先は順調に進んでいた。私はそんな二人に追いつくように一つずつ問題を解決している。
「うー……一度に覚えるのは大変だぞ!」
その時、クレハが大声を上げた。とうとう、我慢の限界が来たか?
「一度に覚えるのは大変ですが、最初はそこまで覚えなくてもいいんじゃないですか? まずは、分かる範囲に留めて反復練習が大事です」
「うんうん、一度に詰め込まなくてもいいんだよ。いい音を出すには何よりも反復練習が大事だって書いてあるし」
「でも、二人が順調に進んでいるから焦るんだぞ。二人が音を出すと、遅れたくないっていう気持ちになるんだ」
クレハがしょんぼりと耳を折った。確かに、周りが音を出すと焦っちゃうよね。私も同じ気持ちだから、分かる。
「私もクレハがいい音を出すたびに遅れたくないっていう気持ちになってるよ」
「私もです。負けたくないっていう気持ちになっちゃうんですよね」
「二人ともそうなのか? だったら、二人も焦っちゃっているのか?」
「うん、そうだよ」
「はい、その通りです」
「……そうか、二人もウチと同じだったんだな。なんだか、それを聞いて安心したぞ」
ホッとしたような表情になった。先に進むのは大事だけど、反復練習も大事だ。ある程度のところで進むのを止めて、そこで反復練習をすれば上手くなるんじゃないかな?
「じゃあさ、こうしない? 今日はドレミファソラシドの音を出せるようになるまで頑張るのは? とりあえず、キーを覚えて音を出すのまでが練習ね」
「それだったら、三人一緒の進み具合になりそうですね。早く覚えたら反復練習にもなりますし、いいと思います」
「そうか! それだったら、追い抜かれないな! 周りの進む具合を気にすることがないから、自分の練習を頑張れるぞ!」
「よし! じゃあ、今日の練習はそれで決まりね! そうだ、最後に三人で音を合わせてみようか」
「いいですね、それ! どんな音になるのか楽しみです!」
「ちょっと演奏みたいで楽しそうなんだぞ。絶対にいい音を出してみせる!」
目標があった方がやる気が出ると思ったが、思った通りだった。最後に音合わせをすることを伝えると、二人に強いやる気が生まれた。演奏まではいかないけれど、音楽の醍醐味である音を合わせることができるんだから。
やる気を漲らせた二人は真剣な表情で教本に向き合い、しっかりと読み込んでは音を出していく。この様子なら、今日一日でいいところまで進めそうだ。私も自分の教本と向かい合い、楽器の練習をしていく。
◇
午前中は教本を読む時間が多く、音は少ししか出せなかった。だけど、昼食後は午前中に教本を読み込んでいたお陰で音を出す練習が中心になっている。いい音もそうでない音も家の中に響き渡った。それに躓く声も……。
「うわー! 思う通りに指が動かない!」
「滑らかにキー操作ができません!」
「あー、指と手がこんがらがるー!」
三人で上手くいかない楽器操作に声を上げた。こうなったら集中力が切れてしまった。
「良いところまで進んだと思ったんだけど、続けてやろうとすると上手くいかないんだよなー」
「私も続けてやろうとすると、指が固まってしまって……。頭の中で思い描く指の動きができなくて、悔しいです」
「弦を抑える指とか弓の角度とか位置とか、美味い具合に嵌らないのがもどかしいよ」
「折角、いい感じに集中していたのになー。集中力切れちゃったぞ」
「だったら、一休みする? ついでに甘いおやつを食べて、頭を休ませよう」
「いいですね! 何にします?」
「うーん、熱くなったから冷たいアイスクリームを作って涼まない?」
「いいな、作ろう!」
私たちは休憩がてら、おやつのアイスクリームを作ることになった。楽器をテーブルの上に置くと、台所へと集まる。そして、三人でワイワイと楽しみながらアイスクリームを作っていく。
◇
休憩を挟んだ私たちは、やる気に満ち溢れた時の変わらない感じで楽器の練習に再び打ち込むことができた。上手くできなくても声を上げずに、淡々とやるべきことをやり続けた。
こんなに集中して物事をやるのは初めてだ。それなのに、諦めずに練習を続けることができているのは目標があるおかげだ。音楽を聴いた時の憧れがその原動力になっている。
生活が豊かになって娯楽に目を向けるようになってから、私たちの生活は色どりが増えてきた。初めの頃は働くことしかできなかったのに、今では遊ぶこと楽しむことを考える余裕が生まれてきている。
今回の音楽は娯楽の一種だから、その娯楽を楽しむくらいには私たちの生活は豊かになってきていた。それを実感すると嬉しくて、今が幸せだと感じる。楽器の練習をしながら、そんな幸せを噛み締めていた。
そして、その幸せを噛み締める瞬間がやってきた。
「よし、じゃあ一音ずつ音を合わせていくよ」
「おう!」
「やりましょう!」
一日かけて練習した成果を見せ合う。二人の顔を見ると自信に溢れている表情をしている。これだったら上手くいきそうだ。
「はじめはこのド。これから一音ずつ上げていくよ」
教本に書かれてある音符を指さすと二人は力強く頷いた。それから、それぞれ手元を確認してドの音を出す準備をする。
「じゃあ、三、二、一」
数えてタイミングを計ると音を出す。慎重に弓を弾いて弦を鳴らすと、ちゃんとした音が出た。それは他の二人も同じで、同じ音程の音を出して、音が合わさった。
「凄いぞ!」
「音が合いました!」
「重なったね!」
三人同時にパッと顔を上げると、嬉しそうに声を上げた。
「ピッタリ嵌った感じがしたぞ!」
「とっても綺麗な音色でした」
「音が合うとこんなにも気持ちがいいんだね」
「なんかこう、体の奥から何かが出てくるみたいだっ!」
「こういうのを快感っていうんでしょうか? この沸き上がってくる感覚、癖になりそうです」
「快感だね! じゃあ、この感覚を忘れない内に次の音いくよ。次はこのレね!」
音が合わさった心地よさはまさしく快感だった。今まで味わったことのない感覚にみんなのテンションが上がる。このテンションなら、次の音合わせも上手くいきそうだ。次の音を出す準備をすると、二人とも手元を確認して頷いた。
「三、二、一」
合図を送ると、みんなで音を出す。先ほどよりも一音高い音が出て、重なり合った。その音を聞くと、先ほどと同じように快感が体の奥から沸き上がってくる。
「今度も音が合ったぞ! 凄く気持ちがいいんだぞ!」
「ふふっ、私もです。ただ音を合わせただけなのに、こんな気持ちになるなんて信じられません」
「自分で出す音だから、聞くだけよりも嬉しくなっちゃうね」
「だな! ただ聞いていた時よりも、自分で出した音の方が気持ちがいいんだぞ!」
「全部の音が合わさったら、どんな快感になるか分かりません」
「この調子で音を合わせていこう。きっと、上手くいくよ」
ここまで上手にできたんだから、この後も絶対に上手くいく。その思いで次の音も、次の音も綺麗に合わさった。それぞれが真剣に楽器の練習をしていたお陰か、ぶれることなく音程が合わさっていく。
そして、最後のドの音を合わせ終わった時、今までで一番大きな快感を感じた。
「おー! 最後まで音、合ってたよな! な!」
「はい! ちゃんと合ってたと思います!」
「一音ずつだったけど、最後まで音が合って気持ち良かったね!」
楽器をテーブルの上に置くと、三人で手を合わせて飛び上がって喜んだ。音が合った快感もあるけれど、最後まで音が合った練習の成果を見せられたことが何よりも嬉しい。
「クレハはちゃんと練習ができたんですね。本を読むのは大変じゃなかったですか?」
「本を読むのは大変だったけど音が出るのが嬉しくて、その気持ちがあったからめげずに頑張れたぞ。それに二人もウチと同じく頑張ってたからな。負けられないっていう気持ちもあったな」
「楽器の音を出すのは大変だったけど、それ以上に得られるものがあったから頑張れたね」
「はい。音を合わせるだけで、こんなに気持ちがいいなんて知りませんでした。これが音楽になった時、どれだけ気持ちがいいのか想像できません」
「あー、早く演奏してみたいぞ!」
「だね! そのために反復練習を頑張ろう!」
おーっ! と、三人で繋げた手を上げた。目標へ向かって確実な一歩を踏み出した私たちのやる気は漲っていく。時間を作って、毎日練習だ!




